設立35周年
2016年1月
平成28年1月
  236号

発行人 片山浩子
編集人 松井三平
   
交流を継続発展させ相互利益と
持続可能な新たな課題に挑戦

                     岡山市日中友好協会会長  片 山 浩 子

  岡山市日中友好協会会員の皆様、協会をご支援いただいているすべての皆様、そして中国の友人の皆様、新年明けましておめでとうございます。

  一昨年、日中両国首脳が会見し、各分野の交流と協力関係への歩み寄りが見られ、昨年には訪日観光客の大幅増加や、日中青少年交流の拡大などが見られました。
  このように回復基調はみられますが、歴史問題や領土問題などにより未だ全面的な回復という環境にはありません。

  このような中で、当協会は民間団体の特徴を発揮し、積極果敢に日中相互理解促進のために尽力して参りました。
  戦後70年を記念して、会員をはじめ、各方面から戦中戦後の記憶と記録を残す原稿を募集し、会報に連載しました。
  また、中国残留孤児問題の講演会・パネルディスカッションを開催し、日中関係史上決して忘れてはならない歴史を振り返るとともに、まさに現在の問題として取り組むべき課題を考えました。

  交流の面では、4月の友好都市洛陽への市民訪問団とあわせ、あらたに天津市を訪問し友好交流協定を締結致しました。
  9月には、天津市訪日団の招聘と懇談会の開催を通じて今後の交流のスタートを切りました。
  洛陽市との交流では、岡山の吉備楽と洛陽の古琴学会が民族音楽交流協定を結び、新たな交流の展開が図られました。
  医療交流も継続されています。

  組織的には、認定NPO法人への足がかりとして仮認定を取得し、来年の認定を目指し、寄附金活動を展開し、多くの皆様のご賛同をいただいているところです。
  本年は、当協会設立35周年の節目を迎えます。同時に岡山市洛陽市友好都市締結35周年でもあります。   記念行事として、中国人ジャーナリストの莫邦富氏を講師にお迎えし、講演会を開催し、14億人市場とどのように向き合い、それを地域活性化にどのようにつなげるかのご提言をいただこうと思っています。
  また、春には洛陽市への訪問団をはじめ、洛陽市との交流を継続発展させるとともに、天津市との専門学校交流や中国各地との具体的な交流提案により、相互利益と持続可能な新たな課題に挑戦して参りたいと存じます。

 本年も、皆様とともに、日中友好事業の一翼を担って参りたいと存じます。幾重にもご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

国際友好都市との交流を通じて
一層の国際化の進展に努めたい

                       
岡山市長  
大 森 雅 夫

  皆様方におかれましては、希望に満ちた新春をお迎えのことと心からお喜び申し上げます。また、平素から市政への格別のご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。

  岡山市日中友好協会の皆様には、岡山市の国際友好都市である洛陽市との交流をはじめ、様々な形で岡山市における日中両国の民間交流の推進に大きな役割を果たしていただいており、改めて深く敬意を表する次第です。  岡山市では、今後とも、洛陽市などの国際友好都市との自治体間の交流を通じ、さらなる国際化の進展に努めてまいりたいと考えておりますので、皆様方には、一層のお力添えを賜りますようお願い申し上げます。

 また、昨年11月8日に開催した「第1回おかやまマラソン」は、1万4千人を超えるランナーの皆様や約4千3百人のボランティアの皆様、約13万4千人の沿道応援の皆様など、多くの方のお力のおかげで大成功を収めることができました。

  改めて、皆様方のご支援、ご協力に厚くお礼申し上げます。  本年も、秋に開催が予定される「岡山芸術交流Okayama Art Summit 2016」や「第2回おかやまマラソン」をはじめ、岡山のまちに賑わいをもたらすイベントが目白押しであり、この賑わいをまち全体の活性化へとつなげるための取組に力を注いでまいります。
  また、新しい総合計画の策定や新市民会館の基本計画の策定、路面電車の岡山駅前広場乗入れに向けた検討、さらには、ESDの推進や健康寿命の延伸、女性が輝くまちづくり、教育の振興など、岡山市の将来を見据えた取組もしっかりと進めてまいります。

