岡山と中国 2013年1月
平成25年1月
  218号


発行人 片山浩子
編集人 松井三平
日中国交正常化40周年記念・講演会&座談会
   “ピンポン外交”確認し新たな交流を
             深い絆信じて草の根実践 

松崎(栗本)キミ代さん[1959・63年世界卓球選手権女子単優勝
「“銀”で喜ばないで! もっと目標を大きく!」

深津(徳永)尚子さん[1965年世界卓球選手権女子単優勝
「一国の総理が卓球の試合に出て来るのだから…」

滝沢岩雄氏[坂田記念ジャーナリズム振興財団理事事務局長]
「日中関係の深い絆を信じて前を向いて進もう」
 
  当協会(片山浩子会長)は、日中国交正常化40周年を記念した講演会・座談会「日中を結んだピンポンの力」を平成24年12月15日、岡山市の岡山国際交流センターで開いた。
  講演は元世界チャンピオンの松崎キミ代氏(現・栗本)、座談会には、同じくチャンピオンの深津尚子氏(現・徳永)とジャーナリストの滝沢岩雄氏が加わった。


  会場は、日中友好協会会員や卓球協会関係者、中・高生の卓球部員ら約100人が詰め掛け満員。これら参加者を前に、元世界卓球女子チャンピオンとジャーナリストが「ピンポン外交」や「卓球」について大いに語った。

○松崎キミ代さん講演○
  私の少女時代は苦しいものでした。厳しい両親で、何度も「出て行け」と追い出されました。でも、ご飯一食抜いても子守りしながらでも卓球をやりたいと思いました。
  大学進学に大反対だった親が、私に根負けして許してくれた。それだけに、全日本で優勝くらいしないと家には帰れないなと思った。その気持ちが私の支えになった。
  好き、根気、ヤル気-この3つが誰より強ければなんとか強くなれます。

  1961年北京で開かれた世界選手権大会。日中には国交がありませんでしたから、日本政府がビザをおろしてくれるかがまず心配。
  やっとおりて行くとなると香港経由で何日もかかって北京ヘ。街に出るとツバをかけられた日本人選手もいたほど。大会会場は1万5千人の観客で満員。が、ひとりとして日本人選手には応援なく、ミスすれば喜ぶ。
  審判も中国人ばかりで全く不公平。寂しくて涙が出ました。しかし、私は高校時代にマナーの良い選手を見て、見習おうと心掛けていましたので、この大会でも、負けましたが相手の選手とにこやかに握手し讃えました。

  その試合の模様を周総理が見ておられて「試合中笑みを絶やさず勝ってもおごらず、素晴らしい。これこそ中国選手が学ばなければならない精神だ」おっしゃったのです。
  中国の人も、根っからの日本人嫌いではないと思います。私の友人の一人は、私の名前の一字を欲しいと言って、「崎」の字を子供の名前につけました。日本人も冷静に大人の対応をしないと、何時まで経っても友好関係はできません。
  今の日本の卓球界ですが、先のオリンピックでも優勝じゃないんです。私たちのころは、優勝でなければ納得してもらえませんでした。挑戦してください。

○深津尚子さんの話○
  最近、若い人たちが外国に出て行きたがらなくなったとよく聞きます。私たちの時代には、がむしゃらに出て行ったと思います。夢を大きくもって頑張ってほしい。

○滝沢岩雄氏の話○
  茅台酒や当時の話を聞いていて、中国側も日本側もやはり「井戸を掘った人」を大事にしようとする気持ちが伝わってきたと思う。
  皆さんも草の根の交流を通じながら、新しい日中関係の深い絆を信じて、前を向いて歩いて行きたいと思う。
 
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2013  謹賀新年
  地道に各種交流を継続
          岡山市日中友好協会会長 片 山 浩 子 
 
  明けましておめでとうございます。
  皆様にはお健やかに新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。今年もよい一年になりますようにお祈り致します。昨年一年間の会員皆さま方のご協力に心より感謝申し上げます。

  日中関係は現在、残念なことに1972年の国交正常化以来最悪の状態になってしまいました。
  昨年、岡山商科大学孔子学院で開かれた講演会では、『小異を捨てて大同に就く』という言葉の中国語訳に『小異を残して大同を求める』という解釈があることが紹介され、国交正常化時に見せた先人の智慧に学び、意見の違いを残しながら友好という大同を求めるべきだとの指摘がありました。

