2000年4月
平成12年4月
  133号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
岡山市友好訪中団が友好訪問―片岡会長一行30名洛陽へ―
 友好都市洛陽市で開催される牡丹祭りに合わせて友好交流を目的とした訪問団が4月16日に出発する。一行は、片岡和男協会会長を団長とし、協会員を始め、綾南学区や長泉寺関係者ら30名の団員で構成されている。訪中団は洛陽で3泊し、劉典立市長表敬訪問や議会にあたる人民代表大会訪問、そして協会が提唱して建設に協力した新安県申窪村小学校への友好訪問、白馬寺での日本寺建立計画協賛行事など豊富な活動内容となっている。協会では、新役員体制となって最初の訪問団であり、また来年が洛陽市との友好都市締結20周年にあたることから関係部門への公式挨拶と記念事業について忌憚のない話し合いをすることにしている。本団の訪問で友好都市交流の新たな進展が期待されている。

日中教育基金 第1回交付式挙行される 信陽市シ河区第13小学校
 新見市が友好都市縁組みを締結している信陽市シ(さんずいに師)河区第13小学校で、4月1日、第1回の日中教育基金交付式が行われた。交付式には基金の創設を呼びかけた田口光代さんを団長とする訪中団一行11名が参加した。

 今回、奨学金を受けたのは、第3小学校と第13小学校がそれぞれ3名、それに第1中学校の2名と農村地区の游河郷中学校2名の計10名で、両親が病気であったり失業中など過程が貧困な理由で就学困難な子どもたちばかり。

 受与者を代表して第13小学校の郭俊陽さん(5年生女子)が『お母さんの病気で貧乏になりました。奨学金の話をきいて、太陽が明るくなったような気がしました』と涙声でお礼の挨拶をした。郭さんのお母さんは障害者で仕事ができず、父は三輪車を運転して日銭をかせいでいるが収入は少なく、毎月数十元の救済金で生計を立てている。

 田口光代さんは『亡き夫、田口克己が望んでいたことが少しでも実現出来て本当に嬉しい』と感激を隠さなかった。

 この教育基金は田口さんと新見市民などの寄付金によって1995年10月に設立されたが、日本円で銀行に預けられたままとなっており、低金利のため1999年10月に人民元に両替して金利運用する事となったもので、現在総額38.8万元に達している。田口さんは毎年訪問の度に基金を追加しており、今回も友人からの寄託金と併せて60万円を寄贈した。

「軍国主義に抗する市民の闘い」報告集会 岡山県国際交流センターで開かれる
 4月9日、岡山県国際交流センターで、「歴史の歪曲を許さない『わが南京プラトーン』東 史郎さんの証言を聞く会」が開かれたので聴講した。

 今年の1月23日、大阪の平和の象徴的な存在である「ピースおおさか」で「20世紀最大の嘘、南京大虐殺の徹底検証」という集会が右翼反動勢力によって強行された。開催が知らされた昨年末から平和を願う多くの個人や団体、市民グループが「ピースおおさか」の設置理念に反するとして、再三にわたってピースおおさかや大阪市に対して抗議したが聞き入れられなかった。集会当日も冷たい雨の中を、留学生を含む在日中国人と共に使用中止の申し入れと抗議を行ったが、集会参加者から罵声を浴びせられながらの抗議になったと報告された。

 中国からはるばる来日した朱成山南京大虐殺記念館館長は、ピースおおさかで行われた反動集会に関連して、中国人民が、如何に日本の軍隊によって被害をもたらされたかという憤怒の気持ちを報告された。日本の右翼勢力の正義にもとり時流に逆行する行為に対し、一般大衆の憎み恨みの感情は爆発し、様々な方法で自分の憤怒の気持ちを表現した。会場に、南京市民が画いた漫画が展示されていた。

 東 史郎さんは今年88歳。昭和12年8月、徴兵で福知山の軍隊に上等兵として入隊、華北の先頭に参加した後、11月16日揚子江岸に上陸、中国軍を追い、南京攻略に向かった。強姦・略奪・虐殺・放火…南京占領前後の1ヶ月に繰り広げられた日本軍の蛮行を、自ら体験し、見聞きした。しかし、当時の日本国民には、いっさい知らされなかった。

 日本の明日を荷う若い世代の非戦・平和の教材として役立ててほしいと思い「わが南京プラトーン」という本を青木書店から出版した。日本人としては読みづらいと思うがぜひ読んでほしいと話した。

