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現在建物はなく、記念碑と以下のような案内看板があります。
明治18年(1885)内山賢太郎の長男として生まれ、28歳のときに上海に渡って大正6年(1917)に上海内山書店を開きました。誠実闊達な人柄が中国人の心を捉え、魯迅(ろじん)・郭沫若(かくまつじゃく)などの文化人と親交を深めました。
日中関係のもっとも険悪・困難な時期に、上海を訪れる日本人の案内役をし、日本の作家たちと中国文学者との交流の場を提供しました。魯迅・郭沫若・郁達夫らとの交友を通じて真実と人道主義を追求し、日中両国の文化交流と友誼のために橋渡し役を果たしました。
戦後は日中友好・国交回復実現のために心血を注ぎ、先頭に立って活躍しました。
昭和34年(1959)中国人民対外文化協会の招きで訪問中に北京で74才の生涯を閉じ、上海に墓碑が建立されています。
平成2年3月
芳井町教育委員会
芳井町文化財保護委員会 |
リンク
井原市観光協会 内山完造生家跡
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