  また、当協会主催の講演会・座談会『日中を結んだピンポンの力』で、講師の元卓球世界チャンピオンの松崎キミ代さんは話されました。
  「中国には日本を好きな人がたくさんいる。国交のない時代、ピンポンを通じて絆を深めたように、これからも『瀬戸内日中友好卓球交流の会』を立ち上げ、日中友好関係を切り開きたい」と。
  私はこれらのお話に共感し、このような時代だからこそ民間の草の根の力で交流を途切れさせることなく地道に続けていくことが大切ではないかと思います。

  今年度は友好都市洛陽との医療交流、緑化交流を再開することや、日中卓球交流を実現すること等計画しております。また組織的には認定NPO法人の認可を目指していきたいと思います。
  本年も皆様方のお力で会を盛り上げてくださいますようご支援をよろしくお願い申し上げます。

  誘致・受入体制を構築
          岡山市長  髙 谷 茂 男 
 
  岡山市日中友好協会の皆様におかれましては、希望に満ちた輝かしい新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。
  また、平素から、市政の推進に格別のご理解とご協力を賜るとともに、本市における日中民間交流の中心的役割を担われ、幅広い分野で実りある成果を挙げておられることに対しまして、深く敬意と感謝の意を表する次第です。

  昨年は、4月に「岡山市民友好訪中団」を洛陽市に派遣し、第30回の節目を迎えた「洛陽牡丹文化祭」の開幕式への出席等を通じて市民相互の交流を深めたのに続き、本市でも「洛陽牡丹まつり in 岡山」を開催するなど、洛陽市との友好交流事業を実施したところであり、事業実施に当たっての貴協会のお力添えに厚くお礼申し上げます。

  さて、本市では、厳しい社会経済情勢の中でも市民サービスをしっかりと守りつつ、夢と希望の持てる都市づくりができるよう、徹底した行財政改革の下で、都市ビジョンに沿った各般の取組を進めております。
  本年は、行財政基盤をより強固なものとしながら、都心の創生、岡山操車場跡地の整備、新しい市民病院の建設、防災対策の強化、来年開催の「ESDに関するユネスコ世界会議」の開催準備、自転車利用環境の向上、コンベンションの誘致・受入体制の構築、保・幼・小・中の一貫教育の推進と学びの場の充実など、「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」、「中四国をつなぐ総合福祉の拠点都市」という都市像を市民の皆様に具体的な形で実感していただけるような取組を展開してまいりますので、貴協会におかれましては、市政への変わらぬご支援とご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。
  年頭に当たり、貴協会のさらなるご発展と、今年一年の皆様方のご健勝とご多幸を心から祈念申し上げます。

 
(祝 辞
  「民を以て官を促す」に
          中華人民共和国駐大阪総領事 劉 毅 仁   
 
  新年を迎えるに当たり、中国駐大阪総領事館を代表して、片山浩子会長をはじめとする岡山市日中友好協会の皆様に新春のお慶びを申し上げます。

  過去の一年は平凡ならぬ一年でした。中日国交正常化40周年という節目の年を契機に、中日関係の新たな発展を図る一年であるはずでした。
  しかし、日本政府の誤った行動により、中日関係が国交正常化40年来もっとも厳しい局面に陥いり、両国間の各分野にわたる交流が大きな衝撃を受けています。
  両国関係の発展のために、長期にわたって努力なさってきた方々が、きっと心が痛むであろうと察しております。

  岡山は古今にわたって、吉備真備、内山完造、岡崎嘉平太など日中友好の推進者を輩出し、また中国の文豪である郭沫若とゆかりの深い地でもあります。
  岡山市日中友好協会は伝統を継ぎ、長年来、豊富多彩な友好活動を通じて、姉妹都市の洛陽市をはじめとする中国各地との民間交流を積極的に推進してきました。
  今後も友好交流活動を続けて、「民を以って官を促す」という伝統を踏まえ、中日関係が一日でも早く正常な軌道に戻るために努力するよう望んでおります。
  結びに、岡山市日中友好協会の皆様のご健勝、並びに貴会のますますのご発展を祈念して、新年のご挨拶といたします。 
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【特別寄稿】=前号から続く=
    友好の証・一本の茅台酒

