2002年12月
平成14年12月
  158号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
年頭のご挨拶
岡山市日本中国友好協会 会長 片岡 和男
 皆々様には新年をお迎えになり、おめでとうございます。旧年は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。昨年は日中国交正常化30周年で、国レベルにおいても色々の行事が行われました。岡山市日中友好協会も、いくつかの記念行事を催しました。4月12日に、協会訪中団が洛陽に行きまして、洛陽市政府を表敬訪問し、郭俊民常務副市長やその他幹部と会談しました。9月には、田口光代さんの信陽市シ河区栄誉区民賞授与式に参列しました。また、11月17日に、洛陽仏教交流訪日団が来岡した時、萩原市長表敬訪問に同席し、洛陽市と岡山市の将来に亘っての友好交流を話し合いました。11月30日には、日中国交正常化30周年岡山市国際フェスティバルとして、日中友好茶館が岡山市と共催で行われました。

 さて、新年度は、協会は新しい組織として脱皮を目指しています。昨年の理事会において審議致しましたNPO法人化をいよいよ岡山県に申請するはこびとなりました。これが承認されますと、4月よりNPO法人(特定非営利活動法人)として成立致します。これによって、協会は基盤が強固になり、事業活動は活発化されてくるものと思います。どうか会員の皆様方をはじめ、ご支援、ご協力頂ける多くの方々に、これまで以上のご指導を賜りますようお願い申し上げます。また、新入会の方々、再入会の方々、お若い方々のご入会を期待しております。

 そして、先輩の築かれました協会の基礎の上に、初志のボランティア精神を大切にし、岡山と中国の友好関係を更に発展親密化するよう努力したいと考えております。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

岡山市長 萩原 誠司
 新年明けましておめでとうございます。皆様には、お健やかに佳き新年をお迎えのこととお喜び申しあげます。平素から本市と洛陽市との友好親善に対するご支援をはじめ、本市の国際化事業に格別のご理解とご協力を賜り、厚くお礼申しあげます。

 昨年は、日中国交正常化30周年を祝し、両国で幅広い友好交流が行なわれました。本市においても、貴協会の多大なお力添えにより、洛陽牡丹ミニコンサートなど、いくつかの意義ある記念事業を成し遂げることができましたことを、ここに改めて深く感謝申しあげます。

 本市では市民協働のもと「国際・福祉都市」の実現を目指しているところであり、貴協会が本市における日中両国の民間交流を中心的役割を担われ、様々な分野において実りある成果をもたらしておられることにつきまして、心から敬意を表すものであります。

 本市といたしましては、引き続き、日中両国と岡山洛陽両市の友好を深め、さらに発展させてまいりたいと考えておりますので、今後とも貴協会の変わらぬご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。

 年頭に当たり、貴協会のますますのご発展と会員の皆様方のご健康、ご多幸を祈念いたしますとともに、市政の推進に一層ご理解とご協力をいただきますようお願いいたしまして、ごあいさつといたします。

2月1日(春節) 2003年度総会を開く
 岡山市日中友好協会第21次総会は、春節にあたる2月1日(土)岡山駅南の日生ビル5階会議室で開きます。行事は、午前11時から年次総会、正午から新年互礼会(八仙閣)の順に行います。互礼会の会場に恒例のバザーコーナーを設けます。バザーの出品物を提供して下さい。会員の皆様のご協力をお願い申し上げます。提供して頂く品物は会員に喜んで買って貰える日用品とか酒類、菓子類、お茶など何でも結構です。記念品贈答品の残り物も歓迎。品物は2003年1月15日までに協会事務所(南田辺ビル2階)へお届け下さい。

 互礼会の会費は、7,000円です。当日受け付けます。

第4回理事会報告
 11月19日、協会事務局で第4回理事会を開いた。議題は「NPO法人の設立について」。NPOは営利を目的としない組織である。組織の使命実現を第一に考える活動だが、使命実現のため利益をあげる取り組みもできる。ただし、利益を会員に分配することはできない。活動資金にのみ使える。解散する時に残っている資金も会員に分配することはできない。NPO法人になったらどういう善いことがあるかというと、一つは自発的な意思で無償で社会に貢献する団体であることが世界中の人々から認知されるということと、将来的には税制の面で優遇措置がとられる予定ということである。認定を受けたNPOが寄付を受ける際に、個人の所得からの控除や企業の損金への算入が認められる仕組みである。これによって寄付行為が促進され、NPO法人の活動資金が豊かになるので仕事がし易くなる。欠点としては申請の手続きが煩瑣な上、認定のハードルが高いことといろいろと規制が厳しいことである。

