洛陽市「第五人民医院」視察団が来岡 市内3医療施設を訪問 |
||
県精神科医療Cと協力協定 「日本の先進的経営理念学びたい」 |
||
洛陽市第五人民医院の高亜麗副院長を団長とする医療視察訪日団6名が、5月10日来岡、2日間の日程で市内の主要医療施設を視察した。上海便で岡山空港に降り立った一行は、協会の黒住昭子理事、松井三平事務局長らの出迎えを受け、市内ホテルへチェックイン。 今回の訪問団は、第五人民医院独自の訪日団で、秋には第二陣を派遣する予定。同医院では、来年に精神科と老人病棟を併設した新病棟を建設予定で、岡山県精神科医療センターとの協力協定締結を契機に、同センターの建設コンセプトなどを参考にしたい考え。今後の深い交流に期待が集まっている。 |
||
11日は、午前9時、まず岡山県精神科医療センターを訪問。中島豊爾理事長ら医療センター役員、スタッフと岡山旭東病院の土井章弘院長らの出迎えを受けた後、今回の大きな目的の一つである「医療協力協定」の調印式に臨んだ。 協力協定には、両病院の医療情報の提供や医師、看護師、専門スタッフの相互交流などが明記されている。 調印の後、高団長は「日本の先進的な経営理念に学びたい」と期待を述べた。 これに応えて、中島理事長も「中国の精神科医療の発展に役に立てば有難い、また学ぶべきところもたくさんあると思う」と抱負を語った。 この後、一行は医療センターの概要説明を受け、院内視察。各医療施設、機器などを熱心に見て回った。 |
岡山旭東病院 土井院長ら大歓迎 PET診療も視察 | ||
岡山洛陽友好病院となっている岡山旭東病院へは、洛陽市からの医療訪日団が来るたびに訪問している。 一行に同行していた土井院長の歓迎と案内の下、病院概要説明を受け、昼食後、PET診療やレーザーナイフなど先端機器による検診や治療状況を熱心に視察。 また、一行は、同病院の霊安室が最上階の一番良い場所に置かれていることにも驚いていた。 |
高齢者関係施設を視察 万成病院 学び相互協力を約束 |
||
認知症病棟ではボウリング遊びに参加し、高齢者らと交流した。 また、ケアにあたっては、医師や看護師以外に介護福祉士や歯科衛生士などがチームを組んで対応していることを学んでいた。 院内視察の後、会議室で歓迎会とミーティングが行われた。冒頭、小林健太郎理事長が資料を提示し日本の高齢化事情などを説明、同時に中国の高齢化にも触れて「お互い協力して高齢者医療に備えていきましよう」と挨拶した。 訪日団からは、患者の費用負担などについて、質問が相次いでいた。 |
協会主催で歓迎会 | ||
歓迎会には、片山浩子会長をはじめ、協会役員や訪問先の病院からの参加者も合流し、 名物“大元鍋”に舌づつみを打ちながら、和やかに懇談した。 今回の視察団は、高団長を筆頭に副院長や院長助理、老人科主任、弁公室主任と、洛陽市の監督科科長で構成されていた。 離岡の後は橿原市に向かい福祉センターを視察、 奈良や京都を見学、東京から成田経由で帰国した。 |
TVドキュメンタリー 『鬼子医師』 岡山出身・故山崎老の波瀾の人生 市日中友好協会も取材に全面協力 |
|||
岡山・真庭市出身で、昨年末102歳で中国・山東省済南市で亡くなった日本人医師、故山崎宏さんの日中友好の人生を描いたOHK岡山放送のドキュメンタリー「鬼子医師」が、5月26日深夜、放送され、大きな反響を呼んだ。 当協会も取材に全面協力した。 |
|||
中国人への“贖罪”を貫く 百二歳で没 遺言で献体 | |||
