2002年4月
平成14年4月
  154号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
洛陽からサッカー留学生!―岡山商科大学附属高等学校へ―
 3月26日、関西空港に洛陽からの訪日団7名が降り立った。一行は洛陽市人民対外友好協会秘書長の楊明さん、中国足球学校洛陽分校校長の李波さん、洛陽大学副教授の張銘さん、それに足球学校の4名の高校生。

 今回の訪日団は岡山市日中友好協会と岡山商科大学附属高等学校(以下附属高校と記す)が協力して実現したもので、特に高校生の本格的な留学は初めてということもあって、ほとんどの報道各社が大きく取り上げるなど多いに注目された。

Ⅰ 中国人講師招聘による中国語教育
 附属高校では今年度から中国語の授業を始めるにあたって、洛陽市から直接講師を招いて本格的な中国語授業を始めた。これは、今年2月から洛陽大学の日本語講師として赴任された植田先生との交換講師プログラムで、双方とも向こう2年間の滞在予定となる。

Ⅱ サッカー留学生招聘
 中国には足球学校というサッカー選手育成のための専門の学校があり、全国に4箇所(北京、瀋陽、洛陽、上海)の分校がある。

 今回は洛陽分校の生徒で、同学校でもトップレベルの選手だ。前衛、先鋒などのフォアードと、身長187センチもある守門(ゴールキーパー)などで、李校長からも河南省や全国でも通用する選手であることが紹介された。代表である楊さんは歓迎会席上で『勉強と練習に励んで、附属高校のサッカーレベルを上げることに貢献し、岡山と洛陽の友好促進に役立つよう努力する』という趣旨の挨拶をした。

Ⅲ 交流のいきさつ
 昨年8月附属高校を運営する吉備学園の井尻理事長と戸村校長が洛陽を訪問し、洛陽市と教育交流案件を協議した。その結果次の3項目が合意された。
  1. 岡山商科大学への留学生派遣
  2. 講師の相互派遣
    • 日本から日本語講師を洛陽大学へ派遣
    • 中国から中国語講師を附属高校へ派遣
  3. サッカー留学生を附属高校に派遣
 この合意を受けて、わずか7ヶ月の準備期間でそれぞれの交流案件が実現した。この背景にはやはり、21年に及ぶ岡山市と洛陽市の友好都市交流の積み重ねがあろう。また、協会がこの交流の橋渡しとして役割を果していることも見逃せない。

 中国人講師とサッカー留学生は4月1日より岡山での生活が始まる。

岡山県日中教育交流協議会 平成14年度総会及び日中教育交流報告会開催
 3月22日、岡山県生涯学習センターで同協議会の総会と報告会が開催された。総会には役員や小学校の教諭ら約30名が集まり、今後の交流など熱心に協議した。

 冒頭、森崎岩之助会長が挨拶し、協議会が岡山県内の日中教育交流促進に対し一定の役割を果していることを評価した。また、本年が岡山県と中国江西省とが友好県省締結して10周年にあたるため、これを記念して『日中教育交流促進訪中団』を企画し参加者を公募することや岡山県と協力して事業を進めることを提案した。

 その後議事に移り、議案は予定通り承認された。

報告会開催
 報告会では講師の岡山県高等学校芸術文化連盟(略称、高芸連)副会長で岡山県立玉野光南高等学校校長の速水延光先生が昨年夏に開催された上海との交流状況について報告。また具体的な活動内容について東岡山高等学校の千原章裕先生がプロジェクターで画像を紹介しながらエピソードを交えて報告した。

 高芸連はこれまで韓国とさまざまな文化の分野で交流を重ねてきたが、一昨年上海との交流が提案され、協議会を通じて上海市政府と交渉を重ね、昨年第1回が実現することになった。

 今回の交流プログラムは写真部会での交流となり、岡山と上海で撮影会や撮影展が開催され、ホームステイでの体験など大きな成果を収めて終了した。(詳細は協議会会報「悠久」6号に掲載されている。希望者は事務局にご連絡ください)

私と岡山(25)               岡山大学文学部文化学科研究科博士課程 戴 俊英
西安の陝西歴史博物館から着ました。考古学の研究をしています。
―いつ日本に来られましたか。
戴:小学生の男の子を祖父母に預けて、1998年3月に日本に来ました。

