2005年8月
平成17年8月
  174号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
岡山市日中友好協会NPO認証記念 第10回特別公開講座
「日中関係を展望する」      社団法人日中友好協会名誉顧問 野中 広務 先生
野中広務先生  岡山市日中友好協会がNPO(特定非営利活動法人)に承認されたのを記念して行っている公開文化講座の第10回が、7月16日に岡山プラザホテルで開かれました。今回は第10回目で、特別講座として、社団法人日中友好協会の名誉顧問で、元内閣官房長官をされました野中広務先生をお招きして講演して頂きました。

 野中先生につきましては、皆様よくご存じと思いますが、先生は一昨年まで国政レベルで中国との友好発展に尽力され、政界を引退された後も、民間の立場で友好事業に活躍されています。

 2時間近くの熱のこもった貴重な講演でしたが誌面の都合でその一部の要旨を掲載いたします。
腹を割って話し合うことが大切と説く野中広務先生

 地勢学上、日本という国土がどこにも移転できないのであれば、我々は東アジアのこの一角で存在していかなければならない。そういう中でアメリカとの同盟関係も大切にしていかなければならないが、目の前に横たわっている朝鮮半島、中国、東南アジアを始めとする東アジアの人たちと連帯感、信頼感を持たない限り、これからの日本の将来は非情に暗いという思いを私は強く持ち、中国等の交流に力を入れてまいったわけであります。

 8月号の『諸君』という本をみると、ひどい内容であり、私も若い頃から毎月愛読してきた者でありますが、こんなものが活字として後世に残っては、将来一体日中関係はどうなるのだろうと本当に心配するほどの内容です。
 
 私は若いみなさんには最低昭和の歴史をもう一度熟読吟味してほしいと思います。大体日本の学校教育は形の上では日清日露を含め、満州事変まで教えますけど、それから後は全く教えません。だから歴史を知らないまま今日を迎えて、今日の北朝鮮や韓国や中国をみているわけです。

 我々は困難な時代を経験し、私は軍国主義華やかな時代に育ちましたから、模範的な軍国主義者でありました。早く戦争に行って、天皇陛下の御楯となって戦死し、靖国の宮に祀られることが、私の男子の本懐だったわけです。私はそう信じ込んでいたのです。当時の日本の教育は軍国主義一色に塗りつぶされていたのです。

 靖国神社は明治12年に、それまでの招魂社を改称してできた神社です。招魂社は明治維新のとき、官軍に属して戦死した人を祀るために作られた社です。戊辰の役のとき、長州藩や薩摩藩の人たちは天皇軍として戦ったということで、招魂社に祀られました。
  
 この時、薩・長藩と戦った会津藩の人たちは、賊軍にされてしまいました。会津の白虎隊は賊軍とレッテルを貼られたから靖国神社に祀られていないのです。

 明治10年、明治新政府に反抗して、西郷隆盛は西南の役をおこしました。後に、明治維新の功労者として名誉を回復しましたが、西郷隆盛は今なお靖国神社に祀られていません。

 明治天皇が亡くなられたときに殉死をされた乃木希典将軍は、靖国神社に祀られていません。自分で命を絶たれたからです。

 或いは、日露戦争のとき、日本海でロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎元帥も靖国神社には祀られていません。予備役編入後、病気で亡くなられたからです。

 昭和20年、戦争に負けるまでは、天皇の軍隊として働いて戦死した人だけが靖国神社に祀られてきました。戦争に負けるまでは、そういう歴史をたどってきたわけです。

 敗戦後、台湾や韓国の出身者、軍属、ひめゆりの塔で亡くなった女学生たちも祀るようになりました。それは、それまでの歴史を清算しないままのことでした。

 昭和27年サンフランシスコ講和条約が締結され、日本は、初めて独立国となりました。日本政府はこの条約の第11条「極東裁判は正当な裁判である」という条項を認めて講和を結びました。わが国が独立国として歩みだす基本となったのはサンフランシスコ条約です。

