ʼ21年は協会設立40周年
2020年10月
令和2年10月
  265号

発行人 土井章弘
編集人 松井三平

  コロナ禍は英知で克服すべし
           IT交流新時代到来           
             県立林野高等学校の挑戦   
林野高と上海高校がリモート交流

  岡山県日中教育交流協議会(岡本啓会長)の日中青年交流事業「STUDENT EXCHANGE」は、コロナ禍の今年、リモート交流として行なわれることになり、10月20日から、岡山県立林野高校(美作市)と上海市奉賢区致遠高級中学(上海市)との間でスタートした。

オンラインで結び初対面のご挨拶
第2回目は11月4日、生徒同士交流
 
  初めての顔合わせとなる第1回目の20日は、両校をオンラインで結び、それぞれ挨拶を交わし、交流への期待を話した。
  林野高校生徒代表の山本芽愛さんは「国際問題に興味があり、大学でも国際関係を専門に学び、将来は途上国の支援に貢献したい。中国語も学んでいます」と交流に意欲を見せた。
  致遠高級中学の学生代表の唐怡玲さんは「学生同士の交流を楽しみにしている。日本語も勉強中で、日本の文化に興味を持っており、機会があれば行ってみたい。日本の人も是非上海に来て下さい」と呼び掛けた。

  この日の交流には、両校から7人ずつの関係者が参加しあいさつを交わした。
  県日中教育交流協議会の岡本会長は「次代を担う高校生が、国を超えた交流をすることは、大変意義深いこと。今年は新型コロナウィルスの感染が広がる中で、人の移動を伴う交流は断念せざるを得なくなりました」と、オンライン交流に切り替えた理由を説明。
  このコロナ禍を乗り越えて「素晴らしい交流が出来ることを確信している。日中の友好交流の一層の進展を願う」と話した。

グローバル人材の育成を目指し取組
  交流を支援する岡山県教育委員会の室貴由輝参事も「岡山県はグローバル人材の育成を県政の重点施策の一つに掲げている。しかし、今年は新型コロナウィルス感染症の影響でこれまでのような海外留学や国際交流が出来ていない」と指摘。
  その上で「オンラインならではの利点もある。大切なことは、困難な状況下にあっても、交流を止めないことだ」と強調した。

  県立林野高校の竹内成長校長は「(我が校は)創立112年、生徒数360人の小さな学校です。しかし、校内はWi−Fiを完備、ICT教育を活用した授業で全国から注目されています。今年はコロナの影響で校外へ出る行事はほぼ全てが中止となった」と現状を説明。
  それだけに「今回の交流を通じて、互いの国や学校の様子を知り、心の距離が縮まることを願っています」と期待を込めている。

学校生活の紹介や音楽の演奏披露も
  交流は、今回の第1回目を〝顔合わせ〟として、11月4日に第2回目を開く。こちらは生徒・学生主体となる。
  日中双方から3人の代表がリーダーとなり進行。学生生活の紹介や、学校のある各都市の状況などを写真や動画を使って説明。
  またブラスバンドや琴などの演奏も披露する計画。
  林野高校は、従来からグローバル人材の育成を掲げ国際交流と熱心に取り組んできている。今回のオンライン交流にも積極的に挑戦の意気込みを見せている。
 
STUDENT EXCHANGE
上海市奉賢区致遠高級中学

「学生同士の交流が楽しみ。
 日本語も勉強中。 
 上海にもぜひ来てください」



  STUDENT EXCHANGE
   岡山県立林野高等学校


    「国際問題に興味を持って
    います。 将来は途上国の
    支援に貢献した いです」


片山会長に「洛陽市栄誉市民」授与

片山浩子氏
  当協会の前会長の片山浩子相談役(岡山外語学院理事長)が、10月、洛陽市から「栄誉市民」の称号を授与された。
  趣旨は「長期にわたり中日友好事業に尽力され、洛陽市と岡山市における各分野での交流と協力事業を促進するため積極的な貢献を果たされ、両市人民の友好を増進された」というもの。
  伝達式は11月4日、岡山市役所で行なわれる。

片山浩子相談役の話
  大変光栄なことで嬉しく思っています。これは私一人のことではなく、協会の会員皆さんと共に協力し活動した結果であり、皆さんと一緒に感謝したいと思います。    私の事業面(外語学院)から見ましても、洛陽市を始め世界から多くの学生さんを迎えてきました。卒業生は全国各地の大学に進学したり、ビジネス界に出たりし、日中友好交流の架け橋になってくれています。

