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発行年月 |
記事タイトル |
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2023年 |
3月 |
賞は岡山市日中友好協会が頂いたもの。 |
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1月 |
日中平和友好条約45周年は『重温友好初心』で。 |
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2022年 |
8月 |
国交正常化50年『温故知新、以て師となすべし』。 |
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6月 |
自治体国際化表彰は「市民みんなで日中友好」が評価された。 |
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3月 |
日中両国が戦争をしてこなかった友好の重みをかみしめよう。 |
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1月 |
今年は「温故知新・・・」の精神で活動していきたい。 |
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2021年 |
10月 |
日本独自の外交戦略、研究開発方針を持ってもらいたい。 |
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8月 |
40周年記念行事を終えた。50周年への新たな活動に向かっていこう。「不惑」から「知天命」へ。 |
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6月 |
コロナ禍の中、リアルとリモートのハイブリッド交流をすすめよう。 |
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4月 |
岡山洛陽友好都市40周年記念事業がキックオフ! |
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3月 |
日中友好の中間支援者としてのNPOの存在は有用。不断の努力で能力を高めよう。 |
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1月 |
2度の直島への訪問により、福武總一郎氏が提唱する『直島メソッド』を学習した。2月27日の講演会に期待している。 |
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2020年 |
10月 |
コロナ禍は在留外国人の方に大きな影響。チャーター便など、岡山空港からの国際線への努力がなされている |
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8月 |
新型コロナウイルス拡大の中、経済、国際交流を実施していく検査体制が必要 |
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6月 |
中小企業等とのZOOM会議でコロナに立ち向かう経営者の姿に感動。上海市とはリモートで高校生交流。 |
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4月 |
新型コロナウイルス、今や全世界に影響を与えている。ここは我慢して自粛し、自ら、他人、そして社会を守ろう。 |
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2月 |
総会、講演会、互礼会は成功裏に終わったが、武漢発の新型ウイルスによる肺炎の一日も早い終息を祈っている。 |
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1月 |
医療の海外進出が言われている。当協会も洛陽市の医療関係者との交流を実施。今後も更なる交流を進めたい。 |
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2019年 |
10月 |
日本は人口減少で労働者が少なくなり、外国人労働者に頼らざるを得ないが、日本に定住できる仕組み作りが必要だ。 |
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8月 |
私は柳田邦男さんの「死後生」を信じる。私の気持ちや活動規範のなかに中西さんの精神が受け継がれている。 |
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6月 |
体調不良、病気になると予定が狂ってしまう。常日頃からそのような時、どのように対処するか考えておく必要がある。 |
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4月 |
半田山植物園、三徳園、千屋牡丹園の牡丹は洛陽から当協会を通じて導入されたものである。 |
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2月 |
訪日中国人は多いが訪中日本人は少ない。これを是正するため旅行社、行政、友好団体など、工夫する必要がある。 |
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1月 |
全国的に協会会員の高齢化が目立つが、当協会は青年部が発足し設立40周年に向け創造的活動を展開したい。 |
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2018年 |
10月 |
中西さんの時代の日中友好を受け継ぎ、繋いできた私たちに次に引き継ぐ青年たちが現れた。 |
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8月 |
協会としても3年後の設立40周年を目指して内山完造先生、中西氏の資料を整理して集大成を作りたい。 |
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6月 |
日中友好の世界も「不易流行」を絶えず話合い、活動と組織づくりに反映させなくてはいけない 。 |
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4月 |
協会の緑化交流基金助成金申請時にご指導を頂いた同郷の野中広務さんが亡くなり、緑化事業も区切りを迎えた。 |
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2月 |
総会後の講演会で毛先生が強調された「知の格差」を少なくする活動をこの岡山の地で実践していきたい。 |
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1月 |
現代は「ネットと越境社会」で、文化が国境を越えて行き来する時代である。 |
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2017年 |
10月 |
協会が日中緑化交流基金助成により、洛陽市で実施してきた緑化事業は本年度申請で最後になる。 |
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8月 |
国際交流で大切なのは通訳である。優秀な通訳を育成すべく協会の中国語センターは新講師を迎え、取り組んでいる。 |
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6月 |
当協会の初代事務局長の中西寛治さんの理念を踏襲し、不易流行を念頭に発展させよう。 |
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4月 |
洛陽への訪問団は1982年を最初に36年,今の日中政府間の状況を見ると無力さを感じるが、役割はあると信じよう。 |
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2月 |
『以民促官』が言われて久しいが、これからは民間の活力と官の費用を組み合せる『官民合作』の工夫が必要になる。 |
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1月 |
日中国交正常化45周年の年、先人たちの友好の軌跡を知り、次世代へ引き継ぐ年としたい。 |
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2016年 |
10月 |
岡山へ来て40数年経つ。先輩、知人、友人との再会の瞬間、鮮明に記憶が蘇るが、何時までもこうであって欲しい。 |
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8月 |
訪日外国人の急増に伴い、欧米の移民・難民問題も日本で起こってくるだろう。これに対応する環境整備が急がれる。 |
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6月 |
岡山市の将来を考える時、中国との福祉交流が期待されている。協会としてこのあたりのお手伝いをしていきたい。 |
