2006年12月
平成18年12月
  182号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
2007年新年を迎えて              NPO岡山市日中友好協会会長  片岡 和男
 岡山市日中友好協会会員の皆様、ご支援、ご協力を頂いている皆様には、西暦2007年・丁亥の平成19年をお迎えになり、新しい抱負をいだいていらっしゃることと、お慶び申し上げます。

 さて、昨年は4月には高谷岡山市長を団長とする岡山市民友好訪中団に参加し洛陽市を訪問し、両市の正常な友好関係の固い絆が結ばれ、友好都市締結二十五周年記念を祝いました。そして、7月には連洛陽市長を団長とする訪問団が岡山市を訪れ、岡山市日中友好協会にも表敬訪問され、熱烈な歓迎会をいたしました。また、岡山市主催のサマーキャンプには洛陽の中学生が参加し、楽しい交流が出来ました。また、洛陽などとの経済交流、洛陽よりの医療視察訪問団の来岡、そして日中教育交流ほか多彩な交流が行われております。

 このような交流のなかにおいて、協会は創立二十五周年を迎えておりますが、記念行事は諸般の事情により、2月3日に、年次総会と合わせて行うことと致しました。事業は、実行委員会で計画されておりますが、岡本、小路理事さんが記念誌を編集してくださっており、当日は式典とイベントが検討されております。多くの方々のご参加を期待しております。なほ、この記念事業にたいして皆様より多くのご寄付を頂きましたこと、改めまして厚くお礼申し上げます。

 協会と致しましては、これからの中・長期計画を、皆様のご意向を頂いて立て、前向きに行動してゆく体制を整えなければと思います。それには財政基盤を強化するためには、会員の増強を、若い方々にも入会いただけるように、皆様のご協力を頂きたいと思います。そうして事業の促進のための執行に、役員の皆様、会員の皆様のご協力をお願いし、市民、県民の方々のご理解、ご支援をお願いいたしまして、新年のご挨拶といたします。

                                 
年頭の挨拶                                   岡山市長  高谷 茂男
 新年明けましておめでとうございます。
 皆様方におかれましては、希望に満ちた輝かしい新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。また、平素から、洛陽市との交流など国際友好交流事業をはじめ市政全般にわたり、格別のご理解とご協力を賜っており、厚くお礼申し上げます。とりわけ、貴協会が本市における日中民間交流の中心的役割を担われ、幅広い分野で実りある成果を上げておられることに対し、改めて深く敬意を表すものであります。

 昨年は、洛陽市との友好都市締結二十五周年の節目を迎えました。この記念すべき年に、私も岡山市民友好訪中団の団長として洛陽市を訪問し、3年に及ぶ交流凍結があったにもかかわらず、変わらぬ友情を確かめ合うとともに新たな友好交流の第一歩をしるすことができたことは大きな喜びです。これも、ひとえに貴協会の地道な交流の継続があったればこそと感謝を申し上げます。これに続いて、連維良市長を団長とする洛陽市政府友好訪日団・経済視察団をはじめ、教育、交通、医療など民間交流による様々な分野の視察団を相次いでお迎えし、また、本市からも経済視察団を派遣するなど、交流の裾野が広がっていることは誠に喜ばしく、皆様方には、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 本年は、来る1月22日に建部町、瀬戸町と併合し、新しい岡山市が誕生します。政令指定都市の実現に向けた動きを一層力強く進めながら、昨年、岡山みらい会議からいただいた「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」をメイン都市像とする提言を骨格に本市の長期的な都市ビジョンを策定してまいります。市民の皆様とともに、大きく飛躍する岡山の姿を描き、力をあわせて実現に取り組んでまいりたいと考えております。

 最後に、貴協会のますますのご発展と皆様方のご健勝、ご多幸を心から祈念いたしますとともに、市政推進に対する一層のご支援とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げまして年頭に当たってのご挨拶といたします。

カンパのお礼
 協会設立二十五周年記念事業推進にあたり、皆様にご協賛カンパをお願い致しましたところ、ご理解を頂き、出費多端の折にも拘らず早速ご協力を賜わり有難うございました。お蔭をもちまして募金額合計593,000円に達しました。厚くお礼を申し上げます。                岡山市日中友好協会二十五周年記念事業委員会

