岡山と中国 2009年6月
平成21年6月
  197号


発行人 片岡和男
編集人 岡本拓雄
日中友好の架け橋 郭沫若展開幕 岡山県立美術館にて
郭沫若氏肖像写真
(本人のサイン入り)
 
  詩人・文学者・歴史家・政治家として多彩な活動をした郭沫若氏の業績を紹介する「郭沫若展」(岡山県立美術館、NPО活動法人聚友日中友好交流促進協会、郭沫若記念館、山陽新聞社など主催、中国対外文化交流協会、その他多くの団体の後援、NPО岡山市日中友好協会、その他の協力)が、6月5日から一般公開されている。

開幕式

  開会に先立つ6月4日には関係者や来賓が参加して開幕式が行われた。主催者の鍵岡美術館館長、蔡震郭沫若記念館副館長(郭沫若研究会会長)が開会あいさつをした。挨拶の中で、蔡副館長は、来日できなかった郭平英館長のメッセージを代読、郭沫若氏が青春時代を過ごした岡山での開催を期待し、今後の日中文化交流の発展に寄与したいと述べた。

 あいさつの後、出席者の代表がテープカットを行い、協会の片岡会長も加わった。
蔡副会長の記念講演
 
郭沫若展開幕式(テープカット)
 
講演会

「日本の印象-郭沫若」
 初日、13時30分から蔡震氏の特別講演会があった。通訳は、NPО活動法人聚友日中友好交流促進協会理事長の相澤友子さん。

 郭沫若氏は、東京を離れて田舎町の岡山に来るのには、少々抵抗感があったようですが、岡山に来て見て、東京とは違った自然環境の素晴らしさに心を打たれ、岡山に来たことを喜びました。山や川や田園の風景が、故郷四川省によく似ているので、故郷に居る感じで、落ち着いて勉強ができると、岡山の様子を故郷の両親宛に、詩の形式で手紙を書いています。

 九州帝国大学医学部を卒業したのに、なぜ医者にならなかったのでしょうか。愛国者の郭沫若氏はペンの力で中国人民の魂を救おうとしたのではないかと言われています。

 青春時代を日本に住んで自然の美しさに魅了されて美意識、詩情が湧いて、次々と素晴らしい詩が生まれました。岡山は詩人の道を歩む出発点となり、その後中国現代文学の発展に貢献しました。蔡震氏は岡山や日本が郭沫若氏に大きな影響を与えたことを強調されました。

郭沫若展の内容

 今回は、全国で岡山だけの開催で、北京にある郭沫若記念館所蔵の郭沫若氏直筆の書や、生活で使っていた日常品など計176点が出展されたが、岡山と中国の交流を伝えるため、吉備路文学館やわが協会の資料も合わせて展示されており、注目を浴びている。特に、郭沫若氏から後楽園に贈られた鶴のいきさつや、詩碑建立の経過などを記した生々しい資料など、民間交流の仲立ちとして活躍していた当時の日中友好協会のようすがわかり、展示会の意義を深めている。

 郭沫若展は前半と後半に分かれ、8月23日まで開催される。

 郭沫若氏の日中友好に果たした功績や、岡山と中国の友好のあけぼの時代を知る上で興味深い。

詩碑建設運動の総括をする
中西寛治事務局長
 

  1955年12月、中国科学院院長の郭沫若氏が、中国学術文化代表団長として訪日され、かつて郭沫若氏が日本留学中、第六高等学校に学ばれた想い出の地岡山に約40年ぶりに訪ねられた。その時の歓迎晩餐会の席上、即興で次の詩を書かれた。

 後楽園仍在 烏城不可尋
 願将丹頂鶴 作對立梅林
 後楽園はあれど
 烏城の姿は今はなし
 かわりに丹頂鶴をはなちて
 梅林に配せん (林秀一訳)