  その活躍の基礎、学生さんにとってファーストステージを提供出来たことも嬉しいことで、二重の喜びです。
  今後とも、日本と中国間をつなぐ民間友好交流という高い志を持って取り組んで行きたいと思っています。
  あくまで地道に岡山と洛陽間の民間交流をますます発展させて行きたいと考えています。よろしくお願いいたします。
  《今後とも高い志を持って、地道に民間交流を発展させていきたい》
                                                                 
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 世界30カ国58友好団体が参加
      2020北京国際民間友好フォーラム

オンライン方式のミーティング(北京)
 
  「2020北京国際民間友好フォーラム」(主催・北京市人民対外友好協会)が9月2日、オンライン方式のZOOMミーティングにより開催された。
  ミーティングには、世界30カ国、58友好団体が参加。200人以上がオンラインで結ばれ交流した。当協会からは黒住昭子副会長と松井三平専務理事が参加した。

  今回のフォーラムのテーマは『一帯一路の中での民間交流』。コロナ禍だけに、オンライン方式にせざるを得ず『コロナ禍の中で途絶えた往来の中で交流を停めるのではなく、いかにして民間交流を進めていくか』について議論を深めた。

  開会挨拶に立った中国人民対外友好協会の林松添会長は「あなたが勝って私が負ける、あなたが死んで私が生き残るというこれまでの路を歩むのか?それとも、共に手を携えて共に発展する新しい路を歩むのか?」と問題提起し、正しい選択をする時が来ていると訴えた。
  続いて、参加各国の友好団体がそれぞれ代表発言をした。約2時間のフォーラムは来年の〝リアル〟での再会を誓い合って、熱気の内に閉幕した。

  このフォーラムは毎年北京で開催されており、今年は初のオンライン方式。協会からはこれまで3年連続で参加している。   (松井三平・記)

 洛陽作家絵画展開催
    佐藤氏は「栄誉市民」に

交流の集大成の展覧会
  絵画を通じて洛陽との友好交流を続けた佐藤安男氏の「中国洛陽作家絵画展」が、10月15日から同21日まで、岡山市北区のギャラリー夢想庵で開かれた。
  同氏は近年体調がすぐれず、同絵画展の最終日の21日、帰らぬ人となった。今回の絵画展が、これまでの交流活動の集大成となった。85歳だった。

  会場には、同氏が牡丹や洛陽の街並みを描いたスケッチ、それに洛陽在住の画家や芸術家等から収集、贈呈された作品がズラリ並んでいた。

  佐藤氏は元高校教師で、旅行で洛陽を訪れ、その街並みに感激、以降、毎年のように洛陽に出向き、地元の画家等と交流を続けた。
  佐藤氏は、洛陽市栄誉市民の称号を授与されている。      




 
 おかやま国際音楽祭2020

こんな時代だからこそ、オンラインでの国境を越えた音楽の友好活動
  岡山市等主催の「おかやま国際音楽祭2020」が、9月26日から10月31日までの約1カ月間にわたって開催された。
洛陽古琴学会・楊虹会長
  キャッチコピーは「支えあう・響きあう・一つになる」。新しい生活様式に合わせた取り組みを行いつつ、野外コンサート、Web・ホールコンサート、発展・育成事業といった様々なイベントを展開、岡山の秋を音楽で彩った。
  その中でも〝今だからこそ出来る〟新しい岡山の音楽文化の発信方法としてWeb上で開催されたオンライン国際音楽イベント「SETOCOM」(セトコム)が注目を浴びた。

  SETOCOMはプロデューサーでもある情景描写ピアニストの・山地真美さんが作曲した、岡山をテーマとした課題曲を、楽器やジャンルを問わない自由なアレンジや表現によって、全世界の誰もが動画を投稿する事で参加できる、オンラインの強みを活かした音楽祭だ。
洛陽市華韵民族楽団

  技術面でも㈱ファーストディレクション、㈱ベネルート、㈱イタヤ・コーポレーションといった岡山の各方面の専門企業が屋台骨を支えた。

  公開・募集期間が約1カ月と限られた中で、投稿された演奏動画は100件、参加者はおよそ400名にのぼった。
  しかも、期間中のWebページアクセス人数は約2万人、動画の総再生回数は2万8000回にも達した。
 
 「支えあう・響きあう・一つになる」
  岡山市の友好都市でもある中国・洛陽市からは、2018年のお
上海・城市交響楽団
かやま国際音楽祭にも来日参加した高明さんが率いる洛陽市華韵民族楽団が課題曲「みずいろせとうち」を民族楽器にアレンジして演奏した。
  洛陽古琴学会会長の楊虹さんも楽曲映像を提供し、イベントを盛り上げた。