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4月 |
友好交流の記念行事開催に伴う費用のあり方について官民一緒に考えていきたい。 |
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2月 |
莫邦富先生の講演は協会の活動に対する率直な提言であり示唆であった。 |
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1月 |
若い世代が協会に関心と魅力を持つような活動を提案していきたい。 |
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2015年 |
10月 |
地方同士の友好の橋を築き、補修していく地道な活動の中に協会の存在意義があるのではないか。 |
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8月 |
国の将来、日中友好交流を担うのは青年であり、未来に禍根を残さぬよう今すること、出来ることを考え、実践しよう。 |
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6月 |
メールなどで簡単、即座にメッセージを送れる現代、文字を書いて送る行為に人と人の本来のつながりを感じる。 |
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4月 |
日中交流において、協会は大衆路線で団体や人を結びつける架け橋の役割をさらに発揮していきたい。 |
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2月 |
范曾先生の健在と30年前の岡山への范曾美術館設立にかかわる協会の協力について |
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1月 |
西大寺の范曾美術館と天津市との交流について |
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2014年 |
10月 |
日本人はお土産にもっと心を配ろう。たかがお土産、されどお土産である |
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8月 |
友好交流で、客観的な分析による活動を提案、実施したい |
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6月 |
友好協会だからできる活動を通して市民友好を育てよう |
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4月 |
民間同士の交流をどのようにして切り開くか、真剣に模索し実践することだ |
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2月 |
政冷経熱は続くが小さな活動でも各処で実践していこう |
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1月 |
友好の火を絶やさない、継続する、発信し続けることだ |
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2013年 |
10月 |
いよいよ民間交流の再開だ |
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8月 |
現下の日中情勢において、勇気を出して交流を切り開こう |
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6月 |
尖閣諸島をめぐる日本と中国の対立、相互にとって何一つ得なことはない。政治の決断を願いたい |
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4月 |
政府や国家の対立があっても民間交流実施の意志の共有 |
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2月 |
民間交流再開への期待 |
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1月 |
岡山市と洛陽市の友好交流が「人民中国」12月号に掲載 |
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2012年 |
10月 |
日中友好の原点をもう一度見つめよう |
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8月 |
日中青少年交流を盛んに |
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6月 |
協会事務所の資料整理 |
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4月 |
日中友好協会の存在価値と活動方針について |
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2月 |
中国残留孤児の支援 |
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1月 |
日中間の友好都市関係について |
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2011年 |
10月 |
5年ぶりの新疆ウイグル自治区 |
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8月 |
旅の醍醐味を味わえるツアーを |
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6月 |
中国東北部出身の楊さん |
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4月 |
東日本大震災 |
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2月 |
谷井昭雄氏の講演 |
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1月 |
今年は協会設立30年 |
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2010年 |
10月 |
友好交流の強固なプラットホームを築こう |
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8月 |
医療と観光 |
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6月 |
中国人観光客の日本入国ビザの緩和 |
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4月 |
来年は協会創立30周年 |
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2月 |
民間交流の拡大 |
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1月 |
私たちにできる友好交流 |
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2009年 |
10月 |
建国60周年 |
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8月 |
ウイグル自治区 |
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6月 |
「福祉の翼」訪中団 |
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4月 |
洛陽牡丹花会 |
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2月 |
内山完造の生涯 |
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2008年 |
12月 |
2008年を振り返る |
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10月 |
旅行を通した交流 |
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8月 |
北京オリンピック |
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6月 |
四川省大地震 |
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4月 |
北京オリンピック聖火リレー |
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2月 |
興譲館高校 |
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2007年 |
12月 |
和諧社会の実現 |
