2005年4月
平成17年4月
  172号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
以民促官(民は官を促す) 協会の友好交流活動深まる        協会会長 片岡 和男
洛陽への技術研修生元気に出発
 岡山市・洛陽市の友好都市締結から来年で、25年になります。その間の技術研修生の派遣は岡山市国際課より頂いた資料によれば、平成5年より12回、計31人であり、目的は、主に中国語の研修で、2名は中国書道です。また、受け入れは同資料によれば、昭和57年より平成16年までに、15回、計54人になります。目的は医学7名、工学14名、環境問題、農業、美容などです。

 今年度は2月16日に派遣研修生の選考があり、岡山市枠1名、協会枠1名で、小原幸さんと犬飼真由子さんが選ばれました。3月14日に2人は私たちとともに、萩原誠司岡山市長を表敬訪問し、市長より岡山市民を代表して両市の友好に尽くし、しっかり勉強してくるように激励されました。小原さんは、山陽学園大学3年生で、現在、中国語、中国の歴史、文化を勉強しており、ますます中国に興味が湧いての出発となりました。犬飼さんは現在、保育士として勤務していますが、中学3年の時、洛陽にホームステイしたとき、その家の同年代の子が日本語を話したことに刺激され、中国語研修をつづけ、中国と日本の子育てについて勉強したい意欲をもって行きます。

 3月24日には、山陽新聞にこの記事が載りました。そして3月25日、岡山市国際課より渡辺課長補佐は私たちとともに、岡山空港で見送っていただきました。上海には、洛陽市より迎えの方がおいでになり、列車で洛陽に向かいます。私は洛陽の劉典立対外友好協会会長および方双建副会長に文章を書き、受け入れのお願いと研修の施設である洛陽大学によろしくとの伝言を託しました。また、山陽新聞の記事も同封しました。10月に訪洛できれば彼女らに会うことができるが、来年3月には立派な成果を持って無事帰国することを祈っております。
洛陽への技術研修生出発1 洛陽への技術研修生出発2
出発前 萩原市長表敬
出発直前 2人とお母様

洛陽よりの看護師 順調に研修すすむ
洛陽からの技術研修生1  昨年11月から、洛陽より技術研修生として来ていた看護師さん2名(張淑梅、鮑静)は日本語のレクチャーを受けた後、済生会ライフケアセンターにおいて、老人看護、介護の研修を行っております。研修の内容は入所者の健康チェック、生活、食事、歩行の手助け、清拭、入浴、排泄の介助、リハビリの援助などであります。2人とも、日本語は上達し、会話にあまり不自由なく、職員の方々、老人の人ともうちとけて、楽しく研修を続けております。
張さん、鮑さん 食事の介助

 昨年末には、忘年会、餅つき大会、年始には雑煮、おせちを頂き、ひな祭りには看護師長さん持参の着物を着せてもらって、よく似合い、お茶会で入所の方に抹茶を振舞っていた姿は良い記念でありました。また職員の方たちに、後楽園、岡山城、瀬戸大橋、倉敷、チボリ公園、姫路城へも案内してもらい、また、家族ぐるみで付き合ってもらったりして、真の国際交流、日中友好がおこなわれているようです。

 5月よりは済生会総合病院に移り、一般・高度医療の看護の研修をすることになっております。そして、広い意味での勉強をして、立派な成果をあげて、11月には帰国すると思います。なほ、この研修は岡山市・洛陽市友好都市の交流事業で、岡山市日中友好協会が招聘したものですが、予算は岡山市・国際交流協議会よりご援助いただいており、深く感謝いたしております。
洛陽からの技術研修生2
ふたりの日本着物姿

郭沫若の書 寄贈を受ける
 3月7日、日本漢詩文学連盟理事藤原憲市様より郭沫若先生の書が協会に寄贈されました。同日、協会事務所において藤原様に感謝状を差し上げました。

