2002年2月
平成14年2月
  153号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
2002年度定期総会 盛況裡に終わる―協会の役割 ますます拡大―
 2002年度の協会定期総会は、2月9日(土)午前11時から、岡山駅南、日本生命ビル6階で、60人の出席のもとで開かれた。開会に先立ち協会関係の物故者3人に黙祷を捧げご冥福を祈った。ついで、片岡会長が挨拶に立ち、協会設立20周年記念事業成功に触れ、会員各位の熱烈な協力に感謝し、国交正常化30周年にあたる今年も、ひきつづき日中友好促進のため一層の協力を要請した。

 赤木理事を議長に選んで、次の6つの議案を審議し、原案どおり承認された。
2001年度活動報告
Ⅰ 協会20周年記念事業
 (1)20周年特別寄付金募集活動(総額112万円)
 (2)「洛陽の民話と伝説」出版発行(12/1) 1,500冊
 (3)協会史発行(12/1) 15周年記念史以降の5年を冊子にまとめて発行
 (4)岡山市日中友好協会設立20周年記念式典・祝賀会(12/1、岡山プラザホテル、約100名)
 (5)杜康酒普及活動(1,000本特別輸入)
 (6)事務所移転(南田辺ビル内5階から2階へ)

Ⅱ 交流促進活動
1 洛陽との交流(岡山市洛陽市友好都市締結20周年記念事業)
 (1)洛陽火災義捐金募金活動(1月まで実施。20万円贈呈)
 (2)岡山せとうちライオンズクラブ訪中団後援(3/30~4/3) 洛陽市新安県五頭鎮『洛岡希望小学校』開校式出席
 (3)岡山市民訪問団(4月) チャーター便牡丹祭りに参加(4/17~4/21) 萩原市長団長、市民143名参加
 (4)『中国展』協賛(5/23~5/29、高島屋岡山店) 洛陽市から牡丹画家屈吟庵先生親子招聘。即席揮毫即売。
     *20年の歩みパネル展示
 (5)岡大ISAシンポジウム共催(8/5) 洛陽より3名の大学生招聘
 (6)国際姉妹校2001年こどもサミット協賛。中国からの子供達招聘 洛陽申窪村小学(綾南小)、上海威海路第三小学(早島小)
 (7)洛陽少年サッカーチーム来岡(7/11~7/17)(岡山市少年サッカー連盟)

2 上海との交流
 (1)「日中女性フォーラム in 上海」報告会後援(2/3)
 (2)日中教育交流訪問団(6/5~6/8)上海市教育委員会、上海市甘泉中学など訪問。高校生交流協議
 (3)岡山県高等学校芸術文化連盟高校生相互訪問(写真部会)
     訪中:7/20~24 生徒12名、教師3名
     招聘:8/17~21 生徒12名 教師3名
 (4)旭川荘交流後援…第12回福祉の翼訪中団(8/21~24 111名)
 (5)上海市婦女連来日…日中女性フォーラム in 岡山(12/ さんかく岡山)

3 その他交流支援活動
 (1)信陽市シ河区児童友好訪日団歓迎会(新見市招聘、8/18、まきび会館)

Ⅲ 各種活動
 (1)第7回日中友好ボーリング大会(6/30)
 (2)日中タイムカプセルオープン式(10/20、北房町)
 (3)中国映画上映協力活動
     ①『初恋の来た道』(3/17~3/30、 シネマクレール)
     ②『山の郵便配達』(8/7~8/31、シネマクレール)
 (4)日中友好書道展後援

Ⅳ 中国語普及活動(岡山中国語センター)
 (1)会話クラス(入門、初級、中級、個人レッスン)
 (2)中国語能力検定協会試験受託(第43回~45回)

Ⅴ 中国三誌普及活動
 (1)三誌友の会例会(第95回~第106回)
 (2)人民中国雑誌社東京支局長訪問(4/10)
 (3)人員中国雑誌社来局(6/15、沈文玉社長、王衆一副社長)
 (4)定期購読者数『人民中国』43部