  申年は、「知恵が勝る(まさる)」とも「災いが去る」とも言われる吉兆の年であり、市民の幸せと岡山市のさらなる飛躍のため、皆様方と知恵を出し合いながら着実に政策を推進してまいる所存です。

  最後に、貴協会のますますのご発展と会員の皆様方のご健勝、ご多幸を祈念いたしますとともに、市政への一層のご支援、ご参加をお願い申し上げます。

民間友好の強化と発展のため
更なる貢献を心より期待します

                  中華人民共和国駐大阪総領事  劉 毅 仁

  新年を迎えるにあたり、岡山市日中友好協会会員の皆様に新春の祝賀を申し上げます。

 中日両国は海を隔てる一衣帯水の隣国であります。両国が友好協力関係を発展させるのは、両国と両国人民に利益をもたらすだけではなく、アジアないし世界の平和、安定と発展に寄与することであります。
  1972年に中日国交正常化が実現して以来、両国関係は各分野において目覚しい発展を遂げました。

  しかし、周知の原因により、ここ数年中日関係は回り道を歩みました。
  双方の共同努力により、2014年の末に、両国は中日関係の処理と改善に関する4つの原則的共通認識を達成し、そして首脳会見を実現し、各分野における交流と協力が次第に回復の軌道に乗りました。

  一方、両国関係の改善には、依然として敏感且つ複雑な要素が存在しています。
  双方は中日間の4つの政治文書と4つの原則的共通認識を遵守し、「歴史を鑑とし、未来に向ける」という精神に基づいて歩み寄り、両国関係が一日でも早く全面回復し発展するよう取り組むべきであります。
  民間友好は中日関係を構成する重要な一部であります。
  岡山市日中友好協会は創設以来、友好都市等多チャンネルを通じ、豊富多彩な交流活動を行い、両国国民の相互理解と両国関係の健全な発展のために積極的な貢献を払いました。

 この機を借りて、会員の皆様に敬意を申し上げます。
 岡山市日中友好協会は新たな年に引き続き民間友好の伝統を堅持し、各分野において友好交流活動を積極的に行い、民間友好の基盤強化と両国関係の健全且つ安定的な発展のために、更なる貢献をされることを心より期待しております。

 結びに、岡山市日中友好協会の益々のご発展、会員の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
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岡山市日中友好協会設立35周年記念事業

莫邦富氏(ジャーナリスト)記念講演
   「中国14億人市場へのアプローチ」

  岡山市日中友好協会は、2月13日午前10時45分から、JR岡山駅西口のANAクラウンプラザホテル岡山(旧岡山全日空ホテル)で、協会の設立35周年を記念した講演会を開催します。

  講師は、今注目の上海生まれのジャーナリスト、莫邦富氏。テーマは「中国14億人市場へのアプローチ」。

  参加費は1,000円。

     問い合せ、申込は当協会まで。


【ご案内】
  
2016年度(平成28年度)
  定期総会・新春互礼会

  表記の行事を左記の日程で開催します。
万障繰り合わせての上、ご参加くださいますようご案内申し上げます。

[日時]2016年2月13日(土曜日)
 ◎定期総会(午前10時より)
   2015年度事業報告、
          活動計画書、監査報告他
   2016年度事業計画書、活動予算書他
 ◎記念講演会(午前10時45分より)
 ◎新春互礼会・レセプション
          (午後0時30分開会)

[場所]ANAクラウンプラザホテル岡山
    (旧岡山全日空ホテル、JR岡山駅西口)

