岡山と中国 2009年4月
平成21年4月
  196号


発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
岡山市日中友好訪中団洛陽市を訪問!
 昨年11月30日に来日した洛陽市政府の郭洪昌市長が、ホテルオークラ岡山で開かれた協会主催の歓迎宴会の席上、4月に洛陽市で開催される世界切手展と第27回洛陽牡丹祭へ招待する旨を宣言し、インビテーションレターを協会へ託した。

 その招聘を受け、協会は毎年派遣している牡丹祭参加訪問団を広く呼びかけることを決定し、準備にかかった。
 そして3月23日、綾野富美子理事を団長とし、高木文彦監事と黒住昭子理事を副団長とする協会訪中団が結成された。

高谷市長を訪問
高谷市長より親書を預かる綾野団長 
    高谷市長より親書を
     預かる綾野団長
 出発に先立ち、4月6日に片岡会長と団の役員が高谷市長を訪問し、親書を預かった。公務のため訪問できない市長の代理として岡山市議会副議長で岡山洛陽友好都市議員連盟会長の磯野昌郎氏と安田充男国際課長と議会事務局の職員の3名が市の訪問団として派遣され、協会訪中団とは洛陽で合流した。

洛陽での活発な活動
 4月7日に岡山を出発した協会訪中団は、最初の訪問地である大連に2泊したあと4月9日に北京経由で洛陽入りした。洛陽での活動を順を追って紹介する。

「世界切手展」並びに「第二七回洛陽牡丹祭」開幕式に参加
 洛南体育場で開催された開幕式では、まさに北京オリンピックの開幕式を彷彿とさせる程の豪華な演出が繰り広げられた。45,000人の観客、35,000鉢の満開の牡丹花。そして世界的な人気者・成龍(ジャッキーチェン)、北京五輪の主題歌を歌ったサラ・ブライトマン、中国の大スター宋祖英など豪華な出演者たち。少林拳や雑技のショー等々その数とハイレベルの演出に圧倒された。

 協会訪中団は洛陽市の特別の計らいで主席台の真下の特別席に案内された。チケットには本年の年2009年を文字って、入園料は2009元(約三万円)とある。それでもこの席を確保するのに、外事弁公室の楊明副主任が何度も頼んで、やっと全員分がとれたのだという。メイン席には国務院副総理の張徳江氏をはじめ全人代副主任、政治協商会議副主席などが並んだ。

植樹ボランティア活動に参加
小浪底植樹祭開幕式 
  小浪底植樹祭開幕式
 開幕式の興奮も冷めやらぬ翌10日午前、訪中団は協会が実施している「小浪底緑化協力事業」に参加した。緑化現場では本年度の緑化事業の開幕式が挙行され、地元孟津県林業局、小浪底鎮政府、農民、そして小浪底中学の生徒達総勢100名が参加した。地元を代表して小浪底鎮の雷升鎮長が挨拶。協会が四年間にわたり、日中緑化交流基金の助成を受けて継続して実施していることを高く評価した。

 協会側からは髙木副団長が、日中友好の汗を流しましょうと力強く挨拶し、持参した岡山の地酒と中学生への文具を贈呈した。
その後、参加者はあらかじめ掘られていた穴にコノテガシワの苗木を共同作業で植えていった。あいにくの小雨模様であったが、ちょうど作業が終わったころ雨脚が強くなるなど、植樹にはちょうど良い恵みの雨となった。

洛陽市人民政府を表敬訪問
 4月10日の夕刻、訪中団メンバーは衣冠を正し紳士淑女となり洛陽市庁舎を訪れ、楊柄旭副市長と会見した。

 楊副市長は歓迎挨拶の中で、洛陽市の今後の発展計画に触れ、現在の国民総生産2千億元を5年間の間に倍にすると明言した。また洛陽新駅を9月にオープンし時速330キロの新幹線(中国語では動車組)を設置することを明らかにした。これによりこれまで4時間ほどかかっていた西安との間は1.5時間になるという。
洛陽市人民政府表敬訪問
洛陽市人民政府表敬訪問 
 友好都市交流では岡山市は洛陽市が最初に締結した国際友好都市でありこの28年の間、岡山市日中友好協会が果たしてきた貢献を高く評価し、今後への期待を述べた。協会の綾野団長は、この間の友好活動を振り返り、希望小学校建設、サーズの時の救援活動、そして最近の緑化活動や日中友好桃園設立などを紹介し、引き続き岡山市と提携し、洛陽市との交流活動を強化していきたいと抱負を述べた。

