2006年8月 平成18年8月 180号 発行人 片岡和男 編集人 岡本拓雄 |
熱烈歓迎 洛陽市政府・経済視察訪日団 協会主催の交流会開かる |
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表敬訪問 連維良洛陽市長を団長とする洛陽市政府友好訪日団8名、経済視察団の雷団長ほか16名が、前日の岡山市長訪問に続いて、岡山市日中友好協会を表敬訪問されました。 先ず会長より『洛陽市と岡山市に25年間の輝かしい友好の歴史がありました。そして、今年4月洛陽訪問時には友好関係はますます深くなり、永遠の絆で結ばれました。また、4月に訪れました洛陽大学の趙金昭学長様も同行されました。』とあいさつ、ついで、連市長より挨拶があり、『4月洛陽にてお会いしてから、この度、岡山で再会できたことを嬉しく思います。岡山市日中友好協会が両市の友好に貢献されたことに感謝します』と述べられ、『今後も、文化、技術、そして経済交流を発展させたい。』と発言されました。 |
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表敬訪問(岡山プラザホテル) |
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その後、懇談に移り、先ず永山理事より、上海、広東その他での企業活動の報告があり、片山理事より岡山外語学院の冊子を提供して、多くの中国学生の教育に協力していること、さらに中国現地での活動の説明があり、小路理事からは、中国で発行されている「人民中国」雑誌の内容を主としての勉強会をしていると報告されました。有意義な30分でありました。 |
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歓迎会での挨拶 歓迎会では岡山市日中友好協会会長として、『洛陽市と岡山市は1981年、友好都市を締結し、二十五周年になり、今年4月に高谷市長を団長とする市民訪中団が牡丹の花咲く洛陽を訪れ、熱烈歓迎を受けました。両市の関係は、さらに発展しました。その間、文化・技術研修生の相互派遣が行われ、現在は岡山市の中学校の渡邉克美さんが、本日ご出席の趙洛陽大学学長さんに大変お世話になっています。 洛陽市は古い歴史の都でありましたが、現在は西部開発の中心で、近代化が顕著です。今後は文化、教育、福祉などの交流と共に経済面での交流、協力が必要と思います。今回のご訪問、ご視察が実を結ぶ第一歩となることを祈念します。』と挨拶しました。 |
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歓迎の挨拶をする片岡会長 |
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これに対して、連維良洛陽市長は、『岡山市日中友好協会の温かい歓迎に感謝します。現在までの両市の交流に貢献されたことに謝意を表します。そして、洛陽は中国の西部開発の重点地域であり、郊外には広大な土地が造成され、岡山からの企業などに、好条件での進出を期待している。広い分野での岡山市日中友好協会のご協力をお願いしたい。』との挨拶がありました。 |
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謝辞を述べる連市長 |
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歓迎会 岡山プラザホテル4階の鶴鳴の間の会場に代表団が到着、着席されると、綾野理事の司会により開幕。娘道成寺の舞の曲がながれ、酒井律江さんの歓迎の日本舞踊が始まりました。歌舞伎舞踊らしく、物語を表現しながら踊られました。終わると満場の拍手がおこりました。 ついで、乾杯は永山理事様の音頭によりマスカットワインで行われました。来賓は挨拶をいただいた岡山市天野助役のほか、逢沢一郎衆議院議員(代理)津村啓介衆議院議員(代理)江田五月参議院議員・若井たつ子岡山市議会議員・劉勝徳岡山県華僑総会会長(代理)でした。 |
