2007年12月
平成19年12月
  188号

発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
2008年年頭のご挨拶
平成20年新春を迎えまして            NPO岡山市日中友好協会会長 片岡 和男
 平成20年・2008年の新年おめでとうございます。皆様にはご健勝で、それぞれ抱負をもって、新年を、お迎えになられたこととお慶び致します。

 協会と致しましては、昨年5月には、北京・承徳を経て、洛陽に入り、洛陽人民政府の連前市長および郭現市長お揃いでお出迎えをいただき、洛陽・岡山の友好関係の継続を確認し、経済・文化・技術などの交流の促進を協議しました。一昨年の医療訪日団に続いて、昨年は経済訪問団、仏教訪問団を迎えて、方双建、白馬寺印楽方丈のご来岡で、友好の雰囲気は盛り上がりました。そして、黄河沿いに治水のための植樹を地元の人々と行うとともに、岡山白桃の接木の桃園の開所式に出席しました。これが成功して、洛陽で、白桃が生産されることを祈るものであります。なほ、私は10月江西省を訪れ、岡山県との友好交流の気運に接し、いろいろ見聞しました。さらに洛陽よりの技術研修生曲さん、岡山よりの研修生安井美那子さんは洛陽大学で中国語・胡弓の研修を行っております。

 昨年は岡山においても色々の行事があり、ご協力いただきました。特別なことは、協会会報187号一面に、松井事務局長が記述された中西寛治氏−戦後、岡山で、初めて日中友好協会を立ち上げた人−の所蔵されていた資料の寄贈を受け、整理のうえ、皆様に広く紹介する事業であります。この作業には松井さんとともにご協力いただきたく思っております。さらに、12月には三誌友の会の忘年会があり、小路広史さんのご指導、ご貢献に心より感謝致しました。

 なお協会といたしましては、基盤の強化、活発な活動を支えてゆくために、ご理解いただける多くの会員の増強が望まれます。どうぞ、ご紹介をお願いいたします。そして、執行部も会長の若返りが望まれます。よろしくお願いいたします。輝かしい日本、世界の安定することを祈念いたしまして、ご挨拶といたします。

平成20年新年のご挨拶                         岡山市長 高谷 茂男
 新年明けましておめでとうございます。

 皆様方におかれましては、希望に満ちた輝かしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

 平素から、洛陽市との交流など国際友好交流事業をはじめ市政全般にわたり、格別のご理解とご協力を賜り、厚くお礼申し上げます。とりわけ、貴協会が本市における日中民間交流の中心的役割を担われ、幅広い分野で実りある成果を上げておられることに対し、改めて深く敬意を表するものであります。

 昨年は、日中国交正常化三十五周年を祝し、両国で幅広い友好交流が行なわれました。本市においても、岡山市友好訪中団が洛陽市を訪問し、私も団長としてこれに加わり、郭洪昌洛陽市長をはじめとする関係者の方々との会談を通じて、水と緑を大切にしたまちづくりの理念を互いに共有することができました。また、これに続いて、洛陽市から民営企業訪日団、仏教交流訪日団が相次いで岡山市を訪れるなど、幅広い分野での交流が継続しておりますのも、貴協会の多大なお力添えのおかげであり、皆様方には、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 本市では、昨年、長期的な視点に立った街づくりを進めるための岡山市都市ビジョンをとりまとめ、「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」と「中四国をつなぐ総合福祉の拠点都市」を、市民の皆様とともに現実に向けて取り組んでいく本市の将来都市像に掲げました。本年は、この大きな指針の下、新しい市政をつくり上げていく第一歩となります。平成21年の「政令指定都市・岡山」の実現に全力で取り組み、夢のあるまちづくりを進めてまいりたいと考えております。

 最後に、貴協会のますますのご発展と会員の皆様方のご健勝、ご多幸を祈念いたしますとともに、市政の推進に一層のご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げまして、新年のごあいさつといたします。

《ご案内》 2008年度協会定期総会記念講演会・新春互礼会
 表記の行事を下記の日程で開催します。万障繰り合わせの上、ご参加下さいますようご案内申し上げます。
[日時]2008年2月9日(土曜日)
◎10時…定期総会
   @ 2007年度活動報告
   A 2007年度収支報告
   B 2008年度活動方針案
   C 2008年度収支予算案

◎11時…記念講演「中国の今」
   講師・横堀克己氏(無料。但し、参加希望の方は事前に連絡して下さい。)

◎12時30分…新年互礼会、会食、バザー
[場所]岡山ピュアリティまきび)
[会費]6.000円(互礼会会費)