 記念品の交換の後、見事な牡丹の絵の前で記念撮影をし、表敬訪問を終えた。その後、場所を友誼賓館に移し、楊副市長が夕食会を招宴し、和やかに歓談した。団員の池田さんが持参したハーモニカで草原情歌や北国の春を奏でると参加者全員で大合唱となり盛り上がった。

洛陽市人民対外友好協会との懇親会
綾野団長と楊副市長
綾野団長と楊副市長 
 協会のカウンターパートである洛陽市人民対外友好協会は洛陽市側の民間交流の窓口。現在、劉典立氏が会長だが、今回は常務副会長の李留章氏が招宴した。副会長の方双建氏、秘書長の楊明外事弁公室副主任、邱宗教局副局長らが同席した。答礼の挨拶には黒住副団長が立ち、民間団体として洛陽市の支持と協力のもと引き続き活動を強化していくと述べた。

 李常務副会長は洛陽市の地酒である杜康酒工場を有する県の責任者をしていたこともあり、めっぽう酒に強い。黒住副団長始め訪問団員で飲める者は乾杯を繰返し、歓迎に応えた。が、その日の3時20分のフライトで洛陽空港から上海へ移動予定であったため、名残惜しんでお別れパーティのお開きとなった。
申窪村希望小学校を訪問
 今回の団員の西上忠志さんは以前岡山市立陵南小学校が核となって学区あげて取り組んだ洛陽申窪小学校建設の時に尽力した協会員。その後のことが気になり、ご夫妻で団を離れ視察に赴いた。現地では、地元の政府関係者や学校の責任者と懇談し校内を視察した。建物自体は問題なかったようだが、校舎内のペンキが剥がれ落ちたまま放置されていたことに心を痛め、修復費用の寄付を申し出られた。協会はこの希望小学校の建設の時キャンペーンを展開し、街頭募金や会員の寄付などで建設資金の多くを寄付した経過もあり、理事会の協議を経て西上氏の温かい申し入れを洛陽市に伝え、支援活動を継続する予定である。

 今回の訪問団は、協会にとって意義深いものとなったと同時に大きな成果を得た。

 第一に洛陽市にとってもビッグな国家事業である世界切手展の開幕式に参加できたこと。日本からは橿原市の議会と岡山市訪問団が来ていたが、協会訪中団が最も大きな団体として参加でき、存在感をアピールできた。

 第二に本年度緑化活動のボランティア植樹が地元中学生の参加のもとに実現でき次代を担う青年たちに友好の気持ちを伝達できたこと。

 そして第三に、政府のみならず対外友好協会との訪問交流により今後の民間交流の基礎を固めることができたこと。

 最後に、何よりも協会訪中団に新しい役員会員が参加し、新しい感覚で友好活動の継承ができたことである。新年度に良いスタートが切れた。これをバネに協会活動をさらに活発に展開したい。
(秘書長 松井三平)
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幸福感絶頂の訪中団                                団長 綾野 富美子
特別席から見た
ハイレベルな演技
 
 岡山から大連直行便に初めて乗った。高層ビルが林立し数年前の比ではない。旅順もそうだ。軍港旅順は依然撮影禁止だ。二〇三高地への道は全舗装され、期待の片栗の花は無い。お籠もなくバスを100元で利用できる。水師営には建物が増え棗の木も背が高くなり観光開発は行き届き、会見所には写真も貼られ、土産物も売られ解説者までいた。

 ビュッフェ料理を楽しみながら、回転レストランで大連の夜景を心ゆくまで味わう。

 牡丹祭開幕式、国際切手展開幕式特別参加は盛大で美しく参加者全員大感動。協会の交流活動に最大級のご褒美を頂き、このような時に旅行団に参加でき幸福感は絶頂だ。
 開幕式の司会は、洛陽出身の中央電視台国際放送名アナウンサー朱軍。牡丹の妖精6人の天女が宙を舞いながら、花びらをまく中、唄、踊、太極拳と多彩に舞台は盛り上がった。空には丸い月も昇る。