 独立国となった日本は、A級戦犯を除くB級C級戦犯を靖国神社に合祀しました。A級戦犯は合祀しませんでした。

 昭和53年、松平という宮司(旧海軍将校)が、極東裁判を認めない立場から、A級戦犯をひそかに靖国神社に合祀したのであります。

 中国政府が、日本の首脳の靖国神社公式参拝に反対するのは、日本政府の不誠実な政治のあり方に対する抗議であります。

 私は政治家として活動していたときに、ある本に親中派、媚中派、中国に媚びへつらう人間と書かれていますが、私ほど中国の要人に好き勝手なことを言っている人間はいないと思います。例えば、私は初めて江沢民主席と会見したとき、彼はこれからの高速鉄道として、日本のリニアに注目していると言われました。日本のリニアは山梨で実験中ですから是非見に来て下さいといいました。江沢民、朱鎔基、李鵬はみな電気科の出身なので、日本が40年も昔に作った新幹線なんて、そんなもの駄目だ、これからはリニアだと言われました。山梨でリニアを見て頂きましたが、私はこう言いました。これは実験中なので中国へ輸出して中国の人民に生命のリスクを負わせることはできませんから、日本は全く売る気はございません、と申しあげました。

 また、朱鎔基さんは中国東北地方の特に西部は遅れているので、日本企業の進出をお願いしたいと言われました。私は「国務総理、日本の企業はあなたの国の賃金が安いから来ているのです。そしてなんとかここに来て儲けようとしてきているのです。けれど最近は賃金の値上げも出てきた。そして、儲けたら中国は法規や規制を全部変えて、設けたものをすっかりとってしまう。また、あなたの国のそれぞれの地区に納品した品物の代金は、6ヶ月、1年経っても払ってくれない。こんなことをしていたら、早晩、日本の企業はベトナムやカンボジア、タイなどへ名目を設けて移転せざるを得なくなりますよ。」と申しあげました。

 朱鎔基さんは「今まで会った政治家の中で私に勇気ある忠告をして下さったのはあなたが初めてです。」とおっしゃられました。そして「あなたの意見に敬意を示します」と。「残念ながら中国は今あなたが言われた通りの実情であります。我々はそれを克服するため、是非2008年のオリンピックを成功させたいと思っております。それまでに逐次改善していきます。長い目で見てやって下さい。」と言われた。国務総理は大変立派な方だと思いました。その後私たちはうち解けあえる仲になりました。

 また、靖国問題で田中前外務大臣が行きましたとき、唐家?外務大臣が「小泉首相に靖国に参拝しないよう「厳命」してほしい」と言ったことが日本の新聞に書かれました。その後私は、唐家?さんと会う機会があり、靖国について触れたので、その前に、先日お使いになった日本語の「厳命」の意味を説明しました。唐家?さんは使い方を間違えてしまったと言われましたので、外交のトップは自国の言葉で話すべきだと指摘しますと、ごもっともだと反省しておりました。内政干渉になるので、「厳命」の訂正を私が連れてきた記者団に話しました。

 こういうところから、私たちは話を始めたので、国交正常化三十周年記念式典の際には、13,091人の大祝賀団を結成して、中国を訪問することができました。私は、中国のみなさんに、これに酔っていていはいけませんよ。中国では、今、靖国が問題になっています。日本はそれを謙虚に考え改めなければならないが、今、日本では、中国人の犯罪が増えていて、これが日中関係を非情に阻害している。ひどい犯罪事件があると、中国人がやったのではないかという疑念が若い人たちに染み込んでしまっている。とても悲しいことですと、国家副主席の当時の組織部長をやっておられた曽慶紅部長にそう申しあげました。

 翌朝、公安局長が、私のところに尋ねてきて、昨夜曽慶紅部長に話されました中国人の犯罪の対策を、先生がお帰りになるまでに回答致しますと約束しました。そして帰国する日の朝食のときに、対策を説明しました。中国から密出国する全体の約7割は福建省の者です。福建省の者が出かけましたら、蛇頭の船を調査し封鎖します。正規に日本に旅行する全員から、全部供託金をとります。供託金をとって、彼らが戻ったら返すことにします。戻らなければ、没収します、との報告がありました。

 そして日本でどんな犯罪が起こっているのか実態を知るために、日本に招いてほしいと頼まれましたので、翌年2月に招待を致しました。公安局の人たちは、東京の新宿をはじめ日本各地をつぶさに見て廻りました。11月に中国の公安職員が日本大使館に派遣され、多くの問題を前向きに且つ的確に処理できるようになったとの報告があり、非情に喜んでおります。私はやはりお互いのもつ問題について腹を割って話し合いをしなければ、何も解決しないと思います。

