2000年2月
平成12年2月
  131号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
2000年度定期総会盛大に終わる 新役員で課題に挑戦
 2000年度の協会定期総会は、2月5日(土)午前10時から岡山駅前、日本生命ビル6階で開かれた。会に先立ち協会関係の物故者5人に黙祷を捧げた。ついで三島会長が挨拶に立ち、中華人民共和国成立50周年行事として開いた岡山―洛陽小学生写真展の成功にふれ協力した関係各位に感謝し、引き続き青少年の友好交流を促進するよう要望した。最後に、会長退任の意思を表明し、在任中の支援、協力に感謝の言葉を述べた。

 洞理事を議長に選んで6つの議案を審議し、提案どおり承認された。審議事項は次のとおりである。
1999年度活動報告(平成11年1月~12月)
一、各種交流
1.岡山市―洛陽市(河南省)友好都市交流
(1) 洛陽日報訪日団来岡(4/27~5/6)
(2) 洛陽市代表団来岡(5/4~5)
(3) 洛陽市友好訪日団来岡(7/22)
(4) 洛陽市教育代表団来岡(11/9)
(5) 洛陽申窪村小学校代表団来岡(11/19~28)
(6) 洛陽白馬寺訪日団来岡(11/19~28)
(7) 岡山―洛陽小学生写真展(11/21~23 岡山コンベックス)
(8) 洛陽市囲碁訪日来岡(12/2)

2.上海との交流
(1) 上海市教育視察団来岡(3/30~4/6)
(2) 協会訪中団(三島団長・10名)上海・北京を訪問(4/23~27)
(3) 第10回「福祉の翼」訪中団(板野団長・約100名)(8/24~27)
(4) 上海威海路第三小学校来岡(10/15~20)
(5) 上海盧湾区教育視察団来岡(12/7~14)

3.交流協力活動
(1) 新見市―信陽市溮河区(河南省)
    溮河区代表団来岡、信陽市児童交流訪日団が新見市訪問、協会表敬訪問(8月)
(2) 賀陽町―淮安市友好都市縁組(1/26)

ニ、台湾中部大地震義援金募金活動(10月~12月)
   募金総額 500,156円

三、岡山県日中教育交流協議会設立協力(3月)

四、日常活動
1.中国映画上映会
   「葫盧島大遣返」上映(西川アイプラザ 1/16)

2.中国三誌普及活動
(1) 三誌友の会開催(10回)
(2) 定期購読(協会扱い)
    「人民中国」48部
    「中国画報」7部
    「北京週報」4部

3.中国語普及活動(岡山中国語センター)
(1) 会話クラス
    入門6名、初級4名、中級3名、広東語6名、個人レッスン3名)
(2) 中国語能力検定試験

五、中国人留学生との交流
   第5回日中友好ボーリング大会(7/3 両備ボウル)

六、組織状況報告
1.1999年度新規入会者 一般会員 11名
賛助会員 0団体
  1999年度退会者 一般会員 26名
賛助会員 3団体
2.会員総数 一般会員 321名
賛助会員 20団体
3.理事会開催 2回
4.機関紙 12回発行(119号~130号)

2000年度活動方針
一、日中青少年の交流促進事業
 昨年日中両国間で青少年交流促進事業が確認され、既に高校生交流が始まり成果をあげている。次代の日中友好の担い手であるべき青少年同士の交流は21世紀をまじかに控えた今日、ますます重要性を増してきている。

 当協会は官との連携を密にし、協力をしながら民間団体として可能な交流のあり方を模索していかなくてはならない。
*ホームステイ受け入れ推進
*ホストファミリーの募集及び研修

ニ、日中教育交流促進事業
 昨年発足した『岡山県日中教育交流協議会』(森崎岩之助)に協力し、教育交流を積極的に推し進める。

三、友好都市・洛陽市との促進事業
 岡山市と洛陽市は友好都市縁組みを締結して来年20年を迎える。この間の交流を概括し、双方にとって有意義な交流プログラムについて洛陽市人民対外友好協会と協議しながら実行していく。
*定期交流協議会開催
*友好都市締結20周年記念事業準備