[会費] 記念講演会 1,000円
      新春互礼会 5,000円

 
中国残留孤児問題/講演とパネルディスカッション
   歴史的背景・教訓を基に新たな支援を

 
  戦後70年を記念した「中国残留孤児問題を考える」講演とパネルディスカッション(主催・岡山市日中友好協会)が、11月28日、岡山市北区丸の内の岡山県立図書館2階で開かれた。
 会場には、協会会員をはじめ残留孤児関係者や同問題と取り組む関係者ら約90人が詰めかけ、関心の深さを見せつけていた。

黒田雅夫氏
  講演したのは、残留孤児として帰国した京都府在住の黒田雅夫氏。「満蒙開拓団からの証言」と題して、死と隣り合わせだった壮絶な体験について話した。
青木康嘉氏
 また、高校教師として残留孤児問題と取り組んでいる青木康嘉氏は「中国残留孤児問題の今日的課題」を報告。  
  岡山県開拓団・義勇軍について、その背景や実情、現状の問題点などについて解説。実際に旧満州を訪れて調査した現状などについて詳細に話した。

  この後、パネルディスカッションに移り、当協会の松井三平専務理事をコーディネーターに、黒田、青木両氏を中心に、中国残留孤児問題について意見交換した。
  講演や報告を通じて浮かび上がってきたのは、帰国してきた残留孤児の今日的課題。帰国者や二世・三世の日本語習得の問題や、生活維持の問題、年金問題など。

  残留孤児を巡る問題は、新たな段階に来ていることを示したといえる。
(今回の、講演とパネルディスカッションの詳細は、協会発行の「戦後70年記念誌」に掲載します)

洛陽市医療視察訪日団が来岡
       岡山市民病院・岡山旭東病院を訪問

  洛陽市医学会の劉頚松秘書長を団長とする洛陽市医療視察団が、10月19日、上海岡山便で岡山に到着した。
松本院長の説明を聞く一行(岡山市民病院)
  一行は劉団長の他、洛陽市内にある6つの病院から派遣された神経内科や精神科の医師・看護師ら19人。
 岡山空港には、当協会からは片山浩子会長、黒住昭子副会長らが出迎え歓迎した。

 一行は、20日午前中には岡山市民病院を、午後には岡山旭東病院を視察し、職員等の歓迎を受け、熱心に設備や看護師等の患者への接し方などに見入っていた。

  岡山市民病院では、新設なった同病院のコンセプトに触れながら、松本健五院長から、紹介と歓迎の挨拶を受けた。

 その後、外来や病室、ヘリポートなどを視察。最後に質疑応答が行われ、経費の支出や医師の評価などについて活発な質問が出、それに事務局の方がキチンと応対、理解が深まった。

岡山旭東病院を訪れた一行
  引き続き、岡山旭東病院へ移動。土井章弘院長より中国語のパワーポイントによりプレゼンが行われた後、昼食。専属のコックさんによる本格的な京都懐石料理に舌鼓を打った。

  病院視察では、2グループに別れ、リハビリやサイバーナイフ、PETによる脳ドック検診の内容などを視察した。

 一行は後楽園、瀬戸大橋を駆け足で回り、夜には神道山の大元鍋による協会主催の歓迎会が行われ、参加者と交流と友情を深めた。

  21日には、次の訪問地である大阪、奈良、京都へ向かい、23日、関西空港から帰国した。


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友好協会会員、読者アンケートより―
       戦後70年と私
 
 記憶を記録し  伝え残すこと
   《完》
私と戦争と中国と 人の世は縁なるかな
                              国富保太さん(90) =岡山市=

国富保太氏
  私は8才で父が逝き、12才で北支事変が始まると直ぐ長兄が北支へ出征した。
 小作の家にも次々と召集が来て、(小作に出していた)田を返してこられる。米の供出義務があり、止むなく母が一人で作り始めた。

 私は、往復5里自転車を踏んで岡山の中学へ通い、終れば一目散に帰り母を助けた。3年生の秋の稲刈りは7反程になった。
 その冬、母が腎臓病で倒れ岡山へ入院。一人田舎から通い、母が播いた大根や人参を運んだ。母は翌年7月退院。村人が田植えした青田を見て泣く。
  6年振りに長兄が帰還、間もなく結婚、続いて次兄も中支から帰還、一挙に明るくなった。