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酒井さんの歓迎の舞踊 |
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また次の方から祝電を頂きました。逢沢一郎衆議院議員・村田吉隆衆議院議員・津村啓介衆議院議員・熊代昭彦前衆議院議員。そして、会員をはじめ、関係者七十二人という多くの方々が、心からの歓迎の気持ちでご参加いただき、3人の通訳、さらに中国人、帰国者の人を通じ、あるいは中国語のなんとかできる人達を交えて、和気藹々に交流して、盛り上がっていました。 食事をしながら、あるいは食べる時間も無いまま、閉会の時間が迫り、近藤弦之介副会長の閉会の挨拶が行われました。そのあと、綾野理事の呼びかけで、全員手をつないで、テーブルを囲み、手を振りながら、『瀬戸の花嫁』を大声で歌い終り、20人の遠来のお客様を見送りました。(会長・片岡和男) |
《御 礼》 | |
協会設立二十五周年記念行事推進にあたり、皆様にご協賛カンパをお願い致しましたところ、早速、ご協力を頂きありがとうございました。年内継続して募って参ります。今後ともよろしくお願い申し上げます。 岡山市日中友好協会 二十五周年記念事業委員会 |
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寄付者のご芳名(8月1日現在) (敬称略) |
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【28口】 | 片岡和男 |
【25口】 | 近藤弦之介 |
【10口】 | 則武卓巳・松井三平・匿名希望者 |
【5口】 | 岡本拓雄・綾野勝二・大森二郎・菅波茂・西崎建築・芙美子・大道寺正子・佐野開三・高山憲三・貝畑学園・ 渇ェ山外語学院・洞富美男・山陽放送梶E三村哲重・樺国銀行・長泉寺 |
【3口】 | 片岡正文・岡崎豊・山本直樹・狩谷哲・三尾尊弘・河原太郎・赤木宣雄 |
【2.5口】 | 三澤初子・高坂温和・黒瀬定生・石村庄右・大森紀子・立岡脩二 |
【2口】 | 笹井一夫・秋本胱久・小林力・石井秀明・酒井律江・小路広史・大森安廣・京昭・赤井恭子・安井照幸・国定 剛・橘高康子・筒井信正・小林茂則・広瀬周平・岡本多太資・池田武久・板野美佐子・木山敬太郎・山名勝・高渕宣雄・則次利益・志茂紀子・岡田登志男・糸島達也・光森節子・福田禧代・多田利哉・岡山トヨタ自動車 |
【1口】 | 里山八知代・小六宗平・藤原憲市・山本寛・山谷寿・片岡啓・江田五月・金圭湘・日名和美・岸本知子・京昭・角田勝盛・平松龍四郎・秋月皓淳・小林昌子・逢澤茂美・笹野佳子・岩藤稔・佐藤幸代・萱野哲朗・井上淑子 ・安田和子・畑陽子・大森絢子・匿名希望者・北村彰康・米倉義文・仁科民子 |
私と岡山(28) 私の故郷は遼寧省丹東です −北朝鮮と中国の地を同時に踏めます− 岡山大学大学院 何 暁麗 |
−いつ来日されましたか? 2003年10月です。 −どんな目的で来られましたか?また卒業後の希望を教えて下さい。 中国の大学では日本語を専攻し、卒業後1年間日本語教師として働いていました。その時にもっと日本語のレベルを上げたい、日本を知りたいと思い留学を決意しました。卒業後は日本語教師または日中両国に関係する仕事をしたいと思っています。また微力ながら日中友好の架け橋にもなりたいです。 −何さんの出身地は遼寧省丹東のある村とお聞きしましたが、どんなところですか? 丹東は北朝鮮と隣接していて中国で一番長い国境線のあるところと言われています。丹東からは北朝鮮の新義州がみえます。また虎山長城があり、そこに行くと北朝鮮と中国の地を同時に踏むことが出来ます。青山溝は『南有九寨溝、北有青山溝(南には九寨溝があり、北には青山溝がある』と言われる程きれいです。でもこの言葉は私の地元の人だけが言っているだけかも知れませんが(笑)是非遊びに来て下さい。 −何さんは満州族ですよね?満州族のことを教えて下さい。 私は満州族ですが満州語をほとんど知りません。中国にいたときあまり満州族であるという意識はありませんでした。日本に来て中国の民族に興味のある方から満州族の事をよく聞かれますが、あまり答えることが出来ません。日本に来てから中国の民族のことについて書かれている本に多く出会いました。これを機会に自分の民族についても勉強しようと思っています。ほんの少しですが知っていることは、満州族はもともと文字をもたない民族でしたが、モンゴル語を借用しそれを改良して満州文字をつくったと言われています。現在満州語を話せる人また満州文字を書ける人はほとんどいないそうです。 −では満州族特有の遊びをご存じですか? 「ガラハ(満州語)」という遊びがあります。牛や羊、豚の後ろ足の膝の部分にある小さな骨を使って遊ぶ遊びです。その骨は四角になっていて四面あります。最初にその骨を(例えば四つ)サイコロのように転がします。転がした後、どの面を上にするかを決めます。その次に日本にもあるお手玉のようなものを高く上に投げます。それが落ちてくる前に骨の面を揃えます。それを四面全部して一番少ない回数で出来た人が勝ちです。小さい頃はこの骨を友達より多く持つ事が自慢でした。骨はもともと濁った白色をしているので、磨いたり色を塗ったりして綺麗にし宝物にしていました。骨の数は多ければ多いほど自慢になりますが、必ず偶数でないと駄目なんです。二つあって初めて一頭の動物になりますから。とても懐かしいです。 −では最後に中国語の勉強の仕方についてアドバイスを一言。 私が教えている生徒さんはみんな一生懸命勉強しているのでとても感心しています。私も日本語を勉強している時そうだったのですが、楽しくやれば必ず伸びると思います。目標を立てて頑張るのは良いことだと思いますが、もしそれが達成出来なかったからといって、やめてしまうのではなく、気長に楽しく続けていくことが大切だと思います。 (文責 中藤季子) |
洛陽だよりA 洛陽大学研修生 渡辺 克美 |
学内生活 一般の大学生は、6月に「卒業」があり「学年末」の季節だ。学生、学部等によって違うようだが、「卒業」の前に、既に地方に出向いて就職していたり、大学内で「自習」や授業をしていたり…といろいろな形態があるようだ。洛陽大学は、3年課程、4年課程、5年課程の系があり、卒業の時期もそれぞれのようだ。 後期の考査は、6月23日(金)から始まり、土曜日や日曜日も行われていた。毎日、1科目ずつ実施されているようだ。 私は連日、先生と一対一の授業を受けている。私の考査については、先生より、「あなたの毎日の学習態度は非常にまじめである。また、学習到達状況の把握は十分にできるので、考査の必要性を認めない。」と言われて免除された。考査の代わりに、授業内での聞き取り、書き取り等の小テストがあり、最後まで通常通り授業が行われた。 親善活動 友達が新しい友達を連れて来て、次々に交流の輪が広がっている。日本語や日本の生活や文化に興味を持つ学生たちも多い。その中の、特に熱心な学生に、日本語の学習の教本を渡して、少しずつ語学の学習支援もしている。日本や岡山市についても好印象を持ってくれたようだ。 日本の大学教授との懇談会 東大大学院の李先生、日大大学院の近藤先生らが、洛陽大学を訪問された。日本語系の先生や学生たちも交えての歓迎会・懇談会に出席した。とても有意義な会だった。教授は、岡山市と洛陽市の「相互派遣」についても、高く評価して下さった。 日本語系の学生数人がやって来て、親しく交流した。その内の3人が、4月から岡山商科大学に留学予定ということもあり、とても熱心に楽しく話ができた。質問も積極的に、かつ具体的で、お互いに充実した交流会になった。早速、市の国際課から送っていただいたパンフレットを渡すと、みんな目を輝かせて見て大喜びだった。 中国語の先生宅で食事会 中国語の先生が、自宅の夕食に招いてくださった。先生のお宅は「保母(中国人の積み込みのお手伝いさん)」がおられる。食事も、中国の一般的なメニューで、中国の習慣や文化を身近に感じた。