高橋哲哉著 講談社刊「戦後 責任論」を読む 責任とは他者の訴えに応えることである
 著者(戦後・1956年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科助教授)は、戦後とは誰にとっての戦後だったのかを問い、責任とは他者からの呼びかけ、あるいは訴え、アピールがあった時に、それに応答することだと言う。

 本書の「まえがき」によれば、1999年8月13日に閉会した第145通常国会では、戦後日本の政治的骨格そのものを根本から変えるような法律が次々に成立した。「日米防衛協会に関する新ガイドライン」関連法、国旗・国歌法、通信傍受(盗聴)法、改正住民基本台帳法、憲法調査会設置法、等々。これらの多くは、賛成派も当然認めるだろうように「国家」の力を強める性格を持っているが、この新国家主義ともいうべき政治の潮流に対して、まるで、あらかじめ批判の芽をすっかり抜かれていたかのように、大新聞をはじめとするマスメディア、そして言論人の批判はきわめて微弱なものだった。

 この状況を準備した要因として、1990年代後半の日本の言論界に台頭した新しいナショナリズムの波があったことはまちがいない。では、その日本のナショナリズムはどこから来たのか。種々の要因が複雑に絡んでいるとはいえ、少なくともそれが出てくるきっかけとなったのが、90年代前半に強まった、日本の戦争責任・戦後責任を問う新たな動きにあったことは明白だろう。

 冷戦構造崩壊直後のこの時期、アジアでは旧日本帝国の植民地支配と侵略戦争の被害者たちが、それぞれ顔と名前を持った個人として、日本の国家責任を告発すべく次々に名乗りをあげた。それらの訴えに応えようとする運動も、日本側に芽生えた。93年には細川護熙首相が「侵略戦争」と「植民地支配」の責任を明言し、いったんは、ここからはもう後退できないという線が引かれるのではないかとも思われた。ところが、その後流れは明らかに変わった。95年、ちょうど「戦後50年」のこの年あたりからである。日本の戦争責任・戦後責任を否認し、被害者の声を圧殺して、「国家の正史」や「国家の物語」を立ち上げようとする露骨なナショナリズムのキャンペーンが開始される。他方では、責任を否認せず謝罪の必要も認めるものの、謝罪するためにこそ先ずアジアの死者ではなく日本の兵士の死者を弔い、「自己中心」的に「われわれ日本人」のアイデンティティーを確立しなければならない、と説く言説も現れた。このようなバックラッシュ状況の中で書きつかれたものである。と。

 内容は、Ⅰ「戦争責任を問い直す」Ⅱ「ナショナリズム批判」Ⅲ「私たちと他者たち」の3章から成っている。

 読み易く読応のある本である。(理事・岡本拓雄)

読者の広場 漢詩漢文を楽しもう                              洞 富美男
 世界中の民族の中で「表意文字」を中心に使っているのは、中国と日本だけです。つまり「漢字」です。英語のABCのAには何の意味も有りません。単語になって初めて意味を持ちます。一方「漢字」はたった一文字で見る人に多くのものを想像させます。この「漢字」の妙味・深さを見事に表しているのが、漢詩であり、漢文です。そこには我々東洋人の歴史が有り、美が有り、哲学が有る。まさに日本と中国の共有する文化であり、アイデンティティーともいえるのではないでしょうか。

 近年静かな漢詩ブームがおこっており、会員の皆様の中にも研究しておられる方がいらっしゃることでしょう。そこで今回からシリーズで漢詩・漢文のご紹介をしたいと思います。ご興味のある方々の積極的なご意見ご感想をいただく読者の『広場』としたいと思います。

 その第1回として、個人的ではありますが私の好きな詩をご紹介してみたいと思います。中国では古来「山水」は詩の絵画的表現、「漢詩」は山水の文学的表現と言われます。この詩はまさにそのことを実感させてくれる名詩と思っています。

 作者は〔常建〕唐開元の進士といいますから、かの玄宗皇帝時代の官僚です。約1250年ほど昔です。李白とほぼ同年代です。この常建も職を辞して隠遁し、大自然に遊楽しました。その彼が江蘇省の破山寺を訪ね、禅院に書きおいた詩です。

題破山寺後禅院(はざんじのうしろのぜんいんにだいす)
清晨入古寺(せいしんこじにいれば)
初日照高林(しょじつこうりんをてらし)
曲径通幽処(きょっけいゆしょにつうじ)
禅房花木深(ぜんぼうかぼくふかし)
山光悦鳥性(さんこうちょうせいをよろこばし)
潭影空人心(たんえいじんしんをむなしゅうす)
萬籟此都寂(ばんらいここにすべてじゃくたり)
但餘鐘磬音(ただしょうけいのおとをあます)

