2003年4月
平成15年4月
  160号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
「平成の遣唐使」報告会開催される
平成の遣唐使報告会1 平成の遣唐使報告会2
開会の挨拶をする黒瀬会長
「平成の遣唐使」報告会
 3月9日、岡山県生涯学習センターにおいて、昨年12月に岡山県が友好提携10周年記念として江西省に派遣した県内の教員、教員OB、大学生からなる教育ボランティア「平成の遣唐使」訪中団の報告会が開催された。主催は岡山県日中教育交流協議会で、協会は後援団体として協力した。当日は協議会会員や岡山県の関係者ら約50名が参加し、現地での活動報告に熱心に聞き入っていた。

 開会に先立ち協議会会長の黒瀬定生氏が挨拶し、民間と行政とが協働して実施した意義は大きいと評し、今後も継続した事業として展開していければと希望した。また、派遣団体である岡山県の国際課長の中村裕一郎氏は、今後県が実施する国際交流のヒントになったと事業の成功を評価した。

 報告会は津山市立広野小学校の神田進校長(当時)が進行し、岡山大学教育学部学生の青野美樹さん、岡山市立石井中学校の大川泰栄教諭(当時)が順次発表。口々に中国の生徒の目が輝いていたことなど、学習意欲に満ち溢れている学校の状況を報告した。

訪問団員レポート                          岡山大学教育学部 青野 美樹
筆者写真  今回私たち12人―小中高の各学校に勤務経験のある、または在勤中の先生方、教師を目指す大学生、企画運営担当の事務局の方―は、教育ボランティアとして江西省に赴き、岡山県と中国江西省の友好交流のために現地の小中学校で授業をするなどの交流を図りながら、7泊8日という長いようで短い時間をすごした。以下、事業の詳しい流れを時間の経過に沿ってレポートしたい。

 第1日目は移動に大半の時間を費やした。しかし、そのわりに団員に疲れの色が見られなかったのは、空港での移動や手続きなどの段取りが事前にきちんと組まれており、無駄な待ち時間がなくスムーズであったためと思われる。今から振り返れば、このことは、明日からの日程を滞りなくこなすために重要であったと考えられる。

青野美樹さん
 第2日目の表敬訪問では行く先々で来訪を歓迎していただき、われわれの方も教育機関や大学の様子が生で拝見できたり、質問に答えていただけたりしたので、この交流が相互理解を深め、交流を図る上で大変有意義なものであることを改めて実感した。

 表敬訪問の後で、明日からの授業の打ち合わせのため、南昌大学の日本語学科の学生の元を訪れた。学生たちは日本語が大変上手で友好的であると同時に、数少ないこの日中の学生を含めた交流というチャンスを逃さず、様々な多くのことを学び取ろうとしているのが伝わってきた。もちろん私たちも与えるのみならず、新しいことを吸収したいという姿勢でいるのだが、彼女たちも強い関心と意欲を持って取り組んでいることが大変うれしく感じられた。

平成の遣唐使
右端は筆者
 第3日目は中学校で授業を行ったが、日本とは異なる点をたくさん見つけ、大変新鮮だった。まず、生徒の目が違った。途中で休憩を挟むとはいっても授業をした90分の間私語もなく、姿勢もよく、教師の問いかけにたいして大変よく反応し、新しい知識に対してはノートをとる、ということを当たり前に行っている。一つの教室に80人近くの生徒がいるので、隣の生徒同士で私語しやすく、教師の管理も大変なはずだが、生徒の勉学に対する考え方や姿勢が違うため、日本だと考えられないようなすばらしい教室環境になっていた。これは第4日目に授業をした小学校にも言えることだ。