―中国では、どのようなお仕事をされていましたか。
戴:西安の陝西歴史博物館に勤めていました。ご存じのとおりこの博物館は中国で最も施設の整っている博物館の一つで、参観ルートの長さが1,500m、床面積は50,00㎡もあります。内容も豊富で、第一展覧室では先史時代から秦代、第二展覧室では漢代から魏晋南北朝時代、第三展覧室では隋唐代から宋・明・清代の文物が陳列されています。則天武后の母楊氏の陵墓から出土した巨大な獅子像、先史時代の彩陶瓶、殷周時代の青銅器、前漢時代の瓦、唐代墓の壁画や唐三彩、殉死者のかわりに埋められた陶器製俑などが有名です。外国からの参観者も多く、1994年には、日本の天皇、皇后がお見えになりました。帽子の前に大きな牡丹の花を着けたきれいで、やさしそうな皇后の姿が今でも目に浮かびます。中国の代表的美人、則天武后、楊貴妃にも劣らぬ美しさでした。

―大学でどんな研究をされていますか。
戴:中国古代埋葬制度の変革と展開―魏晋南北埋葬形態の変遷と歴史背景を研究しています。日本は出土品を分析して解釈を細かく研究していますが、中国の研究は大陸的で日本のように細かくありません。岡山大学で学ぶべきことがたくさんあります。

―中国にいた時の日本人観と、日本に来て実際に日本人を見た今の日本人観と違いますか。
戴:観光で西安を訪れる日本人は多いし、その中のほとんどの人が陝西歴史博物館の見学に来るので、日本人を見るのは珍しくはありませんでした。日本人は表面はいいが本当は悪い人間と言われていました。戦争のこともあり、日本人は冷酷な人間という印象が強かったのですが、日本に来て考え方が変わりました。どこの国でも悪い人はいます。それは、ほんの一部分で、日本人みんなが悪いのではありません。岡山大学の先生を始め、岡山市民のみなさんが親切で善い人が多いので感謝しています。

―話は変わりますが、春節に帰国されたそうですが、故郷は変わっていましたか。
戴:変化の激しさに驚きました。春節の過ごし方も以前は派手に爆竹を鳴らし大騒ぎをしていましたが、今は、爆竹は田舎で少し鳴らすくらいで、全般的に静かな春節になりました。年始まわりをする人も少なくなり、電話で済ます人が多くなりました。

―学問研究以外に何か興味をお持ちですか。
戴:スポーツが好きで、バスケット、バレー、卓球をします。旅行も大好きです。東京、大阪、京都、奈良、神戸、広島、四国、九州へ行きました。別府ではみんなと一緒に温泉に入りました。
(文責 岡本拓雄)

第2回理事会開かる 3月29日 協会事務局にて
 3月29日(金)13時30分から、協会事務局で本年度2回目の理事会が開かれた。11名の役員が出席して次の事項を協議した。

1.報告事項
平成14年度の顧問として 石井 正弘 岡山県知事
萩原 誠司 岡山市長
河野 伊一郎 岡山大学学長
三島 伯之 前会長
参与として 逢沢 一郎 衆議院議員
村田 吉隆 衆議院議員
江田 五月 参議院議員
森 正人 岡山県議会議長
宮武 博 岡山市議会議長
永島 旭 中国銀行頭取
吉田 忠明 トマト銀行社長
福武 總一郎 福武教育振興財団理事長
加計 孝太郎 岡山理科大学総長・理事長
大藤 眞 岡山県日中懇話会会長
森崎 岩之助 岡山県日中教育交流協議会会長
豊岳 明秀 岡山県日中仏教文化交流会会長
小坂 淳夫 岡山市国際交流協議会会長
小林 保 滬友会岡山支部長
が決定した。

新春互礼会バザー売上金・・・146,600円―謝々

2.当面する活動と協議事項
協会訪中団(現在13人
 4月12日~13日・洛陽洛陽市人民政府表敬、対外友好協会、牡丹祭りに参加
 4月14日 三峡下り
 4月19日 上海―岡山

新見市信陽市友好都10周年記念、信陽市シ河区訪日団歓迎交流会に協力する(4月21日)

