日中平和友好条約締結40th
2018年8月
平成30年8月
  252号

発行人 片山浩子
編集人 松井三平

神奈川大学は「内山完造研究会」設立し検証
  内山完造翁の研究顕彰活動を
                    岡山市日中友好協会も協力

内山完造翁
  日中友好運動の魁で最大の功労者である内山完造翁(井原市出身)の研究と取り組んでいる神奈川大学(横浜市)の検証チームがこのほど、協力要請のため岡山市日中友好協会を訪れた。これを受けて当協会では、同チームの要請に協力すると共に、これを契機に協会としても顕彰活動と積極的に取り組むことにした。

 
訪れたのは、東京の内山書店社長で内山完造の甥(完造の弟である内山嘉吉氏の長男)にあたる内山籬(まがき)氏。
  神奈川大学からは、大里浩秋名誉教授、孫安石外国語学部教授、菊池敏夫外国語学部特任教授、柳澤和也経済学部准教授等。一行は、6月28日、協会事務局を訪れた。

  訪問目的は、神奈川大として研究チーム「内山完造研究会」を立ち上げ、3年計画で関連資料を収集、検証し何らかの形で成果をまとめる方針だということだった。

  既に完造ゆかりの福山、井原を訪ね、関係者との懇談や資料収集などを行なってきたという。
  同日は、松井三平専務理事が応対し、双方協力方を確認の上、関係する会報や協会の歴史資料などについて説明。また、完造と共に、初期の日中友好協会を担ってきた岡山の初代事務局長の中西寛治氏から引き継いでいる未整理の資料の存在についても説明した。
神奈川大学の研究チームと

8月4、5日に来岡  資料の整理と確認

  これを受けて、8月4、5の両日、内山籬氏と大里浩秋氏、それに完造や内山書店ゆかりの佐藤明久氏(福山市日中友好協会会長)等が事務局を再訪問。資料の整理・確認と記録をした。

  今後協会としては、神奈川大の共同研究チームと協力しながら、貴重な中西資料の整理や追加取材・研究を進め、成果をまとめる方針。
  成果については、会員や県民、市民に公開し、内山完造顕彰活動や協会活動に生かして行く計画だ。

雲南省・昆明、大理で交流
         西日本地区日中友好協会訪中団(7月2〜8日)

雲南省人民対外友好協会と意見交換
  西日本地区の日中友好協会関係者による「西日本地区日本中国友好協会訪中団」が、7月2日から、中国・雲南省を訪問、地元の対外友好協会などと懇談、交流した。岡山市日中友好協会からは、猪木正実理事が参加した。

  昆明では、雲南省人民対外友好協会(周紅会長)と意見交換。周会長が「雲南省の多様性を存分に体験して欲しい。今の時代こそお互いの友好を深めることこそ将来に向けての友情を高めることになる」と歓迎の挨拶。
  訪中団の中拓哉団長(和歌山県日中友好協会会長)が「平和と友好の精神を基礎に末永く友好協力に努力していきたい」と応えた。

  懇談では、周会長が5月に江田五月氏の来訪があったことを紹介、岡山と雲南省とのつながりを印象づけていた。
 昆明では、昆明・藤沢友誼館を訪問し、昆明市人民対外友好協会とも交流、昆明市都市企画展覧会を見学した。

 今回の訪中団は、中国駐大阪総領事館の招待によるもので、西日本地区の14協会から27人が参加。2日から8日まで、昆明、大理を訪問した。    
西日本地区 友好協会訪中団
      活発なインフラ投資を実感
         
“辺境”のイメージ払拭
           中心市街地の開発急ぐ
            “一帯一路”構想の拠点
西日本地区友好協会訪中団

  西日本地区日中友好協会訪中団の一員として、7月、雲南省(昆明、大理)を訪問した。
  雲南省といえば、中国で一番南西端に位置し、お隣はチベット。どうしても辺境といったイメージが付いて回る。しかし、それは目に見える限り過去の話。

  現実には、習政権が推進している新しい経済圏構想〝一帯一路〟戦略の中での南方シルクロード開発の一大拠点といった様相が強く感じられた。

  省都は昆明。町並みは高層ビルの建ち並ぶ整備された大都会である。地下鉄の延伸工事が続けられていた。大型の街づくり開発も各所で進んでいた。
   昆明の中心市街地(昆明駅前)                             新幹線「和諧号」大理まで開通
  

  昆明都市企画展覧館には中心市街地開発構想の完成模型が飾られていた。開発の中心が沿岸都市部から、地方に移っている現実だろう。
昆明市の市街地開発構想の模型
  また、雲南は国境の地域でもある。ベトナム、ラオス、ミャンマーに接している。これが、国、省あげての南方シルクロード経済帯構想に繋がってくる。