 1959年、中華人民共和国成立10周年記念に、この詩碑を後楽園に建設することになり詩碑建設委員会(会長は前岡山医科大学長・六高同窓会長・田中文雄氏、事務局長は中西寛治氏)が結成された。1961年、日中友好を希う人々の協力によって、詩碑の開幕式が郭沫若氏から贈られた丹頂鶴の居るゆかりの後楽園で開かれた。左は建設運動の総括をする中西寛治事務局長である。中西氏は、次のように述べている。

 さきに(1959年10月)日中友好協会岡山支部の運動10年の経過に一つの区切りをつけ、更に新たな拡がりと深みを持つ運動に発展させるために、中華人民共和国成立11周年と日中友好協会創立10周年を記念して、現中国最高の指導者の一人であり、岡山県民と最も縁故の深い郭沫若先生の詩碑建立の運動が起されました。

 政治的にも経済的にも、この運動にとって決して恵まれていたとは云えない条件の中で岡山県民始め中央、地方の理解ある人々の熱烈な支持によって、満1年半、漸く多くの困難を乗り越えて後楽園内の鶴舎の前に建立の運びに至りました。

 この郭先生の詩碑建立の機会に先生の略歴を紹介することは、単に先生が六高の学生だったとか、後楽園に鶴を寄贈して貰ったとかわれわれに縁故のある隣国の有名な人間の経歴をただ知るというだけでなく、それ以上の意義をもっていると考えるからであります。

 特にこれからの若い世代の人々に郭先生の精神に学んで欲しいと思うのであります。

 1927年頃の中国は帝国主義諸国の侵略と、これにつながる反動政権の裏切りによって祖国は滅亡の渕にありました。中国民族を救うために、あらゆる迫害に屈せず、社会の不正と斗い、中国の進むべき道を指し示した郭先生の精神と実践活動は、日本の現時点に於て多くの教訓を含んでいるように思います。

 郭先生は六高を経て九州帝大で医学を専攻されましたが、医学によって中国人の身体を治すことは出来ても、中国人民の魂を救うことは出来ない、中国民族を救うのは、文学の力であり、それを実践する行動でなければならないと覚り、遂にメスをペンに持ちかえたのであります。

 現在わが国はアメリカ帝国主義の隷属下にアメリカと軍事同盟を結び、日本をアメリカ帝国主義の戦争政策のアジアにおけるにない手として、軍備を増強し、世界の平和をおびやかし、とりわけ日中両国の正常な友好関係をはばんでいます。これは自由と独立と平和を希う国民大多数の意志でないことは昨年空前の規模で展開された安保反対の斗争によっても明らかであります。この斗争によって岸内閣は崩壊し、次に成立した池田内閣も国民の期待を裏切って中国敵視政策を続けようとしています。

 しかし現在の中国は昔の中国ではありません。過去四千年の歴史の中で1949年10月を境として生れかわり、政治に経済に科学に、生活の凡ゆる分野に素晴らしい変革と建設の時代を創造しつつあり、アジアと世界の平和を守る大きな希望の灯となって居ります。

 このような新しい中国の解放と偉大な歩みは、その指導者の一人である郭先生の略歴の中に、まさに、まざまざと印されて居り、先生の略歴はそれが直ちに現中国の変革と建設の歴史の反映であるとさえ云えます。

詩碑開幕式で放された鶴
 
  アメリカ帝国主義の下に、祖国の自由と独立を奪われている日本の現時点に於て、完全な平和と独立を希う国民多数が、郭沫若先生の略歴から多くのことを学ぶと共に、一日も早く両国の国交を回復し、2000年の友誼を正常化することが当面する日中感の最大の課題であると信ずる気持からここに詩碑建立を機会に紹介する次第であります。

  私たちは人類の世界が平和であることを望みます。世界が平和でありますなら、この詩碑と丹頂鶴は日中両国の平和と友好のシンボルとして永遠に栄えてゆくことでありましょう。