 理事会を、NPO法人の発起人会として、設立趣意書、定款、事業所計画書、収支予算書等について検討し、2003年2月1日の設立総会に提出する「特定非営利活動法人岡山市日中友好協会」の定款を作成した。

 2月1日の協会定期総会はNPO法人の設立総会にある予定です。是非ご参加下さいますよう、今からお願いを申しあげます。
略称(愛称)募集
 正式名称の「特定非営利活動法人岡山市日中友好協会」は、長くて言い難いので、短くて適格な略称を、会員の皆様から募集いたします。これぞと思う略称を一つ郵便ハガキに書いて、協会事務局まで送ってください。
 締切は、2003年1月15日必着。採用の名称(多数の場合は抽選)には、賞品を差し上げます。

洛陽市仏教文化交流訪日団
 洛陽・白馬寺の釈印賢監院を団長とする洛陽市仏教文化交流訪日団6名が、11月18日来岡し、萩原誠司岡山市長を表敬訪問した。席上、顧問として一行に加わって来日した劉応安洛陽市人民政府副市長は、岡山市と台湾新竹市との友好提携について触れ、同じ中国人である台湾と友好を深めることに反対するいわれはないので、民間人どうしの交流は問題ないが、政府機関の提携に対しては、中国政府は非常に敏感になっている。表記方法を誤らないようにしてほしいと述べた。これに対して、萩原市長は、日中国交正常化の際の「中国は一つ」の基本理念は堅持していくと答えた。夜は、協会主催の歓迎会に臨み岡山の仏教界の人々と交流を深めた。

岡本誠一先生のご逝去を悼む
 范曽美術館副館長の岡本誠一先生が10月29日逝去されました。岡本先生は長く教育界に奉じられ、退職後両備バスの顧問として勤務され、范曽美術館の設立準備責任者として奔走されました。当時、協会は美術館を運営する両備の財団と協力して、岡本先生とともに大使館との折衝や中国との交渉にあたり、3年の準備期間を経て、1984年正式の范曽美術館がオープンしました。先生は書道に造詣が深く、中国の美術界にも多くの友人がいて、日中間の書道、絵画交流に大きく貢献されました。ここに謹んで先生のご冥福を心からお祈りいたします。

 葬儀に際し、中国書法協会副主席の劉炳森氏から左記の追悼文がご遺族に寄せられたので全文掲載してご紹介します。

驚聞岡本誠一先生仙逝、不覚熱涙沾襟。先生生前熱心致力中日両国文化友好交流合作、令人十分敬仰、十分懐念。謹向尊夫人表示親切慰問、併為先生祈祷冥福。
劉炳森 敬悼於北京 2002年10月31日

驚きをもって岡本誠一先生のご逝去の報をお聞きし、熱い涙が流れるのを禁じ得ません。先生は生前日中両国の文化友好交流に熱心に尽くされ、多くの人々の尊敬を受けられるとともにそのお姿が偲ばれます。
ご夫人に対しまして謹んで衷心よりお悔やみ申しあげ、併せて先生のご冥福を祈念申しあげます。
劉炳森 北京に於いて謹み追悼します。
                                                      
                                                (松井三平)
岡山ふれあいフェスティバル2002~日中国交正常化30周年記念~ 日中友好茶館開かる
 日中国交正常化30周年を記念する今年最後のイベント『日中友好茶館』が、岡山市日中友好協会・岡山市国際交流協議会・岡山市の主催で、11月30日、岡山済生会ライフケアセンター「やすらぎホール」で開かれ、約200人が参会して盛況裡に終わった。お茶文化は、まさに日中文化交流の中心と言っても過言ではない。国清寺方巖流・白雲会主宰の伝統的な日本茶道・煎茶(指導・田口光代)と、杉本博子、綾野冨美子共同主宰の現代的な中国茶表演があった。参会者は、ゆっくりとお茶を楽しみながら、お茶文化を通じた日本と中国の交流に思いを馳せ日中友好を語り合った。