  一帯一路構想の中で、インドシナ地域経済圏の振興と、それを中国経済発展にどう結びつけていくかは、重要なポイントとなる。
  高速鉄道や高速道路、ハブ空港などのインフラ整備は、特に力を入れて行なわれているように見えた。都市開発も同様である。

  こんな中国政府の強い意志がいろいろな場面で感じられた。
民族衣装で迎える少数民族の人たち
 
 
 といっても、高地・山岳地帯、多数の少数民族、辺境といった特性は変わらない。それを売りにした観光戦略は活況だった。  (猪木正実・記)
 
中国駐大阪総領事館
  豪雨災害への義援金 李天然総領事が県に

  中華人民共和国駐大阪総領事館(大阪市)の李天然総領事は、7月24日、岡山県庁を訪れ、今回の西日本豪雨被害に対する義援金約370万円を届けた。
  内訳は、総領事館からの3万ドルと西日本地域の中国系企業からの寄付金だという。
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日中平和友好条約締結40周年記念音楽交流 洛陽/上海/西安        
   心が通い合った音楽交流

     「おかやま女声合唱団」と共に
                      団長 宮 本 光 研
                          (岡山市日中友好協会副会長)

  日中交流が岡山、洛陽両市を結んで40年。行政(公)と友好協会(民)でうまく機能した結果、今般の音楽交
流が呼吸ピッタリ、相互に分かり合って見事に成功した。
 おかやま女声合唱団30人が大役を果してきた。
勢ぞろいした「おかやま女声合唱団」の面々(白馬寺)

  6月12日。
  〽あこがれの空海飛びて洛陽へ、の旅が始まった。
  上海市の民族楽器博物館で古楽器を見て回り、楽器がどんな音を奏でるのかと想われた。翌日の洛陽で聴くことができて不思議な気がした。
  13日。
  洛陽で中国最古の寺院、白馬寺を訪問。さっそく本堂で『白馬寺讃歌』を歌う。合わせて、洛陽から日本仏教に伝わる声明『唄』(光研ソロ)を唱えた。
  これはインドから伝わった楽譜が洛陽の空中に描かれたのを曹植(北巍の大王の弟で大詩人)が聴きとったという伝承がある。
  午後は洛陽師範大学の音楽院で本番を迎えた。ステージには「熱烈歓迎」の字幕。曲目「瑠璃色の地球」「ロマンチストの豚」「いのちの歌」「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「世界で一つだけの花」。
  それに「宵待草」他のソロを佐藤麻衣子、ピアノは角田奈名子。指揮は佐々木英代先生。

日中双方で「花心」

  洛陽側の表演は多彩で、「青海夢」「再別康橋」「黄河頌」(ソロ王珠嶂)「シルクロード」「卡門」(長笛)「西域随想」(古筝)舞踊「俏花旦」「国色天香」。指揮は趙珊女史。
  最後に中日双方が合唱で「花心」を歌って、手土産を交換し、感動のフィナーレとなった。
  夕食交流会には、副学長や王綉女史らが列席された。席上、岡山の『宵待草』ような楽曲があったら教えて欲しいとの声も出た。岡山市民も洛陽の有名な歌が歌えたらと願われたものである。
  14日。
  この日は観光で龍門石窟に行きルシャナ仏像を拝み、光研詞『ひかりの人よ』を皆で合唱、仏教文化の華をたたえた。
  15日。
  新幹線で西安市に2時間半。兵馬俑博物館で
  〽始皇帝あの世とこの世見せてくれ、と吟じ、華清池から青龍寺(空海の故事あり)、大雁塔を参観。
  中国の旺盛な国力を見せつけられた旅が終った。

「来て良かった」訪問記
      白馬寺本堂で祈りの合唱奉納
                                  佐々木 英 代
                                  (おかやま女声合唱団団長)        

  日中平和友好条約締結40周年記念事業の一つとして6月12日から16日までの5日間、中国を訪問させて頂きました。
  長泉寺名誉住職の宮本光研氏を団長に、私こと指揮者、佐々木英代他、女性25名、男性3名の合計30名の特別仕立て友好訪問団でした。

  初日の12日は早朝、岡山空港を出発。上海浦東空港へアッという間に到着しました。しかし、そこは「何と暑いこと!ムシムシタラタラ(汗)」の大歓迎でした。
  先ず、上海音楽院の民族楽器博物館を見学しました。数年前にも見学しましたが、場所も広く内容も数倍に充実しており、多民族の楽器がよく整理され、学術的にも研究した陳列はとても解り易いものでした。
  上海音楽院は昔から有名で、世界的演奏家を多数輩出している音楽院です。「さすが!」と感激。友好事業ならではのすばらしい体験、第一号でした。

