2006年4月
平成18年4月
  178号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
岡山市民友好訪中団  洛陽市人民 政府を表敬訪問 
洛陽訪問1
 最前列右から六番目高谷茂男岡山市長・七番目連 維良洛陽市長     松井事務局長 撮影
岡山・洛陽友好関係の修復成る! 〜牡丹花咲き春来たる 協会の蔭の努力実る〜
 1981年、日中国交回復に尽力した岡山県出身の岡崎嘉平太氏と中国の中日友好協会孫平化会長の勧めで、岡山市と洛陽市の友好都市縁組が締結された。以来両市は、相互に訪問団を派遣し合うなどして友好交流を深めてきた。

 ところが、2003年3月、当時の萩原市長は、新竹市と友好交流協定を結んだ際、協定書の中国文書署名欄に、新竹市の市長が「中華民国」の文字を書き入れることを容認した。このことに対して洛陽市は、日中共同声明、日中平和友好条約の原則と精神に対する重大な違反であるとして、友好都市関係の凍結を宣言した。

 日中友好協会は、日中共同声明と日中平和友好条約を基礎とし、中国は一つ、台湾は中国の一部であることを基本原則として活動し、市民交流の窓口として各界の交流促進に尽力してきた。

 今や、3年間凍結されていた友好都市関係が修復され、岡山市と洛陽市の日中友好事業が正しい軌道に回復された。非常に喜ばしいことである。

 岡山・洛陽友好都市締結二十五周年の記念すべき年に、高谷茂男岡山市長を団長とする岡山市民友好訪中団一行120人が大挙して洛陽市を訪問することができたことの意義は、きわめて大きいものがある。

 岡山市と洛陽市の関係は元通りになった。経済交流を始め交流の幅を広げながら、友好関係をいっそう深めていきたいものである。
洛陽訪問2 洛陽牡丹
片岡会長、連洛陽市長を表敬訪問
国色牡丹花園見学
岡山市日中友好協会NPO認証記念 第13回公開講座
「大地の子を支えたもの」                  講師 NHK岡山放送局長 河村 正一
講師写真  
岡山市日中友好協会が行っている公開文化講座の第13回が、3月25日、岡山県立図書館2階サークル活動室で開かれました。講師は、NHK岡山放送局長の河村正一氏。

 河村さんは、1995年に放送開始され多くの日本人を感動に包んだあのドラマ「大地の子」の制作と演出を手がけられました。制作の苦労話をビデオを放映(部分)しながら話して下さいました。紙面の都合上、その一部の要旨を掲載します。

 会員の藤井美琴さんにパソコン速記をして頂きました。
熱情溢れる河村局長の講演風景
 皆さんは普段から中国に関することはよくご存知だと思うので、今日は簡単にドラマ化できるものではなかった「大地の子」と、それを支えた状況についてお話します。

 胡耀邦総書記は山崎豊子先生に、宋家の三姉妹について著作を依頼したのですが、先生は「残留孤児の話を書かせてほしい」と言ったそうです。山崎作品は、アメリカの日系2世を描いた「二つの祖国」から分かる通り、日本人をいろいろな角度からみつめたものが、戦後一連の作品となっています。岡山県立図書館にも「大地の子と私」という山崎作品が所蔵されており、ドラマ制作において脚本や監修に携わった人が、対談などでエピソードを披露しているので是非読んでいただきたい。

 山崎先生は情報の開示が難しい中、どうやって取材を進めたのでしょうか。なんと、胡耀邦総書記に手紙を書いてもらい、それを免罪符に取材に行きました。外国人は誰も入っていないであろう「労働改造所」にも取材で入っています。もちろんドラマのロケでは入れなかったのですが、ドラマは幸い中国との共同制作であり、中国人スタッフはその様子についてよく知っています。文化大革命を描くシーンについて中国スタッフは、制作者として、自分が係わった限りは正確に表現したいと願い、実際ここまでやって良いのかと言うほどでした。ドラマは「日中同時放送」という契約で調印しましたが、正確な描写のため十年経った今も、中国国内では放送されません。ヨーロッパやアジアの9ヵ国では既に放送されており、その中には台湾のケーブルテレビもあります。北京語版は中央電視台が放送権をもっているので、放送されなくても文句は言えません。「大地の子」は1994〜5年にかけて、中国ロケ3回170日間、日本ロケ5回50日間が行われ、700分のドラマが制作されました。

