《岡山市日中友好協会設立40周年記念講演・講演録》 □ 上 □ =直島及び中国農村の事例= 講師 ㈱ベネッセホールディングス 名誉顧問 公益財団法人福武財団 理事長 福 武 總一郎 氏 |
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ニュージーランドに移住し11年 岡山が懐かしく楽しみでした
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ニュージーランドに移住して11年になります。このコロナ禍で、もう1年以上日本に帰っておりませんし、岡山にも同じ、大変懐かしく感じております。 今回のお話しの内容は、前半、瀬戸内海にある過疎の島々をアートで再生した話。後半は中国・山東省の農村を再生した事例です。 総称は「ベネッセ アートサイト直島」 【過去の直島、豊島、犬島】 先ず、直島を中心とした瀬戸内海の過疎の島々の再生の事例です。 全体を「ベネッセアートサイト直島」と称しており、これは、1987年(昭和62年)以来、瀬戸内海に浮かぶ直島、豊島、犬島の3つの島を舞台にベネッセホールディングスと福武財団が展開しているアート活動の総称です。 開発以前の島々の状況をご紹介しますと、直島には銅の製錬所が1917年に造られ、亜硫酸ガス排出の影響でハゲ山になっていました。 犬島もそうです。犬島製錬所が1909年から10年間だけ操業、その後90年間にわたって放置されたまま。人口は42人にまで減り、島民の平均年齢は72歳という状況でした。 豊島というと1975年から16年間にわたって産業廃棄物が不法投棄され、総量90万トン以上とも言われていました。その廃棄物被害に対し、苦しむ島民は弁護士の中坊公平氏等と共闘し勝利した話は有名です。 父の夢を追い求め 現代美術を“武器”に 【安藤忠雄氏と闘う決意】 直島については、私の父が子どもたちのためのキャンプ場を造ろうという夢を持って努力していました。が、実現出来ぬまま急逝しました。 そこで私は、急遽、東京から帰岡し、父の夢を実現すべく、何度も何度も、島々を見て回ったのです。 そこで目にしたのが島々の惨状です。この周辺は1934年に、日本で最初に国立公園に指定された所です。富士山より早いのです。 それがこの惨憺たるありさま。私は心から憤りを感じました。そして過度の都市化、近代化の傾向に対して、現代美術を〝武器〟に闘っていこうと決意しました。 そして、都市化・近代化の象徴である東京に住まず、大阪に住み斬新な近代建築に取り組んでおられる世界的建築家の安藤忠雄さんに協力を依頼しました。 安藤さんは元プロボクサーでもあり〝闘い〟にはピッタリでした。以来30年のお付き合いです。 メッセージ性が強い 世界的アーティスト 【国吉康雄絵画との出会い】 ここでちょっと岡山出身の画家、国吉康雄に触れておきたいと思います。 なぜ、アートを武器に島を再生しようとしたか、その契機は国吉の絵との遭遇があったからです。 父は国吉の絵のコレクションをしていました。彼の絵は、その時代の社会や世相を強く反映したメッセージ性の高い作品です。 国吉は1989年、岡山に生まれ、その後工業高校を中退し17歳でアメリカに渡り、苦学して学び、1929年にニューヨーク近代美術館の現代アメリカを代表する19人の画家の一人に選ばれました。 太平洋戦争中は、軍国主義日本を批判してプロパガンダもしています。その後も美術家組合の結成に尽力、ニューヨークが世界の美術界の中心的存在になることに多大な貢献をしています。 国吉は、岡山が生んだ世界的に影響力を与えた素晴らしいアーティストだと思っています。私も国吉の絵のコレクションを続け、写真などと合わせて、約570点を福武コレクションとして岡山県立美術館に寄託しました。 瀬戸内が世界一の “行くべき所”になる 【世界的評価を受ける直島】 そして現在、ベネッセアートサイト直島には世界から多くの人たちが来られるようになりました。 直島訪問者数の推移を見ますと、2004年当時5万人にも満たなかった入込観光客数は、第1回の瀬戸内国際芸術祭が行なわれた2010年には64万人台に、同芸術祭の無かった2018年でも55万人台になっています。 海外からも中国をトップにアメリカ、韓国、オーストラリア、フランスなどから多くの人たちが訪れています。 2000年には、アメリカで有名な旅行雑誌、トラベラーマガジン誌に「次に見るべき世界の7カ所」との特集が載り、パリ、ベルリンなどに続いて6番目に直島がランクインしました。 このちっちゃな直島を、世界の名所に選んでくれたのです。 2019年には、今年見るべき19の場所として「瀬戸内」が世界でトップに選ばれました。2020年には世界で最もポピュラーなガイドブックに「日本の訪問地トップ24」として京都、東京、奈良に続いて第4位に上げられていました。 直島、瀬戸内が世界一行くべき所として認められたのです。 直島メソッドで 地域を元気にする 【〝幸せ、豊かさ〟とは何か】 私たちが進めている直島の活動は、アートによって地域を活性化させ、人々を覚醒させることを目指しています。アートを鑑賞してもらうことは目的ではありません。それは都会の美術館がされていること。 私たちは、自然と、傷ついた環境、そしてアート、建築、それに参加して頂ける地域の人々、この5つの要素を組み合わせることによって、地域を元気にするという世界で初めての活動なのです。 フランスの雑誌「アートプレス」は、その方法を〝直島メソッド〟と書いてくれました。 私は、島に何度も訪問して、島々を見てきましたが、島の人々に会ったり、活動を通して「幸せとは何か」「本当の豊かさとは何か」を考えました。 島はご覧のように、都会と比べて、物も情報も娯楽も圧倒的に少ないわけです。しかし、私の見る限り都会の人より余程幸せのように見えました。 |