  2日目は、目的地である洛陽市に向かいました。白馬寺訪問。白馬寺と長泉寺は長い交流があり、温かな歓迎を受けました。
  本堂の仏様の前で朗々とした光研住職の声明(しょうみょう=音楽の始まり)と、おかやま女声合唱団の祈りの合唱(光研作詩)を奉納。
  世界最古の寺でこの様な体験は稀有な事で、友好事業ならではのすばらしい体験第二でした。昼食も珍しい野菜に美味な精進料理に感激!これは第三。満足と満腹いっぱいでした。

  次に交流会場へ向かいました。控室で発声を始めたその時、急に演奏順変更ありの伝言!ビックリ!慌てふためいてのリハーサル。
  どうなる事かと心配しましたが、団員は落ち着いて立派な歌唱。熱烈歓迎大拍手。めでたしめでたし。「平和」「心」「生きる喜び」をテーマとした真摯な姿が伝わったと思います。

  次の洛陽師範学院音楽院の学生60名による混声合唱は圧巻でした。第一声にビックリ。素晴らしい発声・完成されたハーモニー。学生一人ひとりの自信に満ちた動き。若い女性指揮者の指導力と確かな音楽的知識を感じました。
  十数年前までは五線の西欧的音楽教育は一般的には為されていないと聞いていたので、水準の高い芸術性あふれる合唱をしている学生がいる現実に、感激し驚いた。

  本当に来て良かった!この声をこの音楽を奏でる若者が中国にいるんだという喜びが心の底から沸き上がり、何とも言えない感情で涙しました。
  この若者達の演奏を岡山の人々に是非聴かせたい!と切に思いました。

「すべての人に花を」大合唱

  その後の民族楽器オーケストラ・フルートアンサンブル・バリトン独唱・踊りと、どれも学生とは思えないレベルの高いパフォーマンスに魅了されました。
  最後に日中合同で「すべての人に花を」を大合唱。万々歳。合唱団員から学生皆さんに贈り物を手渡し、とても素晴らしい文化交流会を催すことが出来ました。

  洛陽の街も35年前とは大違い。立派なビルが立ち並び、広い道路には車と電気自動車、おしゃれな洋服の若者達。新らたな認識を持つ。友好事業ならではのすばらしい体験第四、最大感激の時でした。

  洛陽2日目は龍門石窟の見学です。〝イケ面〟石仏様の前で光研住職作詩の歌を奉納。これもまたとない体験第五でした。
  西安では兵馬俑博物館・華青池・大雁塔を見学。摂氏39度の気温をものともせず、全員元気に帰岡しました。   皆さんから「行って良かった」と感謝の言葉を頂き、自分の目で観る事、自分の肌で感じる事の大切さを大いに感じた旅でした。感謝−。
  

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'18盛夏 交流
     全員で「うらじゃ音頭」披露               

  岡山県日中教育交流協議会(岡本啓会長)主催の高校生の相互交流「2018 STUDENT EXCHANGE in 上海」が、今夏も実施された。

  今年は、6月の選考会により選抜された県内の女子高校生15人が参加した。
  出発の7月29日は、あいにく台風の接近で出発が危ぶまれたが、岡山空港には父兄に連れられた参加者全員が予定時間より早く集合。
  飛行機は予定通り運航されることになり、搭乗手続の後、出発式を行なった。生徒代表の景宇治まゆさんは「岡山県の代表として行って来ます」と力強く挨拶した。

  一行は、同30日に、交流校である上海第一中学を訪問し、歓迎式に参加。早速生徒同士の交歓会に臨み、全員でうらじゃ音頭を踊るなど、元気なパフォーマンスで盛り上がった。午後からはホームステイに入り、同31日まで中国の家庭生活を体験した。8月1日には、蘇州を見学し、同2日に無事に帰国した。
上海一中の生徒とランチ

  帰国後、参加した生徒たちは口々に、行く前の中国のイメージと行ってからでは随分変わったと話していた。
  同じ世代の青年同士が、国や言葉や生活習慣を越えて交流、また、アニメや歌など共通の関心事を通じてお互いを理解し合ったようだ。