 10日。植樹ボランティア活動のため小浪底へ。小雨を押して地元の農民の方、高中生と交流しながら植樹した。昼食は田舎の自然の料理。河の白魚のから揚げ、野兎は珍味。

 午後、洛陽市人民政府表敬訪問。歓迎の拍手を聞きながら赤い絨毯を踏み入室。楊炳旭副市長から丁寧なご挨拶につくづくと外事弁公室の方々の奮闘ぶりを推察した。土産の交換。相互にメンバー自己紹介。

 11日。世界遺産龍門石窟見学。「ウアッ!」と感嘆しながらの見学。あとは土産物店で皆さん買物を楽しんでいた。日本語と中国語での価格交渉も次第に腕があがり、各自欲しい物を納得価格で入手した。パワフルな団体だ。

 昼食は対外友好協会の招待昼食会。和やかな雰囲気の中、皆さん顔とお名前も分かるようになり開幕までの苦労話を伺いながらお別れ前の一時を過ごす。多忙でお目にかかれなかった人もかけつけて下さり、時間一杯友情を交わした。

 慌しい中にも充実した交流を楽しみ、再会を期して乾杯し、閉会し、空港まで送っていただいた。

千年帝都・牡丹花城                                副団長 黒住 昭子
世界一の洛陽博物館で
開かれた世界切手展
 
 「千年帝都・牡丹花城」。洛陽ではいたる所でこの言葉を目にしました。この歴史ある、牡丹の花があふれる洛陽を訪れるのは、私は今回が初めてです。

 洛陽は私が想像していたよりも、はるかに大きく美しい都市でした。プラタナスの街路樹が延々と続き、花々がきれいに植えられている。公園をはじめいたる所に見事な色とりどりの牡丹の花が咲きほこっている。古い街並もいきいきと残っていて、他の大都市と比べるとゆったりとした雰囲気がある、大陸的なおおらかさを感じました。その一方で、近代的なビルや高層マンションも立ち並び、街がこれから益々発展していく勢いをも目の当たりにしました。
 今回特筆すべきは、世界切手博覧会と洛陽牡丹まつりの開幕式に参加できたことです。洛陽市対外友好協会のご尽力で、数限られている特別招待席を確保していただき、最高の場所で2時間半にわたる壮大なショーを見せていただきました。会場の5万人収容の真新しい競技場には舞台の周りに牡丹が敷き詰められ、そこで繰り広げられた鮮やかな踊りや歌、一糸乱れぬ少林寺の演武など、北京オリンピックの開会式を彷彿とさせるスケールに圧倒されると共に、舞台演出の美しさには感動を覚えました。日本人もよく知るジャッキー・チェンや英国のソプラノ歌手サラ・ブライトマンの生の歌声をも聴けるなど、またとないこの機会は参加した皆さんも生涯忘れることはないでしょう。

 次の日には岡山市長のメッセージを持って、洛陽市人民政府に副市長を正式訪問しました。目を見張るような美しい牡丹の水彩画が壁いっぱいに描かれた大きな応接室で副市長を囲み友好交流の思いを交換するひと時を持てたこと、また、夜は副市長主催の夕食会を開いていただいたことなども、一般の旅行では得られない貴重な思い出です。

 これらはすべて、長年にわたり育んできた当協会と洛陽市との信頼関係があればこそで、民間レベルでの顔の見える友好活動の積み重ねの大切さを改めて感じました。岡山市と洛陽市が友好都市となって今年で28年になりますが、まだまだ洛陽という名前も知らない方が多いのが現実です。歴史と文化を守り、さらに近代都市として発展しつつあるこの牡丹の都に、今後も多くの方に訪れてみていただきたいと思います。

洛陽牡丹甲天下                                  副団長 髙木 文彦
 洛陽は牡丹の名所であり、1500年前より栽培されており、祭りとしては27回目で、中国の四大祭りの一つに成っている。牡丹生産などに携わっている人は約3万人といわれている。
満開の牡丹 (王城公園)
 