牡丹コンサート開催
 洛陽牡丹を通じて、絵画の交流は充実したが、今回は洛陽から牡丹の演奏家を招聘し、各地の牡丹公園や寺院等で牡丹花ミニコンサートを開き交流を深める。
 日本には牡丹の歌は無いが中国にはたくさんある。
 古筝演奏家の王小麗さんと歌手の劉暁紅さんを招待する。(4月19日~5月4日)

協会の会報「岡山と中国」発行について
 今まで毎月1回発行していたが、本年度は偶数月に1回発行する。急を要する連絡事項等は、随時いろいろな形で情報を提供する。

洛陽牡丹花ミニコンサート案内
 洛陽牡丹甲天下!(洛陽牡丹は天下一品)といわれるように、中国洛陽の牡丹花は誉れ高く、古来より多くの人々を魅了してまいりました。その伝説や民話は数え上げたら枚挙にいとまがありません。

 岡山はこの洛陽と友好都市の関係にあり、すでに21年もの間、友好交流の歴史を刻んできました。このたびその洛陽からボタンの調べを携えて2名の演奏家が来岡されることとなり、ミニコンサートを開くこととなりました。

 どうかお気軽にご来場いただき、洛陽牡丹花の音楽のひとときをお過ごしいただきますようご案内申しあげます

洛陽牡丹花ミニコンサート
とき 平成14年4月19日(金曜日)午後6時開場、午後6時半開園
ところ 岡山市オリエント美術館ホール
共催 岡山市日中友好協会 岡山市国際交流協議会
訪日団 引率者:方双建(洛陽市が維持弁公室副主任)
演奏家:王小麗(古筝)
演奏家:劉暁紅(歌唱)
入場料 500円(当日開場受付でお預かりいたします。小銭をご準備ください)
お申込方法 チケットは作成いたしませんが、事前に事務局までお電話でご参加をご通知下さい
先着200名様にてご鑑賞いただけます。(満席の場合ご入場制限させていただくことがございますのでご了承ください)
事務局


岡山市錦町5-15 南田辺ビル2階 岡山市日中友好協会 事務局 担当中藤(なかとう)
TEL 086-225-5068 FAX 086-225-5041

第二の故郷「開原」を訪ねて(1)                 中国三誌友の会会員 武田 信昭
 扶桑会(大連一中二十五回生同期会)の中国旅行に参加し、その一時を利用して、私は一人、生まれ故郷・開原(中国・沈陽奉天の北約100キロ)、母校・開原小学校を訪れた。

 2001年6月のことである。奉天の旅館を出発したマイクロ・バスは120キロの猛スピードで、一路北上、開原へ向かった。ともかく、飛ぶような速さであった。このマイクロ・バスには、私の他に、JTBが手配してくれた女性中国人女性ガイド「任宏?」さんと運転手の二人が同乗していた。

 私は美しく若いガイド嬢・任さんに挨拶した。「私は今、中国語を習っています。ですから私はできるだけ中国語で話します。任さん、誤りがあれば直して下さいね」すると彼女は「私は日本語を勉強中です。お答えは日本語でします。間違いは教えて下さい」「では、車の中で貴方は日本人、私は中国人で行きましょう…」

 期せずして2人は意気投合した。

 「実は、私は開原生まれの開原育ちです。10歳の頃、父の転勤で大連に移り、敗戦によって、日本に引き揚げ、大学を出て、65歳まで学校勤めをしました。時の流れは矢よりも早く、今、73歳、ご覧のように髪は真っ白です」「私は大連に移り住むようになってから今まで、60年以上ずっと、一度は生まれ故郷・開原を訪れてみたいと思い続けていました。今日、やっとその実現の機会に恵まれたのです。だから私は中国人よ!どうぞ宜しく!」「そうですか、貴方が一人で開原に行かれる理由がわかりました。運転手さんと力を合わせて、貴方の思い出の場所を探し当て、60年来の夢を必ず実現させてあげます」なんと心強く、嬉しい応えが返ってきたことか。

 私たちは、語学の学習という共通の目的もあって、奉天から開原までの2時間足らずを喋りまくった。人は話し合うことによって、互いに理解が深まるものである。任さんはなかなかの好人物である。

 車窓からの眺めは、一望千里の大自然、地平線まで続く高梁畠、見渡す限り視界を遮る何物もない大平原。そのイメージは多少ズレていた。

 目にする大地は、緩やかながらも起伏がある。防風林のような緑が、随所に植えられ地平線までの視野を遮る。水田だって少なくないのである。

 60年の歳月は、自然の景観とて無縁ではなかった。とはいえ、大陸の雄大さは予想通り素晴らしかった。きっと赤陽輝く…と歌われたあの巨大な夕日は今なお健在するにちがいない。