ビデオ視聴「大地の子」〜草原で日本語を習う陸一心〜
(大草原で羊が草をはむシーンで)この中に私がいるが、わかりますか。羊は草を食べながら草原を移動しますが、撮影のためにテストをすると草がなくなって、二度とそのルートは撮影で使えません。だから、本番で羊が逃げないように、摂氏39度の平原の土ぼこりの中に頭を伏せて、羊が逃げないように番をしていたわけです。通常プロデューサーは、キャスティングやお金の準備が仕事で撮影前に役目は終わりですが、この時は逃げそうな羊の鼻面に石を投げていました。「よーい、スタート」という撮影開始の合図は「準備、開始(じゅんべい、かいし)」です。

 この撮影のため呼和浩特(ふふほと)の北60キロ烏藍(うらん)高原にある昭和町の、パオのホテルで待機していましたが、頼んでいた羊が撮影前に一頭も見えません。100人のスタッフが待つと言うのに、羊がいない。どうしたんだと言ったら、中国スタッフが、消しゴムの消し粒のようなものを指差して「あれが羊だ」と。朝9時から撮影開始準備をしているのに、ここに来るのは2時間半後くらいだと言い、羊は道草喰うからねと、もっともな話をするわけです。

 その場は羊のいないシーンを先に撮影したのですが、羊が来たというので見ると、羊じゃなくヤギがいた。角の形が違うんですね。漢字で「羊600頭」とオーダーしたのですが、中国では例えば「羊肉有り」という表現は「羊かヤギの肉が有る」と言う意味なのだそうで、漢字だから絶対に間違えないと思ったのは間違いなんですね。

 だから、やって来たのは羊だけではなく、半分はヤギという状況に、中国スタッフからは必要なのは「綿羊」の事なのか、綿羊なら30万頭もいるのに今日の群れはわざわざ遠くから朝4時半に出て歩いてきた。羊よりヤギの多いほうが貧しく見えるので、主人公の陸一心が世話をするのに似合ってるじゃないか、とも言われました。私はここで、撮影を続けるかどうかの判断をしなくてはいけないのですが、「人間のドラマ」を撮影しているのだから、登場した動物が「羊かヤギなのか」に目を奪われるようなドラマにはしないと告げて、この撮影を続行した次第です。中国との共同制作で感じたことですが、予定は予告なく変更されて、変更理由が告げられないままと言うことが度々有りました。これは皆さんも経験が有るのではないでしょうか。

 撮影中、中国のプロデューサーが怒って来たことが有りました。主役(川上隆也)からして友好的ではない、中国スタッフが挨拶しても何も言わない、と。彼は中国語がしゃべれないからだ、と私が説明しても「嘘だ、あれだけ中国語で台詞をしゃべっているのに」と言って引かないので、昼飯の時、彼を独り中国スタッフの中に入れて食べさせて試してもらいました。私の言ったことが本当だと確認したら、中国スタッフの態度がころりと変わり、何も分からないのが一生懸命演技している、と認めました。川上隆也は中国語の「ち」の字も知りません。台詞の8割は中国語で、彼はそれを丸暗記して撮影したのです。

 1年間かけたロケが終わって、何を学んだことがあったのかと問われて私は「柔心」〜柔らかなこころ〜と答えています。これは道元が中国で学んだことをこのように表現しているのですが、私なりの解釈は「分からないことは聞き、応援してもらっていく柔らかな心が必要」「どんな状況であっても、柳のように受け止めて解決していくことが大事」ということです。

 これまで中国にあんなにお世話になったのだから、何かお礼をしようと相談していた所、中国には「希望小学校制度」というのがあって、お金を出せば学校が作れるというので、早速当時のNHK川口会長に「1万円ください」とお金をもらいに行きました。会長が出したので、山崎先生も出してくれて、私は集まったお金を持って開校式に行きました。

 学校は、銅仏村という少数民族の住む所にあり、中国仏教界ナンバー2の和尚さんも同行しました。元々この地域の小学校は納屋を改造したような建物で、4ヵ所くらいに分かれていたし、石の持てる人は石を運び、もてない人は掃除をしたそうです。

 学校には「大地の子小学校」という名がついており、「文化大革命以来、村人の心がこんなに一つになったことはありません」と言われました。建築費用の寄付として、持参した75万円では足りず、不足の15万円は中国側のスタッフが出してくれました。