                             松 崎(栗本)キミ代

「永く語り継ぎたい-」
松崎キミ代さん
 
  周恩来総理は、日本選手団の労をねぎらわれ続いて次のように話された。
  「特に松崎さん(現・栗本)の準決勝戦の試合、私は地方に出張していてテレビで観たのですが、中国人民に深い印象を植えつけました。あなたは負けたが一番です。勝っている時も負けている時もほほえみを絶やさない、勝ってもおごらず負けてもくじけない、このマナー、風格を中国のスポーツマンは学ばなければならない」。

「総理から」と茅台酒
  総理は日中友好の大切さを懇懇と格調高く話されたのだった。
  「ところで松崎さん、お父さんはお酒を飲みますか?」と尋ねられ「はい、大好きで毎日晩酌をします」「それなら私の手持ちにいい茅台酒があるから記念にあげましょう。解放前に造られた、今ではもうほとんど無くなった珍しいものです」。
  なんともったいない。同席されていた西園寺公一先生が「オーこれは凄い!」と感嘆の声をあげられた。
  宴会が終わってホテルに着くと秘書の方から赤いリボンの掛かった茅台酒を「総理からです」と渡された。

  私はその夜興奮して両親に手紙を書いた。
  「今夜はとても光栄で嬉しくて眠れそうにないので手紙を書きます。試合の結果は報道で分かっているでしょう。日本は3種目に減ってこれからも中国の強さに脅かされることと思います。私はシングルス準決勝まで進んだので、もしや2連勝、とみんな期待してくれたでしょうに、負けました。

  さて本題です。今夜、かの有名な大政治家、周恩来総理が日本選手団のために送別の宴を催してくださいました。先ほど終わってホテルに着いたところです。それで総理からお父さんに、と中国の名酒中の名酒を特別にいただきましたよ。明日からまだ2週間、各地で試合をしながら旅行をしますので割らないように大切に持って帰りますから楽しみにしていてください」。
  両親が喜んだのは言うまでもない。お酒好きの仲間と少しずつ飲んで半分は記念に残し、母が栓にロウをまわして大切に保存していた。
  23年前に父が亡くなったあとは母と私が宝物として地震にも大丈夫な場所に置いてきた。

友好の証しを故郷に
  座談会のあと、テレビのインタビューを受けた。記者がいろいろ尋ねた最後に思いがけない質問をしてきた。
「この茅台酒をふる里に進呈する、というような気持がありますか」。
  私は仰天した。実は、日本を発つ前から、自分もそろそろ老年期に入ってきたわけだし、いつまでもひそかに持っているよりも、ふさわしい場所に置いて、周総理が日中友好を願った証拠の品として永く語り継いでいただけたら、と思っていた。

  茅台酒の会社に行って驚かせるつもりだったのに、嘘を言うわけにもいかず本当の気持ちを話した。このインタビューが全国放送されたとかで、茅台酒の会社では大層なことになっていた。
  座談会の翌日、邱さんたちと一緒に北京から南西に1,900キロ離れた貴州省貴陽空港に飛ぶ。通路を出ると真新しい、テーブルとソファ付きのマイクロバスが待っていた。
  3時間余りゆられ、山あいの茅台鎮という田舎町に辿り着いた。夜の9時だったが茅台グループの最高責任者が招待所のホテルで待っていてくださった。
  私と同年輩の上品な白髪の紳士。専門の大学を卒業後、周総理の指示でこの会社に来た。優秀なエンジニアであり業績を伸ばした大物会長であり総帥である。
  ホテルの部屋の窓を開けるとほのかに茅台酒の芳香がただよってきた。

  周総理はこのお酒が大好きで、1930年代の苦難の時代に、体に良い、おいしい、それだけでなく度数が強いので(53度)怪我の消毒にも使われたという。
  茅台酒の品質を保護するために、いい空気を、いい水を、と川の上流に工場を作らせないなど、心を寄せてこられ、「国酒の父」としても崇められている。従業員1万3千人の超優良企業である。