郭沫若の書寄贈
 郭沫若先生は皆様もよくご存じのように、戦前、岡山の第六高等学校に学ばれ、戦後、ご来岡されたとき、タンチョウヅルがいないと寂しいと言われ、翌年、2羽のタンチョウヅルを贈ってくださったのは感激的なことでありました。昭和31年に訪中した県学術文化視察団に、郭沫若先生が書いてくださった書を林秀一岡山大学教授がお受けになり、藤原様が保存されていたものでありました。この書は中国で軸装されており、「春風以放満園花」とお書きになり、六高の頃の後楽園を思い起こされたものと思われます。

 戦後60年を迎えた今年、日中友好の貴重な資料として協会に大切に保存し、皆様に見ていただきたいと存じます。文中に3月8日の山陽新聞の記事を引用させていただきました。藤原憲市様に改めて感謝申しあげます。

郭沫若の書
藤原憲市氏(左)と片岡会長(右)
協会会員 國忠征美さんが小浪底農業顧問に就任!
 小浪底鎮の雷升鎮長は桃園の開設準備を契機に今後の農林業全般の指導を依頼したいとして國忠さんに農業顧問の就任証を手渡した。年に3回くらいは来て下さい、という要請に國忠さんは「もともと栗や桃、柿などは中国からいただいたもの。今日本で品種改良されて美味しくなっているが、ここで恩返しのつもりで役に立てれば光栄」と語った。

「岡山洛陽友好桃園」開園へ! 接木の技術指導で訪問
 協会が実施している洛陽緑化協力事業の中で、地元の要望が強かった経済作物の普及について、昨年11月に植樹訪問団が洛陽を訪問した時、岡山の桃技術の協力が話し合われた。それを受け、協会は4月4日から8日にかけ2名の農業技術専門家と事務局長を洛陽に派遣し、地元孟津県小浪底鎮の政府と協力して農業関係者らに接木技術の指導と合わせ共同作業を行った。2人は以前から協会が技術指導を頼んでいる久米南町の國忠征美さんと、岡山県農林部OBの清水佐伯男さん。両氏はともに果樹をはじめとする農林業の専門家だ。

 桃園は植樹予定地に近い森林公園の中にある農地で約2反の広さ。既に300本の台木が植えられており、先に2人が接木の作業を披露した後、2人の若い農業普及員が実際にやってみた。その中の王さんは信陽林業学校を出て小浪底鎮政府の農業普及員を担当している専門技術者で、接木の経験もあり、今後の現地の指導者として期待される。約250本11品種の桃の穂木は全て日本の品種だが既に西安などに導入されていたものを使用した。國忠さんは「早ければ来年実をつけるものがあるかもしれないが、再来年には確実に美味しい桃ができるはず。土壌や気候は桃栽培に適しており、水さえきちんとやれば甘くて大きな桃ができる」と期待している。

 今年夏に協会では日中緑化交流基金に助成申請をし、長期的な協力計画をたてる。また秋には第二次植樹訪中団を派遣し地元民と汗を流す予定。協会の友好事業の大きな柱として今後の発展が期待される。
〔協会では会員の皆さんの物心両面にわたる参加を呼びかけている。事務局までご連絡ください。〕

第5回日中女性フォーラム開催される!~上海における市民協働について~
                                           実行委員 大川 泰栄
 3月17日上海市において『DV(ドメスティック・バイオレンス)』をテーマにした第5回日中女性フォーラムが開催された。これは岡山市の実行委員会(会長―高田武子収入役)と上海市婦女連、上海市人民対外友好協会とが共催したもので、岡山からは行政関係者やNPO団体の責任者ら8名が参加し、論議を深めた。今回、参加者の大川さんから感想文を寄せていただいた。(編集部)


 第5回日中女性フォーラムに、実行委員の一人として参加させていただき、3年前に平成の遣唐使事業で訪中したときからさらに発展した新たなる上海の姿を目の当たりにし、本当に勉強になりました。