  この年から徴兵検査が19才となり私は適令者で、進学より召集が先かも知れない。長兄の惨酷極まる戦争話で軍隊が嫌になった。
  担任の先生に相談、満州国国立奉天工業大学を知る。案内を読むと特典が色々あり一遍に気に入り、受験書類をお願いする。
  年末、九大工学部で受験、幸運にも合格できた。母が誰よりも喜んでくれた。しかし母の病状は回復せず糖の出が次第に増えた。断腸の思いで小さくなった母と抱き合い泣いて別れた。

  大学生活は、高梁飯による下痢、授業は昼夜で10時間など厳しさもあるが、朝の学長訓話で夢が膨らんだ。街へ出れば映画を見てすき焼食べて帰る楽しみなど、内地とは格段の余裕だった。
  6月の末、覚悟はしていた「母逝く」の報を受けた。帰国を願い出たら竹中大佐に思い切り殴られた。
  星空を仰いで夜更けまで、明治の女性らしく凛として生き抜いた母を偲んだ。余りにも早過ぎた。何の孝養ひとつ報いることも能わず、残念で仕方がない。
  先の戦争では、私と似た思いをしている人は沢山おられると思う。私の母は戦死だと思う。

  8月9日、ソ連侵攻と同時に大学は、関東軍第三方面軍司令部(後宮(ウシロミヤ)大将)となる。学生は6時前
非常ベルで起され、関東軍に編入を通告、続いて奉天包囲網西部二列目対戦車壕掘が命じられた。
  現地では軍が掘った第一線は完了していた。不眠不休の突貫工事が14日で終り、その夜は、大型弁当箱位の爆薬を白布で背負い、遺書を書き、30メートル間隔で掘った土手に伏して戦車を待った。
  翌朝呼び戻され市内で再び壕掘り、正午玉音放送を聞き、徳心寮へ引揚げ皆泣く。
  14時頃から暴動が起り、日本人社宅が片端から略奪放火で逃げ廻る姿が双眼鏡に入る。銃を持って学生数人が現場に急行し、寮の食堂へ誘導し即、満杯となる。
  数日後居留民団が出来て、追われた人達は小中学校に集結した。寮生も親族、知人のある人は去り60人程が残る。
  20日過ぎ、接収に現れた3台の戦車M40へ若い兵隊3~40人が小銃を撃ち乍ら匍匐(ほふく)で立ち向った。
 これは長くなるから割愛するが、真紅の夕日が地平線に近付いた頃、籠愛された志願兵達はパンツ一枚で後手に載せたトラックが、戦車が来た道に消えた。
  学長室か或は私がぶん殴ぐられた竹中大佐の部屋には後宮大将が居た筈です。
  昔、乃木大将はここ奉天でステッセルと会見し、敗者に示す武士道精神で礼節を尽し名を世界に知らしめた。ここは昭和の水師営、後宮大将に何か工夫は無かりしかと残念。

  その後、到着の戦車から出て来る中に兵士らしいのは珍しく、少年や年増のデブ女、男は殆んど油まぶれの円管服、入れ墨男が多い。
  直感でシベリヤの服役囚を連れて来ていると分った。夜は銃を持って物取りに来る。こちらも実は銃や焼夷弾を天井床下に持っていて気味悪くなり、寮生全員行動を共にするとし、脱出を決定。

  寮と道を挟んで対面、公務員官舎の太田邸へ米牛缶、衣料、銃他を深夜に運び、3人寄寓を決め、太田夫人も安心して引揚を待つのみ。
  ここに来て意外と民団の連絡網の良さに驚く。官舎に学生が50人いると民団から期待された。
  9月は殆んどソ連が持ち帰る機械の撤去が主流だったが、10月後半頃から辛い仕事が始まる。
  奥地からちぎれた衣類や薦(こも)を巻いて奉天に命を賭けて辿り着いた人が校庭にうずくまるしかない。夜の間に力尽きる人が段々増えて来た。襲われた跡には窓枠、床板、燃える物は何もない。防空壕もこの頃は見当らず、渾河の河川敷へよく通った。

