協会の歩み 1999年
綾南小学校高塚幸巳校長の記念講演
1999年(平成11年) 協会定期総会盛大に終わる  青少年友好交流を一層促進
 1999年度の協会定期総会は、2月13日午前10時から日生ビルで開かれた。開会に先立ち協会関係の物故者3人に黙祷を捧げた。次いで三島会長が洛陽市・申窪村に小学校を建設する資金の募金活動に対する協力に感謝の言葉を述べた。次に中華人民共和国成立五十周年の記念すべき節目の年に当たり、過去の歴史を正しく認識して相互理解、共存共栄を一層図ってゆくことを強調。21世紀を目前にして、次代を担う青少年の交流促進に力を入れると決意を表明した。議事に入り、岡本理事を議長に選び、5つの議案を審議し提案どおり承認された。

 新年度の活動方針は次のとおり。
一、日中青少年交流促進事業。
@友好都市絵画・書画交流。
A岡山県日中教育交流協会協賛。
二、友好都市交流促進。
@定期的な交流会議を提唱。
A友好提携支援活動。
三、岡山・上海定期航空路利用促進事業。
四、在岡中国人とのネットワ−ク強化。
五、組織の強化。財政健全化。
六、日常活動の強化。
@中国映画上映会。
A中国三誌普及活動。
B中国語普及活動。
七、ホ−ムペ−ジを充実。
 総会終了後、岡山市陵南小学校校長の高塚幸巳氏の「洛陽・申窪小学校の再建に関わって」と題した講演があった。
賀陽町・中国淮安市友好提携成立
賀陽町・中国淮安市友好提携調印
 日中国交回復と友好に尽くした岡崎嘉平太氏の生地、上房郡賀陽町と中国元首相の周恩来氏の生地、中国江蘇省淮安市は、10年前から友好交流を深めていたが、1月26日正式に友好提携協定の調印を行った。
 中国側から陳寿松・淮安市人民政府市長、単国富・淮安市人民対外友好協会副会長ら4人、日本側から竹竝町長はじめ賀陽町関係者と岡崎嘉平太氏の長男・岡崎彬氏(日中協会理事)三島協会会長ら五十人が出席した。「文化、経済、青少年交流」等、広範な分野で交流を行い、両町市の繁栄と日中両国民の平和と友好のため努力する協定書に竹竝町長と陳市長が署名、交換した。
 淮安市は、南京市の北約二百キロにあり、農業、畜産業、養魚業が盛んな土地で、近年は電子関係の工場も増えている。陳市長らは27日午前、賀陽町の北にある岡崎氏の墓へ参り、瀬戸大橋を見学した後、京都嵐山にある周恩来碑を尋ねて29日に帰国した。 
音楽で日中友好交流 
 昨年11月に、岡山市・長泉寺で「中国大洪水支援コンサ−ト」を開いたシンセサイザ−奏者の西村真記さんが、12月13日洛陽市で開かれた「日中平和友好条約締結二十周年記念音楽会」に出演し、会場は1,500人の洛陽市民で埋まり、洛陽テレビでも中継された。岡山市出身の尺八演奏家・田辺頌山さんや浅学かの池戸義久さんの共演で音楽会は大きな感動に包まれた。
淮安市より少年使節団  賀陽町でホ−ムステイ
  周恩来元総理と岡崎嘉平太氏の出生地が縁で、今年初め友好町市提携が実った上房郡賀陽町に、相手先の江蘇省淮安市から少年使節団十一名が来日する。これは重森町長が明らかにしたもので、一行は、8月24日から27日まで全員が賀陽町に滞在するが、うち二日間は町民の家でホ−ムステイする。賀陽町滞在が終わったら京阪神を視察、更に日本を大きくとらえたいという。重森町長は6月に訪中し、このたびの少年使節団の受入れを正式に承諾し、帰国後発表した。使節団の内訳は中高生男子2名、女子6名、随行として淮安市職員と教員3名が同行する。
日中友好ボウリング大会で挨拶する洞理事(両備ボウル)
日中友好ボウリング大会
  7月3日(土)両備ボウルで、第5回日中友好ボウリング大会を協会主催で開催した。当日は長引く大雨で人の集まりが心配されたが、午後から天気になり心配は杞憂。日中双方が16人ずつ参加した中で、中国側はピチピチの若者が多かったのに比べて日本側は平均年齢がやや高め。ピンを全て倒すとストライクの文字が輝き大歓声。溝に落ちてガ−タ−でも笑顔が絶えなかった。
 成績は次のとおり 優勝〕西上忠志308点。〔中国人最高得点者〕張思国278点。[女性最高得点者〕大道寺正子303点。〔中国人女性最高得点者〕 李艶273点。〔ブ−ビ−賞〕河原沙英。〔ニアピン賞〕綾野晴夫。田中里枝。安藤奈津枝。橋本良一。
申窪小学校の新校舎をバックに校長先生を撮影する児童たち