四、上海市との交流促進事業~定期航空路利用促進
 上海市は経済・交通・金融などの多方面にわたって中国の重要な位置を占めている。岡山とは旭川荘を中心に医療・福祉交流の面で際立った実績を有している。定期便利用促進と関連し上海市との交流に力を注ぐ。
*福祉交流事業の促進
*教育交流事業の促進

五、中国と岡山の市町村間の交流促進

六、在岡中国人との交流促進
*留学生・就学生・研修生
*ボーリング大会開催など

七、日常活動の強化
*中国映画上映会
*中国三誌普及活動(中国三誌普及委員会)
*中国語普及活動(岡山中国語センター)
*その他

八、組織強化活動
*会員拡大
*財政基盤の強化

九、広報活動
*機関紙の発行
*ホームページ活用

十、その他関連する事業

ご報告
 台湾大地震に対する義援金は昨年末、台北駐大阪経済文化弁事処(大阪市西区土佐堀)へ送った。募金額は500,156円に達したが、送金料が735円要るので協会から不足額を補って計50万円にして届けた。同弁事処からは「地震に対する日本人の援助に心から感謝する」という手厚い書状が届いた。2ヶ月に亘る募金運動にご協力を頂いた会員の皆さんに協会から心よりお礼を申し上げます。

 なお募金の内訳は寄付者のご芳名を毎回書いて会報に発表しましたが、この他に八仙閣に募金箱を置きました。この中から23,101円の浄財が集まり、氏名不明のまま合算しました。

新役員名簿
会長 片岡 和男 会計監査 椋代 孝
副会長 江草 安彦 萱野 哲朗
永山 久也 事務局長 松井 三平
理事 宮本 光研
岡本 拓雄
小野 愛子
赤木 宣雄
小路 廣史
速水 正明
片岡 琢之
古松 研三
洞 富美男
近藤 弦之介
岡崎 邦泰
片山 主計
綾野 富美子
松井 三平
片岡新会長挨拶
 丁度、春節の日に行われました総会の新役員選出におきまして、新会長に選出され、就任いたしました。昭和56年9月創立されました伝統ある岡山市日中友好協会の会長を引き継ぐことは身に余る光栄でありますが、責任の重大さを実感しております。皆様のご協力をよろしくお願いする次第であります。

 今後の会の運営につきましては、総会で承認されました新活動方針を理事会で、活発な議論を行いつつ、実施して行きたいと考えております。とくに、①会員の拡大、増強は会の活性化につながり、とくに若い方々の参加を進めて行くことは意義のあることだと思います。②関係行政当局、友好関係諸団体と協力しながら事業も行っていきたいと思います。③平成13年は当会創立20周年になりますので、準備委員会を結成して準備に入りたいと考えております。

 以上、甚だ簡単ではございますが、会長就任の挨拶とさせていただきます。何分のご叱咤、ご指導をお願い申し上げます。

記念講演
 総会の後、前中国銀行上海駐在員事務所所長、国定剛氏の「最近の中国事業」と題して講演があった。(以下要旨)

 中国に足かけ10年住んでみて最初に感じたことは、こちらが相手を信用すれば、とことん親切にしてくれるということである。北京に語学留学していた頃、旅行して安宿に中国人と同宿したことがあるが、こちらが何の警戒心も持たずにつきあったら、観光旅行の案内をしてくれたり、おごってくれたり、あげくは女の世話をしてやると言われてとまどったりした。

 中国の魅力は、一言で言えば混沌としている所である。冬、東北のハルピンへ行ってみると、マイナス30度で、松花江は厚い氷に覆われていて、河の上をトラックが往来している。夏の西域トルファンは40度を越す暑さで、湖は干上がって真っ白な塩が一面に積もっている。4,000メートルの高地にある西蔵のラサは寺が多く、寺の前で五体投地を繰り返す巡礼や、手にマニ車を回し小さな声で念仏を唱えながら歩く大勢の人で雑踏している。中国は国土が広大で民族も多種にわたり、何でもあるという思いが強く印象に残っている。

 上海に住んで驚いたことは変化のはげしいことである。浦東地区の開発計画を知った時、こんなことが実際にできるのだろうかと疑問に思ったが、ほとんどやってしまった。浦東地区には8階建以上のビルが787棟、ワイタンの三角地帯には389棟、80階建、90階建の高層ビルの建築も計画されている。

