協会の歩み 2002年
2002年(平成14年) 定期総会盛況裡に終わる
 2002年度の協会定期総会は、2月9日(土)午前11時から、岡山駅南、日本生命ビル6階で、60人の出席のもとで開かれた。開会に先立ち協会関係の物故者3人に黙祷を捧げご冥福を祈った。
 ついで、片岡会長が挨拶に立ち、協会設立二十周年記念事業成功に触れ、会員各位の熱烈な協力に感謝し、国交正常化三十周年にあたる今年も、ひきつづき日中友好促進のため一層の協力を要請した。
本年度の活動方針は次のとおり
1.日中国交正常化三十周年
 1972年9月、当時の内閣総理大臣田中角栄氏は「決断と実行」を信条とし、中国との国交回復を決断し、北京において日中共同声明に署名した。このときをもって日中両国は正式に国と国とのお付き合いが始まり1978年の日中平和友好約締結と合わせて、両国国民相互の交流が大いに促進された。
 以来30年を迎えた本年、両国関係はいくつかの課題が存在するがおおむね良好な状態にあり大いに発展が着たいされているところであるが、政府間の交流とあわせてNGOの存在と役割が見直されていることもあり、民間団体としての協会の役割はますます大きくなってくるだろう。
2.岡山―洛陽友好都市交流促進事業
3.各種交流活動の強化
4.在岡中国人との連携強化
5.日常活動強化、組織・広報活動強化
洛陽からサッカー留学生 -岡山商科大学附属高等学校へ-
 3月26日、関西空港に洛陽からの訪日団7名が降り立った。一行は洛陽市人民対外友好協会秘書長の楊明さん中国足球学校洛陽分校校長の李波さん、それに足球学校の4名の高校生。
今回の訪日団は岡山市日中友好協会と岡山商科大学附属高等学校(以下附属高校と記す)が協力して実現したもので、特に高校生の本格的な留学は初めておいうこともあって、ほとんどの報道各社が大きく取り上げるなど多いに注目された。

1.中国人講師招聘による中国語教育
 附属高校では今年度から中国語の授業を始めるにあたって、洛陽市から直接講師を招いて本格的な中国語授業を始めた。これは、今年二月から洛陽大学の日本語講師として赴任された植田先生との交換講師のプログラムで、双方とも向こう二年間の滞在予定となる。

2.サッカー留学生招聘
 中国には足球高校というサッカー選手育成のための専門の学校があり、全国に四箇所(北京、瀋陽、洛陽、上海)の分校がある。
 今回は洛陽分校の生徒で同学校でもトップレベルの選手だ。前衛、先鋒などのフォアードと身長187センチもある守門(ゴールキーパー)などで、李校長からも河南省や全国でも通用する選手であることが紹介された。代表である楊さんは歓迎会席上で『勉強と練習に励んで、附属高校のサッカーレベルを上げることに貢献し、岡山と洛陽の友好促進に役立つよう努力する』という趣旨の挨拶をした。
岡山県日中教育交流協議会
平成14年度総会及び日中教育交流報告会開催
 3月22日、岡山県生涯学習センターで同協議会の総会と報告会が開催された。総会には役員や小学校の教諭ら約30名が集まり、今後の交流など熱心に協議した。
 冒頭、森崎岩之助会長が挨拶し、協議会が岡山県内の日中教育交流促進に対し一定の役割を果たしていることを評価した。また、本年が岡山県と中国江西省とが友好県省を締結して十周年にあたるため、これを記念して『日中教育交流促進訪中団』を企画し参加者を公募することや岡山県と協力して事業を進めることを提案した。
その後議事に移り、議案は予定通り承認された。

