2012年 祝 年頭のご挨拶 | ||
交流事業を継続し拡大 岡山市日中友好協会会長 片 山 浩 子 |
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皆様にはお健やかに新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。今年もよい一年になりますようお祈り申し上げます。 中国は、今やGDP世界第2位と急激に発展を遂げ、政治的にも経済的にも世界に大きな存在感を示しています。 岡山からも多くの企業が中国の各都市に積極的に進出しています。 政治的な問題や国民感情など問題はありますが、これからもなくてはならない隣人として、よい関係を築いていかなければならない今、民間として活動する当協会の果たす役割は大きいと思います。 昨年は当協会設立30周年、また、洛陽市との友好都市締結も30年という節目の年でありました。 「記念講演会」、「咲そう友好の花キャンペーン」、「洛陽市訪問団」、「30年史の編纂」など、多彩な事業を行いました。洛陽市からも医療、教育、農業関係者の多くの団体が来岡し大きな成果を収めました。 発展する中国の勢いを目の当たりに見た洛陽市では、郭洪昌洛陽市長の歓迎に中国との長い交流の歴史と絆を感じました。 |
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今年は中国との国交が始まって40周年を迎えます。 前年の成果を踏まえて引き続き日中の医療関係を中心に交流事業を継続していき、また、洛陽市の牡丹祭りが始まって30周年を迎えるとのこと、春には訪問団を募集して参加する企画を立てています。 岡山県は中国江西省との協定締結20周年を迎えられます。岡山県の諸団体とも連携し協力していきたいと思います。 中国との交流が深まるにつれて通訳や翻訳のレベルアップが求められてきます。その人材育成の機会も作りたいと考えています。 今年も会員の皆様方に楽しんでいただける事業を企画し、岡山市とも協力し民間としての活動を続け、協会30年の歴史の上に新たな1ページを開いていきたいと思います。さらなるご支援をよろしくお願い申し上げます。 |
“都市格”高めるため全力 岡山市長 髙 谷 茂 男 |
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新年明けましておめでとうございます。 皆様方におかれましては、希望に満ちた輝かしい新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。 平素から、洛陽市をはじめとする国際友好交流事業や、市政全般にわたり、格別のご理解とご協力を賜り、厚くお礼申し上げます。 とりわけ、貴協会が本市における日中民間交流の中心的役割を担われ、幅広い分野で実りある成果を上げておられることに対し、改めて深く敬意を表するものであります。 昨年は、洛陽市との友好都市締結30周年の記念すべき年でした。時を同じくして設立30周年を迎えられた貴協会と力を合わせ、洛陽牡丹写生会や記念講演会などの事業を成し遂げることができました。 8月には、洛陽市から楊炳旭副市長を団長とする総勢100名の訪問団をお迎えするとともに、これに続く9月の岡山市民友好訪中団では、団長として私も洛陽市を訪問し、両市の変わらぬ友情を確かめ合うとともに、今後の40周年、さらには50周年に向けて、新たな交流の第一歩を踏み出すことができたことを大変嬉しく思っております。 さて、本市では、再来年(2014年)に本市初の本格的な国連関連の国際会議となる「ESDの10年最終年会合」が開催されることになりました。 このチャンスを活かし、市民の皆様と協働で「環境先進都市・岡山」を全世界へアピールしていくとともに、国際的なコンベンション都市としての都市格を高めるため、全市を挙げて取り組んでまいる所存です。 今後とも貴協会のより一層のご協力を賜りますようお願い申し上げます。 年頭に当たり、貴協会のますますのご発展と皆様方のご健勝、ご多幸を心から祈念いたしまして、新年のごあいさつといたします。 |
友好交流と互恵協力 増進するため全力 中華人民共和国駐大阪総領事 劉 毅 仁 |
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いよいよ新しい年を迎えるに際し、皆様の益々のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。 さて、私儀この度2011年12月8日付けで中華人民共和国駐大阪総領事として着任いたしました。 今迄皆様より大変お世話になり、誠に厚くお礼を申し上げます。尚、今後甚だ微力でございますが、引き続き中日戦略的互恵関係及び両国間の各分野における友好交流と互恵協力を増進するため全力を尽くして参りたいと存じます。 なにとぞ、今後もご指導とご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。 先略儀ながら書中をもちまして新年ならびに着任のご挨拶とさせていただきます。 2011年12月吉日 |