◎寄付者のご芳名
【一口】安藤三夫さん 坂本佐和子さん
【二口】中村勝夫さん

中国・洛陽市医療視察訪日団 成果を持って帰国!!        協会会長 片岡 和男 
 団長の洛陽市人民代表大会委員会副主任、石海欽、洛陽市衛生局副局長、外事弁公室副主任を含む13名(うち病院長、副院長など病院関係者10人)は、岡山市と協議により招聘は岡山市日中友好協会として、受け入れることになった。10月30日岡山空港に到着し、昼食後、瀬戸大橋・倉敷観光を終えて、18時30分より歓迎会を行なった。

 10月31日は後楽園を観光、郭沫若の石碑を見て、11時より市役所で高谷茂男岡山市長を表敬訪問し、懇談し、激励をうけた。岡山市民病院に移動し、会議室に渡辺唯志病院事業管理者、松本健五病院長ほか幹部の方々が集まられ、まず渡辺事業管理者より挨拶、日本の医療制度について解説され、問題点を指摘し、参考に述べられた。これに対して、石団長の挨拶に続いて、劉洛陽市衛生局副局長は病院の運営理念、経営について勉強したいと挨拶された。ついで松本院長より病院の運営について、年報と病院案内で診療実績を説明された。質問に移り、収支状況、管理面のことについて質疑応答があった。ついで、院内見学は集中治療室、手術室、感染症病室、外来、とくに希望で救急外来を見学した。
洛陽市医療視察訪日団表敬訪問
高谷茂男岡山市長を表敬訪問(岡山市長室にて)

 皆さんに見送られて、つぎの訪問病院である旭東病院へ向かう。パッチ・アダムスの講堂に、歓迎の垂れ幕と歓迎の画面に迎えられた。まず、土井章弘院長の歓迎の挨拶、洛陽市の劉衛星局副局長の運営管理の私的病院での形式などについて勉強したいといわれた。これに対して、土井院長は経営理念の内容、運営・診療方針を説明し、特に、芸術を取り入れた明るい環境にしたと説明された。質疑応答の後、院内見学に移り、とくに、サイバーナイフ、PET、RIセンター、地域連携室を見学し、脳・神経外科、整形外科、神経内科などを主とする専門病院としていること、そして質疑応答に対して、経営方針は年2回つくること、収支について、数字を示して、説明された。また、施設、医療器機についての質問にも答えられた。あと、皆さんで屋上庭園で市内を展望した後、講堂で、食堂の料理人の日本料理をご馳走になった。

 11月1日は岡山済生会総合病院会議室に、午前9時30分集合。岩本常務理事、糸島病院長ほか幹部、土井章弘岡山県病院協会会長が出席、先ず、糸島院長が挨拶、病院の管理理念、管理形式、経営方針などについて説明された。ついで、土井病院協会長が岡山県内のいろいろの病院について、画像で詳しく説明し、協会の活動方針について、各種委員会のことなども報告された。質問は公私病院の給与差、人事のこと、医師の欠員の後の補給、転勤のこと、研修への参加などの質問があった。

 次に、森本病院事務長代理に画像で、病院管理と運営と地域連携について、現状を解説された。ついで、質疑になり、人事評価の問題、定年後の対応の仕方、患者の待遇の問題、待ち時間、説明と同意、受付の接遇、さらに、苦情の処理についての質問があり、これらに現状を説明した。また、社会福祉法人の税制面のこと、営業採算の問題についての質問もあった。

 昼食は職員食堂で、食堂自作の中華丼とスープを頂く。午後より、2組に分かれて院内見学へ。手術室、ICU、病棟詰所、肝臓センター、緩和病棟などを、また、建築設計研究所の副所長はエネルギー関係の部門、厨房、中央材料室、内視鏡室、臨床検査室、救急センターなどを見学した。また、建築設計研究所の副所長はエネルギー関係の部門、厨房、中央材料室などを、田淵参事と入念に写真を撮りながら見て回っていた。これは帰国後、洛陽の広大な土地に、1,000床の病院を設計するとか?