 これからの日本は中国、韓国、朝鮮をよきパートナーとして東アジアの平和と友好のために努力していかなければいけません。中国が経済発展をしてアメリカと手を組むようになったら、日本は全く相手にされなくなってしまいます。日本と中国はお互い大きな波、小さな波を乗り越えて、永久に友好を果たしていかなければならないのです。岡山市日中友好協会が植林を始め多くの健全な交流をされていることに敬意をはらいまして、本日の責めを果たしたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

野中先生の講演を聴く聴衆
熱心に聞き入る満員の聴衆
野中広務先生講演会・懇親会ご参加のお礼               協会会長 片岡 和男

懇親会で挨拶する片岡会長
 去る7月16日の日中友好公開講座として、野中先生の「日中関係を展望する」との講演を行いましたところ、多くの皆様方にご出席いただき、満席を越える大盛況で、ありがとうございました。その節には、いろいろ不行き届きがあったこと、お詫びいたします。野中先生には、問題を解明に解説され、貴重なご示唆をいただき、大変有益でありました。また、先生の人生の哲学、処し方には感銘を受けました。講演の後の懇親会は、野中先生を囲んで和やかな雰囲気でありました。以上、ご報告いたし、お礼の挨拶とさせていただきます。
懇親会で挨拶する片岡和男会長
岡山県高等学校芸術文化連盟(高芸連) 上海市甘泉外国語中学訪日団と交流!
 7月21日、岡山空港に高芸連が招聘した上海市甘泉外国語中学の生徒15名と引率者3名が降り立った。

 高芸連は国際交流事業として、韓国と中国上海とを隔年に相互訪問し、芸術文化の交流を続けている。一昨年はサーズの影響で中国との交流が中止となったため、今回は2回目の交流となる。4月に発生した上海での大規模な反日デモの影響を心配したが、岡山県日中教育交流協議会の先遣団や高芸連役員の事前訪問を通じて安全に友好的に交流ができるとの見通しができ、実現に至った。

 甘泉の学生は23日のチボリ公園での交流や高等学校総合文化祭への参加など多忙な日程をこなし、25日に岡山を離れ上海に帰国した。

 公演は民族楽器と民族舞踊で、それぞれすばらしい演奏と演技に参加者は胸を打たれた。

上海市甘泉外国語中学歓迎会
歓迎会
 今年の交流項目は合唱で、中心的には倉敷青陵高校が担当した。25日の岡山空港でのお別れでは、高校生同士が抱き合い、涙を流して別れを惜しんだ。

 国境、民族、言葉などの違いを超え、高校生同士が友達になれたことは次代の日中友好の大きな保証になる。

 日中関係が怪しくなっている今こそ、青少年の交流が大切だ。

中国映画「鉄西区」岡山映画祭2005で上映!
11月11日~13日 岡山市三丁目劇場 「鉄西区の掴んだ新しいリアリズム」とは!!
 貨物列車の運転席からまっすぐに伸びた線路が見え、カメラはその軌道の上をゆっくりと辿っていく。

 9時間にも及ぶ超長編映画「鉄西区」は、観客があたかもその貨物列車にゆられ、舞台となる工業地帯へ誘われる処からスタートするが、映画全体を貫くのはまさに「観客が一緒にその場所にいるかのような」既視感とも言えるだろう。

 第1部「工場」では、次々と倒産していく工場の、劣悪とも言える労働条件の中で働く労働者の姿を。第2部「街」では取り壊されていく住宅に暮らす若い男女たちの話を。第3部「鉄路」では鉄道に依存してきた男とその息子の物語を。

 決して何かの事件が起こるわけでもない各々のパートで、私たちは迂闊に画面から目をそらすことができなくなる。何故なら、最初「これは映画だ」と安心していたはずの観客はいつの間にか錆だらけの汚い工場や休憩室や、埃っぽい雑貨屋の店先や、ベッドだけしかない狭い部屋の中に無防備に放り出されて、カメラを意識できないまま、登場人物と同じ空気を吸わざるを得なくなるからだ。

 しかしそれが苦痛でないのは、全てが静かに終わっていく街のなかにあって、人間が全く敗北しない、生命力に溢れたものであることを再確認できるからに他ならず、現在の中国に生きる人々の息づかいさえも聞こえる、新しいリアリズムの映画故だろう。

内蒙古に蒙日文化村建設  馬福山氏 協力を要請
 馬福山氏を覚えていますか?会報第137号(2000年8月号)の「私と岡山」に原稿を寄せてくれた内蒙古からの留学k性で、当時、岡山県中国留学生学友会の会長をしていました。書と篆刻の大家で、2002年1月号まで、毎回、会報に篆刻を寄せてくれた人です。