家族みんなで、和やかで楽しい食事会だった。 学生が書いて来た日本語の自己紹介文の添削指導をした。また、中国各地の旅行ガイドブック(日本語版)を見せたら、自分の故郷の部分の解説を平仮名に書き直してほしいと依頼された。彼らは、平仮名は読めるようになっている。とても喜んでくれた。 日本語教師と懇談 日本語指導・支援のあり方について、意見交換、打ち合わせ等をした。直接会ってだけでなく、暑いため、メールでも数度やりとりして9月からの支援に備えている。 洛陽外国語学校の 新日本語教師歓迎会 9月より洛陽外国語学校に赴任する新しい日本語教師が、事務手続きのため、事前に洛陽に来られた。同じ岡山出身者ということもあり、宿舎で親しく懇談した。3ヶ月前、不安いっぱいでやって来た自分が、今は新しい方に洛陽の事情等を説明しているのが不思議な感じだった。 洛陽大学日本語教師の送別会 7月で退任する洛陽大学の日本語教師の送別会をした。先生は7月1日に帰国し、9月1日より、次の赴任地トルコで、また日本語教師として活躍される予定だ。私にとっては、岡山在住時代より、メール指導を受け、洛陽に来てからも支えて下さった先生なので、寂しさも感じた。 その他報告事項 中国に来て驚いたことの一つが「昼寝」だ。 最初見たのは、私の宿舎入り口の芝生(と言うより雑草の上)で、おじさんが大の字で寝ていたときだ。冗談ぬきで、落ちて死んでいるのかと、思わず声を上げて後ずさりした。あの場所で、あの寝方は、私にとってあまりにも強烈だった。 大学でも、たくさんの学生が昼休みに、廊下や教室で寝ている。渡り廊下の床で5、6人が、きちんと並んで寝ていた時は、異様さとおかしさで二度驚いた。街でも、公園や道ばたの木陰で、あるいは車やリヤカーの中で、たくさん寝ている。日本では、今まで外で「昼寝」をしている姿を見ることがなかったし、私自身「昼寝」の習慣がなかったので、初めは違和感があったが、慣れてくるとユーモラスな寝方に、ほほえましさも感じるようになった。 中国の朝は早く、夜は遅い。構内の清掃衛生員は7時前には、もう掃除をしている。大学の授業もきっちり8時開始だ。夜は、10時まで図書館も開いているし、「自習」や一部では遅くまで授業もしている。大人達も夜遅くまで、外でトランプやマージャンに興じたり、夕涼みがてら語らっていたりする。その分、昼休みは2時間半から3時間ある。先生も、昼休みは自宅に帰って食事をして、「昼寝」をしているそうだ。 大学の事務部門も一般の会社も、だいたいお昼は12時から2時半(あるいは3時)まで休みで、きっちり閉鎖している。「長い昼休み」や「昼寝」で英気を養って、午後の授業や仕事に励むというのは、合理的でよい考え方かもしれない。 |
シリーズ洛陽(2) 友好のシンボル−大仏復元− 協会理事 宮本 光研 |
世界に冠たる龍門・盧舎那(ルシャナ)大佛ですが、石像の両肘(ひじ)先から崩落して失われている。今になっては復元もかないません。 日本留学僧・空海が806年、帰国のお土産グッズに木製日諸尊仏龕(ぶつかん)として持ち帰ったのが高野山にあり、日本の国宝になっています。これが実に龍門大佛のミニチュアであり、復元にまねしたらいい、と思われます。 これによると右腕は五指を開いて立てる施無畏の印相。左腕は五指を開き、左膝に下げる与願印。ただし『仏龕』は左手で法衣の端をとる印図ですが、大差がない。当時の盧舎那仏をほうふつとさせるものが高野山にあるというのも驚きです。 なお東大寺大佛像も参考モデルになりますが、当初と違っているかも知れません。 中国の盧舎那仏=大日如来信仰は洛陽・白馬寺の本尊を始め、少なからずあります。 洛陽は『日大経』訳本の古都であれば中国におけるその中心。龍門はそのメッカとして評価されましょう。龍門石窟が多く壊され、海外に持ち出された。日本にも数多く秘蔵されています。 ちなみに大原美術館(倉敷市)にも仏像があります。「十一面観音頭像」「仏頭」「菩薩頭」像3点。どの部分から流散したか判明するものもあります。いずれ復元されていいものです。(以下次号) |
講演会案内 |