 私たちが行った授業は、暗記のための知識を教える授業ではなく、交流を中心としたもので、教師と生徒との距離は近いものであったように思う。このような授業はおそらく中国の普段の授業では少なく、より興味を持って私たちの授業を聞いてくれたのではないかと感じた。
豫章中学校での授業  第5日目は江西師範大学を訪問したが、学生との交流が引き続き衝撃的なものであった。交流会では互いに質問を投げかけあったが、日中の大学生の勉強の様子や普段の生活の様子を比較すると、ここでもまた勉学に対する意識の大変な差を感じずにいられなかった。基本的に中国の大学生は"学ぶ"ことを中心とした生活を送っており、そこには本来あるべき姿があった。日本の大学生で、これほどまでに自分のしたいことがはっきりしており、それにむかってするべきことをしている学生がどのくらいいるだろうか。中国の学生にできて日本の学生にできないわけはないので、これをいい刺激として今後の生活をもっと実りのあるものにしていいかなければならないと切実に思う。
豫章中学校での授業
 結果として、この事業は日中にとって大変意味のあるものにすることができたと思う。これも本番当日に向けて各自が万全の体制で準備を整えてきたためであろう。今回の訪問のよかった点は、大きく挙げると学生も交えた交流ができたこと、教育を通じて相互理解が深まったことだが、それにつながる大切なポイントとして人とかかわる時間が多く持てたことが挙げられると思う。今後もぜひこのような交流の機会が持ち続けられることを望むが、その際も、このポイントを考慮して交流がなされていくと大変有意義なものになると思う。

「岡山県・中国江西省友好提携締結10周年記念事業「平成の遣唐使」訪中団報告書」より

『人民中国』創刊50周年に寄せて         中国三誌普及委員長・協会理事 小路 廣史
 来る6月6日、人民中国雑誌社は「人民中国」創刊50周年を迎え、盛大な記念式典を人民大会堂その他会場(北京)で開催するとのことで、当協会会長と協会所属の岡山中国三誌友の会へ招聘状が届いた。そこで会長始め岡山中国三誌友の会会員有志が訪問する予定である。

 同社は1953年6月に創刊、中国で唯一発行される日本語雑誌として、今年で50周年を迎え通巻600号を数えた。同誌は毎月発行し、日中の民間友好交流に視点を置く中国の情報誌として気軽に読める雑誌だ。しかも政治色がないのが好ましい。イデオロギーに関係なく、雑誌を通じて日中友好人士の輪を拡げるのが同社の方針とのこと。

 そのため中国に関心のある人達にとって、新鮮な中国知識の吸収媒体として全国各地で愛読され、中には愛読者のグループもある。協会所属の岡山中国三誌友の会もその一つとして15年前誕生した。

 協会の中国三誌普及委員会が中国三誌友の会を結成して以来15年の間、協会会長始め三誌会員と人民中国雑誌社の幹部は互いに訪問を通じて交流を重ねて来た。

 50周年というと半世紀にわたる輝かしい成果と歴史を持つ。今回の祝賀式は殊に記念すべき式典になるだろう。

 1993年に、創刊40周年祝賀会が西苑飯店(北京)で挙行された際、協会から岡山中国三誌友の会代表団8人を祝賀のため派遣し、三島会長の祝賀メッセージを式典会場で披露した。その時に通訳をしたのが現在の王衆一編集長であった。王編集長は度々来岡して協会と交流し、紙面につき意見を交わしている。

 40周年記念行事で思い出されるのは、主賓に中国国務院高官、中日友好協会幹部等、日本側から駐中国日本大使館、東方書店等、中国内外の出版関係団体代表が、それに日本各地の読者代表団をはじめ、ざっと300人ぐらいが出席していたようだ。なお、創刊号からの読者が一人招待されていて感謝状を受けていたと思う。ご老体だったが、若しご健在なら今回もご出席だろう。

人民中国創刊40周年祝賀会
岡山三誌友の会代表8人が
「人民中国」創刊40周年祝賀会に参加した
 また、同社の副社長だった于明新氏が協会と親しい交流を重ねた関係から、到着時から手厚い接遇を受けた。私たちには主賓席に並ぶ席が設けられて晴れがましく感じた。