  県、市両当局を始め、多くの方々のご理解とご協力によってこの事業が完成に至りましたことを、実行委員会及事務局を代表して深く感謝申し上げます。
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内山完造没後五十周年記念事業が盛大に開催される!
周海嬰氏(魯迅のご子息)の
記念講演
 
  5月17日、内山完造没後五十周年の式典と記念行事が、内山さんの故郷である井原市芳井町で行われた。内山さんが尊敬し交友を深めていた文豪・魯迅のご子息・周海嬰さんやその親族の方、中国大使館からは文化担当の公使・参事官張愛平氏、中日友好協会から許金平副会長、上海市人民対外友好協会の王加新日本初処長など中国からの要人や、岡山県選出国会議員、県知事など日本側来賓が壇上に並び、観客席には岡山や福山から招待された30名ほどの中国人留学生を含め県内外から集まった約600名の聴衆で会場の芳井生涯学習センターは満席となった。岡山市日中友好協会からは片岡会長はじめ理事や会員などが、日中教育交流協議会からは岡田会長も参加した。
 講演会では周海嬰氏が、魯迅が上海で国民党や日本官憲に追われていた時、住所を転々としなければならない状況の中で、内山さんが宿舎を提供してかくまったことや、病気になった時は家族のように心配し医者の手配をし、看病してくれたことなどをゆっくりと張りのある声で話し、聴衆の感動を呼んだ。周海嬰さんは、内山完造生誕百周年を記念して1985年にも来岡しており、24年ぶりとなる。その時は、上海の内山書店に勤務していた王宝良さんや児島享さん(福山市日中友好協会副会長)がご存命で、一緒に岡山の後楽園や岡山大学を訪問し、郭沫若氏の足跡を尋ね、岡山と中国の友好に果たした功績を振り返った。

 今回の、没後五十周年記念事業は、井原の先人顕彰会と福山市日中友好協会が主催したもので、まんが本の出版などの一連の行事の締めくくりとしての意味があった。

 今後、この事業の成果を友好運動に生かしていく仕事が友好協会に課せられた任務であろう。
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牡丹花会                                    協会理事 綾野富美子
開 幕 式
 
  四月十九日(日)全国都市緑化おかやまフェアに協賛し、当協会も半田山植物園、牡丹園にて「洛陽牡丹花会」を行った。好天だったので出足は上々。会長の挨拶に誘われて、だんだんと人が集まった。目玉商品である國忠征美樹木医による講演・講習が始まる。先生は、グローバルグリーニングクニタダ代表であり、協会の緑化事業でもご指導いただいている。

  牡丹の花の特徴を十分知ってから花つくりをすることが先ず基本であることを話され、洛陽牡丹と日本の牡丹との違いや、剪定、施肥、水の管理、花の咲かせ方、原種返りのこと等詳しい指導だった。質問も多かったが、懇切丁寧に答えて下さった。折りしも牡丹の花は盛りで、実際に枝を持ちながらの指導で参加者は非常に熱心に教わっていた。
こういう良い雰囲気の中でも異端者は居るもので、「近所に住んでいる者だ。有機肥料のにおいが臭くて不快だ。」という人もあった。先生はさり気なく、「今、花粉症でして、よく分
岡山県武術太極拳協会
による太極拳披露
 
からないので-。」と穏やかに躱された。実際に花壇に異臭は無かった。ちょっと変な感じだったがそれきり。質問が続出し、熱心に来観者も学習された。この時期は、半田山も美しく出足も良かった。

 続いて、岡山県武術太極拳連盟の方々による太極拳の演舞が華麗に行われた。牡丹園を背景に、それはそれは見事な武術だった。衣裳の美しさ、良く揃った武術。まるで中国かと錯覚するほど。参集した人々の表情の満足そうな姿を見て、このような牡丹花会を恒例行事に出来ないものかと、私は思った。
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協会の黒住理事に日本善行表彰!
表彰を受ける黒住昭子さん
 