 道路も整備され、高速環状線、中央高架線など、1年か1年半で仕上げてしまった。古い物を壊して新しい物を造るスピーディーな仕事ぶりに中国の力強さを感じた。

 上海はインフラが整備されたので大変住み易い街になった。岡山で生活するのと同じ感覚で暮らすことができるので日本人駐在者で永住を希望する者が、最近増えている。

新春互礼会・バザー
 記念講演の後、八仙閣で新春互礼会を開いた。会場にバザーコーナーも設けられた。中国人留学生の招待者をはじめ70人が参加した。

 片岡新会長の挨拶で始まった。1年に1回の集いの日なので話がはずみ、時の経つのを忘れるほどだった。終わりに近づくと、バザーコーナーが賑わった。中国特産の両面刺繍はオークションの結果、12万円で売れた。今年は一品残らず売り尽くした。売上金は、中国の福祉のために使われる。

私と岡山(19) 日中友好の架け橋になりたい               前医学留学生 王 燕
―岡山の印象をお聞かせ下さい。
王:私は北京の出身で、仕事の都合で、上海、西安、重慶に住んだことがあります。どこも中国を代表する大都会です。それに比べると岡山市は小さな街です。そのため大変静かで落ち着いていて勉強にいい街だと思います。私は後楽園の近くに住んでいました。その一帯が好きです。図書館、美術館、博物館、シンフォニーホールなどがあり文化的雰囲気が漂っているのが何とも言えない魅力です。私は先日、シンフォニーホールで世界的に有名なレニングラード・バレエ団のバレエを見ました。中国では北京とか上海とかの大都会でしか見られない芸術を岡山で鑑賞できて大変うれしく思いました。岡山は文化の街です。

―汪さんは比叡山で奇声を発したそうですね。
王:遊山に行った比叡山で、全国書道展を開いていたので、たまたま見に行ったら、高校生の部で岡山の女子高校生が最優秀賞をとっていたので思わず「やったー。岡山が一位を取ったー。」と叫んでしまったのです。岡山人が一位になったのがとてもうれしくて。わが子のように思えたのです。

―子どもと言えば、王さんの息子さんの劉磊さんは、東北大学へ推薦入学されたそうで、おめでとうございます。
王:ありがとうございます。学校の先生方のおかげと感謝しています。弘西小学校の5年に入学する際の教育委員会の事務処理の速さと弘西小学校の親切な受け入れに感動しました。弘西小学校につくと片山教頭先生が玄関で出迎えてくれ、中国語で「ニーハオー」と挨拶されました。劉磊はびっくりするやら喜ぶやら。それから毎日、放課後30分、夏休みには毎日1時間、日本語を教えてくれました。おかげで3ヶ月で話せるようになり、6ヶ月で留学生の手伝いが出来るようになりました。旭中学校1年で作文コンクール1位、県の弁論大会に岡山市代表で出場して2位になりました。日本語が障害にならなくなったので、国語、数学、社会等の教科の勉強も進展しました。

―いじめなどはなかったですか?
王:いじめられるより、いじめる方ではなかったかと思います。中学校から呼び出しを受けたことがあります。友人4人と、若い女の先生の冷蔵庫からうまい物を取り出して食べたということで注意を受けました。けっこうヤンチャをしていたようです。操山高校では、剣道部でがんばりました。インターネットを通じて、東北大学の剣道部に「入りたい」と連絡を取ったようです。

―子どもさんがいなくなった後、王さんはどうされますか?
王:夫が技術ビザで来ているので家族も当分居られますが、息子の生活が安定したら帰国するつもりです。日本の政策で外国人の在日条件が変われば違ってきますが、先のことは分かりません。どこに居ても日中友好の架け橋になりたいと思っています。

「シルクロードと楼蘭探検」 文化講演会盛況裡に終わる
 1月19日、協会賛助会員の福武財団主催で第12回文化講演会がプラザホテルで開かれた。講師は就実女子大学の長澤和俊教授。長澤教授の専門は中央アジア史、東西交流史。1988年秋に実施された日中共同楼蘭探検隊に学術顧問として参加され、また昨年9月日中共同楼蘭探検隊の日本隊の隊長として現地を再訪問され大きな成果を挙げられました。貴重な写真を映写しながらの講演でした。その要旨をお伝えします。

