2000年9月
平成12年9月
  138号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
洛陽市訪日団(趙文庭団長) チャーター便で岡山空港到着
      小・中学生31人 日本の家庭にホームステイ
 中国大陸から日本を訪れた人は、昨年(1999年)は約30万人であるが、訪日の名目は研修、留学、親族訪問などであって、日本政府は中国国民に観光ビザを発給していなかった。観光ビザ発給について両国政府で話し合いが進められていたが、ようやく今年の6月合意に達した。

 北京の旅行社が募集する日本ツアー第一陣は、9月1日に出発するが、それにさきがけて8月17日、岡山市と友好都市縁組をしている洛陽市の医療や企業関係者ら民間人68人と11歳から17歳の小中学生31人と洛陽幹部7人・計106人の大規模訪問団がチャーター便で岡山空港に到着した。

小・中学生の交流
 小中学生31人は、岡山空港到着後大人と別れて、日応寺の岡山市立少年自然の家に直行して旅の疲れを癒した。

 翌18日には、市立後楽館中学校高等学校を訪問した。この学校の生徒の家に3日間ホームステイするので、生徒と家族をはじめ関係者と交流を深めた。来年、後楽館高校の生徒が訪問した時に、今回来日した生徒の家にホームステイする。

 後楽園や瀬戸大橋の観光のほかに、市立少年自然の家のクラフト教室でのコースター作り、市立養護老人ホーム「友楽園」(岡山市平井)の老人慰問、岡山市消防情報通信センターの見学、市立犬島自然の家での海の生活(水泳やカヌー乗り等)いろいろな体験を通じて友好交流を深めた。中国の内陸部にある洛陽の子どもたちは、犬島の海の体験がいちばん印象深かったようである。

第11次「福祉の翼」 上海へ飛ぶ
 平成2年からつづいている「福祉の翼」は今年が11回目になる。中国・上海市の障害者や社会福祉関係者との交流を深めるため社会福祉法人旭川荘の「福祉の翼訪中団」(団長・菊池達男旭川荘いずみ寮施設長)が、8月22日、岡山空港を出発、3泊4日の日程を終えて25日無事帰国した。

 旭川荘は、外国からの研修生を多く受入れているが、中でも上海市からは、行政関係者や施設職員らが多数研修に訪れている。帰国したかつての研修生は、福祉の翼訪中団の到着を知ると、勤めを終えてホテルに駆けつけ、手をとりあって旧交を温める。年と共にこういう場面が増えている。

 今年の参加者110人は、養護学校や高齢者福祉施設を見学した。昨年の秋、段差の少ないバリアフリーの歩行者天国になった繁華街・南京路を訪れ、車椅子の障害者も自由に買い物を楽しむことができた。

 知的障害児約200人が通う董李鳳美健学校で23日に開かれた交流会では、同訪中団が一昨年にプレゼントしたハンドベルを同校の児童が演奏し、日本側は全員で歌を披露し、互いに大きな拍手を送り交流を深めた。

満州事変勃発70周年に想う                          協会理事 岡本 拓雄
 最近、日本の戦争責任・戦後責任を否認し、外国人被害者の声を圧殺して「国家の正史」や「国家の物語」を立ち上げようとする露骨なナショナリズムのキャンペーンが始まっている。この運動は歴史の真実を歪曲して、日本の近代の虚像を構築し、偏った歴史像を広く国民に伸ばしつけようとするものである。

 1931年(昭和6年)9月18日夜10時過ぎ、遼寧省瀋陽郊外の柳条湖付近で、日本の関東軍が南満州鉄道を爆破した。これを中国軍のしわざとして、中国東北軍の兵営その他を攻撃した。以後15年にわたって日本が続けた侵略戦争の発端、満州事変の勃発である。

 当時の日本国民やその子孫であるわれわれにとって、侵略は、はなはだ不名誉なことであるが、たとえ、どんなに不名誉であり苦労であっても、事実は事実として認め、誠実に謝罪と補償をしなければならない。世界に通用する歴史認識に立って、日中友好運動をすすめたいと思う。

勿忘九・一八 九・一八事変博物館訪問記          岡山県立総社高校教諭 青木 康嘉
 中国・瀋陽北駅から北東に4キロほど離れたところに九・一八事変博物館があった。