 中国留学生への医療支援ボランティアへの功績があったとして、協会の黒住昭子理事に対し、日本善行表彰・国際貢献表彰が贈られた。支援していた留学生が入院していたのが倉敷地域にあったため、善行会倉敷支部での受賞となり、5月30日には倉敷市内のホテルで伝達式が行われた。

 黒住さんはこの留学生の支援の後、大阪総領事館の領事の急病や交通事故による留学生の精神疾患などにも関わり、病院への照会、定期的な見舞い、生活用品の差し入れや、弁護士、家族らとの連絡など献身的に取り組んでいる。
 今回の受賞は、バックアップしてきた協会としても誇りとすべき慶事であると同時に、今後、増え続ける中国人留学生、就学生などに対する医療機関、弁護士などの専門家とコーディネイト、ボランティアをつなぐ支援ネットワークを構築する上で大いに励みとなるだろう。

 この日の受賞では内山完造没後五十周年事業を成功させた功績として井原の片岡良仁氏(岡山県先人顕彰会・井原事務局長)も同時に受賞された。
 これまでに、AMDAやマラソンの有森裕子さんなどが受賞している。

受賞の言葉    黒住 昭子 
 この度(社)日本善行会春季善行表彰という身に余る栄に浴し、有難くも恐縮する思いでおります。ご推薦くださった倉敷支部の皆さまには心から感謝申し上げます。

 平成18年に起きた倉敷市内での交通事故で、意識不明に陥った中国人留学生とその家族の支援を続け、昨年夏にようやく母国に送り届けることができました。おかやま犯罪被害者サポート・ファミリーズ、岡山市日中友好協会のメンバーや病院スタッフなど、多くの方々の協力体制のもと、中国在大阪総領事館にも働きかけ、それぞれが力を出し合って問題解決にあたることができ、私自身多くのことを学びました。

 これからも、仕事や留学などで海外から岡山に来る人は益々増えてくることでしょう。何かの時には力になれるよう、専門家や各団体との連携を深め、外国の方も安心して生活できる社会作りに、今後とも微力ながら努めてまいりたいと思います。
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洛陽レポート①                 岡山市派遣 洛陽理工学院研修生 藤本 香菜
 洛陽で過ごし、早1ヶ月。4月下旬、初めて洛陽を訪れた私を迎えてくれたのは、旬の最後を精一杯咲く牡丹の花でした。理工学院にも牡丹が咲いており、多くの学生が洛陽の市花である牡丹を観賞し、写真に収めていました。

 洛陽での生活は、振り返ってみればもうこんなにも日が過ぎたのかと感じますが、その実一日一日の流れはゆっくりとしています。中国と日本の生活の中で大きな違いとして挙げられるものといえば「昼寝の時間」でしょう。中国では正午の休み時間が2、3時間あります。休み時間に人々は昼食をとり、残りの時間を昼寝に費やします。学校では芝生の上に寝転んだり、木陰に腰をかけたり、一度家に帰り昼寝をする人が多いです。しかし街へ出かけると、工事現場の人や大きな荷台のついた自転車で街を回る人が歩道の縁や荷台の上で寝ている光景も度々目にします。朝の仕事の疲れを昼寝で癒し、午後からもうひとがんばり。そんなゆっくりとした洛陽の生活はとても心地いいです。

 そんな洛陽で私は平日の午前中、授業を受けています。私が留学している洛陽理工学院には西区、東区、北区の3つのキャンパスがあります。宿舎と、私が主に授業を受ける教室は西区にありますが、週に2回、バスに乗り北区に授業を受けにいきます。授業は週3コマ、先生と1対1の授業以外はすべて理工学院の生徒の授業を聴講させていただいています。中国の学生が勤勉であるとよく耳にしますが実際その通りで、授業中に大きな声で発表し、予習復習を怠らない姿勢は目を見張るほどでした。1対1で教えてもらう授業では、教室で勉強するよりも実際に外にでて体験することが多いです。たとえば洛陽の大きな通りはどこか、バスカードの手続きはどうするか、どのバスに乗るとどこへいけるか……など。百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、外にでると教科書には書かれていない実際の中国人の生活を目で見ることができ、とても面白いです。