  また、当協会とも関係が深い上海からは自閉症のお子さん達を支援する活動でも知られるアマチュアオーケストラ・上海城市交響楽団が参加した。
  台湾からも女性ボーカルバンドの26 Restartが参加し、国際色豊かな音楽祭となった。

  10月3日のライブ配信の内容、参加者のプロフィールやコメントは現在もWebページhttps://setocom.net/で無料で見る事が出来る。
  こんな時代だからこその、地域密着型であり国際的でもある新しい音楽祭を体験してみてはいかがだろうか。                                                    (横溝政資理事・記)
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特 集 岡山市日中友好協会設立40周年記念
 各界に積極的な入会活動を展開
 赤木五郎氏涙のハルビン供養行
〈3〉創立の熱気と赤木五郎会長の思い出 (専務理事・松井三平)
各界有力者が入会
  創立を前に、私たちは設立発起人の勧誘から始まり、各界へ向けての積極的な入会活動を展開した。
  宗教界では、協会設立前年に設立され小生も理事として事務局のお世話をしていた岡山県日中仏教文化交流会の組織的基礎が大きかった。

  交流会会長の華山恵光老師(国清寺住職)から、仏教界各宗派の住職だけでなく、他の宗教教団関係者のご紹介もいただいた。
  その時にご入会いただいたのが黒住教六代教主の黒住宗晴氏だった。
  黒住氏は旭川荘理事長で当時協会副会長の江草安彦氏とも深いご関係があった。恐る恐る入会をお願いしたところ、入会依頼に即答で申込書を書いていただいた。爾来40年ご指導賜っている。

  経済界では両備バス社長だった松田基氏のご尽力に預かるところが大きい。松田氏との出会いについては別の機会に譲りたいが、銀行関係者を始め岡山を代表する財界の方々をご紹介いただいた。そしてご入会いただき協会の財政的基盤の強化に繋がった。

  医学界では赤木五郎初代会長の率先垂範で入会者が増えた。特に赤木先生が眼科のご専門だったので、その一門の眼科医開業の方々が多く入会された。

  また、ハルビン会、アカシヤ会、満鉄電業会など、それまで友好協会とは一線を画していた団体のトップも多く参加いただいた。
  中でも理事を長く務めていただいた岡山県アカシヤ会の黒瀬茂氏は、参議院議員木村睦男氏の秘書を務められ、中国人留学生の生活支援などにも熱心に取り組まれた。
  現在入居している錦町の田辺ビルは、黒瀬氏がビルオーナーの田辺敏郎さんとのご関係から紹介いただいた。因みに、当時の全国アカシヤ会の会長は「夜来香」の歌手で有名な李香蘭こと山口淑子さんだった。

  当時、岡山市の人口が約50万人だったので、その0.1%である500人が会員獲得目標数値だった。
  こうして設立当初勢いに乗って会員拡大が続き、300人までは到達したが、今日まで未だ当初目標には達成していない。
       
 黒住宗晴氏  華山恵光氏  黒瀬 茂氏  松田 基氏
八仙閣の開店
  1980年に岡山駅前の日生ビル内に「八仙閣」という中華料理店がオープンした。岡山には当時老舗の「南京楼」などの中国料理店があったが、八仙閣ほどの規模の店はなかった。
  この八仙閣は「范曾美術館」設立の契機となったり、友好の集いや協会の理事会・総会の場所となったりするなど日中友好サロン的な場となった。

歴代会長の功績
  本年2月8日の総会で、片山浩子会長から土井章弘氏に会長がバトンタッチした。初代赤木五郎会長から六車清茂氏、三島伯之氏、片岡和男氏、そして片山、土井氏へと、間断なく受け継がれ、大きな功績を果たされている。40周年を迎えることができるのも歴代の素晴らしい会長のおかげであり感謝の言葉しかない。

赤木五郎会長の思い出
  岡山県人の方なら知らない人は少ないと思う。岡山大学学長、川崎医科大学学長、岡山県立短期大学(現、岡山県立大学)学長など輝かしい経歴だが、その中に昭和18年5月満州国立佳木斯医科大学教授就任というのがある。

  その頃の詳しい記録が赤木先生からいただいた自著『卒壽いまだ青春』という回顧録の中に記されている。   それによると先生が佳木斯に赴任されたのは敗戦の色濃い昭和18年の4月とある。その後、ソ連の侵攻、内戦などの大混乱の中、次女の俊子さん(当時3歳)との生き別れなど筆舌に尽くしがたい逃避行を経験され、昭和21年に葫蘆島から帰国を果たされた。