 シルクロードとは、太古以来、アジアとヨーロッパ、およびアフリカを結んできた東西交通路の総称である。具体的にはユーラシア大陸を横断する東西の道と、南北の連絡路を包含する。その領域はきわめて広大、複雑であり、全人類史がこれに関与してきたといっても過言ではない。シルクロードが通る中央アジアは、広大な砂漠と険峻な高山があるが、人々はその間に点在するオアシスを点綴して、古来キャラバンにより東西への交通を続けてきた。途中のオアシスはいわゆる隊商都市で、東西の文化が交流し、さまざまな民族が往来する所であった。

 楼蘭はシルクロードにおいて、最も重要なオアシスの一つで、中国の西北辺境の敦煌から西に向かった隊商は、楼蘭で二方向に分かれ、西域南道から北道を通って、更に西方に向かったのである。楼蘭は南北両道の分岐点であり往還する隊商は必ずここを通らなければならなかった。楼蘭は典型的な隊商都市で、ここには東西の文化が開花し、多くの富が落ちる町だった。しかし、豊かな町には周辺諸民族の侵略が繰り返し行われ、ついに5世紀中頃、楼蘭王国は華北を統一した北魏に滅ぼされ、5世紀末には殆ど住む人もいなくなってしまった。

 1900年に、スウェーデン人スウェン・ヘディンが楼蘭遺址を発見して以降イギリスの探検家スタイン、日本の橘瑞超らが数次の調査を行っているが、1934年を最後に、88年の日中共同探検まで外交人調査隊が現地に入ったことはなかった。昨年秋、11年ぶりに現地を再訪問してびっくりしたのは、楼蘭周辺では石油探査が盛んに行われ、砂漠車の横行によって多くの四輪駆動車用の道ができたことだった。例えばヘディンが、さまよえる湖と呼んだロブ湖は、いつかは探検してみたい夢多き秘境だったが、今は完全に干上がり、縦横に石油探査が行われ、縦に5本、横に10本位道路ができて、四輪駆動車が自由に往来できるようになった。

 今回広く楼蘭周辺を探検して、この地域の歴史地理には、まだ多くの謎があることが分かった。そして今回発見した新しい仏教寺院址のように、スタインが見逃した遺跡があることも明らかになった。今年はヘディンが楼蘭の遺跡を発見してからちょうど100年。滅亡以来1500年余を経て荒廃が進んでいる仏塔や居住址などの遺跡の保護・保存への協力をユネスコや日本の関係当局に呼びかけたいと思っている。

活動日誌
1/19 中国三誌友の会83回例会と新年互礼会。28名が参加した。詩吟、謡、漢詩朗詠などがとび出し、また景品の抽選があり、賑やかな楽しい会になった。

会員消息
【入会】
岡山市原尾島、石村喬さん
岡山市佐山、長尾冨佐恵さん

【お悔み】
岡山市清輝本町、二代目会長 六車清茂氏ご逝去
岡山市弓之町、沼本茂氏 ご逝去

図書紹介 
『極楽マカオ』
 マカオと言えば、カジノと黒社会の暗いイメージが強いが、この本は、書名のとおり、建物、街角、広場、公園、教会、砲台、お寺、廟、レストランなど楽しめる場所を写真満載でガイドしている。1999年12月20日にマカオはポルトガルから中国に返還されたので、中国化が進むと思われる。マカオらしさを見たいなら今のうちかもしれない。マカオの歴史、社会、文化を多くの資料を散りばめながらまとめ「マカオ全書」とも言える本「マカオで道草」(大修館)を同じ著書が著している。併読をお薦めする。
〔島尾伸三著/潮田登与子写真、平凡社、B5変型版、128頁、1,524円〕

『豊乳肥臀』
 盛り上がった豊かな乳房と肥えた大きなお尻、グラマーな女性をヒロインにした中国の現代小説家と思ったら大間違い。豊かな創造力と強烈な批判精神で書かれた歴史小説である。著者の莫言は映画「紅いコーリャン」の原作者で、名も無い庶民の目で見た波乱万丈の中国現代史を描いている。

 物語は、1937年7月から始まる。この年の7月7日北京郊外の盧溝橋での交戦を機に、日中は不幸な全面戦争に突入した。小説の舞台は山東省青島の辺りの東北郷。そこに日本鬼子がやってきた!というのが物語の発端。

