協会の歩み 2006年
2006年(平成18年) 2006年度 定期総会開催
 2006年度の定期総会が1月28日(土)午前11時から、日本生命ビル3階で開かれた。開会に先立ち、昨年度亡くなられた亀井章さん、片岡琢之さん、伊達龍治さん、近藤弦之介さん、喜多島昌二さん、野崎久史さんに黙祷を捧げご冥福を祈った。
 片岡和男会長は開会の挨拶の中で、2003年4月以来凍結状態が続いていた中国洛陽市との行政間交流が復活へ向けて前進している。4月の洛陽牡丹祭りの頃に、高谷市長を団長とする市民訪問団派遣が実現する見通しになったと新春にふさわしい明るい話を披露した。
 今年は、岡山市・洛陽市友好都市縁組の締結二十五周年、NPO岡山市日中友好協会設立二十五周年の節目の年である。先人の苦労を無にしないよう、歴史を教訓にして中国との友好交流を進めていきたいと思う。会員各位に一層の支援と協力を要請した。
 続いて、議長に理事の赤木宣雄氏が就任し、書記に萱野哲朗氏を、議事署名人に小路広史氏と家野四郎氏を委嘱したあと議審に入った。慎重審議の結果、提案された議案は、すべて承認された。
中国訪問高校生の報告会開かる
 昨年実施された日中青少年交流プログラムに参加した高校生の「報告と懇談会」が開催された。会には主催者である岡山県日中教育交流協議会の黒瀬定生会長や事業を委託した財団法人福武教育振興財団の森崎岩之助常務理事、そして派遣された高校生16名のうち、13名が参加した。また上海への訪問団を引率した2名の教諭と高校から操山高校、城東高校、商大附属高校が参加した。
岡山・洛陽友好関係の修復成る
牡丹花咲き春来たる協会の蔭の努力実る
 1981年、日中国交回復に尽力した岡山県出身の岡崎嘉平太氏と中国の中日友好協会孫平化会長の勧めで、岡山市と洛陽市の友好都市縁組が締結された。以来両市は、相互に訪問団を派遣し合うなどして友好交流を深めてきた。
 ところが、2003年3月、当時の萩原市長は、新竹市と友好交流協定を結んだ際、協定書の中国文書署名欄に、新竹市の市長が「中華民国」の文字を書き入れることを容認した。このことに対して洛陽市は、日中共同声明、日中平和友好条約の原則と精神に対する重大な違反であるとして、友好都市関係の凍結を宣言した。
 日中友好協会は、日中共同声明と日中平和友好条約を基礎とし、中国は一つ、台湾は中国の一部であることを基本原則として活動し、市民交流の窓口として各界の交流促進に尽力してきた。
 今や、3年間凍結されていた友好都市関係が修復され、岡山市と洛陽市の日中友好事業が正しい軌道に回復された。非常に喜ばしいことである。
 岡山・洛陽友好都市締結二十五周年の記念すべき年に、高谷茂男岡山市長を団長とする岡山市民友好訪中団一行120人が大挙して洛陽市を訪問することができたことの意義は、きわめて大きいものがある。
 岡山市と洛陽市の関係は元通りになった。経済交流を始め交流の幅を広げながら、友好関係をいっそう深めていきたいものである。
日中21世紀交流事業が始まる
 本年4月27日、外務省は報道関係に対し、以下のような記者発表をおこなった。
 それによると、日中関係の未来を担う高校生を中心とする青少年の交流の重要性を確認し、「日中二十一世紀交流事業」を実施することとなり、日本側は財団法人日中友好会館(理事長―林義郎)が中国人高校生の短期(10日程度)招聘(1,100名)を行い、国際交流基金が「日中交流センター」を立ち上げ、中国人高校生を中心とした中長期(3週間から1年程度、100名から150名程度)招聘等の事業をおこなうというもので、中国側の派遣実施機関は中国教育部(日本の文部科学省にあたる)である。

◎岡山県では昨年から日中高校生交流が実施されている!