  「百聞は一見に如かず」の言葉通り、自分の肌で感じ、足で踏みしめ、触れ合うことの大切さを交流を通じて学んだに違いない。
 




■▶国際サマーホームステイ イン 岡山2018◀■
  岡山市などが主催し7月24日から6泊7日開催。友好都市から約50人の中高生が参加。洛陽市からは10人が参加。岡山空港にお出迎え。岡山市やホームステイ引き受け家族らが賑やかに迎えた。

青木氏「佳木斯の看護婦」発刊

青木康嘉氏
  満蒙開拓団研究や中国残留孤児問題と取り組む近現代史研究家、青木康嘉氏が、このほど、4年越しの研究成果として「佳木斯(ジャムス)の看護婦−シベリア抑留された女性たちの運命−」(岡山・十五年戦争資料センター)を出版されました。
  同書について青木氏に話して頂きました。

  今回の「佳木斯(ジャムス)の看護婦」は、中国の東北部跡地やシベリアの収容所跡や日本人墓地を現地に赴いて書きました。  幸いにも、陸軍第十師団司令部があった岡山ゆかりの地で、岡山県関係者の証言が取れ、膨大な資料・史料の提供を受けて、分析や研究したものです。

  シベリア抑留は、酷寒・強制労働・飢餓という「肉体的苦痛」と密告・糾弾・裏切りといった「精神的苦痛」のステレオタイプで語られます。
  しかし、2年余りの期間、女性たちがシベリアに抑留されたその間の「人間」ドラマとその後のPTST(心的外傷後ストレス障害)やジェンダー・ハラスメントという視点で書きました。

  こうした歴史を知ってもらい、それぞれの人生から「平和」と「人権」の大切さを感じてもらいたいと願って書きました。

  購入希望者は、青木氏(電話086−231−2070)か当友好協会まで。
  一冊千円(送料別)

歓迎する会を開催   洛陽・于愛紅さん

歓迎夕食会
 
  岡山市や岡山市国際交流協議会など主催の「国際サマーホームステイ イン岡山」に参加する洛陽の子供たちを引率して来岡した洛陽市の于愛紅さんを歓迎する会が、7月27日、岡山市内で開かれた。

 会には、当友好協会の会員を始め、先に音楽交流で洛陽を訪れた佐々木英代さん等も加わり和やかに懇談した。
 于さんは、10人の洛陽の中学生を引き連れて来岡していた。
会員消息
【入会者】  冨谷 友和 さん(倉敷市)

活動日誌 
 6/24…中国語検定試験(岡山ビジネスカレッジ)
 6/25…李華賓さん来岡(岡山旭東病院、倉敷下津井見学~26日)
 6/27…第三回協会理事会
 6/28…内山完造研究会一行、協会を訪問
 6/28…会報発送
 6/29…県日中懇話会理事会(メルパルク)
 6/30…上海との高校生交流第一回研修会
 7/16…同 第二回研修会
 7/29…高校生交流訪問団出発(上海へ。~8/2)
 8/ 4…内山研究会来局。協会の内山・中西資料整理(~5日)

先憂後楽
  未曾有の大水害、山崩れが西日本、特に岡山と広島を襲い、大災害となった。日本一安全な場所、晴れの国岡山といわれてきた岡山だが、今回の大災害で倉敷・真備の地名は被災地として日本国内のみならず、世界に知られた。

  中国や台湾など海外の友人・知人からも多くのお見舞いやお伺いメールをいただいた。会員の方々もご自身や親戚、知人や友人、会社など何らかの係わりのある方が被災されたことと思う。心からお見舞い申し上げます。

  矢掛町にある小生の義母宅も被災し、ほぼ全損状態。更地にして再建を果たすことになったが、預けていた資料は水害を免れ引き取ることになり、仕分け作業をした。その中には岡山県の初代日中友好協会事務局長であった故中西寛治氏から生前預かったものもあり、整理するきっかけとなった。そういえば中西さんも矢掛町の出身だった。

  おりしも6月、井原市芳井町(旧後月郡)出身で初代の日中友好協会理事長を務めた内山完造先生の関係資料を収集して再検証するために、神奈川大学と内山書店の内山籬社長らの研究チームが協会に来られ懇談した。

  内山漫談と称して学校などでの講演会や国交の無かった時代に郭沫若先生を団長とする訪日団受入れ、後楽園への鶴寄贈、学術訪中団派遣など活発な交流を指導された内山先生の岡山での活動は歴史的に大変重
要な意義があるということだった。そしてその実務を担った中西氏の資料の存在は大変大きいという評価だった。

  協会としても3年後の設立40周年を目指し、資料を整理して集大成を作りたいと思っていたところであり、今回のチームと協力してまとめたものを会員はじめ県民市民の方にフィードバックしていければと願っている。
(松) 



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