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自然やアートは何よりも人々を 覚醒させ地域を変貌させる | ||||
そこで、幸せとは何かを考え、企業家としての幸せを追求したいと思い、社名も変更しました。 「福武書店」から「ベネッセ」への変更です。1995年でした。これはラテン語の〝ベネ〟(良く)と〝エッセ(生きる)〟を足したものです。「良く生きる」といった意味です。 これによって事業内容も大きく変更しました。つまり、最も不易なものである人の一生をサポートする会社に変身させたのです。 私は、自然やアートがどんなものより人々を覚醒させ、地域を変貌させ、事業さえも変えると実感しています。 幸せのコミュニティ に住むことが必要 【〝幸せ〟はどこで叶える】 ところで皆さん方も、誰しもが幸せになりたいと思っているはずです。しかし日々ストレスや緊張に囲まれた大都会では、簡単ではないと思います。 それではどこで幸せになることが出来るでしょうか。それは死後の天国にあると言う人がいるかも知れません。が、そこから帰ってきて、素晴らしい世界だったと言う人に私は未だ会っていません。 多分皆さんもそうでしょう。それは今生きている現実の世界で叶えないといけないのです。 私は、幸せになるためには幸せのコミュニティに住むことが必要だと考えます。幸せのコミュニティとは一体どんな所でしょう。 私は幸せのコミュニティとは、お年寄りの笑顔で満たされたコミュニティのことだと思っています。 お年寄りは知力的にも体力的にも弱くなっているかも知れませんが、しかし、お年寄りはいろんな人生の体験や苦労も経験された人生の達人だと思います。 その人生の達人が幸せでないと本当の幸せにはなれないと考えます。直島、豊島、犬島にはお年寄りの笑顔が溢れています。 限界に達している 現在の資本主義 【〝公益〟資本主義の提唱】 それは、福武財団、ベネッセ、福武家が総合的運用を担保するという仕組みです。福武財団はプロジェクトの運営を行ない、ベネッセは株主に配当を支払い、福武家はベネッセの大株主として保有株式を福武財団に提供します。福武財団はベネッセからの配当から継続的に資金を頂き、活動をしていきます。 従来の寄付による資金提供は、安定的継続的ではありません。公益資本主義による仕組みだと、配当によるため安定的継続的に資金が提供され、質の高い文化活動が安定的に出来るのではないかと思います。 多くの企業は株式会社でしょうから、株式の何%かを提供して仕組みを作り、活動をしたらと思います。例えば、株式の5~10%を出捐して公益財団を設立し、その財団を通して地域貢献、社会貢献活動をするのです。 こんな考え方がもっともっと出来れば、限界に達している現在の資本主義も、少しは社会貢献、地域貢献が出来るのではないでしょうか。大事なのは企業活動で生み出した富を社会にどう還元していくかです。 目的は人々が幸せに 生きることにある 【直島で学んだ3原則】 一番目はつくづく自然は教師その通りだと思います。自然に学ぶことの重要さです。残念ながら日本は今、いろんな問題を抱えています。そしてほとんどの意志決定が東京でなされています。 その東京にほとんど自然がありません。欧米の指導者たちは仕事は大都市でしても、住んでいるのはうっそうとした森があるところです。自然と人工のバランスは重要だと思います。 2番目は、「在る物は活かす」という考え方です。今の文明は「在る物を〝壊して〟無い物を造る」です。これは大変危険な考え方です。 我々の世代に造った物はいずれ次の世代で壊されるという考え方です。市場経済下ではそれが良いと思い込まされています。 今の新自由主義は全てをお金に換えてしまうという考えです。欧米でも日本でもそれが跋扈しています。在る物を〝活かして〟無い物を創るということこそ重要なのです。 3番目の、経済は文化の僕という考え方です。経済至上主義の現在、経済発展が目的化しています。経済発展はあくまで手段であって、目的は人々が幸せに生きることです。 そのためには文化がインフラになります。日本にも世界に誇れる文化遺産がありますが、よく考えて見ると、神社・仏閣、お城、庭園、そのほとんどは江戸時代までに創られた物です。近代化と言われる明治以降現在まで、どの様な後世に残る文化遺産が創られたでしょうか。 私はほとんど無いと思います。