番組では、山崎さんが第二次大戦中、軍属として中国に渡り、日本軍の中国での蛮行を目の当たりにし、敗戦後は敢えて日本に帰らず、生涯を贖罪と中国人への奉仕のために尽くそうと決意し、医師になっていく過程を日中戦争のフイルムを交えながら描いている。 しかし、文化大革命の時には、“山崎”という発音が、当時批判されていた指導者、劉少奇の名前の発音とよく似ていたことから、もじって批判されたことなども紹介されている。 「日本鬼子」という言葉は、中国でよく使われる日本人への蔑視表現。このレッテルは今でも中国のテレビの戦争ドラマなどでよく出てくる。 山崎さんは取材中「あれだけのことをやったのだから、何を言われても何をされても当たり前です」と繰り返していた。 「死ぬまで日中友好、死んでも日中友好」という信念に基づいて、遺言通り遺体は中国紅十字会を通じて献体された。ドキュメンタリーはこの山崎さんの一生をおったもの。 同番組の取材・制作にあたって当協会は、山東省人民政府外事弁公室への連絡や取材許可を取るなど全面的に協力し、松井三平事務局長も2回の取材訪中に同行した。 番組制作にあたり、昨年12月と本年2月の2回に分けて現地取材が行われた。山崎さんは、12月の取材時には元気だったが、取材陣が帰国してから5日後の12月28日、102歳で亡くなられた。最後に会った日本人が、山崎さんの故郷である岡山の関係者であったことに、深い因縁を感じる。 取材陣は、2月訪問の時、済南市内から2時間ほど離れたところにある献体慰霊碑に参拝した。山崎さんの名前はブック型の大理石にはっきりと、しかも中国人の人たちの名前と全く同列に「山崎宏 日本国」と刻印されていた。 当協会では、放送された録画DVDを、希望者には貸し出しています。ご覧になりたい方は事務局までご連絡下さい。 |
|||
友好都市締結30周年記念事業検討会議 市民訪中団の派遣計画 |
|||
岡山市と洛陽市の友好都市締結30周年を記念した岡山市の記念事業検討会議(委員長・片山浩子岡山市日中友好協会会長)の第2回検討委員会が、5月26日、岡山市役所で開かれた。 市側から記念事業の内容が示され、具体的内容や日程など実施計画については、当友好協会や関係団体などと連携して進めていくこととなった。主な項目や内容(抜粋)については、次の通り。 |
|||
観光写真・物産展 | |||
〔経済交流〕 ①岡山への観光客等の誘致=インバウンドにつながる交流事業として、観光コンベンション推進課の所管により、秋の岡山市訪中団に関係者が同行して岡山市紹介プレゼンテーションを行う。岡山市観光写真・物産展示。観光旅行説明会。 ②洛陽市観光・企業誘致=8月に来日予定の訪日団に洛陽から参加する旅行社らが観光紹介や企業紹介などを行う。 |
|||
小学生等の訪日団 | |||
〔市民交流〕 ①岡山市市民訪問団の派遣=9月下旬に市民60名程度参加による訪中団を洛陽に派遣。 ②洛陽市から市民訪日団受入=8月の岡山花火大会の頃に、洛陽市からサッカー交流や音楽交流などを中心とする訪問団派遣予定。小学生中心。規模は総勢60名以上。 |
|||
河南科技大と協定 |
〔教育・文化交流〕 ①学校間交流=岡山大学と河南科技大学との大学交流協定。 ②子供の交流拡大=高校生スタディツアーとして数名を洛陽市に派遣し交流を深める。 |
||
県日中教育交流協議会 23年度総会・理事会 新会長に門野氏選出 |
||
席上、まず22年度活動報告並びに収支報告が承認され、その後役員改選が提案された。 今回の役員改選では、新会長に門野八洲雄岡山県生涯学習センター所長(前岡山県教育長)が選出された。 役員一新のもと、昨年に引き続き、高校生の交流プログラムである「STUDENT EXCHANGE in 大連」をはじめとする、23年度の活動方針案と収支予算案が提案され承認された。 |
||