 午後3時から、ライフケアセンターを見学。先ず、服部特養施設長の挨拶の後、ケアハウス、特養、老健施設、デイケアー、新設の介護老人保健施設を見学し、説明をうけた。とくに注目したのは、車椅子のまま入浴できる浴槽とか、それぞれの便所であった。

 病院へ帰り、疲れを休め、午後6時より、院内レストランで、歓迎会が開催された。先ず、岩本常務理事が日本の医療の根本的体制を述べて、挨拶をされた。これに、衛生局副所長が、そのことを教訓とします。今回の訪問が非常に意義があり、お世話になった皆さんに感謝しますとお礼を述べられた。江木総看護部長の乾杯の音頭により開宴し、中華、和食のバイキングにより、和やかな雰囲気のなかで、感動の気持ちが溢れていた。最後に日中友好協会の会長として私より、関係の3病院の皆さん、岡山市の高谷市長始め国際課の方々にはご指導、ご協力を頂きましたことに、心より感謝いたしますと謝辞を述べた。

 翌2日には、新幹線駅頭には岡山市市民局長、国際課長の見送りを頂き、訪問団の皆さんは、皆様のご指導、ご対応、お心遣いに、感動した、感動したとの興奮状態で、来春には洛陽に来て下さいと言う皆さんを見送った。以後は奈良の橿原市の老人施設、東京済生会中央病院を訪問して、帰国される。

岡山市日中友好協会NPO認証記念 第十四回公開講座
「経済記者が見た岡山と中国」             講師 山陽新聞社経済部長 綾野 雄紀 
 第14回文化講座は、12月9日14時から岡山県生涯学習センター視聴覚室で行なわれた。講師は、長年にわたり山陽新聞社の経済記者を勤め、現在、経済部長として活躍しておられる綾野雄紀氏。会員の藤井美琴さんにパソコン速記をして頂きました。紙面の都合上、その一部を掲載します。

経済記者が見た岡山と中国
 現在の日中関係は切っても切れないもので、中でも経済的な関係は非常に深いものがあります。中国との関係が断絶したら日本の製造業のほとんどは壊滅的打撃をこうむるのではないでしょうか。

 今日は私がこれまでに経済部記者として取材した中で、企業や人、行政機関などのうち、中国に関係したものを振り返ったり、最近の経済部記者が書いてきた原稿などを通じて、私が見た岡山と中国の関係、特に経済の領域を中心にお話したいと思います。

 まず初めに、中国の現状をざっと見ておきましょう。ジェトロ(日本貿易振興機構)のデータで紹介しますと、面積は960万平方キロメートルで、日本の約26倍、人口はざっと13億人ですね。2005年の実質GDP(国内総生産)の成長率は9.9%で、2兆2250億ドル、米国、日本、ドイツに次いで世界第4位に踊り出ました。また中国の貿易総額は、04年に日本を抜き、米、独のつぎ世界3位になっています。つまり中国を軸に世界の貿易構造は大きく変化しています。

 日本との貿易では、対日輸出額は839億9213万ドル、対日輸入額は1004億5163万ドルです。中国は日本にとって04年に米国を抜いて最大の貿易相手となっています。逆に中国の貿易相手としては、かつて首位だった日本は04年に3位に転落しています。日本の主な輸出品目をシェアの多いものでいいますと、電気機器、一般機械、科学製品などで、逆に中国からの主な輸入品目は機械機器、繊維製品、食料品などとなります。

 では、これほど大きな経済的可能性を秘めた中国に、現在の岡山県内の企業進出状況はどうなっているのか見てみましょう。

 資料は岡山県やジェトロ岡山(日本貿易振興機構岡山貿易情報センター)などが作成した「岡山県企業の海外事業展開状況 調査報告書」の最新版で、今年4月に出され、2005年までのデータをまとめています。

 それによりますと、2005年に県内企業が海外に新規開設した事業所数は14で、そのうち11ヶ所が中国。上海市や江蘇省、福建省などに営業や製造の拠点を設けました。他は米国とインド、フィリピンがそれぞれ1ヶ所です。

 2005年末時点の海外進出企業のトータルは157社で、進出先は25五カ国・地域に及びます。事業所数は304で、中国が178と全体の約6割を占めています。次いで米国が34四、タイが16、マレーシア11、韓国と台湾が10という順番になっています。業種別では、繊維・衣服が51、製造業の販売・貿易拠点が48、駐在員事務所が32などです。

 中国だけを取り出して見ると、1994年までに39事業所が進出。以下、95年25で、96年から一桁が四年続き、2000年以降は2001年を除いて二桁に再び回復しています。

 そうなると、2006年の状況はどうか。これはまだ統計がありませんので、私が担当しております地方経済面で、今年これまでに掲載した地場企業の中国進出記事を参照してみました。ざっと探しただけで18件ありました。もちろん、これは岡山県やジェトロ岡山の統計とは違って、新聞記者の網に引っかかって記事化できたものに限られていますから、実際はこれより多い可能性が高いと思います。まだまだ中国進出を図る企業は少なくないと言えるでしょう。