 私は、調子に乗ってなおも話し続けた。自分の生い立ちから、家族構成、中国語講座の様子、趣味のことから、ボランティアとしての残留孤児帰国者達の支援活動のことなど、話の種は尽きなかった。外国語は難しい、私は思いの十分の一も表現できないもどかしさを感じつつも喋りまくった。とめどなく延々と…。

 やがて「鉄嶺」の道路標識が見えてきた。開原はもう近い。急に当時の思い出が脳裏を駆けめぐる…。

 日曜毎に、一家4人、開原駅から汽車に乗り、奉天の満鉄消費組合にショッピングに出かけた。当時のリクリエーションだった。大人たちの買い物のお供は退屈で、特に女物の着物売り場は苦手だった。玩具売場ではよく駄々をこねた。

 そしてここは、あの忌まわしい九・一八事件(満州事変)勃発の地、「柳条湖」に近い。その日、父は生憎、病院で当直勤務だった。私は、母に連れられて、姉と隣の家の石炭倉庫に隠れた。そこの家は警察関係だったか、家の主人は、押入れからピストルを出して来た。遠くで、犬の遠吠えとともに銃声が鳴り止まない。当時3歳の恐怖の記憶は、なぜか、更に詳しく、鮮明なのである…。

 吸い込む空気の香りには、故郷の味がする。車窓の緑も雲も、「よく来たね!」「もうすぐだよ!」と優しく微笑んでいるように思えてきた…。開原が近づくにつれて、万感胸に迫り、何処からともなく涙が頬を伝わる…。(つづく)

止めよう「砂嵐」 日本にも影響、中国の砂嵐
 2008年の北京オリンピックを控え、北京では環境改善が急ピッチで進められており、その中には、砂嵐の防止も含まれている。中国政府は今年から2008年までに、砂嵐対策として568億元を投入し、今年、北京だけでも防風林造成などに10億元を投入するという。

 しかし、専門家の意見は悲観的だ。中国林業部・砂漠化防止管理センターの楊衛西氏は、「2008年に砂嵐がなくなることは約束できない。我々にできることは、砂嵐発生の人的要因を排除し、砂漠化に歯止めをかけることだけだ。」また、中国林業科学院の専門家は、「資金の増加によって状況が好転するのは間違いないが、効果が表れるまでには、数十年が必要だろう」と言う。また、ある環境問題の専門家は、「今では中国の三分の一の地域が砂漠になっている。過度の放牧や、経済活動が盛んになるにつれての人為的な破壊によるところが大きい」と語る。

 砂漠化の人的要因には、森林の伐採、過度の放牧、「髪菜」の採取などによる土地の生産力の低下、水資源の過消費などが挙げられ、さらに地球規模の温暖化や、干ばつなどの異常気象も加わる。現在、「砂漠」の面積は約168.9万k㎡で、中国全土の17.6%を占める。さらに、毎年2,460k㎡の速度で砂漠化が進んでいるという。

 先の全人代でも、「砂漠化問題」が取り上げられ、各地の代表が政府に早急の対策を促した。主な内容は、植林によって、北方からの「砂の来襲」を阻止する「緑の長城」を作るというものだ。

 日本でも昔から、中国の黄土地帯の砂が偏西風に乗って運ばれてくる「黄砂」は春の風物詩だったが、量と地域が急激に拡大している。そのため、日本でも中国の環境問題が深刻に受けとめられ、日中共同の植林などのプロジェクトも進められている。また中国では、3月12日は全国植林の日に定められている。(週間「中国語世界」より)

ちょっとチャット(13) 中国人留学生の「バイタリティ」          協会会員 米倉 義文
 天津出身の王さんの身元引受人になって14年目の秋のある日、王さんの奥さん栄さんから電話で住所変更の報せが入った。