 巨大なカレンダー型石造物が建っている。漫画家・ちばてつやさんデザインの中国養父母感謝の碑が、昨年ここに建てられた。鉄道の側へ行くと、「九・一八事変炸裂弾」と「説明板」が無造作に横倒しになっていた。

 1931年9月18日午後10時20分、満鉄西側で黄色方形爆弾が炸裂した。いわゆる十五年戦争の発端となる柳条湖事件である。関東軍の板垣大佐・石原中佐や奉天特務機関長の土肥原大佐等によって用意周到に計画されたものだった。

 爆破後、10時40分の列車は、傾きながらも通過した。爆破が目的でなく、この後「満州」占領の口実であることは明白である。

 奉天の総領事の打電に「今次ノ事件ハ全ク軍部ノ計画的行動ニ出タモノト想像セラル」とある。

 なぜ、柳条湖事件はおきたのか。

 考えられる一番の理由は、「不況からの脱出」であった。第一次世界大戦終了時から、関東大震災、金融恐慌、世界恐慌と続いていた。株式は暴落し、物価の下落、企業の倒産、40万~50万人に及ぶ失業者の増大、米や生糸価格の暴落、貿易は13年連続で輸入超過であった。「満蒙は、日本の生命線」と、日本は大陸進出に不況脱出を求めていった。

 機は熟していた。万宝山事件や中村大尉事件で世論は湧いていた。あとは、国際的な「反応」のみ気づかっていた。しかし、アメリカもイギリスも自国の世界恐慌からの再建に目を奪われていた。そこへ前日、イギリスが金本位制を離脱したニュースが、世界を駆け巡っていた。株式の立会いが停止し、世界がそのニュースに埋めつくされている時期をねらった。北大営を占領し、翌日には奉天城に入った。政府が事変不拡大を訓令しても、関東軍は無視をして、拡大した。

 当時の日本の新聞をみると、「大歓迎」でわきたっている。「柳条湖での爆破は、支那兵のしわざ」と書かれている。

 世界がこの事変の異常さに気づいたのは、その年の暮れ錦州を爆撃した頃だった。日本は、翌年1月末に第一次上海事変をおこし、世界の目をそちらにむけ、ハルビンを占領した。3月には、溥儀を執政に「満州国」を建国した。自国の利害にのみ立脚した思考回路であった。

 来年「九・一八事変70周年」を迎える。しかし、昨年訪問した長春でも、瀋陽でも、「勿忘九・一八―東北没陥十四年史」展覧会が開催されていた。長春の展覧会の入口には次のように説明が書かれてあった。

 血と涙の九・一八
 「九・一八は一筋の癒合できない傷口のように中国人の心に深く刻みこまれている。もう半世紀以上の時間がたったが、当時のドカンドカンという砲声は中国人の耳に一時も消えることはなかった。1931年9月18日は、一つの悲惨な日だった。この日から長白山の血がしたたり、黒竜江の涙が落ちる。三千万の同胞が日本侵略軍のじゅうりんを受け、何寓里の山河が外国侵略者の統治のもとで喘ぐ、中華民族の暗くて屈辱的な歴史の一ページが開かれた。」

 「満州」を語るとき、戦後の悲惨な逃避行や立場の逆転から「被害者」として語られることが多い。しかし、柳条湖事件は、「侵略加害者=十五年戦争」の出発点であることを教えてくれる。そのことを心に深く刻むためにも、「九・一八事変博物館」の見学はかかせないものだった。

九寨溝と孔明北伐の足跡を辿る旅                             米倉 義文
 8月13日から8月20日までの7泊8日の日程で、岡山・中国三誌友の会会員5名、大阪・奈良のグループ9人計14名で「九寨溝と孔明北伐を辿る旅」に出かけた。

 8月13日(日)、6時6分岡山発のぞみに乗車、関空10時発、上海へは12時15分到着。国内便に乗り換え、成都に午後6時ごろ到着。夕飯後、明日からの予定を打ち合わせて就寝。

 8月14日(月)、パンダ研究基地(広大な敷地でパンダにお目にかかれることはまず至難)、杜甫草空、武候祠、五斗米道発祥の地、道教の聖地青城山へ560段の会談を上り、ロープウエイに乗って参詣後、都江堰にて宿泊。

 8月15日(火)、世界自然遺産に指定された九寨溝へ直進、途中、少数民族経営のレストランで、美女と祝砲の歓迎を受けて昼食をとる。目的地まではサービスエリア、パーキングエリアなどの施設はなく、個人開設の公共厠所(有料)を見つけてはトイレ休憩をとる。傍には地元特産の農作物漢方薬等を売る露店が並び、商売に懸命である。宿泊地、新九寨賓館へ午後6時到着。