 中国語、中国の文化以外に、週に一度御茶屋で中国茶芸を学んでいます。日本の茶道も中国の茶芸も一つ一つの動作がとても細やかで、非常に難しいです。しかし日本でも中国でも、茶とは人々の飲食文化と密接にかかわりのあるもの。茶の歴史をたどれば過去に何度も日本と中国は関係を交えることがありました。例えば岡山の後楽園で行われている「栄西茶会」の栄西禅師も宋に留学しており、茶に関しても日中の交流は浅くなかったのだと知りました。現在、私は主に白茶、青茶、緑茶、黄茶、紅茶、黒茶の茶芸の基礎を学んでいます。茶器、茶葉、どれを取っても一つ一つが奥深く、勉強はとても大変です。しかし、その奥深さこそがとても楽しく、学び甲斐のあるものでもあります。

 授業の以外にも洛陽の人々と交流すること、どこかへ出かけること、日々の生活が勉強になっています。5月の中ごろ、私は誕生日を迎えました。偶然宿舎を訪ねてきてくれた学生がその日が私の誕生日だと知ると、急いで友人を集めて食堂の個室を借り、お祝いをしてくれました。互いに語学を勉強している最中の身なので、しばしば言葉が詰まります。どういう風に言えば相手に伝わるのか、ああでもない、こうでもないと身振り手振りを交えて交流します。言いたいことを伝えられ、またそうやって交流する中で互いの文化や習慣を知ることができる。とても新鮮です。

 毎日を新鮮で有意義に過ごすことができる。こうした毎日は、日本にいるだけでは体験できないものでした。私の留学生活はまだまだ多くの時間が残っています。その間、さらにさまざまなことを体験し、自分の力にしていきたいと思います。

誕生祝いをしてくれた中国人学友
 
中国の茶器
 


岡山県日中教育交流協議 平成二十一年度総会開催
 5月30日、岡山県生涯学習センターで、平成21年度の協議会総会が開催され、役員、会員ら21名が参加した。
総会風景
 

 冒頭、岡田浩明会長が挨拶。本年度事業として予定していた第5回の日中高校生交流事業(STUDENT EXCHANGE)が新型インフルエンザのために中止せざるを得なくなったことを報告した。また、本年が協議会創立十周年になるため、記念講演会や中国との交流実態調査、悠久拡大記念号の発刊、そして記念訪中団の企画などの記念行事が披露された。協議会は、新役員を選出し、方針案、予算案など所定の議事を終了した。
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ちょっとチャット(55) 中国との係わり                     協会監事 髙木 文彦
劉さんの家族と交流 (大連にて)
 
 約20年前、岡山経済同友会に入会していた頃、岡大の私費留学生は、日本の物価も高く、大学の周りの家賃も高く、生活が苦しいとの事、メンバーの会社で社宅や寮の空があったら安く貸して欲しい旨連絡があり、一棟を月5,000円で貸し出す。1階は玄関、風呂、トイレ、4畳半の台所と4畳半の畳の部屋、2階は4畳半と6畳の和室で押入も各部屋にあり、まあまあの広さであった。

 一棟は天津出身の女性で大学院で物理学専攻、もう一棟は上海出身の男性で経済学専攻。彼女は岡大卒業後名古屋大学大学院へ再入学し、現在は名古屋で会社を設立しレストランと貿易の仕事をしている。男性の方は上海に帰り企業を立ち上げ現在3~400人を雇用して服飾の仕事で大成功している。仕事の関係上、販促商品を多く取り扱っている為、各種団体や企業で、海外へ持っていかれる手土産品や、援助物資等も何らかの形で商品をサービスしている。
日中友好協会には、黒住昭子さんの紹介で入会し、中国留学人員友好聯誼会野劉暁邦、王雪松、梁暁磊さん達と知り合い、特に劉さんとは家族付き合いもしている。劉さんの奥さんには中国語を習っているが、你好と謝謝しか話せず苦戦している最中です。