 今回のフォーラムのテーマは、『DV(ドメスティック・バイオレンス)』でしたが、中国のDV被害防止対策の現状についての上海市からの発表を聞きながら、次第にクローズアップされてくるのは、「居民委員会」と「婦女連合会」の存在でした。どの「市」にも、その下部の単位である「区」にも、さらにその下位の「街道」にも、それぞれ、居民委員会と婦女連合会が組織されており、おそらくわが国の町内会や婦人会に相当するものと思われます。日本との大きな違いは、それぞれの組織の長は、中央から任命された公務員で、その人事も国が管轄していることです。各家庭の様子をこれらの組織の職員が観察し、掌握した情報を公安(警察)などに報告すると聞き、体制の違いとは言え、余りにも整然とした組織に驚かされました。

会議風景 表示 DV受理ステーション
真剣に討議する岡山からの参加者と
上海市婦女連
わかりやすい表示
上海市閔行区の派出所
(DVの受理ステーション)
 中国では、教育のみならず全ての面で、男女は平等であり、社会的な地位においても同等である、と聞かされていました。事実、働く女性が多く、ほとんどの家庭において夫婦ともに働き、子どもは寄宿舎に預けられている場合もあり、以前の教育事情視察団で同行の男性が、「母親が子育てを放棄してまで働くのか」と憤慨されていたことも思い出されます。こうした中国においても、男尊女卑という考え方に基づく原動には、根深いものがあり、DV対策が不可欠となっているようです。

 実際の対策としては、公安(警察)の力も導入しながら、問題の解決を図っているとのことでしたが、居民委員会と婦女連合会の2つの組織力を活かして、言わば「上からの命令」により問題の解決が図られており、岡山市における「市民協働で、市民団体のご協力を得て」成り立つ対策と比べて、同じ「市民の協力により」と言いながら、全く異なるものを感じました。

 しかし、中国においても、日本においても『DVは、女性に対する重大な人権侵害であり、被害者の救済を考え、女性の人権を守ろう』という点では、一致しており、大変喜ばしいことで、このことが確認できたことは、今回のフォーラムによる大きな成果でした。

 もう一つ、気付いたこととして、街中で子どもの姿をほとんど見掛けなかったことです。中国では、通常の学校の授業が午後4時過ぎまであり、その後も遅くまで補習があり、夜は夜で膨大な量の宿題を済ませるまでは、寝られないそうです。地方では、働いている少年少女の姿を見ましたが、都市部では、ほとんどの子どもは、勉強に追われているようでした。ゆとりある教育を進める中、学力低下が叫ばれ、繁華街で夜遅くまで少年少女が遊んでいる姿を見ることもある日本と比較すると子どもたちにとって、国にとって、どちらが良いのか難しい問題であると複雑な気持ちになりました。

 最後になりましたが、日中交流や女性問題についての楽しい話や体験談、日頃のお仕事の様子について、お話を聞かせてくださったり、今回のフォーラムの開催についてお骨折りいただいた方々、中国側の関係者の皆様に深く感謝いたします。本当にありがとうございました。今後は、直接中国を訪問し、中日の女性問題の専門家と語り合うことによって得られたこの成果を少しでも日頃の仕事に活かせるように、更に学び続けたいと思います。謝謝。

岡山市日中友好協会NPO認証記念 第8回公開講座
「中国人の日本語学習史」
                講師 岡山大学非常勤講師 劉 建雲
 岡山市日中友好協会がNPO(特定非営利活動法人)に承認されたのを記念して行っている公開文化講座の第8回が3月19日に、クレドビル17階、岡山県男女共同参画推進センター会議室で開かれました。講師は、劉建雲岡山大学非常勤講師・学術博士にお願いしました。劉建雲先生は、岡山市と縁の深い郭沫若の研究もされていて、協会の会報「岡山と中国」166号から168号まで3回にわたって「郭沫若と岡山」を執筆して頂きました。今回は、「中国人の日本語学習史」と題して、博士論文を中心に講演して頂きました。紙面の都合で要旨を掲載いたします。

 中国人はいつ日本語を習い始めたのでしょうか。3世紀ごろ、晋の陳寿が撰んだ『三国志』『魏志・倭人伝』に「邪馬台」や「卑弥呼」が記載されています。13世紀、宋の羅大経が撰んだ『鶴林玉露』に日本の普通語彙20語(「松蘇利必(スズリ)」「加是羅(カシラ)」)が見られます。明の300年間(14世紀から17世紀まで)には、海上貿易の発達により日本研究書が多出し、「日本館訳語」という中国での最初の日本語学習書が成立しました。「雨(阿密・アメ)」「「雲(枯木・クモ)」など566語を収めています。