 一般的に、企業の海外進出は、戦後、日本が経済的な成長を続ける中で進んできたことはいうまでもありません。高度成長の結果、繊維や鉄鋼、自動車、テレビなどの家電製品で、日米経済摩擦を引き起こし、1970年代ごろから米国に現地工場を造るなどの動きが目立つようになりました。

 こうした中で、とりわけ大きな契機となったのは1985年のプラザ合意でしょう。日米英独仏の蔵相がニューヨークのプラザホテルで会合し、金融通貨政策の強調とドル防衛を決めました。その結果がどうなったかというと、円高が急速に進みました。今は一ドル116円程度ですが、一時は史上最高の79円(1995年7月)まで行きましたね。こうした状況下で、日本の企業は米国などのほか、経済成長の著しかった東南アジアに安価な労働力を求めて進出を続けていったというわけです。

 岡山県内の企業も、このような大きな流れに沿った形で海外進出していきます。高度成長前から進出していた企業もあるようですが、やはりプラザ合意のなされた1985年、つまり昭和60年前後から目立つようになりました。進出先も米国から東南アジアに急速にシフトしていきます。

 では進出先としての中国はといいますと、1978年に「改革開放路線」が発表され、対中国投資は徐々に拡大していましたが、1989年の天安門事件で、水を差された形になりました。

 しかし、その後、1992年1月の「南方講和」(南巡講和)で風向きは大きく変わりました。当時の最高実力者、トウ小平氏が中国南部の深セン、上海などを視察した際に行なった一連の講話で、「資本主義の長所」の導入を呼び掛けて改革・開放路線を進展させるよう求め、保守派を批判しました。この講和を機に、「社会主義市場経済」の名の下で外国からの資金・技術の導入が進み、対中投資ブームが起き、中国経済の高度成長路線が定着しました。

 特に中国沿岸部には多くの経済特区が整備され、外国資本の誘致が図られました。私が建設中の大連の経済特区や上海を訪れたのもちょうどこうした時期でした。この1992年から1996年にかけての5年間が岡山県内の企業にとって「第一次中国進出ブーム」になったといえるでしょう。

 ところが、1997年にはタイのバーツ急落などによる「アジア通貨危機」が起こり、韓国やインドネシア、マレーシアにも波及し、経済的な混乱に陥りました。そのころは日本もバブル経済崩壊後の長い不況に陥っており、東アジアの混乱ともあいまって中国進出企業は減少し、1997年から1999年にかけては一時、沈静化の傾向を見せます。

 この間も中国は高い経済成長を維持し、やがて東南アジアの経済も立ち直ってきます。そうなると、中国への投資も2000年には再び活発になりました。岡山県企業の中国進出も回復し、「第二次中国進出ブーム」といえるのではないでしょうか。また、中国が2001年に世界貿易機構(WTO)に加盟したことも、外国企業の対中直接投資増加を後押ししたと思います。第二次のブームは2003年にピークに達しましたが、ゆるやかに減速しながら、いちおう現在まで続いている感じはします。

 おおまかに岡山県企業の中国進出は、2度のブームがあると言いました。業種的にはかなり広がってきていますが、基本的には早い時期は繊維、自動車部品、家電部品、金属加工、一般機械などが目立ちます。今でもこの傾向はあるといえますが、最近では医療機器、IT関連、人材派遣など、さまざまな分野の地場企業が中国に出て行っています。

ちょっとチャット(40) 洛陽市からのお客様を迎えて   
                                 (財)岡山旭東病院院長 土井 章弘 
 岡山市日中友好協会の片岡和男会長の要請があり、10月31日、洛陽市からの医療視察団(13名)を受け入れさせて頂きました。

 中国の医療についてはあまり知識が無く、国外からの病院見学受け入れも初めての経験であり、私どもの脳神経運動器の専門病院がお役に立てるかどうか不安でした。

 歓迎の印に中華人民共和国の旗を日の丸の内側に並べて掲揚し、見学会は私と石海飲団長の挨拶で始まりました。幸い私どもの病院には岡山医科大学 神経内科から週一日、中国の留学生(張 漢哲先生)が来ており、彼が私の説明を通訳してくれたお蔭で、病院の概要や経営指針による理念経営が多少は理解いただけたと思います。病院見学では、病院の雰囲気が温かいと評価して頂き、言葉は通じなくても伝わるのだと嬉しく感じました。病院やインテリアや、“風呂”がとても珍しいのか、写真をたくさん撮られていました。