講師の紹介と聴講のお願い
 横堀克己氏は、東京大学文学部東洋史学科卒業後、朝日新聞論説委員、同北京支局長を経て、現在「人民中国雑誌社」の編集委員をされています。

 2008年といえば何といってもオリンピックです。世界中の耳目が、中国・北京に注がれます。中国も国家の最大プロジェクトとしてとらえており、あらゆることに優先してこの事業を準備しています。一方、環境問題や、格差の問題、経済成長のゆくえなど、多くの分野で懸案事項等もあり、今後の日中関係のありかたを含め、関心が高まってきています。
 このような中で、一貫してアジア・中国畑を歩き、中国の政治・経済・文化に精通されている横堀克己氏をお招きして、お話をいただく機会を得ました。

 2008年は中国が改革開放政策を開始して30年という節目でもありますが、横堀氏は、朝日新聞北京支局長として中国要人にも会見されており、氏のお話は臨場感あふれるものとなるに違いありません。

 協会会員の皆様はもちろん、中国と交流をすすめておられる多くの皆様に是非ともご聴講いただきたいと思います。

お願い
 バザーの出品物を提供して下さいますようお願い申し上げます。提供して頂く品物は、参加者の皆さんに喜んで買って頂ける日用品、酒類、菓子類、お茶、石鹸、洗剤、美術品などでも結構です。品物は1月14日(金)までに、協会事務局へお届け下さい。

2008年度の洛陽小浪底緑化協力事業へ  日中緑化基金の助成が決定!
 協会が洛陽市人民対外友好協会と共同で実施している洛陽市孟津県での『洛陽小浪底緑化協力事業』に対し、日中緑化交流基金(通称小渕基金)は2008年度予算として、総額560万円の助成を決定し、10月23日付けで協会に書面が届いた。

洛陽市の植林現場へ
 これを受け、11月19日から21日にかけ、農業技術指導をお願いしている会員の國忠征美氏と松井事務局長が洛陽市を訪問し、2007年度の実施状況の確認作業を行うとともに、来年度計画の内容について協議した。協議には洛陽市から外事弁公室の楊明副主任、実施地の小浪底がある孟津県林業局の周宗春局長、林業指導員の王海波、梁成立氏らが参加し、内容について合意するとともに、洛陽市側から来年度(2008年)の5月か6月、桃生産の技術研修と視察を目的として岡山へ訪問する計画が明らかにされた。また、2009年以降の計画の中で、3年計画を立て、日中緑化交流基金に申請することも決定された。

洛陽市との交流が活発
洛陽市民営企業視察団
 張月玲洛陽市人民政府副秘書長を団長とする洛陽民企業視察団14名が10月29日来岡した。これは、一昨年来続いている岡山市との経済交流の一環で、市が招聘したもの。一行は三菱自動車水島製作所やオージー技研、東部クリーンセンター等県内企業を視察したほか、岡山市・協会共催の歓迎会に出席した。今後、民間企業同士の合作が期待される。

洛陽仏教訪日団
 中国の名刹白馬寺釈印楽方丈ら4名が11月5日に岡山に到着し、白馬寺の友好寺である長泉寺(住職−宮本光研協会理事)を訪問したほか、岡山市長を表敬訪問し、6日には協会主催の歓迎会に臨んだ。歓迎会には、洛陽白馬寺を訪問した会員や役員ら45名が参加し友好を深めた。訪日団は洛陽市外事弁公室の方双建主任が引率したもので、今回は小豆島で開催される子安観音寺の晋山式に出席することが主な目的であった。

岡山市生涯学習フェスティバル『日中友好飯店』 出店
 第19回全国生涯学習フェスティバル岡山市実行委員会が主催する「わくわく子どもまつり」に協賛して、岡山市日中友好協会は「日中友好飯店」の屋台を出店し、11月3日、4日の2日間、餃子や饅頭、ニラマンなどを販売した。
 この行事は洞理事が中心となり、横浜中華街から本格的中華料理店の協力を得て実施した。両日は天候も良く、2万人以上の参加者があり、友好飯店にも多くの客が訪れ、売上も上々。店内には、入会案内や人民中国誌、映画上映会の案内チラシなどを置き、来客にアピールした。

中西寛治随想記 (2)−古い中国の街頭風景泥棒の仁義−
 古い中国では乞食、泥棒、スリなどはそれぞれ組合組織が出来ていて、縄張りが決められており、それを侵すことは出来ない仕組みになっていた。