 本格的且つ大規模な日本語学習が始まったのは、約100年ほど前、清代の末期からです。日清戦争の結果、老大国たる清帝国は新興の日本に破れ、挙国上下驚愕しました。亡国の危機を救うために、政界では日本の明治維新をまねして政治改革を遂行しようという動きが現れました。一方、知識人の間では、日本語を学び日本書を読むことを通じて西洋の近代的科学知識を吸収するのが近道だという認識が一般化してきます。

劉建雲講師  初めて本格的な日本語教育を実施したのは、洋無運動の一環として設立された外国語学校の京師同文館と広州同文館の2校でした。時は1897年3月で、日本語は東文・東語と言っていました。

 京師同文館の場合、外国人を教師に迎えるのを恥じる朝廷の保守勢力への配慮からか、最初の教師は唐家槙という中国人でした。翌1898年から杉幾太郎が就任しています。

 杉幾太郎は1874年岡山で生まれ、小学校卒業後上京して時事新報社社長福沢捨次郎の門下生となり、慶応義塾で勉強しました。日清戦争の際、時事新報社から第一軍従軍記者として派遣され、終戦後は『時事紙』の北京通信員として北京に赴任し、その間京師同文館の東文教師に招かれたものです。
流暢な日本語で講演する劉建雲さん

 長谷川雄太郎は、1865年に群馬県に生まれ、20歳のときから漢学享受の嘱託を受けるほど、もともと漢学に造詣の深い人物でした。23歳の時から岡山県出身の岸田吟香の上海楽善堂で、仕事の手伝いをしながら2年間中国語を習い、中国事情の研究をしていました。日清戦争の際、通訳官として従軍し、終戦後、同志と中国語学校を創設しようとしていた矢先、文部省から広州同文館へ日本語教師として赴任してほしいとの話が持ち込まれたものです。

 長谷川雄太郎は、中国での日本語教育に献身した日本人の第一人者として注目されます。性格が温厚で指導が熱心な彼は中国人からも尊敬され、同学校で1897年3月から1903年5月まで6年以上も教鞭を執っていました。そして1901年中国人向けの最初の日本語教科書『日語入門』を善隣書院より出版し、口語の教授法を工夫して日本語教育史上大きな成果を挙げました。

 京師・広州同文館の日本語科設立に継いで、1898年2月から全国各地で「東文学堂」と名乗る日本語学校が、雨後の竹の子のように次々と現れました。現在確認できるものだけでも32校にのぼり、そこで教師を務めた日本人は166名にも達します。

 多くの東文学堂の中で、後に福建師範大学の前身の一部となった福州東文学堂は特に日中両国の研究者の間で注目を浴びています。

 福州東文学堂は、福州銀元局副総弁力鈞や末代工程溥儀の先生を務めた陳宝?など地域の名士が中島真雄の協力を得て1989年7月に創立したものです。1897年力鈞らは造幣技術を視察するために日本を訪問したとき、中島真雄と知り合いました。中島は造幣器機の注文や、大阪造幣局・日本の炭鉱、鉛鉱等多くの場所の見学の世話をしました。その際、力鈞らは日本の政治の完備と教育の発達に感心して帰国し、同志と相談して教育を起こすことを決意しました。

 その後、中島は力に招かれて福州を渡り、7、8ヶ月ほど同地に滞在しました。その間、彼はチフスにかかり、力鈞らの熱心な看病を受けて回復が早かったと、中島の自叙伝に記されています。この一連のことで、力鈞と中島との個人の友情の絆が深まったに違いありません。

 福州滞在中、中島は一個人として学堂設立をサポートしていましたが、東亜同文会成立後、中島真雄は同会の福州支部長に任命され、1899年に会推薦の新たな日本人教師と一緒に再び福州に赴きました。東亜同文会の福州東文学堂への資金援助はこの時から始まり、新任教師の給料として月100円を寄付していました。1900年度からは東亜同文会の補助金が打ち切られ、同時に、台湾総督府の補助金(年間2,000弗)がそのあとを継ぐようになります。これももっぱら中島の働きかけによるものでした。

