岡山と中国に縁の人物

吉備真備(693-775)

吉備地方(真備町、矢掛町)の出身。715年遣唐留学生として入唐し進んだ文明を伝え、735年に帰国した。 現在、中国西安市の北の城門近くに吉備真備公園が整備され、碑が建てられている。

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倉敷観光Website 吉備真備

倉敷市 真備地区 吉備真備
おかやま人物往来 吉備真備
倉敷市 環境政策課 吉備真備公産湯の井戸
栄西(1141-1215)
岡山吉備津神社の神官の生まれと伝えられている。日本臨済宗の開祖。 中国(宋時代)に明州(今の寧波)に渡り、正法を求め、また茶種を持ち帰り”喫茶養生記”を著し茶道を伝えた。
毎年4月には、後楽園で”茶祖”栄西を偲んで、「栄西禅師賛仰献茶式・大茶会」が開催されている。
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おかやま人物往来 栄西
おかやまデジタルミュージアム 栄西
吉備津神社
後楽園 栄西禅師賛仰献茶式・大茶会
雪舟(1420-1506)
総社市の赤浜を誕生の地とし、芳井町を終焉の地とすると伝えられている。1467年中国(明時代)に渡り、本格の水墨画技法を学び1469年帰国した。 
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総社市観光情報 雪舟
井原市重玄寺 雪舟
吉備路インターネットマルチメディア協会 雪舟
おかやま人物往来 雪舟
井原市観光協会 雪舟
内山完造(1885-1959)

岡山県芳井町出身。日中友好協会初代理事長。日中戦争時、上海で内山書店を経営し、魯迅等と親交を結んだ。墓地は上海市内の”宋慶齢陵”に有り、上海市人民政府の手厚い管理を受けている。また、内山氏の功績を讃えるため、井原市小田川沿いの公園に”功徳碑”が建てられている。

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井原市観光協会 内山完造
成福寺 内山完造

会報「岡山と中国」関連記事
「内山完造展開かれる」(1985年)
「内山完造氏の墓碑が上海に建立」(1985年)
「内山完造が果した心からの日中友好」(2003年)
岡崎嘉平太(1897-1989)
岡山県賀陽町出身。国交がない時代に、日中経済交流の促進に奔走した。岡山県と中国との友好都市縁組みの仲立ちをするなど、日中友好に貢献した。周恩来に対する敬慕の念熱く、深く親交を結んだが、これが機縁となり、出身地の賀陽町と周恩来の故郷淮安市が交流を始めている。
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岡崎嘉平太記念館
会報「岡山と中国」関連記事
「岡崎嘉平太、松田基両氏に名誉称号」(1986年)
「岡崎嘉平太特別顧問が逝去」(1989年)
「肖向前氏が岡崎氏の墓詣り」(1992年)
「岡崎嘉平太記念館の構想」(1995年)
「朝日高校で岡崎嘉平太誕生百周年」(1997年)
安宅敬★
洛陽市名誉市民
江草安彦
大正15年、岡山県笠岡市生まれ。昭和25年岡山医科大学付属医科専門部(現岡山大学医学部)卒業。昭和31年総合医療福祉施設旭川荘の創設に参加。
社会福祉法人旭川荘名誉理事長。川崎医療福祉大学名誉学長。

1990年には福祉の翼訪中団として、障害者、家族、ボランティア、一般市民、旭川荘職員とともに中国上海市の福祉施設を視察、障害者相互の交歓会などを実施。現在にいたるまで毎年実施されている。

中国・上海市紅十字会の謝麗娟会長と江草氏が高齢者介護の専門職養成を行うという合意に達したことから「岡山-上海高齢者介護教員養成センター」を2004年開設。また、旭川荘では中国を筆頭に30カ国から19職種にわたる研修生を受け入れ、専門的な人材の育成に力を注いでいる。

1997年、上海市栄誉市民称号授与。
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社会福祉法人 旭川荘
会報「岡山と中国」関連記事
「江草副会長に白玉蘭賞」(1994年)
「協会員3人が三木賞受賞」(1995年)
「江草氏に上海市栄誉賞」(1997年)
田口光代
田口光代さんの亡夫田口克巳氏が先の戦争で中国へ出征した際、信陽市を夜間行軍中に疲れ果てて道端に倒れた。それを見て若い中国人が肩を貸し市街地まで運んだ。若者のおかげで命が助かり今日がある-と生前はいつも述壊し、戦後彼は日中友好運動に余生をかけ、信陽市と新見市の都市縁組を実現。

田口克巳氏の生前の遺志を継ぎ、光代さんは中国訪問、300万円の教育基金創設、中学校への図書館建設費寄贈、教育機器の寄贈等、第三小学校、第十三小学校、第一中学校(現在は第三中学と改称)を中心に教育支援を継続してきた。

2002年、信陽市溮河区より栄誉区民賞を授受。
会報「岡山と中国」関連記事
「図書館を田口さんが寄贈」(1991年)
「未就学生を救おう~教育資金にポンと400万円」(1996年)
「信陽市溮河区 就学困難な児童へ奨学金交付 田口さん交付式に参列」(2000年)
「日中教育基金 第1回交付式挙行される 信陽市シ河区第13小学校」(2000年)
「信陽市就学困難児童に奨学金」(2000年)
「協会の誇り・田口光代さんが信陽栄誉区民賞を受ける」(2002年)
「私と中国 友好交流の思い出」(2006年)

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