 私は次のような体験をしたことがある。

 ある日用事で一日家を留守にしたことがある。その時夜具の布団、毛布、まくら等を盗まれた。余分の夜具がないため、困って知人の中国人に相談したところ、「では私が泥棒組合へ話して返してもらうようにしましょう」と言うものだから、よろしく頼むと言ったところ、その人は「無償で返してくれと言えないので泥棒の要求する金額を出しますか」と言う。私は出来るだけ泥棒の要求に添うようにすると言うと、知らぬ間に、夜、家の入口に盗まれた夜具が届いていた。

 後で仲介の中国人に渡した泥棒の要求額は私が予想していた額より少なかったことに驚いた。泥棒組合の所在・場所などは一切解らない仕組みになっているようであった。

 金を渡す前に盗品が届けられたことは、仲介の人の顔を立ててのことと思う。彼らにもそれなりの仁義があることを知ったのである。

 泥棒組合にコネがなければ盗品が泥棒市に出るのを待って買い戻す以外に方法はなかった。(1978年)

岡山県日中懇話会友好訪中団に参加して                 協会会長 片岡 和男
 江西省は、是非行って見たいところで、またとないチャンスと思い、申し込んだ。

10月23日
 盧山(ロザン)は世界自然文化遺産に指定されている。一番高いところは海抜1,474mの一大山地であり、夏は涼しく、避暑地としても名高く、巨岩、重畳たる山々の連なりは、白居易が「盧山の奇秀、天下の山に甲たり」と絶賛した。江西省人民政府の車で盧山の高所まで登り、花経へ、ここは白居易が遊び花を愛した所で、池があり蓮の花が名残惜しく咲いていた。そこから、くだり道、ところどころ登り道を歩いた。道から張り出した巨岩、深い谷底、圧巻は三畳泉の瀑布である。詩人の李白は「遥かに看る瀑布の長川をかくるを飛流直下三千尺」と詠んだ。また、仙人洞は砂岩の洞窟で、石の純陽殿がある。しばらく行くと樹林のなかに、フランス人たちの別荘が立ち並んでいた。

 ここから南昌のホテルに帰る。休憩の後、レセプション会場へ、江西省、省内の都市と友好交流縁組の岡山県、九江市と玉野市、玉島と高安市、そのほかの都市、ブラジルの都市など、大勢の参加で賑わった。

10月24日
 南昌市は江西省の省都で、人口111万で、名高い歴史文化の都市で、1927年8月1日周恩来、朱徳ら同志は、中国人民解放軍を集結して、蜂起した。これが八一南昌蜂起である。先ず、籐王閣見学へ、現在のものは宋代の風格である。99の石段を登っての四層の豪華な閣楼である。次に、南昌市都市計画館で、南昌市の現在の建築に将来のビル建築を見越した巨大なパノラマ模型には、驚いた。人民解放軍の蜂起を記念した広場には、高さ45.5mの記念塔が聳える。

 次に江西省雑技学校を訪問した。今年、岡山県講演のときチボリ公園で出会った子供たちに再会出来たことは感慨深かった。午後4時より江西省外事弁室に王雨森副主任、徐波副所長ほかを表敬訪問し、歓迎会が盛大におこなわれた。なほ、南昌到着以来の通訳は岡山に在住したことのあるベテランで、とても心優しい女性の顧健紅さんである。

10月25日
 8時30分発、11時30分景徳鎮へ。まず湖田古窯跡を見学した。隋、唐時代から生産した白紬磁、宋代、そして明代の赤絵へと、陶磁器の芸術性、生産性の発展は素晴らしく、日本の有田焼などへ影響した。そして、土からの造形、窯での焼き上げ、微妙な細工、細かい絵の色付けなど、それぞれの場面を見せてもらった。それから、景徳鎮駅舎内の壁面に、日中友好合作レリーフとして浦上善次氏の備前焼の巨大な登板が掲げられていた。

10月26日
 ブ源へ。この地方は山村、平地いずこも家屋は白壁で、非常に美しい田園風景と映る。白色は潔癖な人間性の住民の地方であることを示しているとのことである。環境にやさしい工場、お茶の産地、梨ができる、紅の鯉の居るところである。

 先ず、彩虹橋は宋の時代に建築された木造の屋根のある橋である。これを渡り、川原の石を伝い対岸に移り、むかしの農家の使った農機具、水車を見て、ゲン田風景区の石橋を渡ると、樟木の巨木がある。1800年の歴史があり、周囲は15mで、天下第一の古木である。渓流に沿い遊歩道を登ってゆくと、橋もあり、小さい滝がある。折り返して、素敵な山荘で、昼食を頂いた。