 台湾総督府の補助金は、当時の複雑な日中関係・清国内部の深刻な社会状況および現地の人々の反日感情の高まりに対する配慮から、東亜同文会という民間団体の名義で支払われました。中島の努力は学堂をより実りあるものへと導いた要因の一つになったに違いありません。

 国と国との関係は、時には険悪になり困難な状況になりますが、個人と個人、民間と民間の交流は、一人一人の努力次第で友好的に続けられます。特に今後の国際交流には個人と民間団体が果たす役割が大きいと思います。その意味で私は、岡山市日中友好協会の会員一人一人の努力を高く評価し、大きな期待をもっています。
(文責 岡本拓雄)

「OIBA国際ビジネスアカデミー・貿易実務」留学生コース開講のニュース
 社団法人岡山県国際経済交流協会(会長―永島旭中国銀行頭取。略称OIBA)では県下に学ぶ留学生を対象にした貿易実務の講習を開講し受講生を募集しています。中国人留学生で関心のある方は是非お問い合わせください。以下は募集チラシからの抜粋です。

 『最近、県内にも多くの留学生が学んでおり、貿易実務の勉強を求めていること、海外特に中国との貿易の増加により、貿易ルールや日本のビジネス知識の習得は、両国間の貿易実務の円滑な遂行に裨益すること、また日系企業に就職を希望する学生は知識の習得が有利となると考えていること等から、日本語を理解できる留学生に対する貿易実務の授業を始めることとなりました。中国経済産業局と当協会は、岡山大学等県内の留学生と企業との交流会を開催しており、留学生の県内企業への就職活動の支援を行っています。岡山大学が主宰している岡山県留学生交流推進協議会もこのコースの開設を歓迎しています』
(問い合わせ先はOIBA事務局へ。電話086-214-5001、FAX086-256-1005)

ちょっとチャット(30) 岡山で活躍する高校生・胡●夫君       協会会員 姫井 ゆみ子
 今日は、私の長男の中学校時代の同級生である胡●(由+頁)夫君を紹介します。現在岡山県立岡山旭高等学校3年生です。子どもたちの間では「胡様」と呼ばれ人気者です。ひと足先に岡山大学大学院に入学した両親の元に、1998年岡山市立御野小学校3年生に転入してきました。日本語が全くわからない状態から先生や友達に支えられて5年生からわかるようになったといいます。岡山市立岡北中学校時代から勉学に目覚め、将来は日本の大学で化学を学びたいと今の高校に進みました。

 そして漠然と高校生活を送りたくないと生徒会長に立候補、昨年の朝日高校創立130周年では立派に生徒代表の挨拶をしました。

 岡山で就職先が見つからなかった父は中国華南理工大学で助教授をしています。今年の9月岡山大学大学院博士課程を卒業する母親も就職先がなければ、胡君は一人日本で大学生活を送ることになります。是非皆さんのご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

生徒会長 胡●(由+頁)夫君の挨拶
 岡山朝日高等学校の創立130周年の記念式典が、先輩の皆様方のご臨席を賜り、盛大に開催されますことを心よりお祝いを申しあげます。生徒の一人として、本式典に参加できる「誇りと歓び」を、かみ締めています。

 この「誇りと歓び」は、長い伝統によって培われてきた「自主自律を重んじ、自由を尊重する」とする本校の教育の基本があるからだと思っています。

 古い話ですが、紀元前16世紀の中国に「殷」という国を開いた湯王は、顔を洗うたらいに、自分自身を戒めとして、「まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」という言葉を貼り付けていたといいます。毎朝、手と顔を洗うように、自分の心も洗い清め、毎日毎日に心新たに生きようと心がけたといわれています。また、文豪トルストイは、「人生に、ただ一つ、疑う余地のない幸せがある。それは他人のために生きることだ」と述べています。私たちは、一人で生きているのではありません。先輩や皆様方の社会の多くの人たちの教えや恩恵を受け生きていることを認識する。また、「自己中心」であってはならないことを教えてくれています。

