ね や こうすけ 「ねや卓球道場」主宰 祢屋 康介 さん 口世界の卓球界の現状 現在、日本及び世界の卓球界は年々レベルが上がっており〝超高速時代〟に突入したと言われています。その中でもやはり、中国の強さは抜きん出ています。 そして、それを追うのが、日本、韓国などの東アジア勢と、ドイツを中心とするヨーロッパ勢という状況です。その中で最近、日本が単独二番手に急成長してきていると感じています。 口最近の日本大健闘の理由 一言で言えば底上げの結果です。日本の卓球界の低迷に待ったをかけるべく、小学生日本代表チームの結成や、各地域の小中学生と、その指導者の活性化を図る活動が行われてきました。 そうした努力により、各地域の指導者のレベルが上がったことで、日本の小学生全体のレベルが上がり、それが国内全体のレベルアップに繋がっていると思います。 口卓球との出会い 私と卓球との出会いは、祖母との遊びが始まりで、その後卓球部に入部しました。夢中になった一番のきっかけは「これなら勝てるかも」という自信や期待感ではなかったかと思います。 今から思えば過信に近かったかもしれませんが、始めたばかりの子どもを「上手になれるかも」という気持ちにさせることも、大切だと思うようになりました。 口卓球王国・中国とは 大学時代にした一年間の卓球留学を通して、中国卓球の基本技術のレベルの高さと、その徹底ぶりを目の当たりにしました。 そして、日本との差は技術だけでなく、プロ意識とハングリー精神だとも痛感させられました。現在も年に一度は中国への強化合宿を行ったり、中国から日本にチームを招待して交流を図ったりしています。 中国との関係は、私にとってなくてはならないものになっています。 口挑戦している〝夢〟 夢は、オリンピックに出場できる選手の育成です。そのためには中国からも学び、常に世界へ目を向けた指導をしていくことが大切です。 また、地域に根差した活動をしていくことも私の大きな目標なので、岡山の皆さんに、卓球を通して元気になってもらえる活動をどんどんしていきたいと思っています。 |
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//北前船寄港地フォーラム in おかやま// 7月14、15日 岡山、倉敷、瀬戸内、玉野で |
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江戸時代から明治期にかけて瀬戸内海から日本海沿岸の各地域を結んだ海運の大動脈・北前船をテーマに、初めて岡山県内で開かれる「北前船寄港地フォーラムinおかやま」に、中国の洛陽と大連からも代表団が参加することになった。 この北前船フォーラムは、7月14、15の両日、岡山、倉敷、瀬戸内、玉野の各市を会場に開かれる。今回は第20回目に当たり、テーマは「古(いにしえ)からの交通の大動脈〝瀬戸内海〟と国際交流−そして未来へ−」。 初日の14日は、午後1時から岡山市の岡山コンベンションセンターで寄港地フォーラム、同6時から岡山駅西口のANAクラウンプラザホテル岡山でレセプションが開かれる。 15日は午後3時から瀬戸内市牛窓町のホテルリマー二でシンポジウムがあり、引き続き後夜祭も行われる。 両日とも、各市内ではそれぞれエクスカーションが計画されている。参加が見込まれているのは約1,100人。 岡山、瀬戸内市など関係行政や県内の経済団体、観光団体関係者らによる実行委員会が設立されており、準備を進めている。 中国から来岡するのは、岡山市の友好都市・洛陽市から5人、また、次回のフォーラム開催が計画されている大連市から副市長ら6人。 このフォーラムは、北前船の寄港地だった都市間の交流を目的に、平成19年に結成され、同11月山形県酒田市で第1回フォーラムを開いている。 従来は、日本海側の各地域を中心に開催されてきており、主要な寄港地が多いのにかかわらず中国地区で開かれるのは初めて。 岡山県内での北前船の主要な寄港地は、下津井港、玉島港、牛窓港、日比港などが知られている。 「北前船」をテーマに各地域が新たな交流や連携を図り、地域開発・振興に結びつけていこうという狙い。 |
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岡崎嘉平太氏生誕120年 岡山で記念シンポ 大橋洋治氏が基調講演 |