1 事業名 平成18年度古代吉備国を語る会夏季特別講演会 2 主 催 古代吉備を語る会 3 共 催 NPO岡山市日中友好協会 岡山市役所中国歴史文化研究会(洛陽会) 4 講演会 ・日時 平成18年8月19日(土)午後1時〜5時 場所 岡山市立中央公民館第5ホール(岡山市小橋) ・演題 「大王墓の系列と変遷」 講師 大阪市立大学文学部助教授 岸本 直文 氏 「古代洛陽の重要文化財の発見と保存活用」 洛陽周王城天子駕六博物館副館長 曹 岳 森 氏 「中国画の写意 花鳥画技法」 洛陽河洛書畫研究院院長 王 紅 莉 氏 5 対 象 当会会員及び市民一般(公開の講演会) 聴講無料 |
ちょっとチャット(37) 日中友好大使空海 協会理事 中村 勝夫 |
岡山・洛陽友好都市二十五周年記念訪中(4月中旬)の返礼として洛陽市長を団長とする政府代表及び経済視察訪問団の歓迎会(7月4日)がプラザホテルでNPO岡山市日中友好協会主催で、和気あいあいと行われました。 私は前々から中国について関心があり、各地を旅していましたが、片岡会長のお勧めで、ついに日中友好会員になった者としてこの様にお付き合いできることを心から喜んでおります。 さて、私はかって慈眼院総代として「赤岸鎮参拝団、高野山真言宗、第七地域伝導団」(1999年5月)に参加して訪中しました。その時の資料の一部をご紹介します。 「中日友好大使空海大師」 空海は桓武天皇の許可で第17回の遣唐使と共に肥前国田埔港から出発途中、暴風雨に他の4船と四散され34日間漂泊した後空海が大使藤原葛野麻呂と一緒に乗った第一船のみ8月10日赤岸鎮の海口に漂着しました。 空海は福州剌史へ漢文で毛筆の手紙を出し、唐都長安への求道に援助と協力を頼みました。赤岸鎮と福州で合せて3ヶ月滞在した後、唐の政府に上京することをゆるされました。福州から出発、陸路で銭塘につき、杭州を越え、蘇州、淮陰を通りベン水を溯り洛陽につき、函谷関に入り12月25日唐徳宗に謁見されました。 空海は青龍寺で恵果に師事し、密教祖法を習いました。空海大師は中日両国人民の友誼を深め、中日文化交流を促進するために大きな貢献をしました。密教灌頂国師恵果高僧に師事し、密教の法統を受け継ぎました。805年10月15日恵果の円寂にあって、空海が「大唐青龍寺故三朝国師恵果和尚碑」を作りました。 翌年806年8月空海は多くの佛典、研究資料等を持ち帰り熱心に中国文化を宣伝したので日本文化の大きな進歩を促進しました。 空海大師はすぐれた佛教家であると共に、唐の先進文化を宣伝する人、さらに中日両国人民の友情と日本文化の発展に極めて大きな貢献をしました。さすがに中日友好と文化交流の大使であり、また偉大な佛教家であったのでしょう。 |
活動日誌 | |
6/21 | 会報『岡山と中国』179号発行 |
7/4 | 洛陽市人民政府訪日団及び洛陽市経済視察団歓迎会(岡山プラザホテル) |
7/8 | 日中友好ボウリング大会(両備ボウル) |
7/13 | 「中国三誌友の会」152回定例会 |
会員消息 | |
【ご入会】狩谷 哲さん(岡山市大窪) 【お悔み】海野元太郎さん(岡山市国体町) |
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中国関連消息 | |
〜岡山市・洛陽市姉妹都市25周年記念コンサート〜 第一回 悠久への誘い〜シルクロードの風、霧の長江〜 日時…9月13日(水) 午後6時30分〜 場所…岡山シンフォニーホール 出演…二胡・劉 習韻 ヤン・チェン 古箏・羅 ゼイ新 揚金・陳 智蓮 舞踊・区 愛玲 主催…おかやま音楽祭実行委員会 共催…岡山県華僑・華人総会岡山市 後援…NPO岡山市日中友好協会、その他 料金…3,500円(全席自由) ※チケットのお求め・お問い合わせは、岡山県華僑・華人総会事務局へ ・協会にもチケットを用意しています。 |
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図書紹介 「古き北京との出会い」−樹と石と水の物語− | |