 会場で中日友好協会副会長の林林氏にお会いした。氏は日本に留学されたこともあって流暢な日本語で話された。また中国漢俳協会会長(漢俳とは中国語を使って俳句を作る)としてご活躍と伺う。

 北京滞在中は人民中国雑誌社の社員諸氏の好意で北京内外の歴史遺産を参観できる機会に恵まれた。何時もながら読者を大切にする同社の方針に感銘を受けた。また一般の読者と出版社の直接交流は日本では考えられないことだ。

 半世紀を日中友好の橋渡しとして歩み続けた人民中国雑誌社の偉業にエールを贈るとともに、将来に向かい一層の充実、前進を期待したい。

洛陽人民政府訪日団が岡山市を表敬訪問
 3月27日、洛陽市から副秘書長の王鳳民氏と外事弁公室の方双建氏が来岡した。28日には岡山市役所を訪問し、菱川助役と懇談。22年に及ぶ友好都市交流を継続し発展させていくことを双方確認した。続いて議会を訪問し、宮武博議長、楠木忠司議員らの歓迎を受けた。岡山市議会として今後、洛陽市の議会にあたる人民代表大会との交流を更に進めていくことなどが話し合われた。一行は、岡山市の歓迎昼食会に臨んだあと、交流している岡山後楽館高校、綾南小学校、平福小学校を訪問し、本年の交流計画などについて話し合った。

「ベンチャー企業誘致セミナー in 大連」開かる
 3月18日、中国・大連において、岡山県主催による「ベンチャー企業誘致セミナー in 大連」が開催され、東北三省(遼寧省、黒龍江省、吉林省)から200余名のIT関連企業が参加し、成功裏に終わった。

 岡山県では高速情報インフラを背景に、IT関連企業を育成するため、インキュベーションセンターを開設しており、中国でも最も情報産業が集積している大連で誘致や合作を目的としたセミナーを開催したもの。このセミナーには岡山県から商工労働部の青井賢平次長(現、部長)を団長に県下のIT関連企業などから15名が参加して、プレゼンテーションや商談会を実施した。
大連のITセミナー
大連で岡山県主催のITセミナー開催
会場の大連希爾頓賓館には開催時間の10時が待ちきれず、遠くはハルピンとかチチハルなどから来た参加者が列を成し、商談の時間には各ブースに人だかりが出るほどの盛況ぶりだった。大連はハイテク団地やソフトパークなどが整備され、日本語ができる人材が多いことなど、日本との合作に強い関心を寄せている。今夏には逆に大連からの訪日団が予定されるなど、今後の経済交流に熱い期待が寄せられる。

岡山商科大学附属高校(商大附属高校)に新たに4名の留学生来岡
 3月21日、洛陽市から4名の高校生留学生を含む9名の訪日団が岡山空港に降り立った。

 一行は協会と岡山商科大学附属高校の招聘により来日したもので、洛陽市人民政府外事弁公室の方双建主任を引率者として、2名の卓球選手と2名のサッカー選手、そして中国足球学校洛陽分校の李波校長ら関係者らによる構成。引率団は、滞在中、商大附属高校での歓迎行事や交流会に参加し、瀬戸大橋などを参観し24日離岡した。

 商大附属高校は昨年初めてサッカー選手4名を受け入れており、今回の訪問で8名の高校生が学ぶことになる。夏には短期海外セミナーを洛陽に派遣する計画もあり、友好都市洛陽との教育交流が着実に進んでいる。

私と岡山(27)                                       楊 ショウ娟 
―来日はいつですか?
楊:1996年10月です。

―どんな目的で来られましたか?
楊:高校生の時、日本は高度成長期で、テレビで頻繁に日本企業についての番組を見ました。そして日本経済に興味を持ち、勉強したいと思いました。