 今年は牡丹祭りと同時に開催された世界切手展覧会開幕式に特別招待された。洛陽市体育中心体育場で、平日は45,000人が入るサッカー場で行われた。中央に3ヶ所の大舞台が設営され、廻りは牡丹の生花で取り囲まれ、競技場の周りにも特設の席があり、約6万人の入場者であったと聞く。我々の席は真正面で、国家主席の前方2列目であった。

 2日目は早朝より国色牡丹園にて牡丹花見学、花によっては開花が少し早い物もあったが園内は牡丹だらけで、非常に美しく目を和ましてくれた。現在では約1,100種類以上の品種があり、色は紅色、白色、桃色、黄色、紫色、緑色等々多数があると聞く。中国の諺に「水を飲む時は、井戸を掘った人に感謝して飲め」とある様に、牡丹の花を見る時は、今日迄育んできた人の気持ちを理解して見学する必要がある。

 牡丹見学後は、市中より約1時間半離れた孟津県へ。今年で5年目になる「日中緑化協力事業」である植樹祭に参加。広大な土地に、今迄に植えられた檪、樫、欅、檜等約18万本、同県林業局陳局長をはじめ、関係者数名、地方小浪底中学校の2年生約50名、地元の農家の皆さん約30名、訪中団の副団長を拝命した私から、訪中団の歓迎に対するお礼と、植樹祭の経過、黄塵防ぎ、地球温暖化防止、環境美化、地元経済の発展に寄与する等の目的を説明し、参加者に岡山から特産の土産を手渡す。

 各々の手で苗木を約150本植樹した。近い将来、すばらしい林や森と成り得ると確信する。何年か後に再度訪問し、自分達の植えた木々の成長を見たいと思う。

 帰洛後、先述の白馬寺訪問、印樂上人のお出迎えを受け、仏教文化について種々お話を聞く。

 翌日、龍門石窟を参観。

 窟数約2,300余数、碑刻題2,800余、仏塔40余、造像10万余尊、仏教文化の芸術表現であると共に、それぞれの時代の彫刻品の風格や造像内容からは、当時の政治、経済、文化の有様が見てとれる。芸術の博物館であり、東大寺や薬師寺など、日本の仏教文化の元祖がこの石窟にあるということが良く解る。

 参観後、李常務副会長の招待昼食会で、懐かしい話しや、おもしろい話しを聞く事が出来、非常に有意義であった。

 今回の訪問前に準備をして下さった、岡山市役所の方々、洛陽市の関係者の皆々様、特に洛陽市外事弁公室の楊明副主任様、通訳ガイドの徐さん、事務局長の松井様のご配慮に対し深謝致し訪中旅行拙文と致します。謝々。
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牡丹祭開会式に臨んで                                団員 則武 卓巳
中国2009世界切手展覧会
河南省第27回洛陽牡丹花会

 4月9日、20時、於洛陽市体育センター体育場、入場料2009元也。わが日中友好協会訪中団員18八名は、公安局の管理下で威風堂堂と綾野富美子団長に続いて、髙木文彦、黒住昭子両副団長に導かれて、ステージ正面の3万円の貴賓席へ。市当局の心入れに、感謝して着席。

 各国の紳士淑女と席を共に出来るのは光栄の至りです。

 舞台と観覧席の間は、牡丹何万鉢だったのでしょうか、たくさんの牡丹を敷きつめて花会をアピールする設定。圧倒されました。当局の発表、入場者数6万人。

 ステージは、初めてお目にかかる莎拉、布菜曼、成龍、宋祖英、剣心書韵、河洛太鼓、快楽的節日、少林寺拳法…。出演者名は、「夕刊洛陽」(10日付け)で知りました。

 特等席でみておりますと、臨場感があり、いいものは国境を越えてわかります。伝わります。パワーをいただきました。

 今回の切手展と花会は、「洛陽市も本気です。副総理を招待しているのですから。」と、家野四郎兄呟く。

~多余話~
・開会式の祝詞が短かったのは、異例?