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戦後の日中友好や経済発展に多大な貢献をした、岡山県吉備中央町出身で岡山県名誉県民の岡崎嘉平太氏(1897年−1989年)の生誕120年を記念した顕彰シンポジウムが、4月27日、岡山市北区柳町の山陽新聞本社ビル「さん太ホール」で開かれた。テーマは、受け継がれる「信」と「愛」−織り成せ人の世を美しく。 第1部の基調講演で、ANA相談役の大橋洋治氏が「岡崎先生と私−中国そしてANAの井戸を掘った人」と題して講演。 大橋氏は「目先の利益より大儀を貫け、との岡崎氏の揺るぎない信念を若い人に伝えていきたい」と熱く語った。 第2部のパネルディスカッションには、朱金諾(全日空マーケティング室常任理事)、守分宣(精義塾理事長)、松田久(両備ホールディングス社長)、李彦銘(東京大学教養学部特任講師)の4氏がパネリストとして登壇。 藤原健史氏(山陽新聞社論説委員)をコーディネーターに、岡崎氏の足跡や日中友好への思い、功績などについて語り合った。 第3部では「岡崎先生ご誕生120年にあたって」をテーマに、岡崎氏と交流のあったゆかりの人たちからのメッセージが朗読され、在りし日の岡崎氏を偲んだ。 戦後100回に及ぶ訪中で、家族や友人、知人らと写った写真を見ながら、終始穏やかな雰囲気に包まれた会場は満席で、国境を超えて愛され信頼された岡崎氏の功績と人生を振り返った。(牛田和子・記) |
中国語講座がリニューアル! | |
1984年の「実践中国語講座」の開講から始まる岡山市日中友好協会設置の中国語講座は、すでに30年以上の伝統と実績があります。日中国交正常化45周年を迎える今年、当協会岡山中国語センターは体制をリニューアルすると同時に、より実用的な新講座を開講しています。 共通語である「普通話」を基礎から学ぶ「入門クラス」と「初中級クラス」はおかげさまで定員になりました。 中国語を通じて中国語圏の文化を学ぶ各種「中国語文化講座」、そして香港の主要言語である広東語を学ぶ「広東語入門クラス」募集中です! 「岡山浪乗り会」ももちろん継続しています。大家一起学習中文吧 ! |
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広東語入門クラス好評開講中! 今からでも参加できます!お問合せください! 各講座のお問い合わせは、センター事務局まで。 協会ホームページやFacebookのセンターのページもご参照ください。 |
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☆中国語版ホームページ作成できます!インバウンド新時代に対応し、御社のホームページを台 湾、香港、中国のお客様にも見てもらい、販促につなげましよう! ■ 特定非営利活動法人 岡山市日中友好協会 岡山中国語センター 〒700-0902 岡山市北区錦町5-15 南田辺ビル2階 TEL:086-225-5068 FAX:086-225-5041 E-mail: oknittyu@yahoo.co.jp URL: http://www.oka-rizhongyouxie.jp/ Facebook: https://www.facebook.com/okayamahanyuzhongxin/ |
おき くにやす 沖 國鎮氏(OKI国際コンサルティング) 講演録 |
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私が中国に初めて行ったのは、1978年(昭和53年)3月でした。香港から深圳に渡りました。当時の深圳の人口は2万人でした。今、1,600百万人、800倍です。 正に急激な発展、進展なのです。そのために各種問題も起きている。 こんな中国に、今も月2回程度は往復しています。中国に行き始めてかれこれ36年です。 中国という国について、日本の報道機関は、良いことをあまり書いてくれませんので、今回は、私が現在感じている中国についてお話しします。 人民日報には載せてあることも、日本ではなぜか、中国での良いことは報道されないように感じてなりません。 ◎「忌避の日」は慎重に 中国には、イベントや催事を控えないといけない「忌避日」があります。 まず、3月15日です。この日は、消費者の日で、国民全員が消費者として、管轄機関に提訴出来る日です。いわゆる「ガス抜きの日」と言われる特別の日です。 この日だけは、工商行政管理局が管掌し、国民から苦情が提訴されたら、必ず取り上げねばなりません。使用説明や品質には細心の注意が必要です。 