2000年8月
平成12年8月
  137号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
今夏 日中子ども交流が盛りだくさん!
 日中児童交流が本格化してきた。地域や学校単位での取り組みなど形態は様々だが、子ども同士の交流を主体とし、教育的な目的を明確にした訪問で今後の進展が期待される。

早島町立早島小学校
 かねてから交流を続けている上海市威海路第二小学との交流とホームステイ体験学習のため、8月1日~4日まで、上海を訪問。PTAや小学校でつくる『早島町日中友好交流事業実行委員会(佐藤博文代表)』が主体となり保護者や先生・児童など24名が参加した。両校は隔年に相互訪問を通じて交流を深め、恒例の事業として定着してきており、国際理解教育の実践として効果を上げている。

岡山市立綾南小学校
 3年前から始まった洛陽市申窪小学との交流が深まりつつある。協会などが提唱して学校建設に協力したのが縁となり友好交流校の協定を結んだ。今回の訪問団は、綾南学区民や小学校関係者児童など総勢41名。8月6日から11日までの6日間北京・洛陽・上海を訪問する。特に洛陽では申窪小学で地元の学区民らの歓迎会や子ども同士の交流会などが予定されている。山間部の決して豊かでは無い学校だが、いきいきと勉強している姿に何か得るものがあるだろう。

阿波村立阿波小学校
 真庭郡阿波村では、子供たちの海外体験学習として3年前から小学生の中国への訪問を実施している。これまで、内蒙古自治区の包頭市や江西省南昌市を訪問し、今回の北京市で3回目となる。北京では北京市唐家嶺小学を訪問し昼食をともにしたりけん玉を披露したりと交流を深める。訪問団は教育委員会や教員・児童など11名で構成。阿波小の子どもたちの目を通して中国・北京はどのように映るのだろう。

岡山市立平島小学校
 これまで、手紙や作品交流をしてきた江西省南昌市松柏小学を秋山芳郎校長ら4人が訪問し、今後の交流の進め方について協議する。日程は8月4日に岡山便で上海入りし、夕方の便で南昌へ。翌日から早速公式活動が待ち受けている。松柏小学では学校での歓迎行事や交流会に参加。地元教育委員会との懇談会も予定されるなど、今後の交流の進展が注目される。もともと江西省は岡山県の友好省県の間柄だが、今回の学校交流は学校独自の取り組みとして進んできた。

第3回理事会開かる
 平成12年度第3回理事会が、7月27日八仙閣で開かれた。片岡会長、永山副会長、江草副会長、理事8人で次の事項を協議した。

中国人留学生生活支援活動について
 協会の会報と山陽新聞に掲載された記事を見て寄贈を申し込んだ篤志家は36人に及んだ。大口では邑久町の県立いこいの森で不要になった冷蔵庫24台の寄贈の申し出があった。留学生のために継続的に活動できる体制作りが話し合われた。

財政改善と事務所改善案について
 一般会費の会費納入率は74%にとどまっているため、当座資金が枯渇している。財政難を乗り切るために、当面80万円を目標に役員中心に特別緊急寄付金を要請することになった。

洛陽市各界市民訪日団について
 洛陽市からチャーター便を使って岡山に来る一般市民約110人(高校生40人を含む)全員に対して、岡山市長の招聘状が発給された。8月16日午後4時中国西方航空で到着するので、都合のつく会員は岡山空港まで歓迎に行って下さい。

協会20周年記念事業実行委員会設立について
 委員長に片岡会長を選出した。委員は委員長に一任。9月までに、実行委員会を発足させる。記念事業の予算は100万円、会員にカンパをお願いすることになった。

岡山県日中教育交流協議会 会報「悠久」第2号発行
 第2号の巻頭言で協議会の江草安彦名誉会長は次のように述べている。

(要旨)
 相手を知らないでは理解することはできません。理解していなければ愛することもできませんし、相互に協力することもできません。民族、国家間の善隣友好も、地球上の平和も知ることから始まります。知るということは正しく認識することです。立派に行動する始まりです。豊かな見聞、また交流の経験を持つ人は大きく成長するとも言われています。青少年のみならず教師にとっても大切なことです。

 日中両国の将来を担う青少年の交流は、両国にとって最も意義深いものがあると思います。日中両国の青少年が直接話し合う、一緒に行動する、同じ目的で交わるとしたら、その成果はすばらしいものになることは疑う余地もありません。