・王城公園で、牡丹愛でる。1,100余種と聞く。奥手の緑・黒色…は、開花前でした。

・切手展入場し、わが訪中団も垣間見る。主催者側の発表。休日2万人、平日1万人の入場者という。隋・唐植物園参観を変更して一寸でも切手展会場へとわが訪中団をご案内いただけたのはうれしかったです。

・楊炳旭副市長招待晩餐会。李留章常務副会長招待昼食会等、感謝感謝としか申せません。

~正経話~
 洛陽人民政府の関係各位に感謝するばかりです。ありがとうございました。
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大連観光                                       団員 池田 武久
日露戦争の古戦場
二〇三高地
 
 先ず7日大連周水子空港着後新規開店の五ツ星「新世界酒店」へチェックイン後、大連港を観光してから暫しホテルで休養後、海鮮料理チェーン店の「天天漁港」で夕食をとり初日を終えた。私は食後大連駅前の天津街に行きたかったが時間が無く、一行と共にホテルへ帰り、大連で日本語を習っている同郷(丹東)の若者とホテルで再会し暫時歓談した。

 翌日の午前中は旅順の日露戦争の古戦場を訪れた。「二〇三高地」は旅順攻略最大の激戦地であり、その名は総司令官乃木大将が標高二〇三メートルだったことからこう命名したと聞いている。また山頂の記念塔は乃木大将が攻略後付近の砲弾の残骸を集めて日本に送り改鋳して建立した由である。尚私は3度目の訪問であるが、数年前初めて登ったこの坂道が一昨年、今回と年々登るのがきつくなって年を感じ忸怩たる思いをした。3年前は駕籠が、今回は小型バスが客待ちをしていた。

 この後一部一般に開放された日露戦争の詳細が展示されている「旅順博物館」を参観したが、語り部の如くまるで見てきたように当時の様子を大きな模型を示しながら巧みな日本語で説明する老人が印象的であった。旅順戦は勝ちはしたものの死傷者の数では日本軍が圧倒的に多い攻略戦だった。

 昼食を旅順唯一の三ツ星「新紀元大酒店」で旅順の田舎料理を食べた後、大連市内を観光した。大連はロシア語の「ダルニー」(遠い所)がその名前の起源であるとか、李鴻章が光緒帝への報告文書に「大連湾」云々と書いたのが起源だとか諸説ある。街は当初帝政ロシアがパリを真似てロータリーのある放射線状の都市を造ったが、日露戦争後は日本人によって再整備された。当時「大広場」と言われていた現「中山広場」の周りには当時造られた耐火煉瓦の建物が多く残っており、当時のやまとホテルは大連賓館、郵便局は郵便局として今も使用されている。また当時最大の半官半民の旧「満鉄本社」や今では半ば廃屋化している「旧日本人街」等を見て回った。

 大連最後の夜は五ツ星の「最佳西方海景酒店」(ハーバービューホテル)最上階のビュッフェで大連市の夜景を眺めながらの夕食であった。謝謝。
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懐かしの洛陽へ                                  顧問 家野 四郎
記念切手
 
 今年が第27回の牡丹祭と言うから、わたしが前に1年半住んだ時に見たとすれば1986年のことになるから第4回のはずだが、全然記憶にない。その頃唯一人しかいなかった日本人などお呼びではなかったのだろう。

 しかし『友誼賓館』に住み着いて半年経っていたから洛陽の牡丹については勉強してかなりの知識を得ていたから「洛陽の牡丹天下の甲たり」の決まり文句をはじめ、則天武后(中国では何故か武則天という)と牡丹との重大な関わりなどいろいろなことを初めて知った。
 昔の『友誼賓館』の院子(中庭)には『二嬌声』(アル・チアオ)という、とても珍しい品種が数株あったのだが、新しい建物になってから何処かへ移したのか、通訳の徐君も知らなかった。きっと『王城公園』あたりで大切に育てられているのだろう。これは赤と白の花弁が入りまじっている珍種だ。これは他の公園でも見たことはなかった。それから『豆緑』(トウ・ルー)といって花弁が緑色で、咲いている姿はめったに見られないものなどを探しに毎日カメラを持って朝早くから公園を尋ね回った。『王城公園』にも「名札」だけは見かけたがまだ咲いていなかった。