  この中国での体験について、私は後日先生とご一緒したハルビンへの供養訪中まで、深くは知らなかった。
  赤木先生は昭和56年、協会設立とともに会長に就任されたが、このことをある新聞社の役員の方に報告したところ、赤木会長が日中友好とどんな関係があるのか、と問われたことがあった。
  多くを語られなかったが、赤木先生には二度と悲惨な戦争をしてはならないという友好への想いがあった。

ハルビン供養行
逃避行で亡くした我が子を慰霊する赤木氏(ハルビン松花江)
  赤木先生の「ハルビン供養行」の旅は、平成4年6月5日から北京1泊、ハルビン2泊、上海1泊という4泊5日の行程だった。
  同行したのは岡山大学眼科同門会の大内圓太郎氏、脇正敏氏らと私を含め5名だった。
  この時の訪中記録は84歳になられていた赤木先生が出版された『老後の初心』という本に収められている。

  この旅の目的は、先生が逃避行をされていたハルビンの花園小学校(当時)の難民収容所で、麻疹にかかり亡くなった次女の俊子さんを慰霊することだった。
  『遺体は松花江の河畔に埋めてきたが、不憫に思う心は日がたつにつれていよいよ強くなり、俊子の霊が今でもあの広漠たる満州の空をさまよっているように思われて、いつも胸の痛む思いで一杯だった』と述懐されている。
  ハルビン2日目の朝、参加者と松花江へ行き、細かい砂の粒子の河川敷を小一時間歩いたが、その場所が思い出せない。
  リヤカーにコモで撒いた次女を乗せて埋葬場所を探したと言われながら、赤木先生が、このあたりで良いでしょうと立ち止まり、線香と蝋燭、を準備して手を合わせられた。先生の目に涙が溢れていた。
  同行者に感謝の言葉を述べられ、これで供養ができた気がすると、ほっとしたように話されたことが印象深く思い出される。

  当時の赤木先生は、8年前に胃がんの手術をされていて、体調はそれほど良くなかったが、その日の夜には特注した熊の手や飛龍料理を美味しそうに召し上がられていた。
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岡山・上海障害児者絵画交流展
           11月24日から天神山文化プラザで

テーマは「きらめきは海を越えて2020」
出品作品は岡山側、上海側各40点
  障害児や障害者の絵画やアート作品を集めた岡山・上海障害児者絵画交流展「きらめきは海を越えて2020」が、11月24日から同29日まで、岡山市北区天神町の岡山県天神山文化プラザで開かれる。入場無料。

  出展されるのは、岡山障害者文化芸術協会主催の「きらぼし★アート展」入選作など25点、旭川荘利用者の作品15点、それに上海市の特別支援学校の児童生徒らの作品40点の計80点。
  絵画が中心で、今回は〝コロナに負けるな〟をテーマにした世相を反映した作品も出ている。また、日中の子どもたちの生活や活動ぶりを紹介する動画もある。
  岡山と上海、海を越えた福祉、芸術交流の展覧会となっている。
  開幕式は、コロナ禍中のため、岡山側の代表者ら約20人が集まり、ささやかにテープカット。上海側はオンラインで参加、メッセージを伝える。

  この交流展は、前回、2019年12月、上海市の上海呉昌碩記念館で開かれた。岡山、上海双方から約70点の出品があり、6日間の期間中約1000人が来場した。
  今回は、岡山側での開催。時間は通常午前9時から午後5時まで。初日は開会式のため正午からの入場、最終日は午後2時閉場となる。

  主催は、旭川荘、岡山障害者文化芸術協会、上海市人民対外友好協会。後援は、岡山県日中友好協会、岡山県日中教育交流協議会、岡山市日中友好協会、中華人民共和国大阪総領事館。
 田川二胡コンサート
 吉備路文学館で開催

  二胡奏者として知られる田川(でん・せん)さんの「DEN・SEN二胡コンサート」が、9月19日午後、岡山市の吉備路文学館ロビー会場で開かれた。
  田川さんは、約1時間半にわたり、『宵待草』や『蘇州夜曲』など、おなじみの曲からオリジナル曲まで全18曲
DEN・SENコンサート
を演奏。二胡独特の憂いに満ちた音色に参加者は酔いしれた。曲の合間には、田川さん独特の朴訥としたトーク。

  岡山をこよなく愛し、自身の名前から川が好きで川の名称の曲が多いこととか、自分の故郷は「生まれたハルビンか、育った岡山か、定かでない」とも話す程。

  田川さんは岡山大学に留学後、プロの二胡演奏家として岡山に永住し33年。現在では岡山市内にカルチャー教室や自身のスタジオもオープン、日中友好の懸け橋として活躍している。