 岡山県内では昨年より高校生同士の交流プログラムが始まっている。財団法人福武教育振興財団(理事長―福武總一郎)が岡山県日中教育交流協議会(会長―黒瀬定生)に委託して実施した事業。昨年は、7月から8月にかけて岡山県下の高校生16名と引率教員3名が上海市新中高級中学を訪問し、同校の宿舎に泊まりながら、授業体験や高校生との共同活動、懇談会などを行なった。そして11月には上海より7名の高校生と3名の引率者を招き、岡山の城東高校や操山高校で授業参加と交流を行なった。訪日団の団長である新中高級中学の梁副校長は『中国で想像していた日本の高校生の姿と実際の状況は大きく違っていた。自由闊達な中にも規律がある校風に驚いた。中国の子供たちも啓発されたところが多い』と印象を語り『是非とも継続してほしい』と期待を述べていた。
洛陽市政府・経済視察訪日団 熱烈歓迎
◆表敬訪問… 連維良洛陽市長を団長とする洛陽市政府友好訪日団8名、経済視察団の雷団長ほか16名が、前日の岡山市長訪問に続いて、岡山市日中友好協会を表敬訪問された。先ず会長より『洛陽市と岡山市に25年間の輝かしい友好の歴史があった。そして、今年4月洛陽訪問時には友好関係はますます深くなり、永遠の絆で結ばれた。また、4月に訪れた洛陽大学の趙金昭学長様も同行された。』とあいさつ、ついで、連市長より挨拶があり、『4月洛陽にてお会いしてから、この度、岡山で再会できたことを嬉しく思う。岡山市日中友好協会が両市の友好に貢献されたことに感謝する。』と述べられ、『今後も、文化、技術、そして経済交流を発展させたい。』と発言されました。その後、懇談に移り、先ず永山理事より、上海、広東その他での企業活動の報告があり、片山理事より岡山外語学院の冊子を提供して、多くの中国学生の教育に協力していること、さらに中国現地での活動の説明があり、小路理事からは、中国で発行されている「人民中国」雑誌の内容を主としての勉強会をしていると報告された。有意義な30分でした。
◆ 歓迎会…岡山プラザホテル4階の鶴鳴の間の会場に代表団が到着、着席されると、綾野理事の司会により開幕。娘道成寺の舞の曲がながれ、酒井律江さんの歓迎の日本舞踊が始まりました。歌舞伎舞踊らしく、物語を表現しながら踊られました。終わると満場の拍手がおこりました。ついで、乾杯は永山理事様の音頭によりマスカットワインで行われた。会員をはじめ、関係者72人という多くの方々が、心からの歓迎の気持ちでご参加いただいた。
岡山「中国三誌友の会」150回記念例会開催
 今年5月に協会・中国三誌普及委員会所属の中国三誌友の会が月例会開催150回を迎えた。
 昭和63年に結成され、人民中国誌・中国画報・北京週報の三誌を通じて中国への知識と理解を深め日中友好に貢献し併せて広く中国三誌の普及を図る協会の目的達成のため結成された。
 以来18年間、協会の岡本常任理事を始め5人の協会理事により運営、人民中国誌の注目記事、時宜に応じた中国の話題、さらに在岡留学生、日中関係研究者(最近では劉建雲氏・中国人の日本語学習史の著者)大学教授等学識経験者を招いて研鑽を積んだ。
 また会員は協会行事に積極的に参加し、協会への入会勧誘にも協力して来た。
 他方人民中国雑誌社との交流も頻繁に行い、同社創刊五十周年記念会へ片岡協会会長を団長とする三誌友の会員数名が祝賀のため訪問し、記念式の席上で、片岡会長は同社社長から人民中国普及への謝辞と功労賞を贈られた。
 登録会員数は46名だが毎月の参加者は20名足らずでも熱心に活動している。
中国・洛陽市医療視察訪日団成果をもって帰国友好のうちに、感動して
 団長の洛陽市人民代表大会常務委員会副主任、石海欽、洛陽市衛生局副局長、外事弁公室副主任を含む13名(うち病院長、副院長など病院関係者10人)は、岡山市と協議により招聘は岡山市日中友好協会として、受け入れることになった。10月30日岡山空港に到着し、昼食後、瀬戸大橋・倉敷美観地区を終えて、18時30分より歓迎会を行なった。
 10月31日は後楽園を観光、郭沫若の石碑を見て、11時より市役所で高谷茂男岡山市長を表敬訪問し、懇談し、激励をうけた。席を移して、天野岡山市助役が出席され、昼食歓迎会が行なわれた。午後1時より、岡山市立市民病院を訪問した。会議室において、渡辺唯志病院事業管理者、松本健五病院長ほか幹部の方々が出席され、まず渡辺事業管理者より挨拶、日本の医療制度について解説され、問題点を指摘し、参考に述べられた。これに対して、石団長の挨拶に続いて、劉洛陽市衛生局副局長は病院の運営理念、経営について勉強したいと挨拶された。ついで松本院長より病院の運営について、年報と病院案内で診療実績を説明された。質問に移り、収支状況、管理面のことについて質疑応答があった。ついで、院内見学は集中治療室、手術室、感染症病室、外来、とくに希望で救急外来を見学した。皆さんに見送られて、つぎの訪問病院である旭東病院へ向かう。パッチ・アダムスの講堂に、歓迎の垂れ幕と歓迎の画面に迎えられた。まず、土井章弘院長の歓迎の挨拶、洛陽市の劉衛生局副局長の運営管理の私的病院での形式などについて勉強したいといわれた。これに対して、土井院長は経営理念の内容、運営、診療方針を説明し、特に、芸術を取り入れた明るい環境にしたと説明された。

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