岡山と中国 2014年6月
平成26年6月
  227号


発行人 片山浩子
編集人 松井三平
洛陽へ岡山市長、市民訪問団
                   5月18日~22日  
  

  岡山市日中友好協会の片山浩子会長を団長とする「岡山市民友好訪問団」と、大森雅夫市長をトップとする岡山市の公式訪問団が、5月18日から洛陽を訪問した。政治的に厳しい日中関係のさ中だったが、何れも〝熱烈〟歓迎をうけ交流、相互理解・友好の大きな成果を上げた。

上海経由で洛陽入り 
  出発日の18日は、岡山空港出発ロビーで、市民訪問団22人と、大森市長ら4人の岡山市公式訪問団が合同で出発式。
  片山団長と大森市長が決意表明の挨拶、午前9時過ぎ和やかに出発。一行は、上海経由でこの日午後9時過ぎ洛陽入りした。

  岡山市の大森市長らは、19日午前、洛陽市の李柳身市長とトップ会談、友好都市同士としての今後の交流を確認し合った。
  同日夜は、洛陽市人民政府主催の歓迎夕食会に、市民訪問団と共に出席、洛陽側関係者らと懇談した。
  市民訪問団は、19日午前、洛陽市孟津県白鶴鎮での植樹に参加、午後は市内見学をし途中、凱旋路小学校を訪問。
  20日は函谷関や隋唐大運河博物館などを見学、夜は対外友好協会主催の歓迎夕食会に臨んだ。
  また、市民訪問団の内の岡山県精神科医療センターの中島豊爾理事長らは、別途、河南省の4病院を訪問した。
  市民訪問団は、21日に洛陽を離れ、少林寺経由で鄭州に一泊し、翌22日の上海経由便で岡山に帰国した。

  日中関係が厳しい情勢のさ中、大森市長と市民団が友好都市を訪問した意義は大きい。
  今後の地方自治体同士、民間団体同士の人の行き来が活発になり、相互理解が深まり、大きな友好交流の流れができることが期待される。

岡山市長が洛陽市を公式訪問
          大森、李両市長友好を確認
        李市長の岡山訪問を歓迎(大森)    実りある成果を収めている(李)
会談する大森市長(左)と李市長
 

  5月19日午後6時より、洛陽新区のホテル会見室で、岡山市の大森雅夫市長は、洛陽市の李柳身市長と会見した。

  洛陽市側は李市長の他、王敬林副市長、王建軍外事弁公室主任ら5人が、岡山市側は大森市長の他、国際課長ら4人が同席した。

  李市長は最初に、洛陽市民を代表して大森市長の洛陽訪問を歓迎することを表明し、岡山市は洛陽市が最初に締結した海外との友好都市であり、締結以来、教育、医療、経済など各分野での交流と協力により実りある成果を収めていると評価した。

  一層の友好交流を
  大森市長は李市長らの温かいもてなしに感謝するとともに、洛陽が大変有名な中国の都市であり、その洛陽市と岡山市が友好都市であることを誇りに思うと伝えた。そして、李市長が岡山へ来られるのを歓迎すると表明した。

 
 凱旋路小訪問
      子供たちから大歓迎   魏校長は来岡を希望
凱旋路小で子供らの説明を受ける市民訪問団一行
 

  友好訪問団の一行は、19日午後、洛陽市内の凱旋路小学校を訪問、子供たちや教師らの盛んな歓迎を受けた。

  これは、昨年4月、医療視察訪問団が洛陽市を訪問した時、街路樹の牡丹を観賞するため市内を歩いていた時、近くにあった小学校をアポ無し訪問。
  ちょうど下校時間であったが、先生方から思いもかけず歓迎され、次回機会があったら訪問しますと言って別れた。
  今回は、昨年の歓迎をうけて、正式に訪問したもの。

  団長の片山浩子会長や土井章弘、黒住昭子両副会長ら一行は、同校を訪れるなり大歓迎、生徒会の代表らがツアーガイドとなり、学校見学をした。

  訪問の最後に全員がホールに集まり、歌や踊り、伝統劇など子供たちの素晴らしい演技の披露があった。
  片山会長がお礼の挨拶をし、訪問団代表ら5人が記念揮毫もした。
  魏秀国校長からは、是非とも岡山へ行き小学校を訪問したいと希望が述べられた