 東京外国語大学で2年半研究したあと昨年母国へ帰り、1年ぶりにまた日本に来ました。来日の目的は、公益法人「内蒙古福山蒙日文化村」建設に日本人の協力を求めるためです。資料によると、建設の趣旨は、「中日両国人民の友好交流を促進し、相互理解を深め、両国の経済の発展、生態環境の改善のため努力する。民族文化、草原文化をはじめ、先進性を備えた文明・文化の発達した内蒙古自治区建設に力を尽す。」とあります。

 建設場所は、内蒙古フフホト市郊外(中心地より10km)。建物は日本式建物一棟、モンゴル式建物一棟(蒙古王府)、宿泊施設一棟(長期滞在可)

 開設までに、日本と中国に後援会を設立するほか、文化村のホームページを作る。

どんな活動をするか。
①中日両学人民の友好交流の基地とする。
②日本語学科の学生たちの日本文化実習基地とする。
③小中学生向けの青少年自然の家の提供。
④内モンゴルにおけるホームステイ等の斡旋紹介。
⑤文化交流団(茶道・華道・武道・剣道・弓道・書道・相撲・太鼓・三味線などの実技披露)の訪中勧誘
⑥日本の文化週間の開催
⑦中日両国人民の老人福祉施設の提供
⑧日本商社、日本人留学生向けの長期宿泊施設の提供
⑨各種商務または学術会場の場の提供

 協会は、どんな形で協力するかを理事会で協議します。

講演会・懇親会・レセプション案内
 岡山市役所中国歴史文化研究会・古代吉備国を語る会・岡山市福祉文化会館主催、NPO岡山市日中友好協会共催の講演会が、8月20日(土)午後1時から5時まで、岡山市立中央公民館第5ホールで開かれる。対象は一般市民、聴講無料。

 演題と講師は下記の通りである。

              [記]
「四国の古墳時代」       徳島文理大学文学部助教授 大久保 徹也氏
「洛陽古代瓦当」        洛陽市文物工作隊副隊長 程 永建氏
「洛陽の四季の芸術撮影」  宋 宏安氏

 懇親会は8月19日(金)午後6時30分から、つぼ八岡山サンルート店(下石井サンルートホテル北側)会費は、1人5,000円。

 講演会レセプションは、8月20日(土)午後6時から、駅前三好野、会費は1人につき2,000円(出席希望者は岡山市役所内線3876出宮氏まで連絡する)

ちょっとチャット(32) 「はじめまして、上海」                 協会会員 藤井 美琴
 6月の終わりに、上海に出かけた。かねてより勉強中の、中国伝統医学(中医学)の研修を受けるのが目的。上海は勿論のこと、中国訪問自体が初めての体験である。

 聞けば、気候は関西と同じ、時差もマイナス1時間。反日デモも治まって、「楽勝」に3泊4日が過ごせるはずであった。とにかく暑い。日中の気温は35度を超えて、熱風が吹いている。ここ数日は雨も降っていないらしく、「梅雨なのにおかしな感じ」だと、受け入れ先である上海医薬大学の先生方も話している。

 大学は2年前の9月に、上海市浦東地区の先端技術特区に移転したばかり。甲子園球場13個分ともいわれる広大な敷地には、2万人の留学生を受け入れられる宿舎も用意されている。さぞかし学ぶのに快適な設備が整っているのだろうと思っていたが、実習室では温風に晒された。天上の板が取り外され、まさしく現在、エアコンの取り付け工事が行われているところなのである。うんざり顔の私たちに先生は「冷房の中にいるよりは、体にいいので安心してください」と、天の気、地の気が融合して人間ができあがったことを学んだ。「中医基礎理論」に哲学を、身をもって体験させてもくれた。

 研修は、学校が休みの土日に掛けて行われたのであるが、休憩時間には、20人程の高校生グループが何組かやってきた。受験生なのであろう、いわゆるオープンスクールに訪れていたようだ。当方は、勉強のためとはいえ、中国の方より献体をいただいての「人体解剖実習」を行っていただけに、彼らの神経を逆なでするのではないかと心配した。が、医学を志す若者たちは意に介さぬ風で、むしろ日本製の携帯電話に興味を集中していた。やはり政治は冷たいが経済は熱い、ということなのだろうか。