 さてメイン・イベントの開幕式だが、そのスケールの大きさを聞いて先ず驚いた。45,000人のスタンドを持つ「体育場」を使うというのだ。そして厳重な警備の隙間を縫うように入れてもらったわたしたちは、『嘉賓』(立派な客の意)と書いた大きな札をプラスチックのケースごと胸にぶら下げさせられていた。

洛陽黒牡丹
 
 例によって厳重な警備の中で大観衆を集めて開かれた開幕式は先ず、北京政府を代表して張徳江副主席の挨拶に始まった訳だ。

 そして上手から下手まで、百数十メートルの超特大の舞台を、100人単位の若者たち、あるいは少林寺拳法や武術の若者たち、女性群は華やかなドレスで踊り回る。真っ白な揃いのユニフォームの男の子たちの演舞、足に義足とも思えるスプリングをつけてジャンプを繰り返す。そして空中回転、屋内の狭い舞台ではあれだけの人数はとても踊れるものではないと半分呆れながら見る始末だ。

 迫力満点の歌、踊りを見ている内に何時の間にか2時間半が過ぎた感じだった。

 4万観衆もほぼ満足して帰ったことだろう。
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申窪村希望小学校再訪                             団員 西上 忠志
 懐かしく、今子供たちは元気で勉強に運動にと頑張っているだろうかと思いを馳せながら、洛陽に到着しました。日中緑化協力事業に参加後、皆と別行動で目的地の申窪村希望小学校へ向かい、途中校長先生等の出迎えを受けて小学校に到着。学校で村の書記長、村長をはじめ役職の方々の温かい出迎えを受けました。

 思えば1998年と2000年に2回と3度訪問。小学校建設のために陵南小学校の元校長の高塚先生と生徒父兄、市議の楠木先生、市日中友好協会、多くの人々の善意で完成した希望小学校を九年ぶりに訪問できる喜びの中で、校内の案内を受け、昔話に花が咲き、記念碑を見、授業風景を見学しました。校庭にはいろんな花が咲き、周りの麦畑を見、生徒130数名の運動場建設も半ばを迎え、喜び遊ぶ姿が目に浮かぶようです。村の道も舗装され、家々も政府の補助で改築が進んでいます。また旧校舎も残っていて、懐かしい昔話に花が咲きました。

 校長先生の話として学校にパソコンを購入したいので援助をお願いしたいということでした。もし会員の方々で援助したい方がおられましたら協会の松井事務局長におっしゃってください。

大連マッサージの思い出                                団員 安井照幸
 4月7日、大連・新・世界酒店に投宿する。夕食の後希望にて2組に分かれ、1組は夜の市内観光と観劇に、残る1組はホテルに残り旅の疲れを癒す。後者のグループに属してホテルの手配によるマッサージを受けることにする。宿泊の部屋にて待ちわびること暫し、20時過ぎに女性マッサージ師の来室で始まる。20歳代ながら急所を熟知しての身体の各所を渾身力いっぱいの療養で、ところによっては飛び上がる程の痛みに悲鳴を覚える程ながら、ツボを心得たマッサージで治療後は心地良く就寝でき、翌朝は定刻に遅れることなく起床でき、所定のスケジュールに従い、楽しく大連観光ができた。

“痛くとも 我慢を強いる マッサージ”
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ちょっとチャット(54) 花の頃に                         協会会員 古谷 静 
よき道連れ(左から難波さん、
黒住さん、筆者、西上さん)
 
 若い頃からシルクロード・西域に憧れていましたが未だ訪れる機会を得ません。いつかは彼の地に立ってみたいと思っています。

 そのシルクロードの起点が洛陽であると今回の旅で知りました。今までは西安がそれだと思っていましたので、改めて洛陽の悠久の歴史に思いを馳せたことでした。

 洛陽は訪れる度に表情を変えているように思います。今回は広大な大地に高層の建物群が林立し大都会が出現したかのような印象を持ちました。一方、遥かに続く新緑の並木路から郊外に出れば豊かな一面の麦畑、そこここに満開の桐の花。千年も、もっと前からも咲き継いで農に生きる人達の姿を見続けてきたかのように感じました。