お茶の伝来と日中友好
 午後1時から、洞富美男協会理事の『お茶の伝来と日中友好』という題の講演があった。その一部を紹介する。

 近年岡山でも何軒か中国式の茶館が開店していますが、みなさん行かれましたか?私は仕事の関係で各地にまいりますが、全国的に中国茶の茶館は大流行です。20数年前ピンクレディーのミーちゃんの「私、ウーロン茶飲んで痩せました」で中国茶が一大ブームになりました。各大手飲料会社が、こぞってウーロン茶の販売を始めました。当時、私も東京の貿易会社にいたので、ウーロン茶の輸入で大変だったことを覚えています。それから日本でも中国のお茶が一般的になり現在に至っています。今コンビニに行きますと本当にすごい中国茶の種類ですね。然し、昨今の中国茶のブームは、以前のものと違い、痩せるとかではなくひとつの文化として静かに盛り上がってきたものではないかと感じるのです。

 お茶といいますと皆さんはどんなお茶を思い出されるでしょうか。緑茶・紅茶・ウーロン茶・番茶…等々。いろんなお茶がありますが、それぞれ何の木から作られるのでしょうか。紅茶の木という木はありません。お茶の種類は違ってもみんなお茶の木から作られるのです。元はすべてお茶の木ですが、加工の仕方によって違ったお茶になるのです。

 お茶は中国から伝えられたものですから、日本と中国の往来とともにもたらされたと考えるのが順当ですが、そうなりますと2000年もさかのぼり、弥生時代・卑弥呼の時代となりますが、これは文献的に確かではないので今後の考古学の発見に任せるとして、記録としてお茶が登場するのは、「正倉院文書」の作物帳に茶の記載があり、1260年ほど昔になります。奈良時代から僧侶・貴族の間で喫茶の風習があったようです。遣唐使などによって文化としてお茶が積極的に日本にもたらされたようです。当時の文明先進国であった中国の「唐」は、平安貴族や僧侶にとっては憧れの文明大国でした。お茶の文化は遣唐使などの命懸けの熱い思いで持ち帰られたものです。お茶の代表的な言葉に「茶禅一味」というのがありますが、中国でも日本でもお茶と仏教は密接な関係がありました。

 お茶の種を持ち帰った最澄や、お茶を文学に反映させた空海などの功績は大きいのですが、やはり、ここは岡山。地元の栄西を語らなければなりません。栄西は、中国のお茶が最も発展した宋に二度渡り、茶の原点に帰り、体に良いものとしてお茶を持ち帰り、抹茶として普及させました。

 お茶が中国の先人により薬草として認められ、唐・宋時代の僧侶や文人たちによって高められ、その効能と味と香りで世界に広がり、日中の往来交流とともにわが国にもたらされ、日本文化に多大な影響を与え、日本と中国の共通の文化であるこのお茶に、改めて文化の交流の意義と大切さを私は実感しています。文化は独りで歩いては来ません。人が伝えるものです。伝える人の心によって大きな意味を持って参ります。

 お茶という素晴らしい文化を共有する日本と中国が、幾久しく良い友達でありたいと願うものです。

ちょっとチャット(16) 王燕さんの思い出                  協会理事 岡本 拓雄
 王燕さんから、11月25日に帰国するという絵ハガキを受け取った時、本の出版で忙しくしていたので送別会を開けぬまま別れてしまった。大変心残りである。

 ご主人は、一足先に帰国され、「広東汽車工業集団総公司」の要職につかれており、ご本人は、広州中山医科大学に就職予定の由、母国で安定した生活に入られることは、まことにうれしいことである。

 王燕さんは、中国第四軍医大学、第三軍医大学大学院を修了し、内科医として病院勤務をしたあと1993年に来日され、1998年、岡山大学医学部大学院で医学博士の博士号を取得された。岡大医学部の6年間の修業は、かなり厳しいものがあったようで、回顧談を聞いた時には、日本の「おしん」にも負けない辛抱強さに深く感銘を受けたものである。