新役員体制は次の通り。 =敬称略= [参与]中島 博(岡山県経済団体連絡協議会座長)▽岡崎 彬(岡山県商工会議所連合会会長)▽加計孝太郎(学校法人加計学園理事長)▽片山浩子(岡山市日中友好協会会長)▽末光 茂(社会福祉法人旭川荘 理事長) [顧問]竹井千庫(岡山県教育委員会教育長)▽福武總一郎(財団法人福武教育文化振興財団理事長) [名誉会長]江草安彦(川崎医療福祉大学名誉学長) [特別顧問]森崎岩之助(岡山県日中懇話会会長)▽黒瀬定生(岡山県教育会理事長)▽岡田浩明(旭川荘厚生専門学院学院長) [会長]門野八洲雄(岡山県生涯学習センター所長) [副会長]吉田雄平(岡山県都市教育長協議会会長)▽森 靖喜(岡山県私学協会会長)▽曽田佳代子(岡山大学特任教授) [理事]忠田 正(岡山県教育庁指導課課長)▽岡頌敏(岡山県町村教育長会代表)▽藤谷幸弘(岡山県PTA連合会会長)▽中村有作(岡山県高等学校PTA連合会 会長)▽平井信雄(岡山県高等学校長協会会長)▽中野隆重(岡山県特別支援学校長会会長)▽平松 茂(岡山県中学校長会会長)▽平野和司(岡山県小学校長会会長)▽太田茂樹(岡山県高等学校芸術文化連盟会長)▽都築 勉(岡山県国際理解教育研究会会長)▽板野美佐子(日中医療福祉研修センター所長)▽大川泰栄(岡山市教育委員会次長・教育企画総務課長事務取扱) [理事・事務局長]松井三平(岡山市日中友好協会理事) [監事]大橋典晶(中国短期大学 准教授)▽赤松康弘(日本教育公務員弘済会岡山支部参事) |
||
東日本大震災募金 | ||
ご協力いただいた皆さん (敬称略、五十音順) 【3万円】岡山科学技術専門学校 【2万7千40円】王綉 【1万円】中国銀行 【2千円】瀧川甫香 |
洛陽牡丹写生大会(半田山植物園) 友好協会 会長賞 西谷 健 君 交流協会 会長賞 濱口佳苗さん |
||
表彰を受けたのは、岡山市日中友好協会会長賞の西谷健君と、岡山市国際交流協議会会長賞の濱口佳苗さん。二人とも家族同伴で出席した。 主催者を代表して友好協会の片山浩子会長が「どの作品も生き生きとしており素晴らしい作品ばかりでした。これを通じて、市民の方に牡丹の花をもっと見て楽しんで頂き、親しみを持って頂ければ幸いです」と挨拶。表彰状と、洛陽牡丹の苗を贈った。 |
||
卓球しませんか!! ピンパンチュウ同好会 参加者大募集 |
||
岡山市日中友好協会では、祢屋康介氏の入会を機に「ピンパンチュウ同好会」をスタートすることになり、会員募集を始めました。 入会“資格”は何もありません。初心者でも、心得のある方でも、老若男女も問いません。健康のため、友好のためふるってご参加下さい。 中国人留学生との親睦試合も企画しています。練習スケジュール等は今後決めます。 問い合わせ、申し込みは協会事務局までご連絡下さい。電話・岡山225-5068まで(担当理事・黒住) |
卓球通じて日中友好推進 「ねや卓球道場」経営 祢 屋 康 介 |
||
私は現在、卓球道場を経営し、卓球の指導者をやっております。そして卓球の指導者である私が、なぜ中国に関心があるのかを綴らせていただきます。 岡山市に生まれ育った私は、中学校から卓球に夢中になりプロ選手を夢見ていました。そんな私が「中国」という国と出会うのは時間の問題でした。 なぜなら、皆様ご存知のとおり中国は卓球では世界に敵が見当たらないほどの強さ、卓球が国技であるからです。 そんな中国の卓球選手に憧れていた私は、卓球で高校県下一位の関西高校に入学し、練習に明け暮れる日々を過ごしていました。そこで初めて中国語と出会います。 二年生から始まった中国語の授業でその面白さを知り、それがきっかけで大学へ進学しても中国語を学ぶことになります。 関西大学に入学した私は、文学部の中国語中国文学専修に所属し、もちろん卓球部にも入部し、相変わらず毎日を卓球に捧げていました。 そして、中国への興味がますます強くなっていたこの頃、絶好の機会が訪れます。高校時代の卓球部の顧問の先生から、中国への卓球留学を勧められたのです。そんな手があったのか!