  今回の行事は、岡山市芸術祭の一環として吉備路文学館が50人定員で行ったもの。 DEN・SENコンサート
     
 「あぁ満州」発行
   浩良大島開拓団の記録
 
  岡山から〝分村〟の形で入植した満州開拓団の苦難の足跡を記録した「あぁ満州」(浩良大島開拓団の記録)=写真=が、このほど、笠岡市拓友会から発刊された。

  浩良(こうりょう)大島開拓団は、国策により笠岡地区の大島(浅口郡大島村)から、1941年(昭和16年)、村を分ける形で、いわゆる北満に入植。最大230人を超える人が在籍していたという。
  そして昭和20年の敗戦で開拓民は〝棄民〟となり悲惨な逃避行を強いられ、犠牲者は68人に及んだ。「あぁ満州」はその記録集。

 戦後75年の節目を機に、改めて苦難の歴史を後世に残しておこうと、「拓魂」の内容も再編集し戦後75年記念として発刊した。
 関係者は昨年7月、現地を訪問し慰霊している。
 笠岡市拓友会では、300部を製作、図書館や笠岡市内の小中学校などに寄贈した。
 安宅敬祐氏 逝去

元岡山市長
洛陽市栄誉市民
  元岡山市長で、洛陽市栄誉市民の称号を持つ安宅敬祐氏が、8月29日、逝去した。78歳だった。

  安宅氏は、岡山市出身で、東大から当時の自治省に入り、長野知事時代に県商工部長。その後1991年、盟友でもあった江田五月氏らの支援を受け岡山市長に当選、29、30代と2期務めた。

  市政を揺るがせたチボリ公園問題では、事業からの撤退を決断したことでも知られる。市長退任後は岡大教授などに転身していた。
  この間、市長時代、洛陽市との友好都市関係では、交流団の派遣や研修生の受け入れなど、積極的に友好交流活動と取り組んだ。

  同氏の夫人、正子氏からは岡山市日中友好協会に対して10月、2万円の寄付が届けられた。
会員消息 
【入会者】
  吉田 英広さん
活動日誌 
 9/ 2…北京国際フォーラム(オンライン)
 9/ 4…読書会(和楽亭)
 9/11…林野高校打ち合わせ(美作市)
 9/16…山本理事40周年会報DVD制作打合わせ(事務局)
 9/19…田川二胡コンサート(吉備路文学館)
10/ 1…会報編集会議
10/ 2…能楽師、上田さん来岡(しんとう茶店)
10/ 9…読書会(和楽亭)
10/13…林野高校事前打ち合わせ(美作市)
10/16…洛陽市人代常務委員会にて片山浩子前会長の「洛陽栄誉市民賞」決定
10/16…故安宅敬祐氏の正子夫人が寄付金をご持参(事務局)
10/20…林野高校と上海とのオンライン交流実施(美作市)
10/30…10月号会報発送(事務局)
先憂後楽
  日中間の航空便は、成田、羽田、関空の空港に限られ、便数も少なく、航空券の片道運賃は30万円を超えるのが普通になっている。岡山上海便は今年12月までの運休を決定している。

  契約期限が切れた技能実習生が帰れない。岡山の企業に所属している中国人実習生だけでも数百人はいるだろう。結婚式の予定を延期したベトナム実習生。7月に母が亡くなったがお葬式にも帰れなかったと悲しんでいる中国人在住者などコロナは在留外国人の方にも大きな影響を及ぼしている。

  感染防止と経済活動を並行して動かすには、検査体制が必要条件となってくる。日本から中国に搭乗するすべての乗客に、指定された医療施設でのPCR陰性証明書の提示が求められている。岡山では川崎病院と岡山市民病院に、岡山旭東病院が加わった。

  検査費用は中国では100元(約1600円)程度と安く、結果もその場ですぐに出るとのことだが、日本では検査証明書付きで44000円が相場となっており負担が大きい。

  岡山空港から中国へチャーター便を出そうと東方航空やアジア・コミュニケーションズが奔走し、技能実習生受入れ監理団体に働きかけ、中国大使へ生の声を届けるべく実施要望書も送達した。地方と地方を結ぶ交流促進のためにも岡山上海線の早期復活が待たれる。 (松)




「岡山と中国」ご希望の方にはご郵送いたします。  
また、ご入会いただくと、毎月お手元へお届けいたします。入会案内をご覧ください。


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