Ⅵ 広報活動
 (1)機関紙「岡山と中国」発行(第142~第152)11回発行
 (2)ホームページ活用

Ⅶ 組織現況報告
 (1)2001年度新規入会者 一般会員10名、賛助会員5口
 (2)2001年度退会者 一般会員28名、賛助会員6口
 (3)会員総数(2001/12/31現在) 一般会員300名、賛助会員16口
 (4)理事会開催3回(3/13、9/5、11/19)
2002年度活動方針
Ⅰ 日中国交正常化30周年
 1972年9月、当時の内閣総理大臣田中角栄氏は「決断と実行」を信条とし、中国との国交回復を決断し、北京において日中共同声明に署名した。このときをもって日中両国は正式に国と国とのお付き合いが始まり1978年の日中平和友好条約締結と合わせて、両国国民相互の交流が大いに促進された。

 以来30年を迎えた本年、両国関係はいくつかの課題が存在するがおおむね良好な状態にあり大いに発展が期待されているところであるが、政府間の交流とあわせてNGOの存在と役割が見直されていることもあり、民間団体としての協会の役割はますます大きくなってくるであろう。

Ⅱ 岡山―洛陽友好都市交流促進事業
 *民間団体の窓口として洛陽市人民対外友好協会と正式に定期協議を開催し交流案件を話し合い、可能なところから実現していく。5月下旬に洛陽市人民対外友好協会代表団を招聘。定期交流協議。
 *牡丹祭り参加友好訪中団派遣
 *教育・文化・スポーツ・医療福祉など多方面にわたる交流促進

Ⅲ 各種交流活動の強化
 (1)都市間交流の促進
     ①上海氏との交流…女性交流等促進(岡山市と連携)、医療・福祉交流(旭川荘の実践に協力)
     ②江西省との交流…岡山県江西省友好縁組10周年記念事業協賛
     ③その他都市との交流…新見市―信陽市シ河区、賀陽町―淮安市、その他条件のあるところで支援できるところは協力していく
 (2)教育交流
     ・学校の『総合的な学習の時間』へ積極的に対応していく
     ・岡山県日中教育交流協議会(会長―森崎岩之助)と協力して実施
 (3)スポーツ交流促進(2008年北京オリンピック開催)

Ⅳ 在岡中国人との連携強化
 留学生・就学生・研修生・華僑・華人

Ⅴ 日常活動強化
 (1)中国語普及活動(岡山中国語センター運営強化)
 (2)中国三誌普及活動

Ⅵ 組織・広報活動強化
 (1)会員拡大(新しい入会案内を作成する)
 (2)NPO法人化準備委員会を設置する
 (3)ホームページ更新充実(ホームページ委員会)
 (4)会報「岡山と中国」発行のあり方を検討(広報委員会)
新役員
会長 片岡 和男
副会長 江草 安彦
永山 久也
理事 宮本 光研
岡本 拓雄
小野 愛子
赤木 宣雄
小路 広史
片岡 琢之
洞 冨美男
近藤 弦之介
岡崎 邦泰
綾野 富美子
家野 四郎
松井 三平
会計監査 椋代 孝
萱野 哲朗
事務局長 松井 三平
新春互礼会・バザー
 総会のあと12時から、八仙閣で新春互礼会とバザーを開いた。逢沢一郎衆議院議員、江田五月参議院議員、萩原誠司岡山市長はじめ多数の来賓と中国人留学生、会員等70人が集まって新春を祝った。

 会場の一隅に、会員が寄付した数々の品が列べられていて、祝宴の間に入れかわり立ちかわり訪れるお客様でバザーコーナーは賑わった。万円単位の備前焼と絵画をはじめ出品された品は全部売り切れた。