 中国を知るには、中国を勉強することが大切で、参考になる本として、毛沢東の研究が専門の竹内実先生や、通訳をお願いした李珍の「真実」、北村稔「中国は社会主義革命で幸せになったのか」など。

 最後に、なぜドラマを作るのか、と問われれば「ドラマは心の情報だから」と答えます。自分の心が揺れた時どのように考えるのか、こういった情報はドラマや本でなければ届かないと思うからです。

岡山市・洛陽市友好都市締結25周年記念訪中団に参加して    協会会長 片岡 和男
洛陽訪問3  昨年10月31日洛陽市訪問のとき、劉典立洛陽市人大常務委員会主任・対外友好協会会長が、岡山市高谷市長を岡山市・洛陽市友好都市締結二十五周年記念式典に招待、歓迎すると発言され、今後の配慮することを協議したいと付け加えられました。帰国後、高谷市長に報告し、両市間、市会議員、関係者の間での対応が進み、今年1月21日厳寒の洛陽に、岡山市国際課職員、市議会岡山市・洛陽市友好議員連盟の代表に市日中松井事務局長が加わり、訪問し、深夜まで協議がつづき、日中共同声明を遵守し、両市間において配慮することで合意に達したと聞いております。そして3月20日に凍結解除の連絡がありました。ここに至ったのは高谷市長の熱意と的確なご判断によるものであります。また、多くの方々の並々ならぬご協力、ご尽力がありましたことに感謝申し上げます。
洛陽市人民代表大会表敬訪問

 晴れて、牡丹の花咲く洛陽に、4月14日出発することが決まりました。4月4日に、岡山市民友好訪中団の結団式があり、私と松井さんが出席し、団長は高谷市長、副団長は若井市議会議員、私は顧問団の一人として交流顧問に委嘱されました。市日中友好訪中団は26人で、市民訪問団の中でのグループとして、洛陽に3泊し、4月16日には、今まで研修生の事でお世話になった洛陽大学と科技大学付属病院を訪問することにいたしました。

 4月14日岡山空港を出発しましたが、上海浦東空港での入国手続きに時間がかかり、虹橋空港の出発が遅れ、洛陽空港に10時30分到着し、11時より洛陽市の新しい連維良市長が高谷岡山市長を団長とする全員を熱烈歓迎し、正常化を喜んでくださいました。深夜に及ぶ歓迎会をしてくださったことに感激しました。翌日は北京経由で到着した市議会訪問団を含めての代表と連維良市長との会見があり、16日午前と午後に科技大学附属病院および洛陽大学を訪問し、説明、見学をさせていただき、今後の交流の話など有意義な機会がありました。なお、夕方には、劉典立対外友好協会会長主催の、われわれ岡山市日中友好協会訪問団の歓迎会がありました。

 これからの交流は深く、広く、そして、高谷市長のご意向もあり、経済交流は是非とも必要で、岡山市、岡山県内の企業経営者のご参加、ご協力が望まれております。

洛陽春に歌う                                 協会理事 宮本 光研
《龍門》
今見(まみ)ゆ 龍門ルシャナ(光) 大佛は
  歴史に和諧(ハーモニー) 唱(うた)へつづけり

《国色大牡丹花園》
国色と いひ天香と 讃えたる
  洛陽牡丹 春を楽しむ

《香山白園》
白楽天 旧居に柏の 木の多し
  「鳥鳴高枝」 額見つけたり

《白馬寺》
白馬寺の 四半世紀の うつろひに
  海法大師 故影(おもかげ)著(しる)し

《同寺国際寺院化構想》
日本寺 建てばやと念ふ 上代(かみ)ごころ
  聖徳太子 夢殿をこそ

《替歌 「両国の春」》(北国の春の節で歌いましょう)

洛陽 岡山 交流二十五年
さくら咲き ボタン咲く
両国のアア両国の春
日本じゃ中国がわからないだろうか
杜絶して三ヵ年
凍結解除
アアよかったネ春が来て
ほんとうによかったヨ

訪中団に参加して                               協会会員 池田 武久
洛陽訪問4  この度の関係修復には我が岡山市日中友好協会の片岡会長の仲介努力が大きく寄与した事は周知の事です。協会入会歴がさほど長くない私がこの度の訪問団に参加出来た事は真に幸運でした。洛陽到着が大幅に遅れたのにも拘らず市長以下市政府要人は我々の到着を待って盛大な歓迎会を催していただきました。