 あと、車で古民居へ、ここは、やはり白壁の集合住宅で、宋の時代に住宅を作ったとき、下水道を造っていて、亀が生息して、下水を浄化しているそうである。夕食には、ブ源県人民政府外事弁公室王国栄主任、呂常委副委長、そして上ショウ市外事弁公室王美娟主任が加わって、話に熱がわいた。友好交流の関心のあることを覗わせた。食事が終わって、景徳鎮空港から上海虹橋空港到着。

10月27日
 先ず、上海工芸美術館見学へ、近代、現代の豪華な美術工芸品などの展示が見られた。次に、上海城市計画展示館へ、圧巻は、広大な屋内広場に、現在より未来の都市計画の模型見取り図が示され、また、それを立体空間としてみることが出来、未来の夢が描かれているようであった。
 
 それから、魯迅公園、魯迅記念館へ。公園としては広さは上海一で、多くの人が入場していた。魯迅の坐像、会議風景、出入りしていた内山書店の風景が再現され、内山完造との当時の肝胆遭い照らした人間関係がうかがえる。ちなみに魯迅は、日本の東北大学に留学されていた。また内山完造は岡山県後月郡の出身で、戦後日中友好協会を最初に立ち上げた人である。

シリーズ洛陽(8)  馬寺鐘声
 洛陽八景の一つ「馬寺鐘声」はその昔、白馬寺が古城の西の門、北●(亡におおざと)山の麓にあった。鐘声が日の出、日の入りあいに仏都の空にひびきわたったことであろう。

 古鐘は文化大革命の嵐の中にも残された。1987年、日中友好事業として岡山市表町の旧「鐘撞堂」の再現のため、戦災で失われた大鐘を作ってほしい、と洛陽市へ願い出た。この計画はしかし頓挫、結果は市内南方長泉寺の鐘楼門に吊されることになった。

 中国で文革後、最初に鋳された梵鐘であっただろう。さすがに霊妙なひびきで、鐘声はブッダの説法の声とされる。ころもの裳すそを翻し行く形で鋳造される独特な中国鐘。白馬寺鐘の写しだが、黄帝像が鋳られている。

 秋日、盛大な開眼式が催され、中国大使、洛陽美術館・王綉館長らが出席。岡山県日中仏教文化交流会・恵光大老師、県仏教会・完海大僧正、当会六車清茂会長ら五百人が参列した。

 朝の鐘は岡山に 夕は遙か洛陽城

 行く年くる年、日中友好の空にひびき合う。今年も大晦日、白馬寺と長泉寺で「除夜の鐘」つきが行われる。ご参加あれ。                                  (協会理事 宮本光研)

ちょっとチャット(46) 
江戸時代における中国語の受容−冠山の唐話辞書『唐話纂要』を通して−

                                  岡山大学大学院留学生 何  暁麗
 日本漢字音には、中国から伝わってきた「呉音(ゴオン)」「漢音(カンオン)」「唐音(トウイン)」(宋音(ソウオン)・唐宋音(トウソウオン)とも言う)と日本で読み慣わしている「慣用音(カンヨウオン)」の四種類がある。例を挙げてみると、「頭」という漢字の読みのうち、「頭痛(ずつう)」の「ず」は呉音、「念頭(ねんとう)」の「とう」は漢音、「饅頭(まんじゅう)」の「じゅう」は唐音、「頭注(とちゅう)」の「と」は慣用音である。

 しかし、一口に「○音」と言っても、それぞれの中に、また古いものと新しいのもがあり、いくつかの「層」に分かれている。つまり、各漢字音の内部に「複層性」がある。

 私は、「唐音」、特に江戸時代に日本に伝わってきた近世唐音の訳官(唐通事・中国語の通訳官)系唐音に属する唐話(トウワ)辞書に収録した唐音について、調べている。

 「唐話辞書」というのは、『日本語学研究事典』によると、特に近世になって長崎訳官などの手を経て作られた辞書、また、それらの人の教えを受けてさらに研究を進めた人々の作った辞書類を指す。唐話辞書は中国語研究資料としても、日本語研究資料としても重要なものである。

 図一は唐話の大家、岡島冠山が編纂した『唐話纂要』(古典研究会編(1972)『唐話辞書類集』第六集に収録)からコピーしたものである。ご覧の通り、唐話(中国語)の右側にカタカナで当該唐話の発音を示し、下に日本語訳を添えている。