岡山「中国三誌友の会」 新年互礼会を開く
 1月10日(木)、岡山「中国三誌友の会」は、第106回例会を兼ねて、新年互礼会を山佐本陣で開いた。

 うれしいことに会員は、1年ごとに増え、今年は33名が参加して、今までになく盛り上がった。

 和気藹々の懇談の後、余興に入った。謡曲「高砂」を皮切りに、資本の入った小唄の披露、中国語の「北国の春」の歌唱、女性グループによる年頭の決意表明などに拍手が湧き起こった。

 最後に、福袋の籤を楽しんで新年互礼会を終わった。(友の会会長 小路広史)

董宏猷作品"做媒" 日本収蔵家来漢捐書
 この見出しは、武漢の新聞のもので、つまり董宏猷作品のとりもつ縁で、日本の著名な蔵書家である志志目彰さんが、4,408冊の日本児童文学書を董宏猷さんの母校である華中師範大学文学院の図書館へ寄贈したということである。

 贈呈式は本館3階の立派な会議室で開かれ、馬敏校長(学長)、周暁明院長(学部長)らと並んで正面のメインテーブルに座らされ、マスコミ陣の質問の矢面に立たされた。

 もっともこの贈呈式に先立って20数名のテレビ、ラジオ、新聞記者を集めた記者会見があって、私が3年前に妻の「遺骨」を散骨したことを調べてきている記者がいたのにはびっくりした。

 また、志志目さんのお父さんが実に80年前(戦前)、宜昌(武漢から西へ2,000キロ以上)の発電所に技師として働いておられたという縁があり、大学当局は八方手を尽くしてその歴史的事実を探り出していた。

 そして29歳という若さの厳輝(イエン・ホイ)さんという如何にも頭のよさそうな女性教師が、3日間付き添ってくれた。しかも夫君が休暇をとって会社(テレビ局)をそっちのけで、甲斐甲斐しく妻の助手を務めるのに感心した。

 因みに厳輝さんはこの4月から福井大学へ、中国語を教えに来るという。また新しい人脈ができたことは、わたしにとって嬉しいことだ。

 志志目さんのお父さんのおられた発電所は、後藤新平が新設した発電所で、今は国営の「宜昌発電厰」として別の場所に移り、その跡地は街なかで近代的な美しい公園になっている。

 宜昌から更に上流へ足を伸ばして、三峡ダムの一番下の葛州覇ダムを見学、壮大さにおいて世界一と言われる巨大なダムの片鱗を実感した。

 既に公式の贈呈式は終わったといいながら、69梱の児童文学書は東京の日本通運国際輸送の手で、約2週間かかって上海に着いているのだが、そこから、一向に動いていない。トラック輸送になるから1日か2日でしょうという日通の話を信じて、急いで福岡から武漢へ飛んできたが、早く来すぎたようだった。大学から上海へ督促してもらった結果、上海で燻蒸消毒を済ませてからでないと、武漢海関(税関)を通らないという。結局一番心配していた春節に引っ掛かって25日以降でないと図書館へ納まらないことになってしまった。

 35年間、東京の子供たちに親しまれた本が、無事中国に着いて、受け入れられる姿を是非見たいという志志目さんの願いは、ついに叶えられずにおわった。

 写真を撮って送るから、それで確認してください。到着するまでここで待つ必要はない。あとはわれわれに任せて下さいという院長の言葉を信じて、後ろ髪を引かれる思いで、大きなお土産とともに、帰国した。(協会理事 家野四郎)

今年は午年 午にまつわる話
 
昔、孔子さまが弟子たちと一緒に村を歩いていました。垣根から頭を出している馬を見て「あっ牛だ」と言いました。多くの弟子たちの中で顔淵ひとりだけが、孔子さまの言っている意味がわかりました。さてどうして孔子さまは馬を牛と言ったのでしょう。