日本語の雑誌「人民中国」に連載中の、阿南・ヴァージニア・史代さんのエッセイが一冊の本になり、五州伝播出版社から発行されました。史代さんは、前駐中国日本大使・阿南惟茂氏の夫人で、アメリカカリフォルニア州立大学で東アジア史・地理学を専攻され、学士号・修士号を取得されました。 20年にわたって自ら撮り続けた北京の庶民生活の場に散在する古跡を編集したものです。かつて外国人の立ち入りが禁止されていた延慶、平谷・房山などの地区の寺院や遺跡をはじめ、失われつつある文化史跡・時代の流れですっかり姿を変えた町中のわずかな痕跡まで、収めた写真はオールカラーで400点以上に上がっている。これまでのどんなガイドブックにものっていない貴重な「北京歴史案内」の書です。(価格1,800円税込) |
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先憂後楽 | |
岡山市洛陽市友好都市二十五周年の本年は、凍結状態の解除作業から始まった。そして両市の市長の往来が実施されるまでに要した時間はわずか半年あまりだった。首長の決断さえあれば友好関係の修復は難しくないという実例を示せた。 洛陽市の外事弁公室主任の方双建氏によれば今回の訪日団は成功だった、わが友好協会の歓迎会も暖かく、訪日団一行も大変愉快に過ごせたという。今後の交流拡大を一つずつ実施していこうと熱っぽく語っていた。 この訪日団の歓迎事業という一大イベントの時に、事務局長は不在だった。新疆伊犁への旅行団の添乗をしていたのだ。協会からすれば任務放棄であり責任を問われても仕方がないところだ。ただ、良い面もあった。協会は25年を経て、組織としての基盤ができているということが改めてわかったことだ。1人や2人がいくら頑張ってもその力は知れている。『あんたがおらんでも立派にやれたよ』と永年会員の方に言われたときは嬉しくもあり寂しくもあったが、このようにして世代は交代していくのだと確認した。 ところで、伊犁の旅行に参加していた女性が帰国後わずか2週間後に亡くなった。訃報を聞いただれもが疑った。2、3日前まで、旅行が楽しかったこと、永年の希望がかなえられて嬉しかったことなどを多くの人に電話で話し、秋の西安行きも楽しみにしていると元気に言われていたからだ。葬儀には多くの旅行仲間が参列した。棺の中には2008年まで有効期限のあるパスポートとシルクロードのガイドブックが入れられていた。お盆で帰ってくるまではきっとシルクロード旅行をされているに違いない。 旅行の仕事は参加する方の夢や生きがいを託されているということ改めて思い知った(松) |
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実践中国語講座 受講生募集 | |
第42期 10月開講 クラス 時間 教室 定員 開講日 入門 木 (18:30〜20:00) 協会事務室 10名 10月5日(木) 初級1 金 (18:30〜20:00) 協会事務所 10名 10月6日(金) 初級2 月 (18:30〜20:00) 協会事務所 10名 10月2日(月) 中級1 水 (18:30〜20:00) 協会事務所 10名 10月4日(水) 中級2 火 (18:30〜20:00) 協会事務所 10名 10月3日(火) |
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アジア・コム旅遊消息 | |
岡山〜上海便利用、大連・青島へ! 往復 60,000円 ※利用できない日もあります。 お問い合わせ下さい。 今年は西安・吉備真備記念碑建立20周年! 10月には西安で記念行事も開催される予定です。 “岡山県日中懇話会”が訪中団を出して、西安、敦煌等を回る予定です。乞うご期待!! お問合せは… 潟Aジア・コミュニケーションズ 岡山県知事登録旅行業 第3-210号 〒700-0902 岡山市錦町5-15 南田辺ビル4階 http://www.asicom.co.jp TEL(086)231-0334 FAX(086)225−5041 |