『清らかな朝に古刹を訪ねると、旭が木々を照らし、曲がりくねった小路に誘われる『清らかな朝に古拙を訪ねるままに奥に進むと、禅堂は草木に覆われ、照り映える山々に鳥も悦び、古池に映る影は人の心を洗うようである。もうここまで来ると静寂の極みで、ただ遠くに鐘の音が聞こえるだけであった』

 まさに目を瞑れば、誘われるままに山水の世界に入り込んで行くような名詩です。

※是非皆様の感銘された漢詩や漢文の一節にご感想を付けて、「協会編集係」にお送りください。漢詩や漢文を通じて中国を知りたいと思います。(協会理事)

漢詩の基本は古典にあり                                  棚橋 篁峰
 漢詩は世界最高の詩文学ですから、詩文として選ばれた言葉と文字が使われなければならないのです。そのためには古典の鑑賞が十分でなければなりません。現代の漢詩学習の基本的テキストは「唐詩三百首」です。日本では「唐詩選」がよく読まれていましたが、内容が偏っていることなどからテキストとしては不向きで、中国では「唐詩三百首」を漢詩の基本書とし、漢詩を勉強する人は必ず読まねばならないものとしています。

 「唐詩三百首」は清の乾隆帝(1763年)、蘅塘退士の編纂です。作品の分類は、五言古詩、七言古詩、楽譜、五言律詩、七言律詩、五言絶句、七言絶句です。

 中国の漢詩を鑑賞するとき、私達がまず考えなければならないことがあります。文字を漢和辞典で調べて鑑賞するのは、初歩的な鑑賞といえます。そして、基本的に文字が解釈されたら詩人の詩心を探ることが大切です。霍松林先生は、(中華詩詞学会副会長)よい詩は、多少とも「言外の意」「絃外の音」「味外の味」が有るものといっています。「唐詩三百首」に収められた詩は、その意味でつまらない詩は有りません。「言外の意」「絃外の音」「味外の味」が漢詩の中から感じることが出来なければ、漢詩鑑賞にならないことを知って下さい。
(日中友好漢詩協会理事長 ピープルズ・チャイナ4月号より抜粋)

福建省閩南5日間の旅②                                  石村 明弘
 廈門第1日目のバスはオンボロバスで、このバスで市外へ出るのではないだろうなと心配になった。というのも、昨年5月の旅で、オンボロバスのおかげでひどい目にあった経験があるからだ。その時のことをガイドの馬さんに話した。「福州から霞浦県赤岸鎮に行き、行事を終えて、バス5台での帰り途、霞浦県を出発して30分ほど走った峠の中ほどで、前を走っていた4号車がエンジントラブルを起こし、約40分間立往生をしてしまった。男の人を残し女の人だけ5号車へ移り、前の車を追いかけた。峠を越えた所でようやく先行の3台と連絡がとれた。こういう時、携帯電話は便利である。2号車が残った人を迎えに引き返してくれたので安堵した。この事故で到着が遅れ、夕食がおそくなるのではないかと心配したが、途中、閩東賓館(中間休憩所)で先導パトカーが待っていてくれたので、30分ほどのおくれで福州へ帰ることができた。」と話すと、馬さんは「あの時引返した2号車に私が乗務していました。」と言ったので、「へー、そうだったの。」とそのあと色々話が弾んだ。

 2月17日8時、ホテルを出発。カモメ―廈門の市鳥―が飛び交う水路を眺めながら行くと、行手に大きな橋が見えて来た。開放大橋である。アジア第1位、世界第3位の大橋だそうだ。工費28億元(約400億円)の大橋を渡り一路バスは南靖へ走る。途中、有名な漢方薬「片仔癀」の工場がある漳州大酒店で休憩。市外を出ると中国一のバナナの産地。この冬は寒さが厳しかったのでほとんど枯れている。点々と青い袋が見えるのは、寒さから実を守るための防寒袋だそうだ。やがて南靖の街へ入った。ここまでは、片側三車線、中央に緑地のある快適な自動車道である。ここで南靖のガイドが乗ってきた。日本語ができないので馬さんが通訳をする。土楼のある山間地へ通じる土道に入るとダムや発電所が見える。車の前方に人が大勢集まって祭りの行列の過ぎるのを待っている。爆竹を鳴らしながら、旗や幟、長大な竜、古典的な衣裳を身につけた女性が乗った台の行列が進む。色とりどりの鮮やかな色合いが美しい。めったに見られない祭りの光景を車中から見るチャンスにめぐりあって、みんな大喜びであった。