4月5日は、四五天安門事件(1976年、第一次天安門事件)が起きた日です。 5月3日は、済南事件(1928年)の日で、日本軍が邦人保護を口実に済南を攻撃、多数の死者を出したのです。 6月4日は、六四天安門事件(1989年、第二次天安門事件)という歴史的大事件が起きた日です。この事件について、云々することもタブーです。 6月5日は、日本軍が重慶無差別爆撃(1938年)を行った日です。 7月1日は、中国共産党創立記念日です。 7月7日は、盧溝橋事件(1937年)の起きた日です。この武力衝突をきっかけに日中戦争が勃発しました。 8月1日は、人民解放軍建軍記念日。 8月15日は、第二次世界大戦が日本の敗戦で終結した抗日戦争戦勝記念日です。 9月18日は、日本軍が南満州鉄道の柳条湖付近で爆破した柳条湖事件の日です。満州事変の始まりです。 10月1日は、建国記念日。 11月11日は、上海陥落の日です。 12月9日は、一二九運動の日(1935年)で、反日学生デモが反日運動の日になっていった。 12月13日は、南京大虐殺(1937年)の日。中国には抗日記念館が266カ所もあります。 こういった「忌避の日」には、特別の注意が必要です。 ◎「社会の約束事」 次は、いわゆる「社会の約束事」についてです。 中国は、厳密な階級社会です。役人の階級は1級職をトップに30級まで、幹部公務員として明確に職位が定められています。 ですから宴会の席でも席順は一番大事で、これを間違うと出来る話がダメになったり、中には席を蹴って帰ってしまわれるようなことすらある。 普通は、宴会が始まる前に別の席で、お茶を飲みながらタバコを投げ合って、もらったタバコを吹かしながら、友情とコミュニケーションを築く準備をします。 タバコを投げ合うのは階級と関係なく行われます。 メンバーがそろうと、メーンテーブルに移動します。ここから階級が出てきます。 移動は職位の順序で、上役から入場します。日本とは逆で、中国は英国などと同じように、職位の上から順です。退場の時は下から順です。 席順は、入り口から入って真正面の奥に、ナプキンの形を変えた席がしつらえてあり、この席が招待者、即ちメーンホストの席です。 そしてメーンホストの右側の席が主賓、つまりメーンゲストの席です。メーンホストの左側が2番ゲスト、その 左側が4番ホスト、その左に3番ゲスト。 メーンホストの真正面、入り口側に2番ホストが座り、その左に4番ゲスト、その左が3番ホスト席となります。 日本人が招待者となり、中国の方々を招待する場合は、2番ホストの席には、中国人従業員の気配りの出来る人を席次に関係なく配置するのが良いと思います。 なぜかと言うと、日本人は中華料理のマナーに慣れていませんので、その人にいろいろとその場に気配りしてもらえるからです。 日本人は、中華料理の食べ方に慣れていないから、最初からどんどん食べてコースの途中で腹いっぱいになり、肝心のメーンディッシュの注文を忘れたりする。 すると、必ず麺か飯を最後に食べる中国の方々には不満が残る。中国の方々は何を置いても先ず食事なのです。これでは接待にならない。 中国では、食事の席で「お箸」を日本のように横向きに置いてはいけません。縦です。横向きに置くと「美味くない」との意味になるのです。要注意です。 宴席でのお酒ですが、中国では「酒(チュー)」という字が付いたら、必ず相手を求め、「乾杯」「一半」「随意」の3つの言葉の1つを選び、いっしょにお酒を飲まないといけません。手酌とか独酌は絶対やってはダメ。これは相手を無視したと受け取られ、相手にされなくなります。 それなら、飲めない人、飲みたくない人はどうするか。「ドクターストップ中」と言ってください。相手のメンツをつぶしません。 宴会や会食が終わったら、その時点で「ご馳走様。美味しかった」と挨拶すればそれでOKです。翌日お礼の電話をすることは、中国では「美味くなかった。本日もう一度やって欲しい」と言った意味に受け取られます。 ◎「緑」色には要注意 宴席のお土産や贈り物をする時、「緑色」の布や紙で包まないこと。緑色の包で男性に贈り物を渡すと「貴方の奥さんは不倫をしているよ」、女性に渡すと「夫の不倫」の意味になり、とんでもないことになりかねません。 また、ゴルフ場などで緑の帽子や、緑のシャツを着用していると「女房を寝取られた」と受け取られます。男性は、中国に行く時に「黄色」のネクタイはダメです。「黄色」は悪い意味でのピンクを意味し「女たらし」とみられます。 