 開会にあたって先ず連維良洛陽市長より『紆余曲折の一時期は終わり両市の関係は元通りとなった』と挨拶があり、次いで高谷茂男岡山市長からは『洛陽市との新たな交流を結べる事は喜びであり今後は更に交流を深めたい』と挨拶がありました。

河南科技大学附属第一病院 趙 勇剛院長の歓迎挨拶

 翌日友好協会の一行は世界遺産の『龍門石窟』『白園』(白居易の墓)及び『関林』を参観し、午後洛陽市庁を訪れ幹部の市政府表敬訪問の間団員は市庁舎を参観しました。そのあと洛陽市郊外の『窯洞』(黄土地帯の洞窟住居)を見学後市庁跡地にある周時代の六匹車馬坑『天子駕六博物館』を参観し夜は『洛陽市牡丹花会慶典』の音楽ショウを鑑賞しました。

 3日目は中国最古の仏教寺『白馬寺』を参観し印楽大和尚自ら御説明を頂き広い寺院内を参観しました。また済生会病院と関係深い『河南科技大学第一付属病院』を訪問し院長自らの案内で院内見学した後歓迎昼食会をして頂きました。午後は洛陽大学を訪問し学長のご案内で学内をバスで見学して回りましたが盛んに拡張工事が行われていました。その夜は洛陽人民代表大会主催の夕食会をして頂きました。

 かくして3日間の洛陽市との友好と観光を終え空路上海へ向かいました。4日目の上海では上海に3箇所しかない仏教寺の古刹『玉仏寺』を参拝し『豫園』を観光しました。夜の『外灘』及び『南京路』を散策しましたが10時を過ぎても大変な人出で賑やいていた。

洛陽訪問の成果                                  協会理事 家野 四郎
洛陽訪問5  この度の洛陽訪問は、新市長以下100名を上回る大世帯だったこともあって、上海での入国手続きなどに手間がかかり、出迎えてくれた洛陽側にたいへん迷惑をかけるというハプニングにはじまった。そのため、準備してくれていた歓迎宴が深夜にまで及んでしまった。しかし、両市の友好関係の修復は、大成功だったといっていいだろう。

 それよりわたしたち友好協会が計画した、洛陽大学、河南科技大学付属病院及び白馬寺への訪問交流は、予期以上の大きな成果をあげることができた。誠に喜ぶべきことだ。

 まず白馬寺での宮本光研和尚の般若心経の読経は立派だった。それに大勢が唱和してあたりの参拝者たちを圧倒する感があった。
趙金昭洛陽大学学長より大学の説明を受ける

 洛陽大学は、第1期生の笹野佳子さんが卒業して丁度20年になるわけだが、学長自ら大歓迎してくださり、バスであの広いキャンパスを一巡してガイドして下さったことが、この20年の歴史の証明だと思う。ついてくれた通訳の日本語も、どこで鍛えられたのか尋ねたいほど洗練されたものだった。

 科技大学付属病院も、新築間もないすばらしい近代設備で、タイミングよくつぶさに見学できたが、これとても昨年済生会ライフケアセンターへ研修生として目覚しい働きを見せた2人の看護師さんのつながりがそもそもの原因だと聞いた。

 それともうひとつ、洛陽市主催の歓迎宴に出ていた、洛陽市側の通訳に20年前にわたしが教えた趙虎龍君(三門峡出身)がいて、偶然20年ぶりに会えた事だ。彼も活躍していることが分かった。

 民間交流はいろいろなところでこんなに、実を結んで来ていると知って何より喜ばしい。この度の旅行で私が確認し得た大きな収穫だ。

ちょっとチャット(35) 「岡山外語学院のあゆみ」
                            協会理事・岡山外語学院学院長 片山 浩子
 早いもので、岡山外語学院が、(財)日本語教育振興協会から認定され、日本語学校として日本語教育に取組みはじめて15年目を迎えます。60名の定員が、現在300名の定員となり、編入生も加えると在校生三百数十名、12カ国からの学生が、日本語を毎日学んでいます。卒業生も30カ国から1,200名をこえました。