 そのうち、ぽつぽつ土楼が見えてきた。先ず、道路すぐ下の、方形土楼に立寄った。3階建で外壁と仕切壁は土練で、つなぎとして米や砂糖を混ぜて造ってあると説明された。1階は物置、作業室、広間、2階は倉庫、3階は寝室になっている。物置に、昔日本で使っていた唐箕が置いてあったので大変懐かしかった。内側から見える部分は木造で、仕切った部屋はドアがついている。屋根は瓦葺。

 少しはなれた所に豚小屋がある。周りは石で仕切ってある。段々畑を眺めながら曲がりくねった細い道を上って行くと、点々と円形土楼が見えてくる。

 道路から近い東昇楼を見学した。外観は巨大なビルと言った印象である。形が円形のほかは、建物の外壁に薪が積み上げてある。燃料に使うのであろう。腰に鉈を着けた女の人が3、4人連れとなって山へ登って行く。薪でも伐りに行くのであろうか。土楼の子どもたちと一緒に写真を撮ったりして、なごやかな時を過ごした。土楼の外では、黒豚やヒヨコを連れた親鶏が放し飼いされている。周りの山畑には、お茶が作られていた。(協会会員)

豆事典 客家(ハッカ)と土楼
 客家は中国南部を中心に居住する漢族の代表的方言グループの一つ。福建西部、広東北部と東部、広西南部、湖南や四川の一部に多く居住している。中国大陸に住居する客家は4,500万人とも9,000万人ともいわれている。

 客家という名称は、それ以前に中国南部に居住していた人々を"本地"(その土地の人々)とするのに対して、後から来住した人々を"客"として区別することにより生まれた。条件の良い平地は先住者によって占められており、山がちの狭い土地に住むことが多かった。そこを開墾して米を栽培するかたわら、山地部を回る行商などによって暮らしを立てる者もあり、ショオ族などの少数民族と最も多く接触・交流の機会を持った人々である。

 中国南部の他の漢族方言集団との関係では、客家自身は土着の彼らとは異なり、自分たちは元来北方に位置する"中原"の住人で、中原文化の正統な担い手であるとの自己意識がある。先住の人々などから差別的待遇を受けることもあり、強い自己意識を持つことが多い。"孫文""鄧小平""リー=クアンユー"など、、世界的に著名な中国系のリーダーで客家系とされる者が少なくない。

 土楼は、客家の集合住宅で福建の永定県、広東の梅県や広西の山岳地帯に分布している。東南中国へ移住した住居に集住したと考えられている。永定県には方形土楼が約360ある。

中国現代ことばクイズ   全部できたら100万円?
次の漢字の意味を答えて下さい。
①電脳 ②軟件 ③卓面 ④黒五穀
⑤小姐小 ⑥下崗 ⑦豆腐渣工程 ⑧紅色
⑨三乱 ⑩白色汚染 ⑪自選 ⑫偸一罰十
⑬盗版 ⑭酷 ⑮希望工程 ⑯百年樹人

【解答】
①パソコン、台湾・香港・日本でも使われている
②ソフト
③デスクトップ
④黒胡麻・黒大豆・黒米・黒松の実・黒かりん
⑤小型の携帯電話
⑥リストラで整理された労働者
⑦手抜き工事
⑧賄賂
⑨乱収費(やたらに手数料を払わせる)、乱罰款(正当な理由もなく罰金を徴収する)、乱攤派(むやみにお金などを拠出させる)、この3つの乱
⑩発砲スチロールによる汚染
⑪セルフサービス
⑫万引きしたらその商品価格の10倍の罰金を支払わせる
⑬著作権を無視した出版・複製
⑭クール、かっこいい
⑮募金を基に学校を建設し義務教育を普及させるプロジェクト
⑯樹木を植えてから育つまでに10年ほどだが、人材の育成には100年かかる

洛陽牡丹は天下に甲たり  日本人と洛陽(2)               長泉寺住職 宮本 光研
 やはり洛陽牡丹花は世界一美しい。そう思うのは極楽絵図の多くが中国の伽藍風景で、牡丹花の咲く庭園であることが多い。蓮池は必ずしも描かれない。

 仏教の花は「蓮華」である。インドから発し、中国にも蓮花は咲くことがあるが、それは多く長江文明圏に花開く。

 黄河文明圏である洛陽、西安の伽藍風景が浄土図として日本に伝わっているのはその文化の伝播力がより強かったというべき。だがそこに咲く牡丹花の美しさが蓮華に優るとも劣らずで、それが中国版の極楽浄土図を描かしめたと言えようか。まさに洛陽牡丹花、天下に甲たり。