贈り物、記念品としてタブーなものは、掛時計、置時計、目覚時計、懐中時計、傘、ネクタイなど。 ◎数字もいろいろ 数字では、偶数と奇数は使い道が違います。偶数はおめでたです。しかし、5は奇数ですが良い数字です。 4と7は使ってはいけません。中国では「ラッキー7」ではありません。4は死亡を、7は三途の川の渡し賃を意味します。御通夜、葬式の食事の数は7品に決まっています。 ◎慶事、弔事の作法 慶事、弔事の対応です。慶事では、服装はカジュアル・スーツ、シャツで、ネクタイは金、赤、寿はダメ、のし袋は赤。 弔事は、服装はカジュアル・スーツ、シャツ。ネクタイは白、シャツの場合は腕章、のし袋は香典袋無しで、白か茶封筒。 お見舞い時ののし袋はピンク、お年玉は赤ののし袋となります。 ◎「上から目線」ダメ 中国で事業をやられる皆さんは、決して中国人の社員を見下さないでください。中国の方は誇り高いのです。相手よりも格上であるかのような態度で接する「上から目線」で見られるのが一番イヤなのです。これは、中国だけじゃなく世界中どこでも同じ。部下と上司、人間同士の信頼関係の問題なのです。 特に中国の場合、日系企業に勤める中国の労働者の皆さんは、何かしら若干のコンプレックスを持たれているようです。 逆に、日本人はと言うと、何か訳の分らない優越感を持っている。これを決して持ってはいけません。 相手がコンプレックスを持たないように、にこやかに接して、決して怒ってはいけません。中国の従業員が辞めていく一番の原因は、上から目線の対応です。上の人が下まで降りていかないとダメなのです。 (講演録は2月18日開かれた日中国交正常化45周年記念講演の要約です) |
岡山商大孔子学院 中国語スピーチコンテスト 10人が表現力競う 7月8日 |
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岡山商科大学孔子学院、岡山商科大学など主催の「2017年度中国語スピーチコンテスト」が、7月8日午後1時から、岡山市北区津島京町二丁目の岡山商科大学孔子学院で開かれる。 コンテストに応募したのは約10人。孔子学院の受講生や高校生、一般社会人らで、男女別では半々。多彩な人たちが参加する。 コンテストでは、中国語のスピーチ(3分)、スピーチに関する質疑応答、中国文化技芸の披露(4分以内)などが審査される。 審査員は、駐大阪総領事館領事を始め、主催者の一員でもある中国遼寧省国際文化経済交流センターや孔子学院関係者ら6氏。 表彰は、一等から三等、それに特別賞があり、一等はノートパソコン、二等はiPad、三等はポラロイドカメラ。加えて上位3人には、副賞として中国遼寧省への5泊6日の旅行が付く。 同様のコンテストは、孔子学院の恒例行事として8年前から行われており、朗読コンテストとスピーチコンテストを交互に実施している。 岡山市日中友好協会も後援している。 |
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●岡山市子供海外派遣● 洛陽へも中学生5人 |
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岡山市は、今夏、国際交流都市を結んでいる、5つの都市・地域にそれぞれ選抜された5人の中学生を派遣し、ホームステイなどを通じて現地の子供たちと交流し友好を深める。 行き先は、ブルガリアのプロブディフ、韓国の富川市、米国のグアム準州、台湾の新竹市、そして中国の洛陽市。 出発期日はまちまちだが、東欧のプロブディフの9泊10日を除いて7泊8日の行程が組まれている。 洛陽市へは、8月1日~8日までの8日間滞在し、洛陽市外国語学校の生徒等との交流やホームステイ以外に少林寺見学なども含まれ、相互理解の促進が期待される。 参加者の中には事前に中国語学習を始めるなど、積極的に取り組んでいる生徒もいる。 |
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◇「一縁融合」第6号発行 | ||
がんばって います 元気です |
勇気を出して岡山に来た 若者にこの経験伝えたい ちょう てい てい 洛陽から派遣の中国語の講師 張 婷 婷 さん |