 「鉄筋コンクリート5階建住宅を取得し、引越しすることになった」とのことであった。

 王さん夫妻は、来日当初岡山に住み、岡山大学留学生として学んでいたが、その後、天津との姉妹都市神戸へ転居し、神戸の大学で勉学をすることになった経緯がある。

 岡山在住当時は、よくお互いの家を訪問し親睦を深めていたが、神戸へ転居してからはやや疎遠気味となり、元気で暮らしているかと平素気になっていた矢先のことである。

 電話で話をしているうちに驚いたことには、日本人でも鉄筋コンクリート5階建ての土地・建物を取得することは並大抵ではないのに、来日14年程で購入したというのである。

 取得資金の一部は銀行ローンとのことだが、それにしても凄い!ローンの方は、3、4、5階の賃貸収入で返済可能とのことで、あとは生活費の問題が残るそうだが、宋さんの大学での教師の収入と今後、王さんが計画している中華料理店経営で夢の実現を図っていくということだった。1階部分を店舗として改装し料理器具等は天津で調達し、「頤王閣」と命名し待望の開店を2月11日にこぎつけた。

 王さんの経営方針は先ず、「天津小籠包子」をメインにした料理で始め、軌道に乗った際はメニューを増やしていくという頼もしい話に私も妻も嬉しくなった。

 「小籠包子」は、戦前大連在住の人たちには天津包子として懐かしく想い出深い食べ物の一つである。日本語流で説明すると一口サイズの肉饅というところだが、蒸器で蒸し上がったホカホカの包子は郷愁一入の味覚である。

 岡山当りではなかなか賞味できない昨今なので、孫たちが春休みになったら是非家族共々訪問したいと心待ちにしている。

 場所は神戸市垂水区清水ケ岡3-2-13 電話078-785-9834
 
 会員の皆様も舞子方面(西岡橋近く)へお出かけの際は是非「頤王閣」の天津小籠包子をご賞味していただきたいと念願している。

 夢と希望実現のため、人には言えぬ苦労をされたことを探察し、そのバイタリティーに頭が下がる思いと共に、深甚なる敬意を表しているところである。

活動日誌
3/14 中国三誌友の会・第108回例会
3/22 日中教育交流協議会総会
3/24 第46回中国語検定試験
3/27 洛陽市人民対外友好協会訪日団来岡表敬訪問を受ける 夜歓迎会
3/27 岡山商科大学附属高校へ「洛陽の伝説と民話」50冊寄贈
3/29 第2回理事会
4/11

中国三誌友の会 第109回例会

会員消息
【入会】
妹尾信子さん(岡山)
【寄贈】
家野四郎さんが平島小学校に中国の古代の打楽器のレプリカを寄贈した。これは、日本児童文学書4,408冊を武漢の華中師範大学に寄贈した志志目彰さんと同行した家野さんが、記念に貰ったものである。約2400年前の古代王族の古墳から出土した学期を約5分の1に復元。縦40cm、横78cm。鉄でできた編鐘、石でできた編磬(へんこ)各8個が二段につり下げられ、たたくと音階を奏でる。

中国関連消息 
「悠久」7号発行
 岡山県日中交流協議会の会報「悠久」第7号が発行された。(事務局は当協会と同じ)主な内容は次のとおり。
  1. 設立3周年を迎えて、森崎岩之助会長の挨拶。
  2. 岡山と上海の架け橋「日中女性フォーラム」について新しい教育推進課、角田みどり課長の報告。
  3. 洛陽大学 楊紅君さんの留学レポート
  4. 江西省紹介
先憂後楽
 ここ数年中国人留学生や就学生の数が急激に増えてきた。特に私立の大学では100人単位の入学も珍しくなくなってきた。

 産業界では既に中国という生産拠点が無いと成り立たない業種が多くなってきている。拠点を移さずに日本で生産しているところでも、例えば児島の繊維会社のように研修生や技能研修生という形で従事している中国人が各会社に分散してはいるものの常時300人はいるという。

 そして今、教育産業も中国なしにやっていけなくなるような危険性が出てきた。山形県の酒田短大が中国人留学生の大量失踪によって今年度募集が出来なくなり、廃校の危機にさらされている例は他人事ではなくなっている。県内の大学の中でも日本人より中国人留学生の数が多い学部も存在していると聞く。

 中曽根元総理大臣の時に10万人留学生受け入れを呼びかけてはみたが、それほど増えなかったのがここへ来て急速に増えている。

 中国人が増えること自体は喜ばしいことで大いに歓迎しなければならない。これは前提としながら、ほどよいバランス感覚が必要となってくるのだろう。(松)


「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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