―日本人についてどう思いますか?
楊:あまり感情を表に出さないので、何を考えているのかよく分からない時があります。でも言った事はよく守ってくれると思います。台湾ではとても親しい人の言うことしか信じません。いつも他人に対して警戒心を持って接しています。一度何かしてあげるといつまでも感謝してくれるのも日本人の特徴だと思います。台湾人はそうしませんね。

―大陸の中国人についてはどうですか?
楊:資本主義国と社会主義国という社会体制の違った国で生活しているので、考え方が違うのは当然のことですが、一緒に生活してみて最初のうちはよくトラブルがありました。みんなの物は自分の物、自分の物は自分の物といった感じで学校の物を使います。日本の生活が長い人達は資本主義に馴れたのでしょうか、そういうことはしませんが、きっと悪気無くしているのでしょうね。

―日本語はどうやって勉強しましたか?
楊:日本に来る前も少し勉強していましたが、全く話すことは出来ませんでした。日本に来て何処へ行っても日本語が耳に入って来るという環境もありますが、毎日テレビやラジオで会話を聞き、それを真似る内にだんだんと話せるようになりました。

―帰国後の予定は?
楊:日本語教師になりたいです。出来れば友好の架け橋になり、日本の文化や生活習慣を多くの人に知ってもらい、実際の日本を理解してもらうよう努力するつもりです。

―中国語の勉強の仕方についてアドバイスを一言
楊:中国語の音をカタカナで表さない方がよいと思います。いつまでたっても上手な発音になりません。中国語を日本語に訳す時、一つ一つの単語の意味を考えるよりも、自然な日本語になるように訳して下さい。会話についてはとにかく話して下さい。少しぐらい違っていても通じます。

中国テレビ ドキュメンタリー「中国・ロバの郵便配達」         協会理事 小路 廣史
 日中共同取材「山岳郵便配達」のドキュメンタリーを観た。四川省木里チベット自治区の郵便配達人だ。ロバ2頭に100キロの郵袋を積み、片道260キロを往復するのだ。この間3,000メートル級の峠を越え、断崖絶壁の道もあり、途中の少数民族部落に郵便を届ける。受取人の中で文盲の人には読んで聞かせることもある。

 片道2週間のうち、山間地での野宿が半分、山賊や狼に襲われることもあり、護身用のナタは手放せない。親子2代の職務だそうだ。

 そこで中国映画「山の郵便配達」を思い出した、映画も困難な仕事の中で人民に奉仕する健気な郵便配達人の物語で感動したものだ。ドキュメンタリーの内容と共通した部分が多くあり、親子2代、映画では道案内の犬と、配達先の少女との仄かな愛情交換が脚色されている。ドキュメンタリーは現実であり、いずれにしても中国の険しく交通事情の劣悪な山岳地帯で困難を伴う仕事に従事する郵便配達人の苦労に同情した。

新刊紹介 『魯迅事典』 藤井 省三 著(三省堂発行) ¥2,800
 2003年は、魯迅生誕122年に当たる年である。魯迅は、55歳の生涯であったが、その後の中国にも測り知れない大きな影響を与えてきた。魯迅を抜きにして、現代中国を語ることはできない。

 魯迅は1902年に日本に留学し、7年もの長い青春の日々を過ごした。そして作家として登場すると忽ち世の注目を集め、現在では完訳の邦訳全集が刊行され、中学校国語の全教科書にその作品が収録されている。日本人は魯迅をほとんど国民作家として受け入れてきた。

 本書『魯迅事典』は、魯迅を複眼的に読む事典である。

○第1部は、魯迅とその時代。
(1)紹興時代 (2)東京時代 (3)北京時代 (4)上海時代

○第2部は魯迅の作品。
(1)小説ほか『吶喊』『彷徨』『故事新編』『朝花夕拾』『野草』
(2)随筆(雑感集)『熱風』『華蓋集』『華蓋集続編』『墳』『而巳集』『三閑集』『二心集』『偽自由書』『南腔北調集』『准風月談』『花辺文学』『且介亭雑文末編』『集外集』『集外集拾遺』『集外集拾遺補編』
(3)その他『両地書』『中国小説史略』