周総理像前で“返還”
  翌朝、「国宝級(だそうだ)の茅台酒が日中友好の使者とともに帰ってくる」と、私にSPが付き、町角に公安の人が立ち、交通規制をしてパトカーが私たちのバスを先導する。日本の庶民にとっては照れる。
  本社ビル前の広場には会社の上層役員や大勢の幹部社員が整列、拍手で迎えてくださる。周総理の大きな塑像がそびえている。赤じゅうたんが敷いてある。塑像の前で盛大な返還(贈呈)式が行われた。

  「50年前のきょう、私は周恩来総理から温情あふれるこの茅台酒をいただきました。そしてちょうど50年経った同じ4月20日のきょう、日中友好の懸け橋となった貴重なこのお酒をふる里にお返しします。総理も喜んでくださると思います…」。
  「よく50年間も保存していましたね。心から感謝します」会長の嬉しそうな顔。茅台酒博物館に大切に置くことを話された。
  そして、いつでも来たい時に来てください、と終身栄誉職員、と認定された。更に市場には全く出ていない50年ものの茅台酒をいただいた。
                            ○   ○   ○
松崎(栗本)キミ代さん
  1938年香川県生まれ、専修大出身。世界選手権59年女子単優勝、61年単ベスト4、混合ダブルス優勝、63年女子単優勝。全日本女子単優勝3回。
深津(徳永)尚子さん
  1944年愛知県生まれ、慶應大出身。世界選手権65年女子単優勝、67年女子単準優勝。66年アジア大会女子単優勝。現・料亭二蝶(高松市)大女将。
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《日中国交正常化40周年》
   岡山商大孔子学院 記念講演会を開く
         甲元特任教授が「国を惟う」と題し講演
                 当協会が後援、約70人が熱心に聴講
甲元孝朋氏
 
  岡山商科大学孔子学院(南部稔学院長)主催で、岡山市日中友好協会(片山浩子会長)が後援した「日中国交正常化40周年記念講演会」が、平成24年11月28日、岡山市北区の岡山国際交流センターで開かれた。

  尖閣問題を発端に日中関係がこじれたことから、一時開催が危ぶまれたが、関係者の努力で約1カ月遅れで粛々と開かれた。
  会場には、大学や孔子学院関係者、留学生、華僑関係者、友好協会会員ら約70人が出席。講演や座談会に聞き入り、日中友好の意義をかみしめていた。

  記念講演をしたのは、同大学経営学部特任教授の甲元孝朋氏。テーマは「岡山と中国の架け橋 国を惟(おも)う」。
  甲元氏は、戦前、中国・大連で生まれ、終戦で父の郷里に引き揚げたという経歴。子供時代は「カルチャーショック状態の超落ちこぼれ児童として過ごした」と言う。
  それらの経験をもとに、岡山と中国の現状と日中関係に尽力した先人の足跡などについて解説、これからの課題や自らの使命について訴えた。

  座談会は、孔子学院から南部学院長や副学院長の盛凱、黎曉妮両氏、友好協会から片山会長と松井三平理事事務局長が参加。
 教育問題や歴史認識問題、留学生の印象など、活発に意見交換が行われた。

未来を託せる若者をきっちりと育てたい

[甲元氏の講演要旨]
  国を惟い愛するということは、若者をきっちり育てることである。国籍、人種を越えて地球規模で、人類の未来を託せる若者を育てたい。
  また、この時期は国際人の下ごしらえの時期である。まず、自国と自分の住んでいる地域のこと、そして近隣諸国との関わりをしっかり知ることが必要である。

  近隣諸国をはじめ諸外国とは、お互いの文化、歴史、風俗、習慣、生活スタイルなどを尊重し認め合うことだ。加えて、温故知新の精神を大切にすることである。

  私たちの最大の使命は、この岡山の地で、近隣諸国を中心に相携えて、国際性の豊かさと広い視野を持った次世代を担う有能な人材を世に送り出すことだと思っている。

家野四郎先生を悼む
       飾らぬ性格、おごり高ぶり、戒め
 
  家野四郎さんが亡くなった。享年89歳。亡くなる数日前に、日中友好手帳の申込み電話を直接いただいていたこともあり、急なご逝去に驚いた。
  家野さんは、協会設立時、上海同文書院出身者の組織・滬友会の岡山支部に所属されていて、三島伯之元会長や、小林保氏からのご紹介で協会に入会されたと記憶している。