 1998年から、協会内の中国語センターの実践中国語講座の講師として、日本人に中国語を教えて下さったが、その懇切丁寧な指導は、受講生から高く評価された。またその頃、協会が企画した「冬の健康法講座」の講師を快く引き受けて下さった。中国医学の基本は『病気にならないように自分で自分の健康を管理すること』にある。管理する方法は季節によって違う。冬は、冬の管理法で対応しなければならない。冬は気を養う季節であるから体力が消耗することは控える。薬にたよらないで、自分の力で病気を治す自然治癒力を高めるためにツボの刺激、指圧、マッサージを行う。耳と足のツボ刺激は特に重要である。中国では、医食同源と言って毎日の食事を大切にする。冬は、ナツメ粥。ヤマイモ粥。クコの実粥が適しているといった話と試食用に用意されたナツメやクコの実、ヒマワリの実の味が印象に残っている。

 王燕さんに関連して忘れられないのは、ひとり息子の劉●(石が3つ)君のことである。来日した時は小学校5年生で、日本の学校でいじめにも合ったようだが、よくがんばって、中学1年で作文コンクール1位、県の弁論大会で2位の成績を取り、操山高校では剣道部で活躍し、国立東北大学の剣道部を慕って推薦入学で合格した優秀な息子である。(劉●(石が3つ)君についてもう一度会報103号、132号をご覧頂きたい)

 劉●(石が3つ)君が仙台に行ってしまった時、今後どうされますかと尋ねたら、「息子の生活が安定したら帰国するつもりです。」と答えられたが、ようやくその時が来たのであろう。

 王燕さんは何時も「日中友好の架け橋になりたい」と言っておられた。私も同じ心である。広州市と岡山市と住む所は遠く離れたが、心は一つに結ばれている。今後とも、ともどもに日中友好交流のため力を尽くしたいと思う。

活動日誌
10/10 中国三誌友の会、第113回例会
10/17 会報第157号発行
11/15 郭林新気功、講演と実技指導の会
11/18 洛陽市仏教交流訪日団歓迎会
11/19 協会第4回理事会
11/19 田口光代さん、名誉区民賞受賞祝賀会
11/30 日中友好茶館済生会ライフケアセンター
12/1 「悠久」第9号発行

【ご寄付】
故岡本茂子さんのご遺族 高尾佳子さんから香典返しの一部 10万円。

中国関連消息 
【新任】
上海市人民対外友好協会会長に副市長の周慕尭氏が就任することになった。

中国映画案内 『至福のとき』
 世界を魅了する巨匠チャン・イーモウ監督が「あの子を探して」「初恋のきた道」に続いて贈るしあわせの三部作最終章の公開が決定し、2003年1月11日から2月14日まで、シネマクレール丸の内で上映される。
 *上映時間…1月中①13:30~ ②16:00~ ③18:30~ 2月中①11:00のみ
 *前売り券1,500円。協会でも取り扱っています。月曜メンズデー、水曜レディスデーで1,000円。

先憂後楽
 日中国交正常化30周年が終了した。この1年間政府や民間による大型の交流団や芸術交流など多彩なイベントが繰り広げられた。協会でも記念訪中団や日中茶館などが取り組まれ、また、岡山県でも江西省との友好県省提携10周年行事として訪中団や『平成の遣唐使』が企画されるなど、2002年は日中交流促進年であった。

 在留中国人の増加や経済関係の緊密さなど日本と中国との関係は深まりこそすれ希薄になっているというデータは見当たらない。

 中国では、広東汽車公司で製作される本田との合弁車アウディが30万元(約450万円)もするのによく売れていると言う。日本人の礼儀正しさや勤勉さなどは多くの中国人に評価されている。政府開発援助(ODA)も継続して行われている。

 しかし、中国科学院日本研究所が最近行った世論調査によると、日本へ親しみを感じると答えた中国人は5.9%しかない。感じないは43%、普通と答えたのは47.6%という。大変ショックな結果だが、直視しなければならない現代中国人の意識である。

 歴史問題に対する日本の態度や、靖国神社への首相の参拝などが親しみを感じさせない理由だと同研究所の蒋立峰所長が分析している。いったいいつまでこの問題をきちんとしないまま放置しておくのだろう。全ての関係者に国交正常化のときの約束事である共同声明の条文を一字一句熟読してもらいたいものだ。

 協会もNPO法人登録準備に入った。本年も新しい気持ちで会員の皆様に導かれながら日中友好の大道を歩んでいきたい。(松)

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