○第3部は魯迅をめぐる人々
(1)中国 (2)日本 (3)アジア

○第4部は魯迅を読むキーワード
(1)翻訳 (2)児童文学 (3)美術 (4)映画 (5)中国医学

○第5部は魯迅の読まれ方
(1)中国 (2)香港における魯迅 (3)台湾における魯迅 (4)シンガポール (5)ヨーロッパ (6)韓国 (7)日本における魯迅

○資料編
・魯迅読書ガイド ・参考文献一覧 ・魯迅年表 ・索引 ・あとがき

 以上のような構成で編纂されている。

 第1部「魯迅とその時代」は、伝統文化に富む紹興に生まれ、新興国民国家の"帝都"東京に留学し、"文化城"北京で作家の道を歩み出し、そして厦門・香港・広州を経て東アジア最大の国際都市上海で世界的作家へと成熟していく魯迅の生涯を、これらの諸都市の歴史とともに描き出している。

 第2部「魯迅の作品」では全小説作品をはじめ、各エッセイ集などに対し、最新の資料を用いて解説がなされている。

 第3部「魯迅をめぐる人々」では、母の魯瑞、本妻の朱安、弟・周作人の日本人妻・羽太信子らにも焦点を当てている。

 第4部「魯迅を読むキーワード」では、魯迅が影響を受けた外国文学やSF小説、児童文学のほか、日本の挿絵家蕗谷虹児やハリウッド製ターザン映画への深い関心や、中国医学に対する屈折した情念を探っている。

 第5部「魯迅の読まれ方」では、まず中国における中華民国期から毛沢東時代・鄧小平時代を経て現在に至るまでの読書の歴史、評価の変遷を紹介している。その際、単に文芸界や研究者による批評ばかりでなく、魯迅を国民作家、そして共産党の聖人へと押し上げていく社会的政治的力関係に注目し、出版社や書店、国語教科書、国語教室など読書市場、読書の現場も検討対象に加えている。

 また中国語圏である台湾・香港・シンガポールおよび韓国における受容のそれぞれの特異性にも注目している。あわせて欧米における魯迅研究も紹介している。そして日本における魯迅留学期から1970年代に至るまでの魯迅受容を概観し、80年代以後の魯迅論は資料編「魯迅読書ガイド」で紹介している。

 魯迅文学を20世紀東アジア文化交流史の視点から描いた事典は、日本で最初の試みであるばかりでなく、中国や東アジア諸国でもこのような事典は未だ刊行されていない。魯迅を通じて日本・中国・東アジアこの100年の歴史を考える一つの大きな手がかりになる事典である。(岡本拓雄)

ちょっとチャット(18) 日中学院で中国語を学ぶ               協会会員 笹野 佳子 
 私は1985年8月から86年7月までの1年間、協会派遣留学生の第1期生として、中国・洛陽大学で中国語を学びました。1年間の勉強で、日常生活の中国語を聴いたり話したりすることはできるようになりましたが、もっと深く広く中国語を学びたい気持ちを強く心の底に秘めていました。

 いよいよ学習を始めることにした時、もう一度中国へ留学しようかと思いましたが、翻訳をする時に、日本語や日本文化の知識が重要なことに気づいていたので、それとの兼ね合いを考えて日本国内で学習することにしました。
筆者写真
文化祭で太極拳を演じる筆者
 関西地区で、良い学校が見つからなかったので、東京の専門学校「日中学院」を選びました。本科2年、研究科1年の制度がありました。私は本科2年生の編入試験を受けて合格しましたので、本科を1年間と研究科を1年間計2年間(1994年~96年)ここで、みっちり中国語を学ぶことが出来ました。