大学間の協力協定に調印 岡山大学と洛陽市・河南科技大学 |
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両大学は、従前から交流していたが、今後は共同研究や教員の相互派遣など、より前に進めた交流をしようと大学間協定を結んだ。岡大、森田学長と河南科技大、王学長が署名した。 当友好協会では、片山会長らが調印式に立ち会った。 |
「人民友誼貢献賞」 高田裕史氏が受賞 |
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表彰式は、11月23日、江西省の南昌市で行われ、高田氏は対外友好協会から、草の根友好活動が顕著だったとして「証書」とメダルを授与された。 |
中国から裁判官の視察団6人が来岡 | ||
訪日団は、信陽市中級人民法院の銭文友法官を団長とする5名の法官と、随行の外事旅游局の汪亜傑副局長含めて6名。 岡山市日中友好協会が友好都市締結時に仲介役をしていた関係で、シ師河区政府から法律関係の視察訪問依頼があり、招聘したもの。 一行は、12月5日の上海岡山便で入国し、翌日の6日に岡山市内を視察。 最初に、協会副会長でもある近藤弦之介氏が代表をしている太陽総合法律事務所を訪問し、近藤弁護士から事務所の活動状況や、日本の裁判制度などについての説明を聞いた。 一行は弁護士事務所の後、岡山地方裁判所を傍聴し、裁判員制度で実施されていた殺人未遂事件の公判を傍聴。 夜には、岡山大学法学部を訪問し、大学院で張紅教授の会社法の講義に出席した。一行は講義に先立ち、法学部の佐野寛学部長と国際交流担当副学長の荒木氏と会見した。 これまで協会では、医療福祉、農業、教育、など他分野での視察受け入れをしてきたが、裁判官の視察は初めて。 今後法曹界での交流拡大が期待される。 |
岡山県共生高校訪問 共生高校 常務理事 角川 宣行 |
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新見市と信陽市(シ師河区)の交流は、1985(昭和60)年から始まり、1992(平成4)年4月に友好都市協定を結んだ。 その後、信陽市の行政区域の再編、新見市の市町合併により、改めて友好都市協定を締結し現在に至っている。 今回のシ師河区からの友好交流訪日団は、王万斌副区長を始めとする行政関係者7名で、岡山市日中友好協会が招いた。同行した同協会の松井事務局長を通じて岡山県共生高校への来訪が実現した。 当日は、全校生徒が友好交流訪日団を出迎え、中国からの留学生も交えて歓迎会。新見市から、矢田貝総務課長、新見市国際交流協会・土屋会長らも同席した。 |
《第4次洛陽医療視察訪日団》 旭東、済生会病院を視察 |
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岡山旭東病院では、土井章弘院長の全体説明の後、初めて広報担当者から、院内広報紙やホームページが、地域、患者、病院を結ぶために大きな役割を果たしていることが説明された。 また、意見箱の設置などクレームにも誠実に迅速に対応していることも報告された。 訪日団からは、病院事故への対応や公立病院と民間病院との数や、受診費用の差があるのかどうかなど、活発に質問が出た。 午後には、岡山済生会総合病院を訪問し、大原利憲院長らの歓迎と詳細な説明を受けた。 事務部長の清水雅人氏による病院概要の説明の後、大澤俊哉地域医療連携センター長から、地域連携の構築と具体的な連携内容について詳しく説明があり、参加者も熱心に聞き入っていた。 夜には、協会主催の歓迎会があり、黒住教神道山でのおおもと鍋でのもてなしに、一行もリラックスし、参加者との交流を深めていた。 |
高橋幸夫の三峡クルーズ 旅日記 |
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明けましておめでとうございます。 昨年は岡山市日中友好協会設立30周年特別企画に参加させて頂き、九寨溝・黄龍・三峡と旅してきました。 理事の黒住さん、高木さん、池田さん、松井さん、九寨溝では先人顕彰会の片岡良仁さんにお世話になりました。 楽しく思い出深い旅の贈り物、本当にありがとうございました。記憶に残る良き1年となりました。(今年もいい事あるといいなぁ~)。 ところで豪華船での三峡クルーズ、僕にとって想定外の夢世界でした。 (僕が夢に描いていた“クルーズ”とは…夜は蝶ネクタイをして貴婦人方とシャンデリア輝くフロワーで優雅なダンスを舞い、ワイングラスを傾け…昼はデッキの白いチェアーでのんびりと読書…なんて想像していました)。 |