 
洛陽市長主催の
      歓迎夕食会   互いに賑やかに懇談
                           交流の促進を確認

  李柳身洛陽市長主催の歓迎夕食会=写真=は、19日夜、同市内のホテルで開かれた。

  岡山側からは、大森市長をはじめ、市民訪問団一行も含め総勢26人が招かれた。
  洛陽側は、李市長の他、王敬林副市長、張宝亜副秘書長らが出席した。

  李市長の歓迎の挨拶の後、大森市長と片山団長が挨拶、食事をしながら歓談した。
 
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孟津県白鶴鎮緑化活動
      側柏(コノテガシワ)約300本植樹
              第1期小浪底緑化協力活動に続き
団員は約2時間汗を流した
 

  今回の友好訪問団の主要事業の一つである白鶴鎮緑化活動は、洛陽入り2日目の19日、行われた。
  当日は、心配された雨も上がり、黒住昭子副会長を先頭に約20人の参加者は、午前9時、大型バスでホテルを出発。全員作業着の出で立ちで現場へ向かった。

  白鶴鎮の植樹会場では、孟津県の朱義霊林業局長らが出迎え開幕式。その後、既に穴が掘ってあるところへ準備されていた側柏(コノテガシワ)を植えていった。

  側柏の苗は、約1メートルに育っており、中国側関係者と共に約2時間汗を流し、約300本を植樹した。
  今回の植樹については、当協会が日中緑化交流基金の助成を受けて、2005年から洛陽市人民対外友好協会をカウンターパートとして、黄河沿いの丘陵地帯で植林活動を展開している。

  すでに、第一期6年間の「小浪底緑化協力活動」を終了し、一昨年より、同じ孟津県内の、やはり黄河沿いの白鶴鎮での緑化協力活動を開始したもの。

 
突如舞い込んだ歓迎夕食会
        洛陽対外友好協会と親善親睦
 

  市民訪問団にとっては、洛陽市人民対外友好協会(劉典立会長)からの嬉しい歓迎夕食会開催の申し入れだった。

  夕食会は20日夜、開かれた。対外友好協会からは、劉会長をはじめ、牡丹画家として知られる王綉女史、古筝学会会長の楊虹女史、洛陽隋唐大運河博物館館長の孫紅飛館長ら文化人がズラリ参加。

  中国側の歌などの披露に対して、岡山側は、小郷原昌道さんが尺八の演奏、池田武久さんがハモニカを演奏、盛り上がった夕食会となった。

 
 隋唐大運河博物館で文化交流会
  20日訪れた洛陽隋唐大運河博物館では、洛陽市対外友好協会(劉典立会長)の計らいにより、洛陽古箏学会主催による箏、尺八、歌など民族音楽の披露があった。
  関係者からは、岡山との文化交流を強く希望する声が伝えられた。

in 洛陽         Photo  Report     in China
  大森岡山、李洛陽市長を囲んで
函谷関を見学した後の一行 
  
 
凱旋路小ホールで子供たちの挨拶を受ける一行
 
 白鶴鎮での植樹を終えていっぷく
 □岡山県精神科医療センター訪中報告□
     中島豊爾理事長ら4病院訪問
鄭州市第八人民病院での懇談
 

  岡山市日中友好協会の日中医療交流事業の一環として、岡山県精神科医療センターの中島豊爾理事長、赤木一成常務理事、田中茂登美副院長、高橋正幸医師と事務職員志茂香代子が、5月18日から同22日の日程で河南省の4病院を訪問した。

  訪中2日目には、洛陽市第一中医医院を訪れ、昨年、関英一医師が研修で大変お世話になったことに対し、中島理事長より石莉院長にお礼の意を述べた。 
  石莉院長は近いうちに医師を岡山に派遣し、研修を受けさせたいという意向を改めて示された。
  席上、前日、上海の虹橋空港で学会帰りの石莉院長に偶然お会いしたことも話題に上り、両院は強い「縁」で結ばれていることを確信した。

 頻繁な交流こそ重要    
  続いて訪問したのは、河南科技大学第五附属医院(旧第五人民医院)。現在、新区に建設中の新病院(病床数一千床、リハビリ棟、職員公舎なども併設)を見学した。
  すでに一部外来が開業しており、今後、洛陽の衛生事業に大きく貢献することは間違いないだろう。
  3日目は、専用車で駐馬店市に移動し、駐馬店市第二人民医院を訪問した。メンバー全員が初めて訪れた町だったが、人口830万人という大都市であった。
 第二人民医院では鍼灸治療室を設けるなど、精神疾患の治療に中医(漢方や鍼灸を用いた中国の伝統医学)を多く取り入れている印象を受けた。
  夜には万平院長をはじめ、駐馬店市副市長、駐馬店市衛生局長による歓迎夕食会が開かれ、和やかな雰囲気で両院の交流が行われた。