 8月16日(水)、海抜2,000メートルから4,300メートルの自然風景区九寨溝を1日かけての観光、バスターミナル到着後は、現地経営の低公害車専用バスに乗り換えて観光することになるのだが、予定の1日では全部を見ることは不可能なので、要所のみを見ることにする。コバルトブルーの澄みきった清流、池、湖、滝等秘境の名にふさわしく誠に美しい。バスに乗ったり、歩いたり疲れる。宿舎に戻り夕食後、チベット族の民族舞踊を参観(150元)、美男、美女を揃えての舞踏は見ごたえがあり満足して帰宿。

 8月17日(木)、今日は、九寨溝から広元へ1日かけての移動である。運転手の提案で近道へとルートを変更、上下左右に揺られ、窓枠に数度頭をぶつけ痛い思いをしながら時速10キロ位で進んで行く。途中には落石あり水溜りありで想像を絶する悪路である。落石除去による工事のため通行止めに2度遭遇、進行不能と判断して引き返した。この間のロス約5時間となる。今日中に広元へ到着は無理とのことで、江油まで行き、寝台車に乗り換えて、翌午前3時30分広元へ到着。和州賓館へ直行、仮眠をとる。

 8月18日(金)、広元から漢中へ移動途中、明月峡、千仏崖、先秦古桟道(崖の途中に穴を穿ち木を掛け渡して道を造成、想像を絶する難工事を連想する)、武候墓、馬超祠、定軍山を経て漢中に至り、夕飯後、10時25分発の寝台車に乗って翌午前6時40分宝鶏に到着。

 8月19日(土)、宝鶏駅内の食堂で、饅頭、スープで軽い朝食をとり、諸葛孔明終焉(241年没)の地五丈原へと向う。「漢丞相諸葛忠武候之墓」に参詣、記念撮影、「夏草やつわものどもが夢の跡」を痛感する。西安咸陽空港へ直行、国内線で上海へ向う。所用時間1時間40分。

 大富豪酒楼で海鮮料理を食べ夜の更けるまで歓談、上海新錦江大酒店(デラックスホテル)で旅行最後の床につく。

 8月20日(日)、上海12時20分発に搭乗、帰国の途につく。睡眠不足、悪路とバスに揺られて長時間の移動そして下痢等々でさすがの私も些か疲労を覚える強行軍の旅であった。しかしながら、一般の旅行会社によるツアーとは異なり、訪れる機会の少ない名勝古跡を巡る旅の経験は意義深いものがあった。(協会会員)

世界遺跡めぐり(2) 秋の武陵源を訪ねてみませんか
 湖南省北西部の武陵源周辺には風化、水蝕作用によって生まれた数千の奇山、奇峰と深い渓谷が広がり、土家族、苗族など、山岳少数民族が静かに暮らしている。

1.張家界国家森林公園
 無数の奇峰奇岩が夢のように美しい張家界。仙人が住むとしたら、まさにこんな所であろうと思われる。山の気勢に圧倒される黄石寨、渓流が集まる金鞭渓といった名勝をめぐりながら歩くと「五歩一景」と形容される変化に富んだ景色が楽しめる。

2.黄石寨遊覧コース
 最も代表的なコース。急な石段が続くが、ロープウエイで頂上まで行くこともできる。山頂からの眺めは抜群。

3.金鞭渓遊覧コース
 全長約5.5キロの平坦な歩き易い道が、渓谷に沿って続く。途中には、「酔羅漢」や「スターリン」「金鞭岩」などの奇峰奇岩や「紫草潭」などの美しい渓谷美を見ることができる。

4.袁家界遊覧
 いちばん奥にあたる地域。それだけに見応えもあり、花園の花が咲いているが如くに岩が林立する。「后花園」や、自然が急峻な谷間に造り出した橋「天下第一橋」などは、とてもみごとだ。