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そんな想像はすぐ吹っ飛びました。この僕でもOKなんです。僕でも可能な豪華船による三峡クルーズ、十分楽しむことが出来ました。 旅で学んだのですが、「想像は現実と大きくかけ離れている。日本にいては日本は分からない。」という事でした。 朝9時に岡山空港を飛び立ち、夕食の5時ごろ(?)重慶に下り立ちました。距離的に岡山-東京間を3往復したくらいでしょうかねぇ。 チョット腰が痛くなり中国の広大さを、時間と肉体をもって思い知らされました。 重慶の火鍋は辛い事で有名だそうですが、想像していたほど辛くなく、アヒルの腸のシャブシャブを「エイヤッ」と口にしたが、意外と美味? 重慶も上海も夜景はきれいでしたね。ビルや高速道路がネオンでどこまでも照らし出され、綺麗な事 目を見張るばかりでした。(電気代もったいないなぁ~)。 つい貧乏性が出たものの、三峡ダムは原発13基分の電気を発電すると聞いて(まぁ~いいかっ)と納得。 街のない三峡の夜は、まっ暗闇ですが、大きな豪華船は衝突することもなく進んでいくんです。こんなに大きな河、日本で見た事ない。(日本のどこかにもあるのかなぁ~。瀬戸内海だったりして…)。 三峡の入り口では、ガイドさんのマイクの声が、ワワワワワ~ンとこだまして、やかましい事やかましい事、旅情を損ないますねぇ。 小三峡、小小三峡へと進むにつれて、とっても雄大な自然の厳かさを、これでもか、これでもかと感じさせられました。 そこへ船頭さんの恋歌(?)が周囲にこだまして、これまた絶妙でしたね。旅仲間の日本男児の一言「こりゃ~~帝釈峡は負けたわぁ~」でした。 九寨溝、黄龍を旅した時も、80歳になられたおばあちゃんが「綺麗だなぁ~奥入瀬と上高地を一緒に見させてもらってるようだ。それも何倍も何倍も大きくして…」と感嘆されていましたが僕も同感。 三峡ダムはスエズ運河方式だそうで、小雨降る中を一晩中、船が越すのを眺めておられた方が翌日、ダムの案内地図を見ながら、「僕らはどこを通ったの?ここ?あそこ?」と地図の上で迷子になられていました。中国はホントに大きいですねぇ。 でもチョット気になる事がありました。名所旧跡でガイドさんが「ここのトイレは五ツ星です。いらない時は“プーヤオ”と言ってください」と言われます。 日本でこんなガイド案内聞いた事ないですよねぇ。でも、このガイド案内がとっても役立つんですよ。(会員) |
ご案内 岡山市日中友好協会 2012年度 定期総会・新春互礼会 |
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表記の行事を下記の日程で開催します。万障繰り合わせての上、ご参加くださいますようご案内申し上げます。 [日時]2012年1月21日(土曜日) ◎定期総会(午前11時より) 2011年度活動報告、収支報告他 2012年度活動方針、収支予算他 ◎新春互礼会・レセプション(午後零時開会) [場所]岡山全日空ホテル(岡山駅西口) [会費]6,000円(互礼会会費) |
○協会設立30周年記念事業○ 「食生活と健康・長寿」講演会 重森貝崙氏/家森幸男氏語る |
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講師は、映像作家の重森貝崙氏と京大名誉教授の家森幸男氏。両氏の熱のこもった話しぶりに、詰めかけた約200人の聴衆は大いに盛り上がっていた。 この中で重森氏は、映像を説明しながら、中国の伝統的な漢民族「客家(はっか)」の伝統にのっとった独自の生活様式を紹介。特に食生活について、おかゆや豆腐料理を解説し、健康維持には何が必要なのか話した。 家森氏は、世界の長寿国・地域を紹介しながら、そこが現在どうなっているかについて解説。食のグローバル化が引き起こしている現実について分析。食育の大切さや、日本の伝統食の復活・見直しの必要性について強調した。 |
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記念誌「30年の歩み」発刊 | |||
協会の設立30周年記念事業の一つとして取り組んできた記念誌「岡山市日中友好協会30年の歩み」が、11月、完成し発刊された。 A4判、約340ページに及ぶ大作。これまで発行してきた15年史や5年ごとの年史を全部一冊にまとめたもの。日中友好30年の歩みがよく分かる。 巻頭で、設立当初からのメンバーによる記念座談会をし、この30年の歩みを振り返っている。編集には、主として岡本拓雄副会長が当たり、資金面でのご協力もいただきました。 記念誌は、会員に配布したほか、県内の官公庁や図書館などにも贈られる。 |
故三島伯之元会長を悼む 不正義には厳しさ 日中友好活動に尽力 |