現代社会は経済合理性だけが中心になって、文化という経済合理性に外れた物については、ほとんど見向きもされていません。 非常に間違った考え方で、このことを含めて現在の資本主義は行き詰まってきていると思うのです。 世界中から来場者 ボランティアも多数 【〝瀬戸芸〟の賑わい】 最後に「瀬戸内国際芸術祭」についてお話しします。この芸術祭は、2010年から春、夏、秋の日本の四季を知ってもらいたいと言うことで会期を分けてスタートしました。私が総合プロデューサー、アートディレクターの北川フラムさんが総合ディレクターです。 2019年には、世界中から230組、32の国と地域からの参加がありました。世界中から6000人近い「こえび隊」というボランティアサポーターが無償で参加してくれました。海外からのサポーター参加者は全体の1割を越えています。 総来場者数は117万人で、前回の104万人を上回りました。島々では、おばあちゃん達が美味しい食事を作って振る舞い、それを競走していました。島は大変元気になっていました。 (次号へ続く) |
岡山市洛陽市友好都市締結周年記念写真特集 | |||||||
岡山市役所会場 (岡山半田山植物園) |
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日中植林植樹国際連帯事業 新植林事業に参画 洛陽の「石井鎮」で |
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協会は、(公財)日中友好会館による「日中植林・植樹国際連帯事業」助成金を活用して「中国洛陽市新安県石井鎮生態防護林事業」という新たな事業を開始する。 この事業は、洛陽市人民対外友好協会をカウンターパートとして洛陽市新安県林業局の管理の下に、3年間で30.5㌶、初年度は10.5㌶の緑化と取り組む。場所は、洛陽市の北西に位置し、山西省の省境に近い黄河沿い。 協会は、昨年末日中友好会館から打診を受け、洛陽市と連絡を取り1月末に申請書類提出、3月18日に正式に助成金の交付決定を受けた。 これは、一昨年まで12年間実施してきた緑化協力活動の経験があったことと、洛陽市の于愛紅氏の迅速な対応によるところが大きい。 新型コロナ収束の見通しが立っていないが、アフターコロナには専門家や植樹ボランティアの派遣を行い、新安県の人々とともに汗を流し、人類共通の課題である環境保護に貢献することになる。 今回の植樹地である石井鎮にはユネスコが世界ジオパークに指定している「竜潭大峡谷」や、1400余りの墓誌を集めた博物館「千唐志斎」があり、観光地としても注目を集めている場所。 |
活動日誌 | |||
3/ 5…「岡山と中国」3月号発送(事務局) 3/ 8…国際女性デーオンライン交流会(黒住副会長参加) 3/ 8…県立東備支援学校と上海恵敏学校との第二回リモート交流会(東備支援学校) 3/22…大森岡山市長と劉洛陽市長がオンラインで40周年祝賀挨拶、土井会長が同席、挨拶(岡山市) 3/24…松井専務理事RSKラジオに生出演(MC奥富さん) 4/ 6…友好都市40周年記念「雲上に響け!日中友好の鐘」実施(長泉寺) 4/13…就実小学校と上海思言小学との第一回リモート交流会(就実小) 4/14…「これからの中国の歩み」オンライン勉強交流会参加(事務局) 4/17…友好都市40周年記念「岡山に咲く洛陽牡丹観賞会」(半田山植物園) |
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会員消息 | |||
【入会者】 難波 順子さん(岡山市) |
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先憂後楽 | |||
洛陽では4月10日から開催されている「洛陽牡丹文化節」が真っ盛りで、1日の観光客は4万~5万人とのこと。洛陽空港も2019年までは北京、洛陽、上海が1日2便だったのが、今では重慶、青島、フフホト、アモイ等10か所との定期便が就航。年末までに高速鉄道駅の龍門駅から空港につながる地下鉄2号線が開通し、より便利になるという。ワクチンも現在は10%くらいだが、6月末までには約半分くらい接種完了するとの見通しだ。 友好都市締結40周年締結日の4月6日には長泉寺と白馬寺をオンラインで結び、同時に友好の鐘を撞くという画期的なことが実現できた。できれば面白いなぁと相談していたところ、洛陽市側は市政府として取組むことが決定し、丁度牡丹祭りのプログラムにも加えて本格的な対応となった。中国移動通信が5G対応の中継車を配置し、超大型の液晶スクリーン2面を白馬寺山門前に設置、洛陽テレビ局が技術担当、市政府の幹部の出席、住職はじめお坊様方も総動員。すごいなと思った 岡山側は当協会の主催。限られた条件の中で、IT技術者3人が懸命に対応。50型の液晶画面を何とか準備できた。黒住副会長は牡丹の花柄の着物を着て司会をし、心意気は負けないという姿勢を見せていただいた。 来年は国交正常化50周年にあたる。民間団体として、どのような交流が可能なのか、模索しながら継続して活動していきたい。 (松) |