 患者からも「熱烈歓迎」
  4日目は、鄭州市第八人民医院を訪問。中国の勢いを如実に表した完成度の高い病院紹介のDVDに圧倒された。
  院内見学をした際、患者さんたちから「熱烈歓迎!」と大きな声で迎えられ、心温まる配慮を感じた。
  今回の訪問で、頻繁な交流が絆を確かなものにしているということを実感できた。河南科技大学第五附属医院の王院長、連卓主任、魏暁艶医師は遠方にも関わらず、駐馬店市と鄭州市の病院訪問に同行して下さったことに心を打たれた。
  また、常時、通訳として同行して下さった洛陽市国際友好交流センターの魏莉娟女史と、外事弁公室の蒋宗楊主任にも心より感謝の気持ちを伝えたい。  (志茂香代子記)
 
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日中友好講演会
   『中国の現状と日中関係の展望』 
    早稲田大学教授,早稲田大学アジア研究機構現代中国研究所所長
                            天 児  慧 氏
尖閣問題から見える対日戦略《下》
 

  尖閣問題ですが、私はあの漁船衝突事件の直後、北京にいたのです。
  そこで、これまでの中国当局の対応と、今回はものすごく違ってきているなと意識しました。
  当時は民主党政権で、国土交通省の前原大臣の「国内法で処理する」との発言の〝国内法〟というところに敏感に反応しました。
  その後、ほぼ全面攻勢をかけてきた。レアアースの輸出停止、1万人の訪日観光団ストップ、建設会社の社員拘束でしょう。

 上から目線意識で迫る習近平指導部
  中でもシンボリックだったのは、丹羽大使への深夜の呼び出しでした。外交常識では考えられないような呼びつけ方をやる。私も本当かと耳を疑いましたよ。
  なぜそこまでやるのか。
  そこには中国は「自分が上だ」との意識を強く持っており「下のヤツは何時呼びつけられても、ちゃんと出て来なくてはならないのだ」との話です。
 この意識がそのころから強くなってきた。単なる尖閣の領有権を言うだけでなく、日中関係そのものをどう見るかという大事な問いかけをやられたと思います。
  尖閣問題は、中国にとって国内を引き締める重要な方策の一つです。国内の矛盾をどんどん膨らませていきながら、しかも経済は成長路線を維持、そして、言論の自由を統制しながら大国化していくという方策を採っている。
  だから「反日」で国内を引き締めるのは意味があるのです。
  民間賠償の問題も、最近中国政府は「民間賠償は放棄していない」と言っているが、もともと民間賠償という考え方は存在しなかった。
  以前、はっきりと「中国政府は人民を代表する政府であって、その人民を代表する政府が賠償請求を放棄したのだから、人民の賠償請求も放棄したことになる」と言ってきた。
  ところが最近、それをひっくり返す動きに出ている。実に巧妙なのです。それは、前回申し上げたように中国の対外戦略が変わって来ているからなのです。

 反日暴動もやはり党の指示が見える
  反日暴動についても、追跡してみると党の指示が入っていると分かる。例えば上海の例をとると、大型バスをチャーターして郊外の若者を動員し、手当や食事を出している。だから、上海人はあの反日暴動に「我々は全然参加していない」という。
  青島のイオンSCの場合も、特定の経済開放区の店がやられており、市内の店は全くやられていない。そこがやられるというのは、ほとんどがよそ者ということです。
  それは、一般国民に「日本に好感を持つことは危険だ」という意識を植えつけさせる狙いだと思ってたぶん間違いないでしょう。
  中国の外交は〝型〟重視だと言いました。要は「上か下」なのです。
  日本は人がいいから、ODA支援でも、よく頑張ったと思います。日本人は戦争の負い目もあるし、中国が発展すれば日本にもプラスがあると思ったでしょう。おめでたい気持ちがあった。
  しかし、中国は今考えてみると、上から目線で見ており「いつか我々が逆転したい」との思いを持っていたような気がする。
  経済関係でも、日本優位を突破するとの考え方です。だから、尖閣国有化に対しても猛烈な反発をくらわしてきた。
  そこで中国当局は「日本の経済は中国から門戸を締めつけられたら苦しくなり根をあげるだろう」とよんでいた。
  しかし、現実にはそうではなかったと今になって、気づき始めた。だから、最近は経済交流に関して、間違いなく風向きを変えてきているでしょう。