「おだやかな最後でした」と喪主で長男の三島直人さん。7日に開かれた葬儀には、出身の山陽新聞社の関係者を中心に、日中友好協会などからも多数が参列、故人と最後のお別れをした。 協会では、ちょうど6日に協会設立30周年記念誌ができ上がったところ。三島氏は第3代会長として日中友好に尽力されており、遺族の方の了承を得て、お棺の中に記念誌を入れさせていただいた。天国へ行く途中、退屈しのぎにでも読んでいただけたらと思う。 ちなみに、協会の15年史は、三島会長が中心となり編集発行作業を進め、発足時からの歴史の記録がまとめられた。あの作業がなければ今回の30周年記念誌はあり得なかった。 三島氏は、官費留学生として上海同文書院に留学され、帰国後、昭和20年に山陽新聞社に入社。要職を経て、社会事業団専務理事を最後に同社を退職。 その後協会に入会され、平成4年から会長として同12年の退任まで、協会の発展に尽力された。 入会のお願いに行った時、「形ばかり繕って中身がないではないか」と手厳しい意見を言われたことを思い出す。が、入会申込書はその場ですぐいただいた。 協会では、会報の発行、連続文化講座の開設など、毎日手弁当で事務所に来ていただき、奮闘された。 特に、高校生らが日中サークルを作って活動していたのを支援され、彼らを励まし、親身となって接し、尊敬を集めた。その中には現在、東大や慶応大で中国語教師として活躍している人もいる。 温厚な中に、時に不正義に対しては厳しかった三島さん。これからも天国から協会を叱咤激励して頂けたらと思う。ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈りいたします。 (理事事務局長 松井 三平) |
活動日誌 | |||
10/22…岡大留学生同窓会設立総会(岡大国際交流センター) 10/25…第2次洛陽第五人民医院訪日団来岡 (岡山県精神科医療センター、岡山旭東病院、万成病院訪問) 10/28…30周年講演会事務局会議(岡大50周年記念ホール) 10/30…岡山県中国人留学生後期入学生歓迎会(岡大留学生会館) 11/ 1…協会30周年特別企画ツアー 「ヴィクトリア号で行く三峡クルーズ」~11/6 11/10…信陽市シ師河区訪日団(新見市共生高校訪問など訪問) 11/19…岡山市洛陽市友好都市締結30周年記念事業。 講演会「中国の食文化、長寿」。 岡山大学・河南科技大学協力協定調印式開催 11/27…中国語検定試験開催(ノートルダム清心女子大学)171名受験 11/29…洛陽偃第四次医療視察訪日団来岡 (岡山旭東病院、岡山済生会総合病院) 12/ 5…信陽市シ師河区裁判官訪日団来岡 (太陽総合法律事務所、岡山地方裁判所、岡山大学法学部訪問) 12/18…日中医療交流促進訪中団(土井章弘岡山旭東病院長、 中島豊爾岡山県精神科医療センター理事長ら10名、 洛陽市衛生局、病院視察訪問)~21帰国 12/22…岡山県江西省20周年記念事業説明会(岡山県庁) 12/24…協会理事会(事務局)総会準備等 |
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会員消息 | |||
【入会】 高田 裕史さん(笠岡市) 靳 琬 さん(倉敷市) 横田 啓樹さん(倉敷市) 土師 克仁さん(岡山市) |
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先憂後楽 | |||
本年は、日中国交正常化40周年にあたる。この40年の間に日中間の友好都市関係が354組結ばれている(2012「友好手帳」より)。都市と都市の協定では姉妹都市という言い方があるが、英語のSISTER CITYを日本語に訳したもので、中国とは、どちらかが妹姉の関係にならないようにとの配慮から友好都市と言っている。 一番目は神戸市と天津市で、1973年6月に結ばれている。次いで、横浜市と上海市、奈良市と西安市が続く。我が岡山市と洛陽市は1981年の4月の締結で、全国で22番目と比較的早い。 岡山県下には、岡山市以外に岡山県と江西省、新見市と信陽市シ師河区(河南省)、倉敷市と鎮江市(江蘇省)吉備中央町と淮安市楚州区(江蘇省)など合わせて9つの友好都市関係があり、青少年交流を中心に往来が続けられている。 この友好都市関係を改めて見直し、今後の各分野の交流の活性化につなげる方策を考えてみては如何だろう。たとえば中国とのビジネス展開を考えた時、総合商社に市場調査を依頼し、何度も足を運んで情報を集め、人脈を作っていくのに時間と経費がかかるだろう。その点、友好都市間には少なくとも友好というファジーながら長年培ってきた信頼関係がある。経済だけでなく、留学生誘致や、文化交流など、いい意味で利用すればよい。 新しい年、日中共同宣言の精神を見直し、日中新時代をにらみながら、市民交流を継続していきたい。(松) |