  11月に入って塚本学長から朝日、麒麟、札幌の麦酒3社が君達全員を採用してくれることになったから準備せよとの由、踊り上った。
  早速、化学、電気、機械など科別に3社へ割り振って報告、民団や官舎に説明、工場の宿舎は全員には不足で一部官舎から通うことになる。
  榎田、平、私の3人は朝日の早川機械課長宅へお世話になる。奥様がタンスの着物を時々売って来てはご馳走して下さった。

  かくて翌年6月末、我々は一足先に湖蘆島から博多へ引揚げた。これから3年後、早川さんのお世話で就いた仕事を66年経った今も大切に続けている。
 人の世は縁なるかな有難きかな人生。

◎岡山市北区南方・長泉寺◎
 『梵鐘請来奉賛会』が 当協会に寄付
       洛陽・白馬寺から贈られた梵鐘 各種記念事業を完了したため

  1987年(昭和62年)、洛陽市の白馬寺から、岡山市北区南方の長泉寺(宮本光研住職、当時)へ梵鐘が請来されました。
  この事業を運営するために、長泉寺内に「梵鐘請来奉賛会」が設置され、募金活動を行い、梵鐘の輸入や設置、そして洛陽仏教訪日団の招聘や開眼記念法要など一連の記念行事を主催されました。

  このたび、その奉賛会が役割を終えたとのことで当協会へ寄附を頂くこととなったものです。
  贈呈式は、12月9日、長泉寺で行われ、現住職の宮本龍門氏から松井三平専務理事に寄附金50万円が手渡されました。 

会員消息

【入会者】
   地方独立行政法人岡山県精神科医療センター(岡山市)
   斉藤 修さん(笠岡市)

活動日誌

  10/19…洛陽医療交流訪日団(~21日)岡山市民病院、岡山旭東病院訪問
  10/23…第5回理事会
  11/10…旭川荘60周年記念式典、故江草安彦先生岡山県名誉県民顕彰授与式(岡山プラザホテル)
  11/22…中国語検定試験(岡山ビジネスカレッジ)
  11/25…ICU研究生来局。協会の日中友好活動を論文取材
  11/28…「中国残留孤児問題を考える」講演とパネルディスカッション
  12/ 7…洛陽市文化財視察訪問団出迎え(岡山空港)
  12/ 8…「梵鐘請来奉賛会」より寄附金贈呈
  12/10…三誌友の会例会
  12/14…第6回理事会
  12/25…会報発送

  
先憂後楽

  2015年は戦後70年にあたり、平和と戦争について考える節目の年だった。国会では安保法案が強行可決され、反対する国民の大きなうねりが巻き起こった。先日亡くなった野坂昭如氏が、今の状況は戦前とそっくりだと危惧し、何としても戦争への道を歩むべきではないと警鐘を鳴らしていたという。

  日中関係は一昨年末の首脳会談以来、様々な場面で日中の指導者が会う機会が増え、中国からの観光訪日団も飛躍的に増加するなど好条件もあった。しかし、未だ全面交流再開のような状況にはなっていない。

  政府間がうまくいっていなくても地方同士の交流は健全だ。洛陽、天津をはじめ、中国各地の対外友好協会のネットワークで様々な分野の専門交流が可能だ。今年は設立35周年を迎える協会の経験と実績を活かし、築いてきた友好インフラを土台に、更に深掘りして相互利益、対等平等の交流のけん引役を果たさないといけない。

  新年早々、莫邦富氏の講演会を実施し、岡山地域の活性化と日中友好を結びつけるヒントを得たい。同時に、若い世代が協会に関心と魅力を持ち参加してもらうための活動を提案し、組織活性化のイノベーションを起こす年にしたい。(松)


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また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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