 この「日中学院」は、昭和26年に創立された古い歴史を持ち、創立以来、学院長に倉石武四郎先生、藤堂明保先生、安藤彦太郎先生など、中国研究の第一人者を初め有名な教授陣と約半数の中国人の講師で中国語の普及に努めています。その上、文化、社会、芸術、太極拳などの講座も開設して、教養ある人材の育成を目指しています。

 本科は、1学年3クラスで約60人くらいです。高校卒の学生が最も多く、大学を卒業したあと入学した者、私のように社会人になって入学した者、主婦などバラエティーに富んだクラスでしたが、年齢の差を越えてみんな仲良く楽しく勉強することができました。

 この学院の特徴の一つに、本科2年生の時に中国へ短期留学(必修)があります。5月下旬から約1ヶ月間、中国・北京語言文化大学で、語学研修がありました。中国の現地で、会話、聴解を中心にした授業を受け、これまでに培った語学力を試す機会に恵まれました。

 自由な時間に街を散歩したり、大学の近くのホテルでクラスメイトと過ごした経験は、一生忘れられない思い出となりました。

協会消息
中国三誌友の会定例会の開催日を4月から下記のように変更します。
 偶数月・・・毎月第2日曜日に
 奇数月・・・毎月第2土曜日に
   (いずれも正午から2時間) 於・八仙閣

【入会】
徳田義昭さん(岡山市福富西)
斉藤文子さん(岡山市下伊福本町)

活動日誌
3/13 中国三誌友の会、第117回定例会
4/13 中国三誌友の会、第118回定例会
中国関連消息
中国映画案内 『小さな中国のお針子』
場所 シネマクレール丸の内館
日時 4/12~4/18 ①13:30~ ②16:00~ ③18:30~
4/19~4/25 ①13:30~ ②16:00~
料金 前売 1,500円  当日 1,800円
あらすじ 1971年、中国。文化大革命の嵐が吹き荒れる只中、医者という知識階級を両親に持ったため、青年ルオとマーは、反革命分子の子として山奥深くの村に送り込まれる。農村の厳しい労働を通して、「再教育」を受けるためだ。けわしい山々に囲まれ、空まで届きそうな石段のこの村は、文明と呼ばれるすべてのものから隔離され、時間が止まったような不思議な空間だった。そこで、ルオとマーは、村で唯一の仕立屋の孫娘である美しいお針子に出会いたちまち恋におちる。恋人となったルオが語り聞かせるバルザックの小説に、すっかり夢中になる。瞳は輝きをさらに増し、見知らぬ世界を夢見始める。いつしか、本が、自分の人生を変えることになろうとは、まだ知らずに・・・。

先憂後楽
 重症急性呼吸器症候群(SARS)という名の非典型肺炎が、香港、広東を中心に拡がり、4月2日にはWHO(世界保健機構)が、そして3日には日本外務省が、地区を広東省と香港に限定して渡航自粛勧告を出した。

 中国全土への自粛要請ではなかったのだが、上海その他の方面へも渡航が自粛され、キャンセルが相次ぎ、航空会社や旅行業界に大きな痛手となっている。

 3月中旬に大連で実施された岡山県の「ITセミナー」に添乗して帰国した時、肺炎は大丈夫か?と知人に言われ、日本で大きく報道され始めたのを知った。また、洛陽から3月末に来日中の人も、このことは広東の問題でその他には関係ないと言っていた。
 
 なんでも情報公開すれば良いというのもおかしいが、正確な状況把握とすばやい対応をしないと不安ばかりが醸成されていわゆる風評が先行してしまう。この点で今後の中国政府の断固とした措置が求められる。

 ただ、アメリカの対応のように中国全土への渡航自粛勧告を早々に出したり、全土を隔離せよという過激な一部の意見を新聞に掲載したりする対応は厳に慎むべきであろう。

 イラク戦争や今回の感染症など、われわれの力の及ばぬところで起きている事態だが、すべて生活に直結している。1日も早く平和な日が来るのを切望する。(松)


「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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