報告会開催
 報告会では講師の岡山県高等学校芸術文化連盟(略称、高芸連)副会長で岡山県立玉野光南高等学校校長の速水延光先生が昨年夏に開催された上海との交流状況について報告。また具体的な活動内容について東岡山高等学校の千原章裕先生がプロジェクターで画像を紹介しながらエピソードを交えて報告した。
 高芸連はこれまで韓国とさまざまな文化の分野で交流を重ねてきたが、一昨年上海との交流が提案され、協議会を通じて上海市政府と交渉を重ね、昨年第一回が実現することになった。
 今回の交流プログラムは写真部会での交流となり、岡山と上海で撮影会や撮影展が開催され、ホームスティでの体験など大きな成果を収めて終了した。
日中国交正常化三十周年記念 洛陽牡丹花コンサート開催
友好の花開く!
 友好都市・洛陽市から牡丹の調べを携えて二名の芸術家が来岡した。一人は古箏(琴)演奏家の王小麗さん、そしてもう一人は、歌手の劉暁紅さん、引率兼通訳は洛陽市外事弁公室の方双建さん。
 一行は4月19日に岡山空港に到着し、5月4日に帰国するまで精力的に公演してまわり、各地で日中友好の大きな花を咲かせた。
 市長室で牡丹の歌!
 一行は4月19日に岡山市役所へ市長表敬訪問。会見した萩原市長は笑顔で出迎え、昨年実施した岡山市民訪問団の時のことなどを懐かしく話した。終わりになるころ、劉さんに歌を聞かせてほしいと注文し、市長室でおそらく初めてであろう美しい声が響き渡った。
オリエント美術館ホールでのギャラリーコンサート
 ホテルで荷を解く間もなく、その夜6時30分からの牡丹コンサートに臨んだ。約80名の聴衆を前に旅の疲れも見せずそれぞれ2曲づつ演じた。
 リハーサルの時間もなかったため、音だしや音響設備などうまくいかなかったところもあったが、参加者の暖かい理解を得て、1時間のコンサートはあっとう間に終わった。
 翌日から小豆島、大阪、岡山、玉野、島根、大根島とまわり、4月30日には新見・千屋に到着。早速、中国信陽と民間交流続けている新陽会や新見市から牡丹公園の管理を委託されている成地振興会の人々の暖かいもてなしを受けた。
中国江西省南昌市松柏小学校訪日団
 平島小学校は今年、未だかつてない体験をした。昨年の8月、本校児童11名、大人15名(内6名が本校職員)が初めて訪中した。(この間の事情については、2001年度岡山県日中教育交流協議会会報「悠久」第6号にて詳述)今年は平島小学校が、お迎えする年であった。昨年8月帰国以来、企画・立案を繰り返し、何度も職員会議を開き検討に検討を重ねてやっと実現した一大イベントである。
 交流が現実するに至る課程では、様々な障害と問題が続出した。しかし、6月28日に無事、岡山空港に訪中団を30分遅れで、迎えた時には、ほっと一安心したものである。
 その日は簡単に紹介しあった程度で、即、ホームスティ宅にご案内した。翌、30日は本校体育館で児童全員による歓迎会を開催し、「日本の文化を伝えよう」という統一テーマで学年ごとに発表した。このような形式の発表は中国では珍しいらしく大変お褒めの言葉を戴いた。平島小学校児童代表による歓迎の言葉に続き、子どもたちの司会により次々と出し物が披露された。
第3回理事会NPO法人化を話し合う
 7月12日(金)13時30分から、協会事務局で本年度3回目の理事会を開いた。10名の役員が出席して、次の事項を協議した
1. NPO法人化について
2.日中友好茶館において
3.洛陽との医療福祉交流
4.その他 未収会費の件
日中国交正常化三十周年 小さな子どもたちの大きな交流
 岡山市と友好都市である洛陽市西郊外にある貧困地区・申窪村の子供たちのために小学校を建設しようと、当協会が中心になって活動を始めたのが4年前。その活動に賛同し、学区を上げて協力くださったのが陵南小学校と学区のみなさん。1998年に希望小学校が完成した際にも、またその後も学用品を送ったり、相互訪問を重ねて、学校のみならず学区住民との交流をも深めているユニークな例。
 今年、学区の住民や陵南小の教諭に加え、小学生代表・三上大介君(12才)が申窪村を訪問。前日、上海から鄭州経由で夜12時を過ぎて到着した疲れもものともせず、1時間ほど車で走ると、丁度道路工事をしている途中の道を通り、申窪村へ。以前は、大型バスが途中までしか入れず、途中から学校まで歩いたそうだ。青々としたとうもろこしや粟の畑の中にぽつんと希望小がある。校門では村民が太鼓を叩いて、子供たちが並んで熱烈歓迎。洛陽テレビも取材に訪れていた。
 学校関係者とそれ以上多くの村民が訪問団を取り囲む中歓迎式が行われ、席上では、学区・学校が日本から持参した学用品・スポーツ用品・おもちゃ・お菓子などたくさんのプレゼントと、音響機器が贈呈された。児童代表として三上君があいさつし、また得意の縄跳びを披露した。交歓会では、訪中団が河南省の民謡「編花籠(花かごをあもう」を中国語で歌い、またハッピ持参で「炭坑節」を踊り、最後には村のおばあちゃんやおじいちゃんも輪に加わり楽しく交流した。
 机と黒板以外には何もない殺風景な教室、きれいなトイレもないが、はるか日本からの善意で建てられた学校を子供たちが大切にしている様子が、懸命に学ぶ姿がほほえましかった。歓迎会で出された近くで取れたゆでたとうもろこしのお土産と、多くの村民の見送りを受けて、短時間だが内容の濃い交流を終えた。
協会の誇り・田口光代さんが信陽栄誉区民賞を受ける
 9月30日、河南省信陽市溮河区人民政府において、『栄誉区民授与式』が開催された。
 この授与式には、信陽市溮河区側からは曾昭宝党書記をはじめ趙興華区長ら区政府指導者ら十人と岡山からの訪中団「岡山信陽友好訪問団」一行13名(顧問―片岡和男協会長、団長―田口光代)が参加して、厳粛に行われた。
 式では、趙区長が授与理由を含めた挨拶をし、研修生として岡山に滞在したこともある柴明貴副区長が区人民政府の決定通知書を読み上げ、栄誉区民賞と記念のネックレス(鍵)が贈呈された。
 このたびの受賞は、新見市と信陽市(現在は行政改革により溮河区になっている)の友好都市締結十周年に際し、田口光代さんが永年にわたり、友好都市実現と促進に対して貢献したこと、そして約300万円の教育支援に対する功労が認められたものである。
 信陽市との交流は故田口克巳氏(光代氏の夫)が第二次世界大戦中に敵国にもかかわらず命を助けてくれた青年へのご恩返しと日中平和友好への限りない願いがベースにあり、1984年に初めて新見市市民訪中団が訪問したことから始まった。新見市との友好都市は1992年に実現したが、この間7回に及ぶ訪問、300万円の教育基金創設、中学校への図書館建設費寄贈、教育機器の寄贈等、第三小学校、第十三小学校、第一中学校(現在は第三中学と改称)を中心に教育支援を継続してきた。
 田口さんは今年87歳の高齢で、しかも一週間前に右肩骨折というアクシデントにもかかわらず、車椅子に乗り、信陽訪問を果たした。
 今回の受賞は田口さん個人としての名誉であると同時に、協会としても誇りとすべき慶事である。