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洛陽では、洛陽師範学院大学で、日本語講師を勤めている。前任の陳文静さんと交代して、4月から1年間岡山で高校の教壇に立つ。 「日本に来るまではとても不安でした。自分の日本語のレベルはどうなのか、人間関係はどうなるかとか…」。 そして3月30日、岡山空港に降り立った。「校長先生を始め皆さん迎えに来て頂いていました。心から感動し安心しました。その日はぐっすり眠れました」。 初の海外勤務。翌日からさっそく学校での打ち合わせ。岡山の初印象は「静かなきれいな街。横断歩道でも車がちゃんと止まってくれるし、優しい思いやりのある街だと感じました」。 同校では、毎日2時限程度、日本人教師とペアを組んで1クラス約30人の高校生を相手に中国語を教える。「パートナーの先生には本当に感謝しています。生徒が中国語をもっと勉強したいと言ってくれて嬉しかった」。 洛陽師範での授業は大学生や一般相手だが、こちらは高校生。「日本の生徒はすぐ質問をしてくれます。そこで私はまず考えさせます。そして答えさせ、生徒に自信を持たせるようにします」。 また「中国語を正しく伝えたい。心を伝えたい。心配しないで勇気を出して」とも。 自身、岡山勤務は「行きたいと希望して来ました。良いチャンスだと思いました。学校とか政府が私を選んでくれたのですから」。洛陽で日本語を教える上でも勉強になると期待する。 生徒に伝えたいこともこのことだという。「勇気を出して日本に来たという自分の経験を伝えました。若者ですからやりたいことをやって欲しい。自分は今、やりたいことをしているから幸せです」。 岡山での生活は感動ばかりだとも。「自転車がパンクした時、親切に手伝ってもらったし、のどが痛かった時、生徒が心配してくれるし、すぐクリニックに連れて行ってもらいました」。 洛陽に同じ師範大学勤務のご主人と愛娘を残しての単身赴任。「毎日、主人には連絡します」。 在岡中にやっておきたいことは「日本語のレベルを高めること、それに沖縄とか北海道とかいろいろのところにも行ってみたいし…」。 しかし、当面は「まず仕事を無事、順調にがんばります」ときっぱり。それにしても「時間がない、忙しい」−。 |
会員消息 | |||
【入会者】 難波 節子さん(玉野市) |
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活動日誌 | |||
3/26…中国語検定試験(岡山ビジネスカレッジ) 4/17…岡山市佐佐木副市長会見(岡山市) 4/18…岡山市民友好訪問団出発(洛陽、上海、~4/21) 4/26…会報「岡山と中国」発行 4/27…岡崎嘉平太先生生誕120周年顕彰シンポジウム(さん太ホール) 5/ 9…上海教育事情調査団(~5/10) 5/ 9…会報「岡山と中国」編集委員会(協会) 5/30…瀬戸内日中友好卓球交流会理事会(協会) 6/14…協会理事会(協会) 6/17…上海高校生選考面接会(県生涯学習センター) 6/25…中国語検定試験(岡山ビジネスカレッジ) 6/28…会報「岡山と中国」発行発送 6/29…県日中懇話会理事会(ピュアリティまきび) |
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先憂後楽 | |||
6月に開催された理事会で、友好団体としての組織のあり方について話し合われ、改めて当協会が設立時に掲げた『市民みんなで日中友好』というスローガンを踏襲し、ブレずにやっていこうとの確認がなされた。 当協会は、何故わざわざ当たり前のようなこのスローガンにこだわってきたのか?。それは全国の友好協会の組織や活動が時々の政党政派に翻弄され分裂を繰り返してきた歴史に対する深い反省が込められているからだ。 当協会設立準備の時に、一番配慮したのは、思想信条を越えた幅広い組織作りだった。準備段階で中心的な役割を担ったのは初代事務局長の中西寛治さんだ。 中西さんは、1950年代に、郭沫若氏を団長とする訪日団の岡山受入れを成功させたのを契機として、後楽園に鶴を寄贈してもらったり、園内に郭沫若記念碑を建立したり、内山完造顕彰事業を推進するなど大きな実績を残したが、特筆すべきなのが、幅広い友好人脈をつくっていったことだろう。当協会の基礎はこの時期に作られている。 そして、中西さんの真髄は事務局長としての厳格な姿勢を自他に要求していたことだ。活動記録、通信記録をキチンと残す、人には丁寧に接すること、会計は複式簿記で管理することを事細かに指導された。 設立36年目を迎えている今日、内外の情勢も絶えず変化している中で、理念を踏襲すると共に、『不易流行』を念頭に発展させることで中西さんの厚意に報いたい。 (松井) |