私と岡山(21) 岡山大学で日中教育交流史を研究しています。岡山市民の暖かい心に感謝!
                               岡山県中国留学生学友会 馬 福山
―岡山には、いつ来られましたか。
馬:昨年の8月のはじめに来ました。

―日本は岡山が初めてですか。
馬:いいえ、新潟に2年、内モンゴル技術研修生の団長として滞在したことがあります。

―出身地は。
馬:内モンゴルの東部地方にある通遼市です。吉林省の長春の西200キロの所です。

―中国ではどんなお仕事を。
馬:高等学校で日本語を教えていました。1993年から内モンゴル日本語学校で、日本へ行く人のために、日本語研修生養成の仕事をしました。

―内モンゴルでの日本語熱はどうですか。
馬:日本語教育は中学校からあります。私の住んでいた所は、旧満州に近いので日本語のできる人が多く、日本語熱は盛んです。

―岡山に来られた動機は。
馬:中国で日本語を教えていたので、日本に留学して日本語を深め、帰国してもっと立派な日本語教師として仕事をしたいのと、専門は学校教育ですので、岡山大学大学院で中日教育交流史の研究をして学校教育者としても立派な人になりたいと思って岡山に来ました。

―名刺の肩書きに、内モンゴル翻訳協会日本語コース主任講師とありますが、どんな会ですか。
馬:翻訳協会というのは、日本、英語、ロシア語の本を翻訳する人たちの協会で、会員は約2,000人います。協会の中に、日本語コース、英語コース、ロシア語コースの学校があり、私は日本語コースの主任講師をしていました。今年の9月から内モンゴル外国語専修学院になる予定です。1993年、内モンゴル自治区政府が日本語養成機関を作って以来、内モンゴルの日本語学習者は年々増加し、民営の日本語学校もできています。

―岡山での生活はどうですか。
馬:私費留学生ですから、なかなか厳しいですが、皆さんに助けられて日本の生活にもだんだん馴れてきました。

―生活面で中国との大きな違いは。
馬:飲食と住宅です。食べ物では、魚は川魚で、牛や羊の肉が主です。生のものは食べません。日本のさしみやにぎり寿司は、たまには食べますが日常的にはあまり食べません。遊牧民は包に住んでいますが、漢民族と交流の深い通遼市では煉瓦造りや木造に住んでいます。広い土地、広い家から4畳半のアパートに移り住んでの生活は苦しいです。

―勉強のほかに何か趣味をお持ちですか。
馬:書と篆刻をしています。勉強が忙しいのでなかなかできませんが暇な時に少ししています。相撲が好きでテレビの相撲をよく見ます。

―岡山市の印象を。
馬:日本語の教え子がたくさん岡山にいるので来ました。岡山と中国は歴史的にも友好交流の盛んな所です。今回の私費留学生のための生活用品援助に市民の皆様の暖かい心を頂き有難く思っています。
(文責・岡本)

漢詩を読もう(4)                                         棚橋 篁峰
       鹿 柴    王 維
空山不見人 空山 人を見ず
但聞人語響 但だ人語の響きを聞くのみ
返景入深林 返景 深林に入り
復照青苔上 復た青苔の上を照らす
【通釈】
 寂しげな静かな山に、人影もなく、聞こえてくるのは人の話し声。夕陽が深い林の中に差し込んで、更に、緑の苔を照らしている。

 王維の詩は蘇東坡が「磨詰の詩を味わえば、詩中に画あり。摩詰の画を観れば、画中に絵あり」と言いました。

 その自然描写は、画を見る如くだと言われています。そんな王維の詩は日本人に愛されるものが多いはずです。

 五維(699~759)は、太原(山西省中部)の人で、字は磨詰。開元9年(721)に進士状元(科挙の最終試験に一番で合格したもの)。時の宰相であった張九齢に抜擢されて、右拾遺(従八品)を拝命したのですが、彼の失脚に伴って涼州(甘粛省)に左遷されました。後に監察御史殿中侍御史・左補闕などの官職を歴任しています。

 王維は、画作、音楽にも精通し、厚く仏教に帰依していたので、「詩仏」と称されました。友人裴迪と唱和した「?川集」は有名です。彼は9歳で既に詩文を作ることを知り、宮廷詩人としては数々の「応制詩」を作り、すでにその文才を知られていました。