 わが歌『牡丹花佛』一節に、

みほとけの花 牡丹花 雲の表の 峠越え まだ見ぬ国へやってきた 蓮華(はな)はいつしか 牡丹花
(洛陽博物館・王綉先生に捧ぐ)

 ちなみに王綉女史は中国一の牡丹花画家。岡山市、長泉寺に、その最大の作品があり、月明の中をやって来た観音像の御堂の中に壁画となっている。※97年5月奉納。

 ついで『白馬寺賛歌』に

牡丹花咲く 春の祖庭(にわ) ボウ山秋の 月ぞ澄む 洛陽白馬寺 二千年 本地釈迦牟尼 如来尊
               (ボウは亡におおざと)

 白馬寺は中国釈源、祖庭と仰がれる。中国最古のお寺であるが、その昔にはザクロとブドウが有名。いかにも西域経由をもの語るが、今はボタンが境内に咲きほこる。

 近年その寺域内に国際寺院を配置する構想があり、日本寺も計画されている。私たちに出来れば、西方極楽にわが「家」を建てることになるのではないだろうか。先祖が夢見た世界に現実、居場所、永遠の住いができる。岡山と洛陽の友好、仏縁をありがたいと思わざるを得ない。

俳壇
洛陽の入日            片岡 蒼木(そうもく)

竜門に刻みし仏冬牡丹

寒山寺の庭静もりてせみしぐれ

花槐(はなえんじゅ)太極拳につどひをり

漓江下る筏の大き夏帽子

夏霧走り桂林の山聳えてり

洛陽の入り日樹間に麦埃(むぎほこり)

駱駝の背砂漠を進む夏の月

遺跡掘る人赤銅に日焼けして

放牧の羊の群や夕焼どき

(協会会長)

活動日誌
3/24 中国三誌(ピープルズ・チャイナ、北京週報、中国画報)友の会、85回月例会
3/26 第40回中国語検定 103名がノートルダム清心女子大学で受験
3/31~4/4 信陽友好訪問団。奨学金交付式参列
4/16~21

岡山市友好訪中団

会員消息
【入会】
岡山市旭本町、内科小児科医院、小谷秀成さん
岡山市西川原、西岡昇さん
岡山市今、河和幸憲さん(会社役員)
岡山市浜野、皆木良子さん ただ今、中国について勉強中です
岡山市今岡、寺坂務さん(会社役員)
岡山市福泊、岡本博之さん(会社役員)

【就任】
協会の宮野亜希さんが退職、後任は板野妙子さん

中国関係消息
胡弓コンサート
 胡弓の田川さんと愉快な仲間たち4人のコンサート。5月2日18:30開演、倉敷芸文館ホール。

図書紹介 『中国人特派員が書いた日本』
 1964年に日本と中国の記者交換が始まってから来日した中国人記者は150人以上にのぼる。本書はそのうちの50人の記者が書いた『中国駐日記者回眸東京』の翻訳。追憶編、源流編、朋友編、取材編、経済編、社会編、人情編、名勝編、歴史編に分け、それぞれの日本との触れあいを語る。
(北京中日新聞事業促進会編、日本僑報社、A5版、368頁、2,800円)

先憂後楽
 最近上海に行かれた方なら南京路に歩行者天国が出来ているのをご存じだろう。昨年実施された第10回福祉の翼の時、上海市副市長が誇らしくバリアフリーと言われた『無障害』道路である。

 中国の福祉事情については様々な統計や資料が出されているが、現実に進行している状況はあまり知られていないのではないか。

 10年ほど前、洛陽に福祉視察団で同行し、敬老院を参観したとき、上海の状況とかなり差があったのを思い出す。経済的な格差との関係もあるが、農村部と都市部では認識の上でも相当の開きがあるように思われた。

 高齢化と少子化という現象面では日中とも同じ社会問題を抱えている。むしろ中国の都市部では深刻な状況で、上海市の高齢化率は既に17.7%に達している(中国では60歳以上が高齢者)

 旭川荘の江草安彦理事長は上海市の福祉関係部門と合作し福祉業務に従事する専門職養成に協力している。ともすれば建物や設備の充実を優先させがちであるが、介護には専門的な医療福祉の知識を持った人材が不可欠であることを当局も十分理解している。

 上海市のみならず中国の福祉向上に対し、江草氏に対する期待は大きい。具体的で実質的な日中交流が望まれている中で、日中福祉交流分野への貢献は岡山県人にとって大きな誇りだ。(松)


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