 世界の中心目指す大中華圏構想あり
  中国には「世界の中心を目指す」という強い志向力があるのです。ですから中国の指導者たちは、目先のことだけでなく遠い将来のことを平気で言う。
  今の中国のリーダーたちの頭の中は、過去の栄光の歴史と、その後侵略された屈辱感、これらが混ぜ混ぜになっているのです。
  そして頭の中には、大中華圏の形成ということがあると思う。米中二大大国で新しい創造的大国関係をつくりたい。その中で中国は周辺を強化していく。こういうことです。
  大きなワクでは、中国はアメリカと世界の問題について協議する大国関係をつくり、一方、中国の影響力の及ぶ周辺国で中華圏をつくるというのが戦略でしょう。
  そこで、日本はどうなのかとなると、中国指導部は、はっきりと「日本は欧米側につくのか、アジア側につくのかはっきりさせろ」という。
  どうも日本はこの大中華圏構想の阻害要因だと、中国はみていると思う。そこで、安倍政権ではダメだとみて、バンバン攻撃し、反日教育もし、この展開で国内の引き締めもやるというのが、今の習政権の対日戦略でしょう。
  ただ、その戦略が思うようにいかない。最近「どうも日本はそこまでやっても崩れないかもしれない」と思いだした。この辺から、少し流れが変わって来ていると思います。
  日中関係をどう見るかですが、これは「引っ越しのできない関係」とよく言われますが、私はそうでなく、切ろうとしても切れない関係だと思うのです。
  そして、日本と中国は、同じ志向性を持つ民族ではないといえるのです。中国はGDPで日本を越えたと喜んでいるようですが、日本には再び中国を抜こうなんて考える人はいないでしょう。
  つまり日本は安心、安全で秩序のとれた、公平・平等が実現された、そんな社会、成熟社会を目指しているのです。
  中国も、世界の1位だ2位だとか言うのじゃなく、これから高齢化社会が到来するのだし、日本がうまく協力の仕組みをつくれば、中国にとっても発展に取って意義あることになる。この辺を、中国には認識してもらいたい。

 今も人と人との絆 意外に崩れず残る
  我々も中国というものを一つの色で見てはいけないのです。中国の人達というのは、これまで上からの言うことを信じて裏切られてきた経験が何回もあるから「御上の言うことをそのまま真に受けるのも…」という話も聞かれるようになってきている。
  中国側も、日本人全部が一つの色で生きていると思ってはいけないのです。
  そこで民間レベルでの交流についてです。
  今までは、なんだかんだといっても首脳会談を開けば事態は好転し、民間レベルは補足的だと思われてきました。しかし、これからは民間の役割は間違いなく重要になってきます。
  現実をみると、これだけ日中関係が最悪状態になっているのに、人と人の絆・つきあいは、意外と崩れていない。そういうものが、可能性をつくり出していくのです。
 そして、それが中国の社会そのものを変えていくのです。
 中国が、共産党の一党体制で、上から押さえつけてやると何でもできると思っていたものが、実はそうではないというものも芽生えてきているでしょう。
 そういうものが、これからの中国の社会を変えていく力になるのです。
 その力になる人たちとの連携というものが、我々の中でとられてくると、そこで率直な意見交換ができる。そこから新しい変化が生まれて来ると思います。

 決して悲観せずに関係改善に努力を
 今、そんな新しい流れが底流では出てきているように感じているところです。
 ですから、厳しい中ですが決して悲観主義に陥ることなく、日中関係改善に向けて努力していきたいと考えています。  (完)
             日中友好講演会   2014年3月29日   主催・岡山市日中友好協会
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「三誌友の会」6月例会
        人民中国東京支局長招き意見交換
「満足している」との声がある一方「日本人を非難するような
表現は配慮して節度ある記事を」との意見・要望も出た
(立ってあいさつするのは呉記者)

  月刊誌「人民中国」を発行している人民中国雑誌社の賈秋雅東京支局長より「人民中国について意見を聞きたい」と当協会に申し出があり、6月12日、「三誌友の会」6月例会にお招きし、意見交換を行った。

  賈支局長は、長野、神奈川などの同様の会に参加され、この8月には北京へ帰任予定でもあり、それまでに是非岡山の読者と意見交換したいという希望で、呉亦為東京支局記者と共に来岡された。

  例会には会員6名が出席し、全8名で昼食をとりながら約2時間、「人民中国」について意見交換を行った。
  出席した読書会のメンバーからは「文化・歴史関連では興味深い記事が多く、満足している」としつつも、時事・経済関連では「人民中国」の謳い文句である「中国を知るための日本語総合月刊誌」に程遠い記事があり、また、日本や日本人を批判、非難する記事が多いので、購入してまで読もうと思わない。さらに、日本人を侮辱するような表現は、著者に対する不信につながるので、配慮して節度ある記事を書いてもらいたい、などの意見・要望が出された。