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10月 |
日本華僑の歴史 |
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8月 |
平和訪中団の貴重な資料 |
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6月 |
地域間格差 |
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4月 |
故赤木五郎初代会長 |
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2月 |
日中文化・スポーツ交流年 |
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2006年 |
12月 |
『大地の咆哮』杉本信行著 |
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10月 |
フィンランドでみつけた中国 |
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8月 |
岡山洛陽友好凍結解除 |
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6月 |
国際交流における官民の役割分担 |
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4月 |
岡山洛陽友好交流再会 |
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2月 |
范曽美術館 |
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2005年 |
12月 |
岡山洛陽友好凍結解除なるか |
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10月 |
ドラゴンボール |
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8月 |
シルクロードの旅 |
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6月 |
大学入試の全国統一試験 |
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4月 |
反日デモ |
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2月 |
中国残留日本人孤児 |
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2004年 |
12月 |
日中関係の危機 |
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10月 |
海外教育事情視察 |
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8月 |
河南省雑技団岡山公演 |
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6月 |
西北大学での出来事に考える |
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4月 |
友好都市交流再開に向けて |
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2月 |
春の歌を口ずさめる社会に |
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2003年 |
12月 |
波瀾の平成15年 |
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10月 |
韓国教育事業調査 |
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8月 |
変わりつつある中国人の日本観 |
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6月 |
SARS(2) |
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4月 |
SARS(1) |
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2月 |
NPO法人化 |
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2002年 |
12月 |
日本への親近感 |
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10月 |
三峡下りと万里の長城ウオーク |
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8月 |
思い出のサマーキャンプ |
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6月 |
瀋陽事件 |
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4月 |
中国人留学生の増加 |
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2月 |
外交とは |
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2001年 |
12月 |
高校の中国語学習 |
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11月 |
日中女性フォーラム |
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10月 |
テロと平和 |
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9月 |
長期的外交戦略 |
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8月 |
烏魯木斉から北京まで |
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7月 |
教科書問題 |
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6月 |
日本の国際化教育 |
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5月 |
『上海ベイビー』 |
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4月 |
タイムカプセル |
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3月 |
谷口澄夫先生 |
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2月 |
在岡アジア交流 |
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2000年 |
12月 |
設立20周年を迎えて |
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11月 |
南京大虐殺 |
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10月 |
ホームページ |
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9月 |
中国人訪日観光旅行団② |
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8月 |
中国人訪日観光旅行団① |
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7月 |
七夕と盧溝橋事件 |
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6月 |
中米関係 |
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5月 |
緑の地球ネットワーク |
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4月 |
福祉分野の交流 |
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3月 |
三講 |
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2月 |
IT時代の交流 |
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1999年 |
12月 |
新世紀の交流 |
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11月 |
航空機の搭乗率 |