 滞在時間の殆どを学内で過ごしたのだが、早朝、1日の水分を確保するために町を歩いた。郷に従えばトラブルは回避できるだろうと、上海人の持ち物に注目してみた。男性は、殆どの人が手ぶらであり、女性はハンドバックを肩にかけるか、手に提げている。どうやったらお金やモノを安全に運べるか知りたかったのであるが、初日の朝、私は明らかに場違いの、デイパックをしょっていた。すぐにホテルへ引き返し、お金をポケットに詰め込んで再び出かけた。背中がすっと軽くなり、目線が気にならなくなった。町が「歓迎!」と言ってくれているようである。はじめましての上海は、暑く有意義な時間となった。

ボウリング大会の結果
 協会主催、両備ボウル協賛、岡山県懇話会・岡山市国際交流協議会後援で開かれた第10回日中友好ボウリング大会には、日本人17人、中国人11名が参加した。競技の結果は下記の通りである。

ボウリング大会結果
優勝  日本人  宗海勝房
     中国人  万 国豊
ニアピン賞     袁 雪峰
大波賞       坂本 美香
ブービー賞     間野 真澄
参加賞       全員

日中友好ボウリング大会
友好を深める日中の参加者
お礼
劉建雲先生の博士論文出版支援の寄付金、ありがとうございました。締切を9月末日まで延期しますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

活動日誌
6/15 会報173号発行
6/27 第4回理事会、野中広務氏講演会の取り組みについて協議
7/2 第10回日中友好ボウリング大会
7/14 第5回理事会
7/14 中国三誌友の会第142回定例会
7/16

第10回文化講座「日中関係を展望する」講師は社団法人日中友好協会名誉顧問の野中広務氏

会員消息
【入会】
芳田秀昭さん(岡山市西川原)
山本寛さん(岡山市首部)
笹井一夫さん(岡山市伊福町)
【表彰】
協会参与の花岡薫氏が全国市議会議長会から議員在職三十年以上特別表彰を受けた。
会員の楠木忠司氏が中国市議会議長会から正副議長在職三年以上の表彰を受けた。
会員の若井達子氏・磯野昌郎氏が議員在職十年以上の表彰を受けた。

先憂後楽
 久し振りにシルクロードの旅に添乗している。3年前に北新彊・アルタイ方面へ行ったが今回は南回り。ウルムチから列車でコルラへ、その日のうちにクチャまで移動。そして今回のハイライトのひとつタクラマカン砂漠の横断を果たし、ニヤから玉で有名なホータンへ走り、アクスからカシュガルへ出て南新彊鉄道でウルムチへ戻る12日間の旅だ。

 新彊の地名はほとんどがウイグル語を感じに直しているので発音と意味がわかりにくいがカタカナで書く簡単だ。NHKが新シルクロードを放映してから、シルクロードブームがまた静かに起こりつつある。特にクチャやニヤ、ホータンなどはこれまでマニアの人々が多く訪問してきたが、道路やホテル事情もだいぶ良くなり、今後一般のツアーも多くなるに違いない。

 ところで中国にとって民族問題は今も大きな課題であろう。新彊ウイグル自治区の省会(県庁所在地)はウルムチであるが、住民の大部分は漢民族である。本年は解放50周年に当たり、10月1日は盛大な記念式典が開かれる。当時、反乱するウイグル族を人民解放軍が鎮圧して解放した。多くのウイグル族は地方へ分散したのだ。

 少数民族という呼び方は、漢民族のマジョリティに対して言われる言葉だが、55もの少数民族を抱える多民族国家の中国にとって、経済格差や文化の格差を解消していくことは大変な事業であろう。エキゾチックな自然と豊かな果物の産地、魅力的な観光資源を有する新彊の人々が伝統的な風俗習慣を保ちながら、経済文化が発展していくことを願いながら旅を続けている。(松)

実践中国語講座 受講生募集 第40期 10月開講
入門クラス
毎週月曜日6時半~8時
初心者を対象にして、簡単な日常会話から、発音を学び、中国語の基礎を養う。

初級クラス
毎週水曜日6時半~8時
1~2年程度の学習経験者を対象にして、正しい発音で日常会話の練習をする。

中級クラス
毎週木・金曜日6時半~8時
2~3年程度の学習経験者を対象にして、文章読解、会話等の応用力を高める。

上級クラス
毎週火曜日6時半~8時
5年以上の学習経験者を対象にして、主に新聞読解とその記事による討論、スピーチを全て中国語で行う。


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