 図一を部分的に拡大してみると、図二になる。図二の「頭痛」の発音を示す「テ ○ウトン」について、少し説明を加えたい。まず、「頭」を「テ ○ウトン」の「テ」と「ウ」の間に「 ○」の表記を入れたのは、日本語の「テウ」の発音を間違わないように注意するためであると思われる。また、「痛」を「トン」のように撥音で記されている。「痛」の現代北京音をピンインで示すとtong4となる。撥音「ン」とピンインのngと対応している。この他、「生瘡」(ス ヱン 。サン)の「サ」の右肩に「 ヱ」の表記をしたのは、日本語の「サ」と区別して「ツァ」のように撥音させる工夫である。
 以上のようなことから、唐話辞書を調べると、近世唐音の特徴や、唐音表記上の工夫などが少しでも窮われるだろう。

活動日誌
10/11 中国三誌友の会第162回定例会
10/24 会報「岡山と中国」187号発行
10/29 洛陽民営企業訪問団歓迎会
11/3 3日、4日の2日間、岡山市生涯学習おもちゃ箱イン岡山ドームに「日中友好飯店」を出店。
11/8 中国三誌友の会第163回定例会
11/10 旭川荘五十周年式典と感謝の集い。片岡会長出席
11/19 洛陽市「友好桃園」剪定作業技術者派遣
11/25 岡山商科大学孔子学院設立式へ片岡会長出席
12/6 洛陽市仏教訪問団歓迎会
12/13 中国三誌友の会第164回定例会(忘年会)
12/15

中国映画「水没の前に」上映会

図書紹介  「小さな灯火を遺して」−中日友好楼は忘れない−
 1989年、旧満州国の首都であった吉林省長春の住宅地に3階建ての共同住宅「日本孤児中国養父母住宅・感謝楼」が建設された。それを建設したのは、日本人の笠貫尚章氏である。この共同住宅は、後に「中日友好楼」と名付けられた。

 1945年8月、旧ソ連の侵攻で窮地に陥り、大混乱の中で逃避行をした満州開拓団が多数の子どもを置き去りにしていった地に、子どもたちを引き取り育ててくれた中国人養父母の住む建物である。

 笠貫尚章氏は1938年から長春で仕事をし、1946年に帰国。中国残留孤児を育ててくれた養父母へ感謝の意味を込めて、私財8千万円を投じて「中日友好楼」を寄贈した。この本は笠貫尚章氏の夫人静江さんが、夫の辿った足跡を書き留めたものである。
【発行・現代企画/発売・草輝出版。1,300円+税 2007年10月発行】

先憂後楽
 2008年北京オリンピック、2010年上海万博と、愈々中国が世界の人々の耳目を集めるときがやってきた。世紀のプロジェクトのソフトランディングを望む声は大きい。環境、資源、格差、など中国内問題でもあり、世界にも大きな影響を与える多くの重大な問題をかかえながら、成長し続ける中で中国がどういう方向に行くのか、目が話せない。

 いま中国の指導部が提唱している「和諧社会実現」の和諧という言葉について、先般来日された洛陽白馬寺の釈印楽方丈にお聞きした。仏教の教えや孔子の思想などから引用した造語ではないかとのことであった。穏やかに、丁寧にという意味とは別に自由闊達という意味もあるそうだ。いわゆる西側社会でいう「自由民主」とは異なる中国独特の概念で、さすが漢字の国、思想の国と思わせる。

 日中関係も新たな段階に入っている。友好を築く段階、友好を検証する段階、そしてこれからは友好を活用し強化していく段階といえないだろうか?平等互恵の立場で相互に足らざるを補い合うパートナーシップの時代が到来している。私たちの民間団体である友好協会もその流れと無縁ではないだろう。

 先日、会員の方から、もうちょっとキチンとした組織にしたら?と苦言を呈された。仲良し集団も良いが若い会員を増やして会の若返りをせよ、活性化をはかれという意味と理解した。そのために協力するとのお申出で単なる批判ではない。

 協会設立から四半世紀が経過し、日中間の環境も、大きく異なっている。

 会員の方の叱咤激励をいただき、力をお借りしながら、キチンとした協会にすべく、尽力したい(松)

アジア・コム旅遊消息
  2008 謹賀新年
 旧年中は大変お世話になりました。
 本年は北京オリンピックが開催されます。世界中の耳目が中国に集まり、これまで以上に往来も活発になるでしょう。
 アジアコムは旅行業務を通じて、日中間の相互理解を促進し、友好を深めるお手伝いをしていきたいと考えています。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
n2008年企画団体旅行(予定)
 ・洛陽牡丹祭り ・内蒙古と山西省の旅 ・雲南(麗江、大理、香格里拉)の旅
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また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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