 2002年はウマ年。干支に入るくらいだから、人間と馬のつきあいは古く長く深い。オリンピックに出場できる動物は馬だけである。人間ではない馬が、人類最高峰のスポーツの祭典に出場できる。これだけでも、人間と馬の密接な関係がわかる。

馬と戦争
 火薬がなかった時代には、人と馬からなる騎馬隊は、最も破壊力のある軍事力だった。数千年にわたる刀剣による戦争を通して、馬は人間とともに歴史を作り上げてきた。チンギス・ハンがその愛馬にまたがりユーラシア大陸を横断していた事実は、「いかなる動物も、馬のように人間の歴史にこれほどまでの影響を及ぼすことは無かった。」と強く訴えかけてくる。

 人が馬を頼り、馬に関心を寄せる姿勢は、他の動物に対してはあり得ないことで、人間以上に重視したことさえあった。漢の武帝・劉徹(前140年~前87年)は、西域の名馬を手に入れるため、戦争を起こしたほどである。彼は、李広利将軍に大宛国を攻めさせたが、その際の戦利品は、名馬として有名だった10数頭の「汗血馬」だけだった。この種の馬は、毛色が赤みを帯び、その汗が日差しのもとで血のように見えるためにこう呼ばれていた。また一日に千里を駆けるため「天馬」の称号で愛されていた。

馬と文化
 馬は人類史においても重要な役割を果たし、人類文化の多くの足跡を残している。

 また、「馬」との関連で誕生した成語や熟語は、現代社会でも話し言葉や書き言葉の中に生き続けている。「鹿を指して馬と為す」は、秦の趙高が鹿を馬と言って皇帝に献上して周りの臣下が肯定するかを試し、否定した者は、自分に抵抗するものとして後で殺した。権力者の横暴の恐ろしさを端的に表す成語。「塞翁が馬」は、塞翁が飼っていた馬が逃げたと思ったら、駿馬をひきつれて帰ってきたのど禍と福が転々して到来したという故事から、人生の吉凶・禍福は予測できないというたとえである。「倚馬の才」は馬に倚りかかって待つ間に、万言の文章を作るほどのすぐれた才。文章の天才のこと。「老騏千里を思う」は、老年の俊傑が老いてもなお元気溌剌のようすを表す言葉。このような熟語や成語は、少なく見積もっても数十句はあるが、いずれも哲理に富み、優れたたとえで、中国語の表現力に深みを持たせている。

 今年はウマ年。万事如意!すべてウマくいきますように!(協会理事 岡本拓雄)

ちょっとチャット(12) 『赤い月』を読んで                  教会会員 坂本 佐和子
 なかにし礼著のこの本のタイトルページの裏に「第六の封印を解き給ひし時、われ見しに大なる地震ありて日は荒き毛布(けぬの)の如く黒く、月は全面血の如くなり」ヨハネ黙示録第六章と記してある。

 赤い月は戦争と流血を表し、この本は、死者の鎮魂とその救いを願って著したと思える。

 昭和20年8月、牡丹江市で酒造業を営む著者の家に住むロシア美人の家庭教師エレナの斬首から始まるこの物語は、事実と、著者の母がモデルの凄味のある作品である。

 これを読了した私は、歴史上の事実は決して風化されずその場にあった者は加害、被害を問わず、心の奥深くの闇に閉ざされた部分が、時折痛み疼くことがよくわかった。

 そして、この物語を通して私は知らなかった関東軍の阿片取引。ハルピン。スパイの暗躍。ロマノフカ村。数多くの開拓民の悲惨な末路。敗戦時に小学1年生だった著者の地獄の体験等を知った。

 著者のなみなみならぬ思いがこの書にこめられていることは、8ページにわたる参考資料一覧でわかる。

 この書の最初と最後にも出てくるエレナは、ロシアスパイだった。恋仲の日本人商社マン氷室も実体は、関東軍情報部秘密機関のスパイだ。私は諜報活動が一国の興亡を左右するいかに重要なものであるかは、日露戦争を勝利に導いた明石元二郎情報参謀の活動で知ってはいた。皮肉なことに著者の母も氷室が好きで、氷室の子を宿していたエレナをスパイ罪で牡丹江の警察署に告発した。