と思った私は迷うことなく卓球留学を決意しました。 そこで、大学2年目を休学し、単身中国へ渡った私は、日本にいた時以上に卓球漬けの生活を送りました。 始めのうちは、やはり会話に一番苦労しましたが、徐々に慣れてきて、2か月目には会話が楽しくなりました。食事に苦労される方が多いとよく耳にしますが、私は一切苦労することなく中華料理に馴染むことができました。 そして1年間中国にいてたいへん多くのことを学びました。 まず、卓球というスポーツにおいての日本との圧倒的な違いは、基礎練習にかける時間と思い入れです。 まだそれほど強くない子どもでも、基礎はしっかりしていたり、プロ選手でも基礎練習に多くの時間を割いたり。あとは卓球に限らず、プロ意識の強い国だと感じました。 人口の多さもあるとは思いますが、それぞれの専門分野でそれぞれが活躍するという、役割分担がはっきりしています。周りの組織のバックアップ体制が非常にしっかりしているからこそ、卓球選手は卓球にのみ全力で集中できる環境にある、という印象を受けました。 このように1年間、本場の環境を味わうことで、中国卓球の強さの秘密が少し分かったような気がします。 その他、生活していると様々な文化の違いを感じることもでき、本当に貴重な経験をさせていただきました。 帰国後も卓球と中国語に明け暮れる日々を過ごし、無事に大学を卒業した私は、故郷の岡山に帰り、卓球の指導者となりました。 そして、今年3月末、岡山市内の白石東新町に「ねや卓球道場」をオープンすることができました。利用して下さる方も徐々に増え、一般の方は20~80歳代と非常に幅広く利用していただいています。 夕方からはジュニアのレッスンもやっていて、卓球好きの小中学生が集まって一緒に汗を流しています。 また、今後の夢としては、世界へ羽ばたくような選手を育てていきたいのです。その夢の実現のためにも、中国への遠征や中国のジュニア選手を招いたりしながら、交流を図っていけたらと考えています。 もちろん選手強化という目的だけではなく、自分らしく「卓球」というスポーツを通して、少しでも日中友好につながってくれればと思っています。 会員の皆様方にはご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。 |
シルクロード 唐蕃古道と黄河源流を四駆で訪ねて <中> 荒木敏雄氏ら5人組 |
|||
張掖までくると標高は2700メートル。これからは更に高地となるため、酒、煙草は最後の日。加えて、宿も簡易宿泊施設となるため、風呂、シャワー、洗面所なしと聞かされ、一同それなりに覚悟。 四駆に、飲み水として、1日1人1リットル計算で3日分積み込み出発。南下し、祁連山脈を越えて、青海湖に向かうのである。 山々の頂きには氷河や新雪が陽光に光り、翡翠色の空とコントラストを描きだす。高原地帯には羊や独特の長い毛を持ったヤク、それに馬などが放牧され、それらをチベット族の牧童が、ゆったりと誘導していた。そこでは、獰猛で狂犬病の恐れもあるチベット犬には注意し、かみつかれないようにとのご忠告。 祁連山脈の地肌は、赤茶色、緑、黄、濃茶色、頂きは青みがかる純白色と、それは今まで見たことも無い不思議な景観を見せてくれた。土の層が演じる虹模様だった。 途中、展望用階段を上ることにした。なんと高さは200メートル。ガイドからは、高山病にならないようにゆっくり登れとのご指示。 展望台に上る。絶景かな、絶景かな。多色カスタードクリームパンのようだった。しかし、息切れが激しい。空気が薄い。 その夜は剛察に宿泊。夜1時間ごとに起こされる。頭痛だ。軽度な高山病だろう。その都度、水を飲んでは寝る。曰く。水分中の酸素を細胞が吸収すると高山病が軽減されるらしい。まるで金魚ではないか。 |
|||
|
|
||