傷兵日本人 日本人と洛陽(7)                          長泉寺住職 宮本 光研
 今春、洛陽の元外事弁公室・戴保安さんから聞かされた。

 旧日本兵で、56年振りに日本へ帰った石田東四郎さんの話はご存知ですか?洛陽ではよく知られています。小説にもなりましたから、と。

 石田さんは「記憶を失い、日本語もよくしゃべれなかった」が、残留日本人だと新聞報道され、その顔写真をみた津田康道(笠岡市在住)さんが「アッ石田だ」と直感。日本軍の特務機関の上司だった津田さんはすぐ河南省南陽市へ来て、本人であろう、となった。その後、DNA検査などで確認。93年6月に出身地の秋田県に帰ることができた、という。

 戴さんはこの間、いろいろ尽力されたようだ。洛陽では有名な話。でも、私は事実、知らなかった。日本人として申し訳なく、情けない思いがした。

 津田さんは眞宗・浄心寺のご住職。高令の身を中国に運び、他にも2、3人の残留日本人に逢ったと言われる。しかし彼らは日本に帰らない。お金がないか、もう日本に用事はない、という理由で。

 ちなみに小説「傷兵東四郎」(華齢出版社)は95年、秦俊氏によって書かれた。これを日本語訳で出版できないかと津田さん。

 それにしても中国侵攻をした日本人も深く傷ついた。石田さんが文革でどんな苦労をされたかもこの小説はふれている。
 
 傷兵日本人、でよく知られているのは当協会の故・田口勝己さん。河南省信陽の山中、マラリアの高熱で一人、倒れているところを中国青年に助けおこされた。その後、田口さんご遺族は信陽市小学校に図書館を寄贈、奨学金を送り続けている。

 日中交流の近代史は苦難に満ちている一方、心優しさが伺えるエピソードも多い。(協会理事)

活動日誌
8/17 洛陽市訪日団歓迎夕食会
8/22~25 第11回「福祉の翼」訪中
8/24 中国三誌友の会90回月例会
8/29

第3回岡山市国際交流実行委員会

中国関係消息
北京・故宮博物院 黄金の至宝展
 故宮は明・清二代にわたって王朝の皇宮であった。宮殿や役所、内裏として使われた大小さまざまな建築群を総称して今は、故宮博物院と呼んでいる。故宮には、商・周代の古銅器から書画、工芸、彫刻、書籍など、明・清の皇帝が集めた膨大な数の美術工芸品が収蔵されている。

 本展覧会は、故宮博物院が所蔵する文物の中から、清王朝の華麗な宮廷生活をほうふつさせる金や銀、玉をあしらった豪華な調度類や服飾品をはじめ、歴代五朝下で中国の工芸技術の枠を集めて制作された優れた工芸約170点をよりすぐり紹介する。
日時 9月22日(金)より10月22日(日)まで。午前9時~午後5時。月曜日は休館。
場所 岡山県立美術館(岡山市天神町)
主催 岡山県立美術館 ほか。
観覧料

前売り:800円。当日:1,000円。高大生:700円。小中生:400円。

第13回教育・文化講演会「新しいシルクロードの探検」        福武教育振興財団主催
 福武教育、文化振興財団主催の講演会が下記の要項により開かれる。
日時 10月27日 15時
場所 岡山プラザホテル
定員 200名(岡山市南方3-7-17、福武文化振興財団事務局へ申し込む。後日、入場整理券が送られる。)
聴講 無料
講師

就実女子大学 客員教授 長澤和俊 氏

先憂後楽
 中国人訪日観光旅行団の第一陣が10月にも来日するようだ。待ちに待った、と言いたいところだが諸手を挙げて歓迎ばかりとはいかないだろう。

 これまで、地方公共団体や学校それに当協会などの日中友好団体などの招聘で視察・友好訪問として来日してきたが、今後は一般の中国人民が観光目的で旅行者の招聘状で入国できるようになる。色々理由はあろうが、これまで出来なかったことこそおかしいのかも知れない。しかし、受け入れ体制は果たして出来ているのだろうか。また、派遣側の中国の準備は万全だろうか。

 先般の洛陽市からの大型訪日団では報道されたように残念ながら2名の離団者が出てその内1名は未だ消息不明だ。何のための離団かわからないが、日本で一稼ぎしようという考えの人がいることは事実なのだ。

 招聘人となる旅行社には大きな責任が負わされることになる。一人失踪したら1ポイント減点で、10点減点になると招聘停止処分となる。それでも国内観光関連会社は訪日団の解禁で大きな需要喚起を期待している現実がある。とにもかくにもスタートしたのだ。順調な推移を望みたい。(松)


「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


戻る   このページのトップへ トップページへ