  賈支局長からは「率直な意見を聞いて、各地の雰囲気を知り編集に活かせていきたい」とのコメントがあった。
  また、最近発行部数が減少傾向にあるとも言われていたが、日中関係の悪化も大きな要因ではないかと思われた。
  なお、夜には片山浩子会長を始めとする当協会役員らと三誌友の会の代表が参加し、歓迎会が開かれ和やかに交流した。(協会理事。三誌友の会 山本直樹記)

■県日中教育交流協議会総会
           新会長に岡本啓氏

  岡山県日中教育交流協議会は、6月17日、岡山県生涯学習センターで、本年度総会・理事会=写真=を開いた。
  会には役員ら20人が参加し、所定の議事を熱心に討議した。

  冒頭、門野八州雄会長が挨拶し、昨年度の活動を振り返り、日中関係が厳しい中、青少年交流活動を継続していく重要性を強調した。
  また、この総会で会長を辞任し、次期会長として岡山県生涯学習センター所長の岡本啓氏を推薦した。

  総会では、今年度の日中青少年交流、『STUDENT EX-CHANGE in大連』実施をはじめ、岡山県日中懇話会などと共同で、中国への友好訪問団を派遣することなどを決定した。
  役員改選では、別表の役員が選出された。 
 瀬戸内卓球交流会
          青島訪問の報告会
報告するのは祢屋氏
 

  瀬戸内日中友好卓球交流会の第1回交流訪問団の報告会が、6月8日、岡山市の岡山国際交流センターレセブションルームで開かれた。

  第1回訪問団は、今年3月、岡山・香川両県下の小、中学生11人が青島市を訪問、交流をスタートした。今回はその交流の報告をしたもの。

  報告会には、同交流会の村上尚会長をはじめ、今回岡山県側から参加した6人の子供たち、それに父兄、卓球関係者ら約50人が参加。

  ねや卓球道場の祢屋康介氏が映像を交えて交流の模様を報告。懇談した。 

活動日誌
 5/ 8…三誌友の会(ピュアリティまきび)
 5/17…県日中教育交流協議会総会理事会(生涯学習センター)
 5/18…岡山市民友好訪中団出発(~5/22)
 6/ 5…県日中懇話会理事会(ピュアリティまきび)
 6/ 6…上海新和中学訪日団来岡(~6/8)
 6/ 7…瀬戸内日中卓球交流会、香川報告会(坂出市民体育館)
 6/ 8…瀬戸内日中卓球交流会、岡山報告会(岡山国際交流センター)
 6/ 8…教育交流先遣団出発(大連、瀋陽)
 6/12…人民中国雑誌社東京支局長来岡、三誌友の会読書会、協会歓迎会に出席
 6/16…岡山旭東病院林福花さん送別会(福幸)
 6/21…大連派遣高校生選考会(県日中教育交流協議会主催、生涯学習センター)
 6/22…日本中国語検定試験(岡山ビジネスカレッジ)

先憂後楽

  久しぶりに瀋陽へ行った。愛新覚羅ヌルハチに次いで第2代の皇帝となったホンタイジのお墓・北陵などの見学と、九・一八記念館を訪問した。満州の歴史と日中戦争の大きな傷跡を改めて知る訪問となった。

  九・一八記念館では赤ちゃんを抱っこした若い夫婦が、日本軍の残虐な展示を見ながら、これが日本鬼子(日本人への蔑称)だよと話しかけるのを見た。毎年、9月18日には街中にサイレンが鳴らされ、反日デモが繰り返される。「過去の事」とは到底言えない、言ってはいけないことを痛烈に感じた。

  日本の学校では、辛亥革命あたりまでは教えるがそれ以降の日中関係についてはほとんどキチンと教えられていない。中国では歴史教育として、キチンと教えられているし、九・一八記念館のような「歴史教育学習基地」がたくさんある。このギャップが日中の若者の認識の違いに大きく影響している。

  そんな中でも、上海でハグや握手で直接中国人に働きかける日本の若者がいたり、北京大学と東京大学の日中学生シンポジウムが定期的に開催されたりして未来志向の関係構築への試みと努力がなされている。

  当協会でも、大森岡山市長ら公式訪問団と共に市民団を組織し、洛陽市への友好訪問を実施した。緑化、学校訪問、歓迎会等交流を主体とした訪問団は一般の旅行社ベースではできない。協会という存在が大きな役割を果たせる。地道だが、しかし、着実な活動の中で市民友好の芽を育てていきたい。(松)


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