 昨年娘と大連を訪問、帰国後劉さんのご両親へ巻紙に毛筆でお礼の手紙を出したところ、劉さんの父上は小学校の校長先生で、今日日本人で巻紙に毛筆で手紙を書く人が居ると、学校中の先生に見せたり、又別の会社内で回覧したり、大連では髙木さんは有名ですよ、と言われた。蚯(みみず)の様な字で基礎も何も習った事が無いので辱しい次第ですが、先般訪中団で洛陽を訪問した後も、副市長宛に同じ様に礼状を出した。ワープロの字と違って、読めたかどうかは別として、日本人のお礼の気持ちは伝わったのではないかと自負しています。
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岡山市日中友好協会NPO認証記念 第15回公開講座 「ライダーが見た 中国・シルクロード」
 2003年9月に開設した「公開文化講座」を、2006年12月の第14回で一時休止していましたが、6月に再開することになりました。

 今回は、天津から洛陽、西安、蘭州、武威、嘉峪関、敦煌、ロプノール、ハミ、トルファン、ウルムチ、イーニンまでの約5,000キロのバイクツアーに参加された津村誠一さんに、貴重な写真を交え、ライダーから見た中国シルクロードの様子を紹介して頂くことになりました。帰国後初めての報告の機会です。皆様のご参加をお待ちしています。

◇講 師 岡山理科大学専門学校教師 津村誠一氏
◇日 時 6月21日(日)午後1時半~3時
◇場 所 岡山県立図書館多目的ホール
◇参加費 500円
    (学生・協会会員は300円)
◇申 込 電話かFAXで協会へご一報下さい。
◇電 話 (086)225-5068
◇FAX  (086)225-5041

活動日誌
4/28 会報196号発行
5/14 中国三誌友の会第175回定例会。ピュアリティまきびにて
5/17 内山完造没後五十周年記念式典に参加
6/4 日中友好の架け橋「郭沫若展」開幕式。片岡和男会長、テープカットに参加
6/5 郭沫若展。岡山県立美術館。協会所有の資料も一部展示。
6/11 中国三誌友の会第176回定例会。ピュアリティまきびにて
会員消息
【入会】
小出尚志さん(倉敷市中島)
難波律子さん(倉敷市玉島)
松田 久さん(岡山市錦町)

先憂後楽
 旭川荘が主催する「福祉の翼」訪中団が今年20回を迎える。10回くらいまでの継続事業は珍しくないが、20年となるとそれはもう日中友好の歴史そのものとも言える。

 この間、中国では大きな事件が相次いだ。最初の年が天安門事件の翌年であり、SARSや反日運動の高まり、鳥インフルエンザ、餃子事件、チベット問題、四川大地震など。

 その度ごとに現名誉理事長である江草安彦先生は、無責任なマスコミ報道に惑わされず、冷静沈着に情勢を判断され、安全面を最重視しながら、継続を判断されてきた。高い識見と深い日中友好への情熱、そして強い指導力により推進されてきたものであることは疑う余地がない。そして、その江草先生の情熱に動かされた上海市人民政府の各部門の人々が思いを受け止めて、総力を挙げての受け入れがあって初めて実施でき、継続できたものである。

 江草先生はよく「あなたがいるから上海が好きだ」と言われ多くの友人を大切にしてこられた。上海には人民政府のトップから各部門の責任者のみならず福祉施設の職員に至るまで『江草ファン』が多い。

 日中間にはこれからも、友好的ムード一色ではなく、さまざまな軋轢や問題も起きてくるだろうが、問題の処理にあたって、江草先生のような指導ができる政治家や外交官がいてもらいたいものだ。(松)


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