日中国交正常化三十周年記念 日中友好茶館開かる
 日中国交正常化三十周年を記念する今年最後のイベント『日中友好茶館』が、岡山市日中友好協会・岡山市国際交流協議会・岡山市の主催で、11月30日、岡山済生会ライフケアセンター「やすらぎホール」で開かれ、約200人が参会して盛況裡に終わった。お茶文化は、まさに日中文化交流の中心と言っても過言ではない。国清寺方巖流・白雲会主宰の伝統的な日本茶道・煎茶(指導・田口光代)と、杉本博子、綾野富美子共同主宰の現代的な中国茶表演があった。参会者は、ゆっくりとお茶を楽しみながら、お茶文化を通じた日本と中国の交流に思いを馳せ日中友好を語り合った。
 お茶は中国から伝えられたものです。記録としてのお茶が登場するのは、「正倉院文書」の作物帳に茶の記載があり、1260年ほど昔になります。奈良時代から僧侶・貴族の間で喫茶の風習があったようです。当時の文明先進国であった中国の「唐」は、平安貴族や僧侶にとっては憧れの文明大国でした。お茶の文化は遣唐使などの命懸けの熱い思いで持ち帰られたものです。お茶の代表的な言葉に「茶禅一味」というのがありますが、中国でも日本でもお茶と仏教は密接な関係がありました。
 お茶の種を持ち帰った最長や、お茶を文学に反映させた空海などの功績は大きいのですが、やはり、ここは岡山。地元の栄西を語らなければなりません。栄西は、中国のお茶が最も発展した宋に二度渡り、茶の原点に帰り、体に良いものとしてお茶を持ち帰り、抹茶を普及させました。


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