  入会されてまもなく協会派遣により洛陽市へ日本語講師として赴任された。
  丁度、協会が洛陽大学へ中国語留学生を派遣していた時期で、洛陽では、派遣された岡山からの若い留学生等と親しくされ、良き相談役となっておられた。

  家野さんは協会訪中団の度に参加され、得意の中国語を活かし交流を深められた。書道家でもあり、篆刻にも通じ、協会の各種行事の看板や表題などにご協力いただいた。
  四川省地震や、留学生の緊急医療支援、30周年記念誌発行などの時には率先して高額の寄付をお申し出いただき、本当に頭が下がる思いだった。
  飾らない性格で、おごり高ぶりを戒め、現在の日中の硬直化を誰よりも心配されておられた。

   これからも天国で私たち協会と日中友好活動をお守りいただきたいと願う。
   家野先生、ありがとうございました。安らかにお眠り下さい。
                                     (理事・事務局長 松井三平)
 
【ご案内】
    2013(平成25)年度 定期総会・新春互礼会 
村上彩子さん

 表記の行事を左記の日程で開催します。万障お繰り合わせの上、ご参加くださいますようご案内申し上げます。

     [日時] 2013年2月2日(土曜日)
          ◎定期総会(午前11時より)
            2012年度活動報告、収支報告他
            2013年度活動方針、収支予算他
                  役員改選
          ◎新春互礼会・レセプション(正午開会)
            ゲスト:ソプラノ歌手 村上彩子さん
               『友好祈念ミニコンサート』

     [場所] 岡山全日空ホテル「曲水の間」(岡山駅西口)

     [会費] 6,000円(互礼会会費)
                         岡山市日中友好協会
 
活動日誌
 11/ 7…岡山大学ベンチャービジネス研究会上海訪問団報告会(岡大)
 11/15…三誌友の会(ピュアリティまきび)
 11/20…協会30周年記念誌発送
 11/23…元協会理事、家野四郎氏告別式(西大寺)
 11/28…岡山商科大学孔子学院主催、日中国交正常化40周年記念講演会(岡山国際センター)
 12/12…三誌友の会(ピユアリティまきび)
 12/15…協会主催「日中を結んだピンポンの力」講演・座談会(岡山国際交流センター)
 12/15…「瀬戸内日中友好卓球交流会」準備会発足(神道山) 

会員消息
【入会】
 高橋  潔さん(早島町)
 佐藤 元美さん(岡山市)
 末永 弥吉さん(岡山市)
 鈴木 兼四さん(大阪府)
 
先憂後楽
  中国が発行している月刊日本語雑誌「人民中国」12月号に洛陽市が紹介されている。その中で「洛陽と岡山の友好交流と言えば、岡山市日中友好協会を抜きには語れません」と洛陽市人民対外友好協会副会長の王建軍(市外事弁公室主任)氏のコメントが掲載されている。

  紹介は4ページにも及び、緑化活動や、医療、教育、研修生受け入れなど30年の協会活動の軌跡が大きくクローズアップされている。この記事は洛陽市サイドの取材に基づくもので、日中関係が硬直しているこの時期の掲載は意味がある。

  早速洛陽から、見ましたか?と連絡が入り、交流の再開を皆が待ち望んでおり、我々の友情は変わらないと熱いメッセージだった。

  安倍政権が発足し、タカ派、右寄り政権と警戒される一方で、ご尊父の安倍晋太郎氏が外務大臣時代に秘書官を務めたことがある安倍氏の経験に期待する声も出始めた。中国が積極的なFTA(自由貿易協定)の推進や外交交渉の場で、関係改善の話し合いがもたれることを切に願っている。

  私たちは、これまで培ってきた友好の地平を固め、粘り強く交流を進め、友好の環境づくりをしなければならない。

  新たな動きもある。卓球を通じた日中交流だ。松崎キミ代さん、深津尚子さんら往年の世界女子卓球チャンピオンが参加して準備会が発足した「瀬戸内日中友好卓球交流会」で、香川と岡山をまたぎ、中国との相互訪問を目的としている。『平成のピンポン外交』に期待が集まる。

  国交正常化40周年の年は過ぎるが、45周年、50周年への明るい未来に向けて、日中友好の再出発への気概を込めて本年も活動していきたい。 (松)


「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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