これが洛陽申窪小学校の新校舎  希望工程の支援の輪拡がる
  協会が会員に呼びかけて集まった約300万円の義援金が実って、洛陽市申窪村小学校は、立派に完成した。我が協会が洛陽市申窪村の学校建設に協力したことが刺激となって、同じく洛陽市と友好都市の須賀川市(福島県)の日中友好協会が学校を建てたほか、岡山市内のライオンズクラブも建設計画を進めている。広い中国でも、洛陽一市の中で希望教育工程校が三校にも拡がるのは珍しい。
洛陽市教育代表訪日団来岡決まる
  岡山市立陵南小学校と友好校の縁組を結んでいる、洛陽市申窪村小学校の児童代表ら五人が、陵南小学校創立二十周年記念祝典に参加するため、11月9日に来岡することが決まった。陵南小学校国際交流クラブの児童は、この日に備えて、中国人の講師2人を迎えて、生きた中国語を勉強してきた。中国語で話せば友好は一層深まるだろうと、元気を出してがんばった。11月13日の陵南フェスタ(祭り)には、中国の歌「編花藍」を歌ったり、楽器で「シルクロ−ドのテ−マ曲」を演奏して歓迎する。一行は、11月13日まで岡山に滞在し、大阪、京都を観光の後、11月18日、岡山空港発の飛行機で帰国する。
在りし日の赤木五郎初代会長
赤木五郎初代会長の逝去を悼む
 先生は平成11年8月11日、90歳の天寿を全うして、ご逝去されました。8月13日、赤木五郎先生と最後のお別れの時が来た。先生自身の肉声によるお別れの言葉や無宗教など、生前に先生が言われていたとおりの簡素な儀式だった。昨年お会いした時、確か三冊目になる随筆集「老驥のひとりごと」の原稿が出来、印刷所に出したと喜んでおられた。卒寿を迎えられた矢先だった。
 協会にとっては、赤木先生の存在は大きな太陽のようであった。先生の存在とご協力無しに、この協会の誕生とその後の発展はなかったであろう。「市民ぐるみの日中友好運動を展開しよう」との呼びかけに共鳴され、岡山大学医学部の村上栄教授(故人)の推薦により、協会設立発起人の代表を引受られた。組織的には混乱の時期であったにも関わらず、敢えて難しい仕事を引受られた。その時の実に正義感溢れる書面が協会に残されているが、我々は忘れてはならない。協会の設立精神が切々と綴ってある。
 先生がガンの病魔に襲われる前まで、岡山での日中友好組織を纏める構想についてご相談を受けていた。結果的にはうまくゆかなかったが、その熱意には恐縮したものだ。「よいしょ、よいしょ」と恰幅の良かった頃の先生が、理事会や所要のため、弁当屋さんの二階にあった、むさ苦しい旧事務所に足を運んで頂いたことが、今も瞼に焼き付いている。協会は大切な日中友好人士をまた一人失った。しかし、先生の志を必ず発展させる任務が、残された我々にある。                
 協会事務局長  松井 三平
岡山ー洛陽小学校写真展(コンベックス岡山)
洛陽と岡山・小学生の写真展
 協会主催の「洛陽・岡山小学生写真展」は、11月21日から3日間、コンベックス岡山で開催される。展示される写真は四つ切りで200枚。洛陽は申窪村小学校、岡山は陵南小学校。どちらからも100枚が並ぶ。小学生の写真展だけでも珍しいのに、中国からも出品されるとあって話題になっている。おそらく日本で最初の催事。
 この計画は青少年の交流実現のため協会役員会で決定された。児童が興味を持つか心配だったが児童たちは大喜びで実行に移された。実施案には、児童が写した生活風景を集め、岡山と洛陽で展覧会を開く。特にカメラを持たない申窪小学校の児童に配慮し、レンズ付きフィルムを50台ずつ両校に配る。それを使用後は協会に送り返し、岡山で現像・焼き付けをするというもの。春先に届けたカメラは秋になって帰り、この膨大な数のネガの中から傑作を選んだ。それが展示される。
 申窪村の児童は動物好きで、山羊・牛・アヒルを写している。また岡山から資金を贈って建てた新校舎の写真が四分の一を占めているし、ヤオトンも登場し、子供の夢が写真一杯に表現されている。一方、陵南小学校の作品は学校で過ごす様子を写したのが多かった。また「私の宝物」というテ−マには、子供の気持ちがよく出ていた。さらに学校の近くの田圃で今年から稲を育てたので、稲田のものに面白い作品があった。
  

戻る   このページのトップへ トップページへ