 現存する王維の詩は430首。殊に山水詩に優れ、晋の陶淵明・南宋の謝霊運の流れを受けて、更に新しい美の世界を作りあげています。

 唐代自然詩人の雄として、孟浩然・韋応物・柳宗元と共に「王孟韋柳」と称されたものです。このような王維の詩は読めば読むほど、心が洗われると思います。

 私は先年、王維の詩心を知りたくて「?川荘」の付近を散策しました。その山並みと渓流に育まれた自然は、彼の画の如き詩そのものであったことを印象深く覚えています。この「鹿柴」は、友人裴迪と唱和した「?川集」の一首です。

 ひっそりとした静かな山は人影もない。そんな静かな山で人の話し声を聞いた。長安の都からわずか数十キロしか離れていないこの地で静かな日々を過ごしたかったに違いないのです。夕陽が緑の苔を照らすのを見て心洗われたことでしょう。この人語は単に人の話し声でしょうか。それとも友人裴迪の声でしょうか。
(日中友好漢詩協会理事長 ピープルズ・チャイナ 7月号より抜粋)

世界遺跡めぐり   九寨溝(きゅうさいこう)と黄龍
エメラルドの湖が「神話世界」を作りだす九寨溝
 九寨溝は、四川省の省都・成都の北西約400キロにあたる岷山山脈の中の、長さ40キロに及ぶ谷地である。景色が美しいため「童話の世界」と称されている。周囲には1年中白い雪を頂く数多くの高い峰々が立ち並んでいる。山から谷地までは原生林が密生しており、パンダや金糸ザルをはじめ珍しい動物が生息している。女神が天上の世界から落とした鏡が108つに砕けてできたと伝えられる湖は澄み切って底まで見える。樹正群海溝、則査窪溝、日則溝の3つの峡谷沿いに極彩色の湖が点在し、湖をつなぐ滝は無数の真珠がころがるように輝く。沈積石からなる湖底は、日に照らされて、青、黄赤、白、緑、と五色が入り乱れる。この自然の中にたたずむ湖の周囲は、チベットまで繋がる未踏の原生林。最高所の長海は標高310メートル。10月、紅葉の頃の九寨溝の美しさは、想像するだけで胸が躍る。

中国人の間では新婚旅行先として人気ナンバーワンの景勝地黄龍
 海抜3,100メートル~3,600メートルの高地に、黄色味がかった石灰質の河床が階段状になっていて、流れる水がうごめく龍の鱗に見えるので黄龍溝と名づけられたと言われている。9月にはもう紅葉を見ることができる。年平均気温は7℃。朝夕は霧が出ることが多く、年間降雨量も多い。溝の両側は原生林が生い茂り、その間にパンダや雪鶏をはじめ、珍しい動物が生息している。

 渓谷沿いに建つ黄龍寺は、中国の伝説上の五朝、夏の禹王の船を背に乗せて運んだと伝えられる黄龍を祀る。明代の創建で、今は中寺、後寺のみ現存する。後寺の近くにある五彩池は、水に五色が入り交じって美しいためこう名づけられた。この景区最大のハイライトである。溝の中にはまた黄龍洞と石山洞などの鍾乳岩洞がある。

3000年前に栄えた「仮面王国」の遺跡を展示する三星堆博物館
 成都の北40キロにある。三星堆遺跡の出土物を展示するために1997年に建てられた。

 広漢市の郊外に古来より3つの巨大な黄土堆があり、地元の人に三星堆と呼ばれていた。1986年、ここから約3000年前の祭祀跡が発見され、青銅器、玉石器、金製品、象牙など1000点以上の文物が出土した。

 その様式は漢民族のそれとは明らかに異なり、漢民族と系統を異にする古代少数民族が独自の高度文明の花を咲かせていたと考えられている。どのような王国であったかははっきりしないが多くの仮面が発掘されたので「仮面王国」と呼ばれている。

噫!日本軍の洛陽侵攻  日本人と洛陽(6)                長泉寺住職 宮本 光研
 1944年4月19日午前6時40分、洛陽の東「覇王城」で日中両軍が激突。日本側は第十二軍「歩兵第百十連隊=岡山部隊」が主力、中国は国民党=蒋介石軍でした。覇王城とはその昔、漢の劉邦と楚の項羽が覇をあらそった古戦場で有名。今は日本軍の大陸打通・第1号作戦の中、河南の会戦と称される。戦斗は午前11時10分、日本軍が中国軍を制圧して終わったと伝えられます。