 この時代のスパイは斬首か、七三一部隊送りだった。氷室は、助けを求めて泣き叫び苦痛に歪み悲しむ中国人を多く殺してきた。

 さて、この書の上巻に著者の父母が昭和9年牡丹江に来た頃、反満抗日ゲリラの指導者謝文東の言った次の言葉があった。「日本人にいいやつはいない。どいつもこいつもみな悪党だ。悪魔だ。鬼だ。我々は日本人に家族を殺され、土地を奪われ、国が蹂躙されている。日本人が一人でもこの中国にいる限りわが中国に平和はこない。」日本が敗れ、ハルピンで死の苦しみを味わった著者が、作中に中国人の心からの叫びを記したところに私はこの書の重みをずしりと感じた。

 氷室は結婚もせず祖国から捨てられた残留孤児援助に生涯を賭けた。―死者に合掌―

活動日誌
1/10 中国三誌友の会。新年会
1/16 理事会。10名出席
1/26 総会準備委員会
2/9 2002年度総会、新春互礼会
2/14 中国三誌友の会。第107回例会。
2/20

会報153号発行

会員消息
【入会】
小林茂則さん(岡山市伊福町 岡山丸の内ロータリークラブ会長)
二階堂満里子さん(岡山市藤原 印刷業)
曽我英丘さん(岡山市撫川 書道家)
李康烈さん(倉敷市水島 朝鮮人商工会会長・遊技業)
林広枝さん(倉敷市水島 朝鮮人商工会)

【お悔み】
清水友三郎さん

中国関連消息 
中国京劇
 中国が世界に誇る最高水準の京劇がついに来日。
岡山公演 3月11日(月)2時からと6時30分からの2回
場所 岡山市民会館
料金

S席7,000円、A席6,000円、B席5,000円(全席指定)

中国旅行写真展
 昨年10月、中国の九寨溝・黄龍へ撮影旅行に行ったグループの写真展が開かれている。
日時


2月17日~3月8日
平日:8時~19時
土曜:8時~18時
日曜:10時~17時
場所 NEXT岡山、今2丁目8-14 (TEL:243-9400)
出品者

小林百合恵、田中茂子、田中荘一、中島寿美子、中島徳治、船越純介、星島孝雄、本岡美恵子

図書紹介 『馬を描く』
 この本は馬の描き方のコツを懇切丁寧に説明しています。著者の劉生展氏は、現在、中国絵画界において馬を描く達人とされている人です。第三面の万里の長城と馬の絵が劉生展氏の作品です。
(劉生展著、殷占堂編、㈱M・P・C B5判、78頁、1,050円)

先憂後楽
 協会の新春互礼会で、来賓の一人が中国に対する幅広い見方があるという話の中でいわゆる中国脅威論もあると発言されたのに対し、留学生の一人が決して脅威などありませんから安心してくださいと挨拶の中で話した。

 その判断はともかく、この留学生がまるで外交官のように中国の立場をはっきりと述べているのに感心した。今日本の学生で、いや、学生だけでなく大人も含めて、日本の立場をはっきりと言える人がどれだけいるだろうか。

 そんな中で、アフガニスタンの復興会議で議長を務めた緒方貞子氏の堂々とした態度に日本人として誇りを感じ自信をもった人は多かったのではないだろうか。外交とはまさにあのようなことだと確信した。

 日中国交正常化30年を迎えた本年、政府間でも大型の相互訪問などが計画されている。友好にとって、人の交わりほど効果のあることはない。そして、地方同士の交流が関係をゆるぎないものにんする。ささやかながら私たちの協会もその一翼を担っている。本年も確信をもって友好の大道を歩みたい。(松)


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また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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