 旅は一人旅もよいのですが、安全に楽しく美味の食、よき道連れに恵まれればこの上ない旅と言えます。そして訪れた地で新しい友人に出会えたら望外のよろこびでしょう。更に時分の花に巡り会えたら言うことはありません。

 今回、北の大連では桜や初々しく芽吹いた新緑の美しさに、洛陽では花の王・花神と言われる満開の牡丹に巡り会いました。又、植樹の中学生や村の方達との束の間の、しかし、心温まる交流もよき巡り会いと言えるでしょう。その旅をふり返り一句にまとめてみました。ご一興までに…。

・海に開くフランス窓やしゃぼん玉
・花冷えの朝の広場に太極拳
・新樹光路面電車の窓開いて
・裏路地の屋根を抜け出る桐の花
・乾きたる黄土踏みしめ植樹式
・春光の棟木雀らこゑ嗄らし
・朝風や万の牡丹謳ふかに
・白馬寺の和尚の笑まふ花蘇枋
・柳絮とぶオープンカフェのミルクティー
・鳥の巣を抱く大樹が目路の果
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活動日誌
2/19 会報「岡山と中国」195号発行
3/5 本年度第1回理事会開催。14人出席
3/12 中国三誌友の会第173回定例会。ピュアリティまきびにて
3/12 岡山ビジネスカレッジ専門学校卒業式。片岡会長出席。
3/19 岡山外語学院卒業式。片岡会長出席
3/20 中国人留学生との交流会。県国際交流センターにて
3/22 日本中国語検定試験
3/24 平成20年度洛陽緑化協力事業、専門家國忠征美さんと松井事務局長洛陽訪問
4/7 協会訪中団、大連・洛陽へ出発。12日まで
4/16 中国三誌友の会第174回定例会。ピュアリティまきびにて
4/19

洛陽牡丹花会。半田山植物園(國忠征美さんの講演・牡丹鑑賞・太極拳演舞)

会員消息
【入会】
泰安康平さん(岡山市湊)
中山幹朗さん(倉敷市連島)
土井基之さん(岡山市倉田)
中島豊爾さん(岡山市鹿田本町)
小幡武彦さん(倉敷市連島町)
小土井靖博さん(岡山市平野)

【お悔み】
大藤 眞さん(元協会参与)
野上一彦さん(岡山市寿町)

先憂後楽
 4月19日、協会主催により半田山公園で「洛陽牡丹花会」が開かれた。今年、新種の牡丹が7品種30本が洛陽からもたらされたが、ほとんどの牡丹は1988年に導入されたものだ。

 瀬戸大橋の架橋記念博覧会が準備されていた時、何か記念に残る事業はないかと当時の両備バス社長の松田基氏に相談を受け、岡山市が友好都市を締結した中国の洛陽市は牡丹の一大産地であり、この花を飾ってはいかがですかとご提案申し上げた。松田社長はすぐ決断し、洛陽市との交渉と輸入手続きを協会に依頼された。

 本数は1,000本、博覧会の開催に間に合わせる、費用は必要経費含めて全額負担し、輸送のためのスタッフも派遣するという。両備の青年重役会のメンバー、現在もお世話になっている國忠さんらがチームを組み、輸入業務にあたった。

 多くの困難もあったが、無事輸入されたボタンはワイン樽に植えられ、「洛陽の日」に合わせて花を咲かせた。

 開催終了後、両備ガーデンへの移設案もあったが、松田社長が友好の記念であるからと、すべて岡山市に寄付され、今日の半田山公園の牡丹園へとつながっている。その後、やはり当時日本生命財団の理事をしておられた松田氏の推薦で、牡丹のヴィーナス像が同財団の寄付により、洛陽で制作され、半田山公園にもたらされた。

 松田氏のご自宅は番町にあったが、休みの日に時折、自転車で公園に来て、牡丹の育成状況を見に来られていたという。

 今日、その無償の好意を知る人は少ない。事実を事実として正しく伝えていく義務が私達にある(松)


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また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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