 大学院、大学、専門学校と希望の進路に進み、すでに卒業して日本はもちろん世界中で働いています。東京の中国大使館の米川さん、ブルネイ大使館のスーリーさん、ベトナムの日本領事館のティエンさん、フィリピンのパナソニックのロメロサさん、岡山でもナカシマプロペラのベトナム人ビンさん、車の輸出会社のロシア人ユーリアさん、中国では自ら起業した人たちもたくさんいます。皆んなたくましくがんばっています。岡山はきれいな街で人が親切と、今でもなつかしく思って、時々たよりをくれます。最近姉妹都市締結の凍結が解除された洛陽市からもすでに約160名の学生が卒業していますが、そのうち30名位、上海市で活躍していると聞いています。

 日本は少子化時代を迎え、岡山県でも大学と行政と産業界が協力して留学生の日本での就職の機会を増やす試みを積極的にはじめています。特に中国からの学生は数も多く、就職への熱意も高いようです。多文化共生と共に多文化協働の時代を実感する今頃です。

 岡山外語学院では、毎年「卒業文集」を作っています。日本語力ゼロに近かった学生も卒業文集には立派な日本語で想いのたけをつづります。いくつか和歌と川柳もどきを御紹介します。

夢のため 国境を超 来た日本
  喜怒哀楽の 人生経験      《金 蓮姫》

美しい 女の子見て 付き合いたし
  勇気を出せず あの恋の夏は    《宮 偉》

お金がない 暦をみると あといつか    《ユ 艶芳》

遅く起き 必死で着いたら 日曜日     《蘇 農》

 家族を想って涙したり、悩み傷つきながらも楽しい思い出をつくったりと青春時代を異文化の中で精一杯生きている様子が伝わってきます。その中で日本語を勉強し日本の文化や習慣を学んで世界へはばたいていく彼らこそ、日本を理解し、将来私たちのよき友人になる人達であると思います。

 今年も4月の新入生を80名迎えました。皆んな安全に生活し、希望の道に進めるよう支援していこうと教師スタッフ一同、思いを新たにしています。

活動日誌
2/22 会報「岡山と中国」177号発行
3/9 中国三誌友の会第149回例会
3/25 第13回公開講座 「大地の子を支えたもの」 NHK岡山放送局長 河村正一氏
3/28 洛陽訪中説明会
3/31 岡山市技術研修生渡邉克美さん壮行会
4/14

18日まで友好都市二十五周年記念訪中団として洛陽訪問

会員消息
【入会】細谷里江さん(岡山市富田町)

先憂後楽
 二十五周年の記念訪中団が無事終了し、友好都市凍結後の交流が再開した。協会は市民訪中団の一翼を担うべく、友好協会訪中団を組織し26名の参加を得てその役割を果たした。

 この訪問時に洛陽滞在中に病人が出た。急遽河南科技大学附属第一病院へ入院した。岡山済生会総合病院へ研修に来た医者と看護師が治療と看護を申し出て下さいました。また病室には今回の受け入れ機関である洛陽国際友好交流中心の社長以下3名のスタッフと通訳が交代して見舞っていただき、彼らの誠心誠意の看病で翌朝には元気で退院できた。

 旅行中の入院は初めてではないが、今回は他では得られない誠意を感じた。友好という外交的な言葉より友情という言葉がピッタリの感じだった。結局のところ、日中友好というのはこういう友情関係が出来るかどうかにかかっているのではないだろうか。

 今回会見した洛陽市の連維良市長、人民代表大会の劉典立主任はそれぞれ、協会が友好都市交流の中で果たしてきた積極的な役割を高く評価し、感謝の意を表された。民間団体として途切れることなく交流を続けてきたことは会員とともに誇るべきことと思う。同時に、これからの交流活動に協会としてすべきことは何かが問われているのだと受け止める必要があるだろう(松)

アジア・コム旅遊消息
初夏の中国・内モンゴル・草原の旅へ!
 チンギスハーンの眠る中国内モンゴルの広い広い草原でモンゴルのゲルに泊まって、モンゴル相撲などを楽しみます。又、首都・北京での万里の長城の観光もあります。ふるってご参加下さい。
期  間:7月13日(木)〜7月19日(水)
旅行代金:155,000円
曲阜と泰山と青島   
主催:株_協観光  
 らくらく岡山からチャーター便で中国・山東省へ!
期  間:6月30日(金)〜7月4日(火)
旅行代金:129,800円(空港税・燃油サーチャージ別)

お問合せは…
潟Aジア・コミュニケーションズ 岡山県知事登録旅行業 第3-210号
〒700-0902 岡山市錦町5-15 南田辺ビル4階 http://www.asicom.co.jp
TEL(086)231-0334 FAX(086)225−5041



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