 その後、当院の料理長が腕を振るって提供した日本食「松花堂弁当」を楽しんで頂きました。会食しながらの質疑応答で有意義な時間を過ごすことができました。中国の洛陽市は、健康保険が一般的でないこと、農村部の人はなかなか病院にかかれないなど、私たちが知らない中国の一端を知ることが出来ました。また、中国の医療は市場原理で経営されているようにも感じました。私にとっては近くて遠い国であった中国が少し身近に感じられた一日となりました。
 何時の日か、訪問してみたいと思います。

活動日誌
9/30 岡山市技術研修生 李九革さん来岡
10/12 中国三誌友の会第154回定例会
10/18 会報181号発行
10/23 第3回理事会
10/30 洛陽医療訪問団来岡
11/9 中国三誌友の会第155回定例会
12/9 第14回文化講座
12/14

中国三誌友の会第156回定例会(忘年会)

会員消息
【ご入会】土井章弘さん

先憂後楽
 中国を評した本は多い。特に、目を覆いたくなるような表題で中国を口汚くののしるような本が書店を賑わしている。中国でも、日本全体が右翼であるかのような表題の本を空港や駅で見かける。表面的というか、部分的な評論が両国民の世論形成に誤ったメッセージを与えている気がする。そのような中で元上海総領事の杉本信行氏が著した「大地の咆哮」という書は、現代中国を理解し日中関係を展望する上で多くの示唆を与えてくれる。

 まえがきで『中国認識で大切なことは、各種データによって観念的に中国を観ることではなく、机上の理論を排した現実に即して、中国を理解すること』と書かれているように、本書に触れられている、中国の深刻な環境問題、対中ODAの実態、都市と農村の格差、靖国参拝問題などは、すべて客観的なデータと氏が実際に現場に赴き見てきた現実を分析して、予断と偏見を徹底的に排除して書かれているために説得力がある。

 中国への辛辣な批判と忌憚のない警告は、ここまで書いて大丈夫か、と思わせるほどだが、読後は却ってすっきりして、友好への気持ちが高まってくる。これは、氏が末期がんと戦いながら、まさに命を欠けて、『相手に対する尊敬の念と同情の念を抱いて』執筆した咆哮(たけりさけぶこと「広辞苑」)だからだろう。

 本年は日中国交三十五周年にあたる。会員の皆様とともに、新しい年が日中相互理解が更に深まる年になるよう尽力したい(松)

ご案内
2007年度協会定期総会協会設立二十五周年記念行事
 表記の行事を下記の日程で開催します。万障繰り合わせの上、ご参加下さいますようご案内申し上げます。

[日時]2007年2月3日(土曜日)

10時…定期総会
 @ 2006年度活動報告
 A 2006年度収支報告
 B 役員選出
 C 2007年度活動方針案
 D 2007年度収支予算案

11時…記念コンサート
  ソプラノ独唱…「友好賛歌」村上彩子

12時…新年互礼会、会食

[場所]岡山プラザホテル(岡山市浜一丁目三−十二)
[会費]7,000円(コンサート・レセプション費用を含む)
 ※当日、二十五周年記念冊子を配布します。

アジア・コム旅遊消息
新年好! 本年も宜しくお願いいたします。
 本年は日中国交正常化35周年です。
 この記念すべき年に、岡山市の友好都市洛陽の牡丹祭り特別参加と清朝時代の避暑山荘・承徳への訪問団が企画されました。
 多数の会員の皆様のご参加をお願い致します。
 弊社は、このたび国土交通大臣登録旅行会社になりました。オリジナルの企画募集ツアーをご提案させていただきたいと存じます。
 今後とも変らぬご高配を賜りますようお願い申し上げます。
  平成19年元旦
 n旅行期間:2007年74月 6泊7日  n旅行代金:163,000円
 n定  員:20名(最少催行人数15名)   (岡山空港発着)
お問合せは…
潟Aジア・コミュニケーションズ 岡山県知事登録旅行業 第3-210号
〒700-0902 岡山市錦町5-15 南田辺ビル4階 http://www.asicom.co.jp
TEL(086)231-0334 FAX(086)225−5041


「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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