 谷崎潤一郎や三島由紀夫などの作品と同じように「豊乳肥臀」も人間の性が根底になっている。主人公の乳房に対する偏執が描かれているが性の病的状態には、ある意味では美の極致であるという著者の気持ちが本の題名になっている。
〔莫言著/吉田富夫訳、平凡社、四六版、上巻484頁、下巻392頁、各2,000円〕

投稿 王燕
 劉揚さんは元留学生劉厚清氏の次女で日本に来た時は2歳でした。劉厚清氏は岡山大学農学部で博士課程修了。今は東広島で勤めています。文章の中の「片山老師」は片山主計さんのことです。「人民日報・海外版」は昨年から「海外児童学中文」というコラムを設け、外国にいる子供達の作文を掲載しています。それに劉揚さんの「片山老師来我家」が選ばれました。

片山先生が私の家に来られる   劉揚 10歳
 片山先生は中国語が少し話せる女の先生です。先生は中国から来た留学生に関心をもって下さり、私たちのような幼い留学生の勉強と成長を気づかって下さいました。先生は特に私と姉のことを気にかけて下さいました。

 以前私の家族が岡山に住んでいた時、先生はよく私の家を訪ねて来てくださり、私と姉の勉強の手助けをしてくださいました。去年私の家が東広島市へ引っ越してからも、以前と変わらず、私たちのことを気づかい、よく電話をくださり、私と姉の様子をたずね、がんばって勉強するようにと励まして下さいました。学校の三者面談会の時にはいつも、先生はご自分で車を運転して私の家まで来てくださり、父と母と一緒に保護者として参加されました。

 去年の年末、片山先生が私の家に来られた時、先生は私に"唐老鴨"をくださいました。今私は片山先生がまた私の家に遊びに来られるのを楽しみにしています。

読者の広場  洛陽の牡丹                                 小路 廣史
 日本人が桜なら、中国人は牡丹狂だ。牡丹は中国各地にあるが洛陽の牡丹は格別で、古来から洛陽花の別名で呼ばれてきた。それにはいわれがある。唐の女帝武則天が、真冬の長安がひとしお冷え込んだある夜、あす花園に行くから必ず開花せよ、とすべての花に命令した。花たちは恐れおののいて花を開いたが、牡丹だけは知らん顔。怒った女帝は牡丹を洛陽に追放した。

 剛直な牡丹は洛陽に来ると抗議の意思を示してパッと花を咲かせた。喜んだのは洛陽市民、感激した詩人の白居易が「花開き花落つること二十日、一城の人みな狂の如し」という名句をよんだのはこの時だという。

 牡丹は中国西北部が原産。古くは秦漢時代の『神農本草経』に薬草として記載され、南北朝時代(5~6世紀)から人工栽培が始まって1400年になる。洛陽は地質、気候雨量が好適な上、花師たちの研究熱心もこの先年の古都に色どりを添える一役を担ってきた。1982年に市の花になり毎年4月15日から25日までの洛陽牡丹会には、町中が牡丹で埋めつくされる。(曹)
ピープルズ、チャイナ誌(人民中国誌)の記事より

先憂後楽
 新しい時代が始まった。世界は今IT(情報技術)革新が著しく、この分野での産業が大きく発展している。ある調査によれば、2005年までにインターネットを利用する者は米国で2億人、日本で8千万人、中国では2億人という。人口からみれば、中国での市場は計り知れないことになる。

 つい15年くらい前までは中国への電話は1日がかりだった。急用は暗号による電報にたよるしかなかった。ファックスが入り急速に通信が早く確実になった。今や携帯電話で新彊や内モンゴルにいても、瞬時に呼び出せる。Eメールであっという間に文字や写真が送れるようになった。

 がしかし、これはあくまで手段であって実際の中国との交流には相互理解が前提となるのは言うまでもない。東方のスピードや思い込みだけでは相手に押し付けても交流は進まない。我々の友好協会はその所で役割があるし、その存在価値がある。

 協会も今年度総会で新しい役員を選出し、新たな活動方針が採択された。時代の流れをつかみ、原則を忘れず、自己啓発しながら、新たな友好の課題に挑戦していこう!(松)


「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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