 私たちは、これら教えを肝に銘じると同時に、本校の「歴史と伝統」を受け継ぐために「自主自律」「自由」の精神を深く理解するとともに、学校生活を通じて、それぞれが持つ特性を養い、知性を磨き、社会性を身につけて真に気品のある人間として、成長できるよう努力しなければならないと思っています。

 平成18年には、21世紀にふさわしい新校舎が完成されます。先輩のみなさんが築き上げた「歴史と伝統」に、私たちが奮起して新世紀にふさわしい新たな伝統を築きたいと、決意をしているところです。校長先生をはじめ先輩の皆さん、今後とも厳しいご指導をいただきますようお願い申し上げます。そして、「ホームカミングデー」を開催いただき、「校歌」を誇らしく大合唱したいと考えています。

岡山市日中友好協会NPO法人化記念 文化講座(第9回)「中国残留日本人孤児の足跡」
おでかけ下さい。
講師 青木康嘉氏(県立大安寺高校教師) 高見秀夫氏(旧賀陽町出身・中国残留孤児)
日時 5月14日(土)14~16時
場所 岡山県立図書館(県庁正面) 2階サークル活動室
参加費 300円(会員は200円、留学生は無料)
申込

電話かFAXで協会へご一報ください。

募集中 実践中国語講座 受講生募集
入門クラス 
毎週月曜日6時半~8時
初心者を対象にして、簡単な日常会話から、発音を学び、中国語の基礎を養う。
初級クラス
毎週水曜日6時半~8時
1~2年程度の学習経験者を対象にして、正しい発音で日常会話の練習をする。
中級クラス
毎週木・金曜日6時半~8時
2~3年程度の学習経験者を対象にして、文章読解、会話等の応用力を高める。
上級クラス

毎週火曜日6時半~8時
5年以上の学習経験者を対象にして、主に新聞読解とその記事による討論、スピーチを全て中国語で行う。

活動日誌
2/16 岡山市技術研修生選考会
2/18 会報171号発行
2/23 片岡和男会長大阪総領事館訪問
2/24 第2回理事会(八仙閣)
3/10 中国三誌友の会、第138回定例会(まつのき亭)
3/12 日中教育交流発表会
3/14 岡山市枠1名、協会枠1名、洛陽派遣研修生の壮行会
3/19 第8回文化講座「中国人の日本語学習史」講師は劉建雲先生
4/4

洛陽孟津県に桃の苗の植樹と接木作業に松井事務局長同行

会員消息
【入会】
高木増雄さん(岡山市上中野)
牛田かず子さん(岡山市上中野)
流王農さん・眞佐來さん(岡山市中井)

先憂後楽
 中国広東、北京などで大規模なデモと破壊行為が起こった。これまで靖国問題や教科書問題などについて理論的な批判は中国指導者も口にしていたし、新聞テレビなどでも報道されていたが今回は直接的な抗議行動だった。ただ、暴力破壊行為はどんな理由があろうと正当化できないはずだ。

 11日あたりから、ゴールデンウィークに予定している旅行客や交流予定先から現地は大丈夫かという問い合わせがあいついだ。外務省からは渡航自粛情報は出ていない。また広東、上海、洛陽、北京、瀋陽各地の対外友好協会や旅行会社の日本部へ直接電話聴取したところ、いずれも、おだやかで危険はないとの返事だった。洛陽は8日から開幕した牡丹花祭りで賑わっている。もっとも中国国内の新聞やテレビには報道されていないらしくデモの実態についてもあまり知らない様子だった。

 まもなく町村外務大臣が訪中する。日本では12日から長野県で全国の日中友好協会と中国の人民対外友好協会の指導者等200名が集まり『日中友好会議』が開かれる。こういう官民のチャンネルをできる限り多く持って、英知を集め、より良い日中友好の大道を確認しあっていくことこそ重要だ。いま日中友好の真価が問われている。


「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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