 この後、中岳廟・蒿山少林寺などを攻撃。洛河を上って宜陽から洛寧、長水鎮に侵略―連隊史上、最大の悲劇となった「段村の攻防」がある。中国軍は自らの足を鎖でしばり、絶対に退かない決死の戦いに挑んだ。日本軍は降り続く雨と飢えに大苦戦した。

 そして洛陽市街戦は5月24日13時から夜を徹して戦われ、翌朝8時30分、完全に攻略した。松江部隊=第六十三連隊が主力でした。

 当時、洛陽に軍官学校があり、地下壕がはりめぐらされていた。九朝の古都も軍略都市と化した。東条首相は洛陽の攻略を熱望、自らさかんに電話で督促しつづけた。百十連隊は長水鎮にあって、市街戦に参加していません。

 以上は、今吉里治さんの「わが青春の記―歩兵第百十連隊史記」を参照。連隊は昭和13年6月、岡山兵営にて誕生、翌月には中国へ出兵―烏城の健児5000人とうたい、河北省から河南に転戦した。

 今吉さんは敗戦を洛陽で知り、抑留7ヶ月を過ごした。今日「われわれの世代の苦い経験を、今の若い人々も学ぶ必要がある」と言う。歴史の事実を知り、日中共通の理解としなければならない。

 そのことを解らず、又は知らん顔して友好、交流ができるだろうか。真の友情が結ばれるとは思われない。本シリーズに突然、近現代を題材にしたのは日中永久の友好のために欠くことができないと思ったからである。西大寺在住の今吉さんに感謝。(協会理事)

活動日誌
7/5 岡山中国人留学生学友会役員3名来訪。生活用品寄贈活動。
7/15 第6回日中友好ボーリング大会
7/21 中国三誌(ピープルズ・チャイナ・北京週報・中国画報)友の会第89回月例会。
7/27 第3回理事会
7/27

坪田譲二翻訳出版協力募金(7月26日現在26,000円)

会員消息
【就任】
協会の板野妙子さんが退職、後任は中藤季子(としこ)さん。

中国関係消息
 岡山市役所中国歴史文化研究会・古代吉備国を語る会・岡山市福祉文化会館の共催で講演会が開かれる。
日時 8月19日(土) 午後1時~5時
場所 岡山市立中央公民館 第五ホール
演題 「鞠智城跡の発掘成果と復元整備」
講師 熊本県教育委員会 文化課課長補佐 大田 幸博 氏
演題 「東漢・魏晋南北朝時代の陵墓」
講師 洛陽市古代芸術館長 趙 振華 氏
対象 市民一般(無料)
中国映画案内 「あの子を探して」
 1999年ヴェネチア映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞した作品で、監督は、世界の三大映画祭を制した巨匠チャン・イーモウ。

 小学校の代用教員13才の女の子ウェイが、出稼ぎに出た街で迷子になった生徒チャンを探す姿を描いた涙の感動作。綿密な取材に基づくリアルな脚本とプロの役者でない本当の子どもたちや大人達の演技が新鮮。無愛想で生意気な子どもたちが観ているうちにだんだん愛しくなってくる。ラストの感動は衝撃。

 9/30~10/13…シネマクレールで上映。(協会共催)

先憂後楽
 中国人の訪日観光団体旅行がいよいよ解禁される見通しである。運輸省では、この旅行を取り扱う旅行会社の選定作業を進めてきたが、このほど全国で63社が選定され、岡山県では協会の関連会社であるアジア・コミュニケーションズが選定された。

 8月7日には統括団体となる『中華人民共和国国民訪日団体旅客受入旅行会社管理協議会(仮称)』の設立準備会が開かれることとなり、大きく前進することになった。

 これまで、中国人の海外旅行先としては東南アジアや韓国などがあったが、日本への訪問要望も強く既に中国側の解禁都市である北京市・上海市・広東省の3地域の選定旅行社へは市民から訪日の問い合わせや引き合いが来ているという。

 心配はやはり不測の事態、つまり参加者の失踪や事故である。取り扱い旅行業者や添乗員の管理責任はどこまで追及されるのか、中国側との確認事項はどこまで出来るのか等、今後予想される課題は残っている。

 しかし、時の流れはやはり中国人の海外旅行自由化である。多くの中国人が観光という形で日本を訪問し多くの日本人と交流すれば相互の理解は深まるはずだし、そのようにしていくことこそ求められているのだ。協会もそのような時代背景を的確につかんで、活動しないといけないだろう。(松)


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