高地は続く。黄河源流の地域だ。花石峡、馬多姉妹湖、黄河記念碑と続く。 目的地に向かう途中の道路は、強風で黄砂が吹き流され、場所によっては2メートル近く埋まったまま。タイヤショベルで除雪ならぬ除砂作業。 さらに黄河上流域にひたすら邁進。ここまでさかのぼると黄河の水は、ブルーに変わった。岸は波しぶきが氷結、塩塊のよう。 そして遂に車で入れるギリギリの場所まで。そこは湖のような広さだった。本当の源流に行くには、さらに歩いて数十キロだとか。 湖面は全面凍結。恐る恐る30メートル程歩いた。 |
|||
|
|
記念講演会 11月19日 岡山大学などと共催で |
|
岡山市日中友好協会設立30周年記念として準備していた講演会が、今秋11月19日、家森幸男先生(武庫川女子大学教授、国際健康開発研究所所長、京大名誉教授)と重森貝崙先生(元岩波映画社監督)を迎え、岡山市洛陽市友好都市30周年記念、そして岡山大学と洛陽の河南科技大学交流協定締結記念として実施することとなった。 主催団体は、岡山市・岡山大学・岡山市国際交流協議会と当協会の4者共催となった。 会場は、岡山大学創立50周年記念館多目的ホール(収容人数400名)で、参加費は無料(整理券が必要)。 テーマは「中国の食生活と健康・長寿」。 この事業計画に先立ち、6月7日協会の土井章弘副会長、黒住昭子理事、松井三平事務局長が岡山大学の森田潔学長に面会し、実施協力を要請した。 これに対し、森田学長は「河南科技大学との提携、記念講演とも是非とも成功させたい」と語り、大学との共催を確認した。 今後、主催団体の役割分担を確認し、協賛広告の募集、宣伝材料の制作など、会員の協力を呼びかけ、盛り上げていく予定である。 |
活動日誌 | |||
4/17…半田山公園にて「洛陽牡丹花まつり」開催 4/30…協会訪中団反省会(盃花羅亭) 5/5…家森幸男氏、重森貝崙氏に会見(京都) 5/ …日中麻酔学会(岡山グランヴィアホテル) 5/10…洛陽第五人民医院訪日団来岡。 岡山県精神科センターにて交流協定調印(5/11) 5/13…日中教育交流訪中団(~17) 5/26…OHK「鬼子医師」オンエアー 5/30…早島町日中交流委員会開催(早島小) 6/4…洛陽牡丹写生大会表彰式(西川あいプラザ) 6/7…岡山大学森田潔学長に会見(土井副会長、黒住理事、 松井事務局長) 6/8…第3回理事会(協会事務所) |
|||
会員消息 | |||
【入会】 林 茂樹さん(岡山市) 鳥海 十児さん(岡山市) 片岡 良仁さん(井原市) 祢屋 康介さん(岡山市) |
|||
先憂後楽 | |||
楊長濱さんは中国・東北部ハルビンの出身、民族楽器の琵琶奏者だった。プロを目指していたが、縁あって岡山大学へ留学し、卒業後はプロの道をあきらめ、就職した。下津井電鉄の故永山久也社長との出会いが彼の運命を変えた。 永山氏は彼を信頼し、上海でのタクシー会社立ち上げを任せた。当時、商社が天津でタクシー事業を立ち上げていたが、地方の運輸会社が単独で進出したのは珍しいことだった。 楊さんは、東北人として上海人の中に入り、難しい運転手を相手に奮闘した。パートナーであった上海紅十字会の協力もあって、事業は順調に推移した。 次に彼に下った命は胡蝶蘭事業。しかも広州での展開だった。しかし、彼は果敢に門外漢だった農業と花卉を勉強し、軌道に乗せた。 上海と広州の生活、合わせて二十二年間、彼は家族と離れ離れで奮闘した。そのエネルギーに頭が下がる。その楊さんと仕事の関係ができ、広州で久しぶりにゆっくり話した。 彼が永山氏を自分の父と思っていること、酒が飲めるうちは仕事をするつもりだとしみじみ語った。 中国との仕事をしていて一番嬉しいことは信頼できる友人と出会え、苦楽をともにできることだ。今回計画しているプロジェクトも彼とのジョイントで実現できると確信している。(松) |